第02話 アイリスの誓い
「花の名を掲げたわりにやっているのは埃と汗にまみれた稼業だった」
—— アイリスの誓い
油と麦酒の匂いが店の戸口からもう漂っていた。
ケルウィックの酒場は日が落ちてからが本番だ。
旧街道を行き来する隊商や、稼ぎを終えた冒険者で、長卓はどこも埋まりかけている。
その喧騒の一角にひと席が空いていた。
「よし、今日はしっかり飲むよ。ライル、奥に詰めな」
先に腰を落ち着けたのは、イングリッド。
剣士で、このパーティーのまとめ役。
年上の姉御肌で決断が速く面倒見がいい。
「あたい」と胸を張るその威勢にこれまで何度も背中を押されてきた。
言われたとおり奥へ詰める。
自分は、ライル。
アイテム鑑定士で、荷運びと鑑定と道具を使った後方支援を受け持っている。
剣も魔法も人並みで、荒事はいつも皆に任せきりだ。
その代わり、品物を見る目だけは誰にも負けないつもりでいる。
「おいら、今日はいい肉が食いたいねえ。臨時収入があったんだしさ」
卓に頬杖をついて品書きを眺めているのは、アッシュ。
斥候で、参謀役。
飄々とした軽口ばかりが目立つがその目は誰より場をよく見ている。
罠の気配も、他所のパーティーの動きも、たいていこの男が最初に嗅ぎつけた。
「臨時収入って、あのからくり箱のことか。あれは仕事の一環だから臨時収入はないぞ」
すかさず釘を刺したのは、ゴードン。
戦士で、五人の中では最年長の落ち着いた常識人だ。
食料や日程の算段はいつもこの男が引き受ける。
賑やかな面子のなかで、地に足のついた重しの役をひとりで担っていた。
「ねえねえ、その箱、結局どういう仕掛けだったの? ウチ、まだ気になってるんだけど」
卓の端から目を輝かせて身を乗り出したのは、ヴェラだ。
魔法使いで、五人の中では最年少。
魔術やら地脈やら現象やら、とにかく理屈にめっぽう詳しい。
ただ、興味の向く先がいちいち風変わりなせいで周りからはちょっとした変人扱いをされている。
本人はまるで気にしていないが。
そんな五人のパーティーが「アイリスの誓い」。
花の名を掲げたわりにやっているのは埃と汗にまみれた稼業だった。
ケルウィックを根城に、素材を採り、古い遺物を掘り、細々と、けれど途切れず食い繋いできた長い付き合いの中級どころ。
運ばれてきた麦酒で、軽く杯を合わせる。
泡の向こうで、イングリッドの目がもう次の話に移っているのが分かった。
「さて、本題だ。次はどこに潜る」
卓の上に話題がぽんと置かれる。
蔵の仕事で懐は温まったがそれも長くは保たない。
次の稼ぎ先を決めるのはいつもこの店だった。
「ウチはやっぱり古いのが出るとこがいいなあ。掘れば掘るほど変わったものに会えるでしょ」
ヴェラが真っ先に手を挙げる。
箱の件ですっかり探究心に火がついているらしい。
「気持ちは分かるが、それじゃ飯は食えん。手堅く素材が採れるとこがいい」
ゴードンが現実的に返す。
最年長の言葉にはいつも地に足のついた重さがあった。
「楽して稼げりゃ一番なんだけどねえ」
「アッシュ、そんな都合のいい稼ぎ場があったら、とっくに人が群がってるよ」
アッシュの軽口をイングリッドが笑って払う。
「東の水路跡はどうだ。少し前は素材がよく採れたと聞いたが」
ゴードンが手堅い候補を挙げる。
「あそこはもう人が入りすぎだよ。めぼしいのは採り尽くされてる」
アッシュがすぐに首を振った。
他所のパーティーの動きにはこの男の耳がいつも一番早い。
「稼ぎ場ってのは鮮度が命だからねえ。人の少ない、古いとこが狙い目さ」
イングリッドはふと自分のほうへ視線を向けた。
「ライル、あんたはどう見る。目利きの意見を聞かせな」
話を振られて、少し考える。
自分の鑑定が活きるのは、やはり古い品の出る場所だ。
素材だけなら誰が拾っても同じだが、一見で価値の分からない遺物が混じるなら、そこには自分の目の出番がある。
「……遺物が出るとこなら、自分の鑑定で選り分けられる。値のつく品を見落とさずに済む。ヴェラの言う古い場所は、理に適ってると思う」
言い終えてから少しだけ面映ゆくなる。
どこに潜るかの相談で真っ先に意見を求められる。
戦いの段では後ろに回るしかない自分でも、こういう席では役に立てている。
その手応えが麦酒よりもよほど胸を温めた。
「なら、話は早いね」
イングリッドが卓を一度、指で叩いた。
「グレンモア回廊にしよう。素材も出るし、旧街道の名残で掘り出し物もある。もしかしたら、あの箱みたいな訳の分からないものが転がってるかもしれないしね」
