第19話 道順
「——ちょっと、待って」
ヴェラがふいに皆を呼び止めた。
その声に皆が振り返る。
「どうした?」
イングリッドが問うと、ヴェラはアッシュに目を向けた。
「ウチに地図をみせて」
「ああ、いいぞ」
そういうとアッシュはヴェラに地図を渡した。
「ライル。……あなたが、あの場所を気にするのは、分かる。ウチも、あそこは気になる。……でも、ね」
ヴェラの指が地図をなぞって別の場所を指した。
そして、また別の場所へと指を移した。
「"見よ"って指してる場所、あそこだけじゃないの。同じように気になる印が、ここと、ここと……あと、この奥にも。ウチとしては、そのぜんぶが気になるんだよね」
そう言われ、自分ははっとした。
たしかにそうだった。
昨日、目についた一点にばかり気を取られていたが——地図が指し示している場所は一つではなかった。
「……なら、こっちはどうだ」
と、アッシュが口を挟んだ。
「地図を作っているとき、妙に気になっちまう場所が、一つあった。ここも、気にならないか?」
次々と候補が挙がっていく。
「……わかった」
イングリッドが皆を制して言った。
「勢いで歩き出しちまったが、その前に、いったん整理しよう。どこに、何がありそうか。どこから巡るのが、いちばんいいか。……焦って手当たり次第に当たるより、そのほうが、ずっと早い」
あらためてその場に腰を下ろし、繋がった地図を広げて皆で囲んだ。
地図の上には「場所を示す印」がいくつも散らばっていた。
どれも、これまで自分たちが通っていない場所だった。
そんな場所を、この地図は、わざわざ「そこを見よ」と告げている。
ならばその場所には何か意味があるはずだ。
ヴェラが印の一つひとつをあらためて指でたどっていく。
「……ぜんぶで、五つ。ばらばらの場所に、散らばってるね」
言われて、自分も地図の上に目を凝らした。
なるほど、ヴェラの指がたどった先には、小さな印がぽつり、ぽつりと散っている。
中央を貫く一本の幹のような道。その左右へ伸びた枝の、思い思いの奥に、それぞれの印は身を潜めていた。
互いに遠く、まとまりもない。まるで誰かがわざと、ばらばらの場所に置いたかのようだった。
一つひとつが、この地図の別々の隅で、静かに「ここを見よ」と灯っている。
あの行き止まりの石碑を前に、一歩も動けなかった自分たち。
それが今は、巡るべき目的地が地図の上にいくつも灯っている。
そのどれかに、出口への手がかりが——あるいは、ここから出るための道そのものが、あるのかもしれない。
「……悪いが、行き先がいくつもあるのなら、現実を言うぞ」
ゴードンが低く言った。
「食料は、もう二日ぶんを切ってる。三日目が来る前に、出口の目星をつけなきゃならん。……巡る場所が、五つもあるなら、のんびりはしていられん」
その言葉が高ぶりかけた気持ちを静かに引き締めた。
残された時間は多くない。
地図はある。
だが、それを頼りに歩ける時間は刻々と減っていく。
今朝の食事でまた一つ蓄えは減っている。
地図を手にした喜びも、その事実の前では長くは続かなかった。
「なら——手分けするか」
ゴードンが続けた。
「二手に分かれて、別々の場所を巡る。そうすりゃ、倍の速さで回れる。時間を稼ぐには、それがいちばん確かだ」
理にかなった提案だった。
時間だけを考えればたしかにそれが最も効率がいい。
自分も、一瞬、なるほどと思った。
だが——。
「駄目だ」
声を上げたのはアッシュだった。
いつもの軽い調子はそこにはなかった。
自分は思わずその顔を見た。
軽口ばかりのこの男が、今は真顔だった。
「別々に動くのは、なしだ。……ばらばらになって、それぞれ勝手に動く。それは最悪、二度と合流できなくなりかねない。はぐれるとか、そういう危険をとるのは、パーティーじゃない」
その声は静かで、けれど妙にきっぱりとしていた。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
「……アッシュ?」
