第20話 崩落
「崩れた岩が天井から床までを塞いでいる」
—— 立ちはだかる崩落
「自分たちは全員こちらに来られた」
—— 崩落の突破
あの広間を出て、あの迷路のような通路に戻った。
薄暗い通路を自分たちは慎重に進んでいた。
先頭を行くのはアッシュ。
手に持っている地図と、目の前で枝分かれする通路とを、何度も見比べながら進む道を選ぶ。
昨日までなら、同じような三叉路が続くこの一帯にとうに惑わされていただろう。
だが今は違った。
目的地を定め、地図を辿り、道を選び、迷いなく進んでいく。
自分とヴェラの淡い灯りが薄暗い通路を照らし出す。
その灯りが、足元の危うい起伏を浮かび上がらせている。
「この道の、いちばん奥だ」
アッシュが地図の一点を指したまま言った。
「イングリッドが最初に選んだ場所。……もう、そう遠くないはずだ」
その言葉に小さくうなずいた。
目的地までもう直ぐ……ただそれだけのことが足の運びをまるで変えていた。
だが。
その道が、唐突に途切れた。
「……止まれ」
先頭のアッシュが手をかざした。
ヴェラが灯りを足元から道の先へとうつした。
そして、照らされた先に、それはあった。
崩れた岩が天井から床までを塞いでいる。
大小の岩塊が折り重なり、その向こうへの道を完全に呑み込んでいた。
崩落だ。
小さく息を呑んだ。
自分たちはその岩の壁の前で立ち尽くした。
「……迂回できるか?」
イングリッドが低く問う。
アッシュは地図に目を落とし、すぐに首を振った。
「ない。この先への道は、ここ一本きりだ。目的地は、この岩の直ぐ先だ」
——また、行き止まり。
昨日の石碑の広間が、ふいに脳裏をよぎった。
せっかく手に入れた地図。
せっかく定めた行き先。
それが、崩れた岩の山であっさりと閉ざされている。
「岩をどかせて、進めるか?」
イングリッドの問いかけに、アッシュが岩に手をかけ、ひとつ、力を込めた。
だが、岩塊はびくともしない。
下手に引けば積もった岩が一斉に崩れてくる。
そういう危うい重なりのようだった。
「……駄目だな。ひとつ抜けば、総崩れだ。下手をしたら、生き埋めだ。それでもよければ、別だが」
アッシュが手を引いた。
重い沈黙が薄暗い通路に落ちる。
その沈黙をゴードンの低い舌打ちが破った。
「……こいつを片付けてる余裕なんざ、ありゃしない。食料は、もう二日ぶんを切ってる。だが——」
その視線が、ふさがれた道の先を睨んだ。
「迂回もできん。目的地は、このすぐ向こう。進むにも、この山が邪魔をする。……ここまでの移動時間もだが、時間だけが無駄に削られていくな」
誰も言い返せなかった。
地図を得て、行き先を定めて。
それでもなお迷宮はこうしてあっさりと道を閉ざしてくる。
昨日の絶望とはまた違う重さが全員の肩にのしかかった。
だが——引き返すという道は、もう、自分たちにはなかった。
アッシュが地図を懐にしまい、あらためて崩落の山と向き合った。
そのまなざしが、ひときわ真剣な斥候のそれに変わる。
崩れた岩の一つひとつの重なりを、下から上へと、丹念に追っていく。
「……完全に、塞がってるわけじゃない」
やがてアッシュがぽつりと言った。
「上のほうだ。あの、岩と岩のあいだ。……人ひとりなら、くぐれるだけの隙間がある。塞がって見えるが、あそこだけ、抜けてる」
言われて自分もその一点を見上げた。
なるほど、崩れた岩の上のほうに、わずかだが黒い隙間がのぞいている。
「……でも、あそこをくぐるってことは」
ヴェラが、不安げに声を落とした。
「この、崩れかけた岩を、登っていくってことだよね。……もし、途中で崩れたら」
その先は誰も口にしなかった。
あの不安定な岩の山は、いつ崩れてもおかしくない。
その岩を登っていくなど、正気の沙汰ではなかった。
だが、アッシュは首を振らなかった。
「だから、押さえるんだ」
その声は、静かだが、確かだった。
「誰かがこの岩を登っているあいだ、崩れないように押さえておく。……ゴードンなら力と、ヴェラなら魔法で。それなら、いけるはずだ」
迷いのない言葉だった。
「支えなきゃならないのは、ここだ。この岩さえ動かなきゃ、上は落ちてこない。……ヴェラ、お前の魔法で、この岩を固定できるか」
「……やってみる。長くは、もたないかもしれないけど」
ヴェラが額の汗を拭ってうなずいた。