グレンモア回廊。
ケルウィックから一日とかからない、元は地下街道だった廃道だ。
今は崩れかけの坑道が入り組む、中級どころの稼ぎ場になっている。
「旧街道由来だから、古い遺物が出るのは確かだ」
自分は補足を添えた。
「ただ、何が出るかは運任せだ。何も出ない日もある。そこは期待しすぎないほうがいい」
「出りゃ儲けもの、くらいでいいさ。素材の相場は落ちてないしね」
イングリッドがあっさり頷く。
決断が速いのはこの姉御のいいところだった。
話がまとまりかけたところで、隣の卓から声が流れてきた。
「——そういや、あんたら回廊に潜るのかい」
振り返ると、麦酒の杯を傾けた冒険者がこちらを見ていた。
顔なじみというほどでもないが、この店の常連のひとりだ。
「近頃、地面がよく揺れるだろう。あれ、回廊の奥のほうがひどいらしくてな」
「揺れてますよねえ。ウチも先週、寝てて起こされました」
ヴェラが気安く応じる。
「奥で崩落があったって話も聞いたぜ。潜るなら気をつけな」
冒険者はそれだけ言うと、また手元の杯に戻っていった。
親切な忠告というより酒の肴のような世間話だった。
「揺れの話なら、うちもこの前ので棚の皿を一枚割ったよ」
麦酒を注ぎに来た店の娘が、ついでのように口を挟む。
「このところ、そういう揺れがちょくちょくあってねえ。地の底の虫が寝返りでも打ってるのかしらって、みんなで笑ってるの」
「虫にしちゃ、ずいぶん大きな寝返りだねえ」
アッシュが軽く笑う。
「地面が揺れる、ねえ」
ヴェラが手元の杯を覗き込む。
水面がほんの少しも動いていないのを確かめるように。
「地震……地下水の変化かな。それとも、地脈の影響——」
「はいはい、研究はまた今度だ」
ゴードンが遮った。
ヴェラの探究心に火がつくと話が朝まで終わらないのを皆が知っている。
地面が揺れるという話はどうやらこの町のあちこちで交わされているらしい。
けれど、少なくとも自分たちの誰も、深刻には受け取らなかった。
「まあ、揺れるったって珍しくもない。そういう時期もあるさ」
ゴードンが軽く肩をすくめる。
「崩れやすい所は避けようや」
アッシュがのんびりと、しかしはっきり言った。
飄々とした口調の裏でその目だけは真面目に据わっている。
「奥がひどいなら無理に奥まで攻めなきゃいい。手前で堅く稼いで危なそうなら引く。それでいいだろ」
「異論なし。斥候がそう言うなら従っとくよ」
イングリッドが頷いた。
軽口ばかりのようで、アッシュの警戒はいつも当たる。
それを分かっているから誰も茶化さなかった。
「じゃあ、明日だな」
ゴードンが指を折って数え始める。
「日帰りじゃ足りん。手前で腰を据えるなら、二日……三日目は予備として軽く見ておくか。水と、食う分と……まあそれだけあれば十分だろう」
几帳面に日程と荷を算段していく姿はいつもの光景だった。
ゴードンはいつも少しだけ多めに見積もる。
足りなくて困るより余って重いほうがましだ、というのが口癖だった。
「相変わらず心配性だねえ。回廊なんて庭みたいなもんだろ」
「庭でも備えは備えだ。何が起きるか分からんのが、探索ってもんだろう」
アッシュの軽口にゴードンは真顔で返す。
誰かがこうして先を見ておくから自分たちは安心して潜れる。
その役目を、この男は当たり前のように背負っていた。
「二日もありゃいい稼ぎになって、あんたも肉にありつけるだろ、アッシュ」
「おっ、そりゃ楽しみだ」
イングリッドの軽口にアッシュがようやく機嫌を直す。
卓の上の話がひとまず片づいた。
それからしばらく卓の話は取り留めのない世間話に流れた。
昔のしくじり自慢に、ヴェラの尽きない疑問、アッシュの与太話。
いつもの顔ぶれのいつもの夜だった。
麦酒の残りを飲み干し、明日の待ち合わせを決めて、みんなで店を出る。
夜のケルウィックは旅の灯がまだあちこちに点っていた。
北門の前で明日の刻限をもう一度確かめ、それぞれの宿へと散っていく。
「じゃあ、また明日。寝坊すんじゃないよ、アッシュ」
「へいへい。おいらより飲みすぎたリーダーのほうが心配だねえ」
背中に投げられた軽口にイングリッドが片手だけ振って応えた。
明日はグレンモア回廊へ。
二日分の食料を持ち、いつもの稼ぎ場へ向かい、いつものように帰ってくる。
そのはずだった。
初日は4話連続掲載中で、3話目は18時に公開予定となっています。
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