ヴェラが戸惑ったように名を呼ぶ。
「悪い」
アッシュは、ふっと、いつもの調子に戻った。
だが、その目の奥に、何か——今は触れてはいけないような、そんな翳りが一瞬だけよぎった気がした。
「効率がどうとか、おいらには難しいことは分からん。ただ……ばらばらになるのは、性に合わないんだ。それだけさ」
それ以上は何も言わなかった。
なぜそこまで、と問うこともどこかはばかられた。
この男のいつもは見せない芯にある何かに、うっかり触れてしまった気がして。
軽口でこのパーティーを支えてきたアッシュが、たった一度だけ、笑うことを忘れた。
「ばらばらになる」——その一言にだけ、譲れない何かがある。
それが何なのかは分からない。
だが、覚えておこうと思った。
沈黙を破ったのはイングリッドだった。
「……いいさ。アッシュの言うとおりだ」
その声は穏やかだった。
「時間は惜しい。だが、この見知らぬ場所で、ばらばらになって、もし合流できなかったら——そのほうがよっぽど時間を食う。全員でまとまって巡る。それでいこう」
ゴードンも、小さくうなずいた。
「……そうだな。おれの考えが、浅かった。ここはおれたちの知らない場所だ。ばらけてはぐれでもしたら、元も子もない」
その一言で場の雰囲気がすっと収まった。
時間は惜しい。
だが、全員が揃っていることのほうが今は大事だ。
アッシュのあの譲らない一言が、めぐりめぐって皆を一つにまとめていた。
——妙な男だと思う。
いつもは誰より軽いくせに、肝心なところで誰より重い。
方針は決まった。
全員でまとまって一つずつ場所を巡る。
あとはその順番だ。
「この印、『水』の記号と一緒に出てた品にあったんだ。……近くに、水に関わる場所が、あるのかも」
ヴェラが一つの点を指す。
その隣の印へ、今度は自分が口を開いた。
「こっちのは、拾った石片に、印以外に四角い記号が刻まれてた。あれは確か『固い』とか『閉じる』だったはずだ」
「そうだね、『固い』や『閉じる』だね。……何かを、固く閉ざしてる場所かも」
自分の記憶をヴェラが補強していく。
そうして一つ、また一つと、ただの点でしかなかった印に少しずつ意味が加わっていった。
「奥のこいつは……遠いな」
アッシュが地図の端を指で叩いた。
「この道をずっとたどった、いちばん奥だ。行くだけで、それなりの時間を食う。……ここは、後回しでいい」
「こっちは、そこへ行く道が細い。だが、いちばん手前だ」
別の点を、今度は指でぐるりと囲む。
幾つもの意見が、短い時間の中で飛び交った。
どれを先に、どれを後に。近いか、遠いか、何がありそうか。
そのやりとりの一つひとつが、行き先を照らす手がかりになっていく。
ばらばらに動いていたら、こうして知恵を突き合わせることもなかった。
五つの印を前に、五人で額を寄せる。
その事実が、今はなぜだか心強かった。
「まずは、ここだ」
イングリッドが、地図の一点を指した。
それはこの広間からいちばん近くの場所。
異論は、なかった。
そこに何があるのかは、まだ誰にも分からない。
出口へ続く道かもしれない。
あるいは、印には意味がなく、ただの空き部屋かもしれない。
もしかしたら、地図が間違っているかもしれない。
だが、確かめに行くべき先がある、目的とする場所がある——それだけで、昨日とは何もかもが違っていた。
自分たちは荷を背負い直し、最初の目的地へと歩き出した。
昨日は、行き止まりでそれ以上先に進めなかった。
立ち止まるしかなかった。
だが今日は、地図があり、行くべき場所がある。
そして——全員が、揃っている。
欠けたものは、何もない。
あるのは、進むべき道とそれを共に歩く仲間だけだ。
先頭を行くアッシュの背中は、もういつもどおりだった。
さっきの翳りなどまるでなかったかのように、軽い足取りで道を選んでいく。
それでいいと思った。
今は前へ進むときだ。
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