第16話 二日目
「断片が一つ増えるごとに、切れ切れだった地図が少しずつひとつに繋がっていった」
—— 断片を繋ぐ
二日目の朝になった。
仮眠から目覚めると、すでに朝になっていた。
といっても、この場所に本当の朝があるわけではない。
高い天井から降る青い光は、夜のあいだも絶えることなく、ただ静かに広間を照らし続けていた。
野営の片付けが終わり、朝食の準備が終わっていれば、気持ちのうえではそれが朝だった。
残り少ない食料での朝食。
その手のひらに載った量は心細い。
だが、不思議と昨日ほどの不安は感じなかった。
やることが見えている。
進むべき先がある。
それだけで、同じ量の食料がまるで違うものに思えた。
夜更けから夜明けまで鑑定を続けた。
そのあとの短い仮眠で力は多少は戻っている。
だが、満タンではない。
しかし、頭の中に増えた記号の蓄えは昨日とは比べものにならなかった。
力は使えば減る。
だが、知識は減らない。
その一点が今の自分の確かな支えだった。
イングリッドが繋ぎかけの地図を見ながら皆を見回した。
「方針は、さっき話したとおりだ。来た道を戻る。……ただ戻るんじゃない。放ってきた品、読めずに置いてきた物を、一つずつ拾っていく。記号を確認しながら、鑑定し直しながらだ」
その声には昨日の重さはもうなかった。
「断片が集まれば、地図が繋がる可能性がある。地図が繋がれば、出口が見える。……ヴェラ、ライル、アッシュ、頼りにしてるよ」
「うん、任せて」
「ああ。任せてくれ」
「了解」
自分たちは短く頷いた。
昨日、この石碑の前で自分は何もできずに立ち尽くしていた。
だが、今日は違う。
明るい広間を出ると通路はすぐに薄暗くなった。
ヴェラと自分が手のひらに灯りを浮かべ足元を照らす。
アッシュが昨日作った地図を頼りに、先頭を進む。
昨日、不安に駆られながら振り向くことをせずに通り過ぎた道を、今度は一歩ずつ確かめるように戻っていく。
道の脇には読めずに置いてきた品がいくつも転がっていた。
その一つを拾い上げ、鑑定を行う。
昨日は種別すら曖昧だった品。
だが——
────────────
【鑑定】図の刻まれた金属片
種別:金属製の片。
図:細い線が刻まれている。一方の端が、二股に分かれている。
用途:不明。
価値:不明。
────────────
「……読める」
自分は思わずつぶやいた。
「昨日は、何も返してこなかったのに。……今日は、ちゃんと応えてくれる」
昨日と同じ品。
なのに鑑定で返ってくる結果が増えていた。
それはきっと記号を覚えたから、あの図形を見つけたからだ。
読めるものは増えている。
知らなかったものを知ったから。
ただそれだけのことで、昨日は沈黙していたものが今日は少しずつ姿を見せはじめる。
ヴェラも負けじと品を検分していた。
拾った石片に刻まれた記号を、覚えたての意味と照らし合わせては、小さく声をあげる。
「ライル、これ! ……この記号、たしか『水』だ。どこかに、水のある場所を示してるのかも」
ただの模様にしか見えなかったしるし。
それが今は一つずつ意味を帯びて確かな記号として読み取れる。
自分の鑑定とヴェラの解析。
二人の手が、別々の断片を、ひとつ地図へと繋いでいった。
拾っては鑑定し、また拾っては解析をする。
返ってきた断片の情報をアッシュが受け取り、地図へ落とし込んでいった。
「……こいつは、さっきの分かれ道の先だな。で、これが……この右の通路か。ここと、ここが、繋がる」
アッシュの目が生き生きと動いている。
昨日、同じ道で方向を見失いかけていたこの男が、今は迷いなく道を、地図を繋いでいく。
断片が一つ増えるごとに、切れ切れだった地図が少しずつひとつに繋がっていった。
まだ空白のほうがずっと広い。
だが、確かに自分たちの歩いている通路が、地図の上で形になりはじめていた。
アッシュが繋いだ地図の一部を指でなぞる。
「妙だな。……この道、あちこちで枝分かれしちゃいるが、大元は一本、奥へ向かって伸びてる。まるで、どこか一つの場所へ、人を導くみたいに」
その言葉に、自分はあの石碑を思い出した。