「よし、ゴードンはどうだ?」
「……できる。同じく、長くは、もたない」
ゴードンが拳を握りしめながら答えた。
二人の答えを聞いて、アッシュはイングリッドへと視線を移した。
「ゴードンは、力で押さえる。ヴェラは、魔法で押さえる。二人交代でだ。……その隙に、一人ずつ、岩を登っていく。どうだ?」
イングリッドが皆を見回した。
皆の覚悟は決まっていた。
「……いいだろう。段取りは、あたいが決める」
低く、けれどよく通る声が、指揮を執った。
「登る順は、アッシュ、ヴェラ、ライル、あたい。最後にゴードンだ。アッシュとヴェラ、ライルまではゴードンが岩を押さえる。そのあとはヴェラが岩を固定する。ゴードンもヴェラも限界を迎える前に教えろ。その時点で入れ替える。……いいか、一人でも、焦って岩を崩すなよ。全員、息を合わせろ」
全員がうなずいた。
誰も二手に分かれようとはもう言わなかった。
一人ずつ、けれど全員で超えていく。
それがこのパーティーの選んだ道だった。
自分は、目の前の崩落を見上げ、それから傍らの仲間たちを見た。
この不安定な崩落を抜けられるかどうかは、山を押さえる二人の力にすべてが懸かっている。
言い換えれば——自分たちは互いの背をまるごと預けあうということだ。
ゴードンが、崩落の要の岩に両手をあてがった。
太い腕が、みしりと軋みを上げて、その巨岩を押さえ込む。
「……今だ。アッシュ、行け」
イングリッドの合図で、アッシュが岩を登り、隙間へ滑り込んでいく。
ぱらぱらと小石がこぼれた。
だが要の岩は動かない。
ゴードンの腕が、それを堪えていた。
次は、ヴェラの番だった。
だが、その足は崩落の裾で一度、止まった。
いつ崩れるとも知れない岩の山を、自分の身一つで登る——その恐怖は誰より想像力の働くこの娘をすくませた。
「ヴェラ、こっちを見な」
先に渡ったアッシュが向こう側から声をかけた。
「足元はおいらが見てる。次に足を置く岩だけ、教えてやる。……お前は、それだけ信じて登れ」
ヴェラがこくりとうなずいた。
アッシュの声に導かれ、一歩、また一歩と、危うい岩を登っていく。
ぐらつく足場に幾度も息を呑みながら。
それでもその手はとうとう向こう側のアッシュの手を掴んだ。
ヴェラが崩落の向こうへと抜けた。
次は、自分の番だった。
息を止め、崩れかけた岩へ手をかける。
いつ崩れるかも知れない岩を足場に登る。
背にじっとりと汗が滲む。
それでも自分は、前だけを見て身をかがめ隙間をくぐり抜けた。
やがて、要の岩を押さえるゴードンの太い腕が、小刻みに震えはじめた。
「……っ、ぬ、おおっ……! イングリッド、そろそろ、腕がもたん……!」
「ヴェラ、交代だ!」
イングリッドの声が、崩落の向こう——ヴェラのいる側へ飛ぶ。
その声に応え、すでにこちら側へ渡っていたヴェラが、隙間ごしに岩へと手をかざした。
離れていても、魔法なら届く。
淡い光が、ゴードンの押さえる要の岩を、向こう側からそっと包み込んだ。
「……固定、できた! ゴードン、もう手を離して大丈夫!」
ヴェラの声に、ゴードンがそろそろと岩から手を離す。
支えを失うかに見えた岩は、だが、ヴェラの魔法に抱かれたまま、その場に留まっていた。
力から、魔法へ。
崩落を押さえる支えが、途切れることなく受け渡された。
「よし、いくぞ」
イングリッドの声が聞こえた。
少しして、イングリッドが隙間を抜けてきた。
「ヴェラ、もう少しだ。踏ん張れ。……ゴードン、こい!」
「……いくぞ」
ゴードンの絞り出すような声。
ヴェラがこくりとうなずいた。
ヴェラの魔法が、崩れかけた岩の山を繋ぎとめている。
その額には汗が流れている。
長くはもたない。
ゴードンが一息に登りきる。
一秒が数分にも感じるような時間の果てに、とうとうゴードンが隙間を潜り抜けてきた。
その瞬間、ヴェラは緊張の糸が切れたようにその場へ崩れ落ちた。
自分は慌てて荒い息をつくその背を支えた。
自分たちは全員こちらに来られた。
誰一人欠けることなく。
イングリッドが立ち上がり、前を向いた。
「……行くぞ。ここまで来て、立ち止まる理由はない」
自分が灯りをかざし、崩落の先へ——目的の場所へと、足を向けた。
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