何一つ壊れておらず神々しさを保っていたあの明るい大空間。
この入り組んだ道は、もしかするとあの場所へ人を導くために、わざと迷いやすく造られているのかもしれない。
そんな考えがふと胸をよぎった。
だが、今はまだ確かめようもない。
やがて、見覚えのある分かれ道に差しかかった。
三方へ道が分かれたその角。
自分はそこで足を止めた。
ヴェラも、アッシュも、同じところで立ち止まっている。
この分かれ道には覚えがあった。
昨日、何度も通った——いや、通った気がして、そのたびに違う道だと思い込んだ、あの三叉路だ。
どれも同じように三方へ分かれ、同じような石壁が続いていく。
昨日の自分たちは、そのひとつひとつを見分けられなかった。
進んでいるつもりでいつのまにかよく似た別の場所へ迷い込んでは、道そのものが姿を変えているのではないかと本気で怯えていた。
だが、今日はアッシュが地図の一点を迷いなく指で押さえている。
「ここだ。昨日、おいらたちが『ダンジョンそのものが化けてる』とまで思い込んだ場所。……地図の上じゃ、ただの三叉路さ。よく似たのが、いくつもあるってだけだ」
それは何かを茶化すような、落ち着いた声だった。
そこからしばらく進むと、また別のよく似た三叉路に出た。
ふと足元を見ると、角の隅に小石がひとつ、ちょこんと置かれていた。
イングリッドが道標にと置いていったあの小石だ。
昨日、この小石が見当たらず、道が動いたのか誰かが動かしたのかと得体の知れない不安に皆で顔を見合わせたのを覚えている。
だが、今にして思えば消えていたのではなかった。
よく似た別の三叉路をこの石を置いた場所だと思い込んでいただけだ。
小石はそこにあった。
昨日置いたまさにその場所に。
動いてなど、いなかったのだ。
「……なんだよ」
アッシュが力なく笑った。
「ちゃんと、あるじゃねえか。……昨日は、これが見つからなくて、おいらは、道そのものが化けてるとまで思ったんだぞ」
その声には、己を嗤うような響きがあった。
「変わってなかったんだ、道は。勘違いしていたのは……おいらたちの頭のほうだったってわけだ」
その言葉が胸に落ちた。
昨日、自分たちは追い詰められていた。
三日という区切り。
わからない記号。
見えてこない出口。
その重さに、目も、頭も、まともに働かなくなっていた。
置いたはずの小石を見失い、通路の違いにも気が付かず、この場所そのものが自分たちを惑わせているのだと本気で思い込んでいた。
だが、道は変わっていなかった。
変わっていたのは、道ではなく自分たちの心のほうだったのだ。
「落ち着いて見りゃ、なんてことはない」
イングリッドが小石を拾い上げ、親指で跳ね上げた。
「昨日のあたいたちは、少し、気が急ぎすぎてたのさ。……今は、ほんの少し、前が見えている。それだけで、こんなにも違う。大丈夫だ」
その言葉に皆が小さく頷いた。
自分たちを惑わせた迷宮はもうどこにもなかった。
あるのは、ただ入り組んだ、けれど確かに繋がっている道。
だが、ゴードンだけは浮かれてはいなかった。
「道が見えてきたのは、いい。……だが、忘れるな」
低い声が、緩みかけた空気を静かに引き締める。
「まだ、出口そのものは、見つかっていない。食料も、時間も、待ってはくれん。……気を抜くのは、外に出てからだ」
その一言に、皆があらためて表情を引き締めた。
そうだ。
希望は見えた。
だが、まだたどり着いてはいない。
浮ついた足では掴めるものも掴めなくなる。
それでも——と、自分は思う。
昨日と今日とでは、同じ薄暗い通路がまるで違って見えていた。
アッシュの継いでいく地図を横から覗き込んだ。
まだ、多くが空白だった。
だが……通ってきた道筋だけははっきりと形を成しはじめている。
「……見えてきたな」
アッシュが低くつぶやいた。
「この調子で断片を集めれば……この場所の全体が見えてくる。出口も、きっと、そのどこかに」
また一歩、来た道を戻っていく。
第二部、二日目がはじまりました。
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