第14話 兆し
明るい広間の中央に、ささやかな野営が整えられた。
火を焚く必要はなかった。
高い天井から降りそそぐ青い優しい光が、夜も昼もなくこの広間を照らし続けている。
その光には温もりもあった。
薄暗い通路を手探りでさまよってきたこの身には、その明るさと温もりがとてもありがたかった。
食料を皆に取り分けていく。
それは明らかに少ない量だった。
誰も口には出さなかったが、それが残された時間そのもののように思えた。
「よく噛んで食べな、味わって食べな」
イングリッドが言った。
「ゆっくり、顎を使って食えば、腹も少しは騙されるさ」
軽口のつもりだったのだろうが、それに応じる笑いは弱かった。
それでも携行食を口に運び、しっかりと噛み締める。
口の中の水分が奪われては、その度に水を流し込む。
わずかでも腹に何かが入ると、削れかけていた気持ちがほんの少しだけ持ち直した。
いつもなら軽口の一つも飛ばすアッシュが、今ばかりは黙って口を動かしている。
その沈黙が、五人の置かれた状況を何より雄弁に語っていた。
食事のあと、改めてイングリッドが番の割り振りを告げた。
「見張りは、あたいとゴードンとアッシュで回す。順番は、アッシュ、ゴードン、最後にあたいだ」
「了解」
「ああ、わかった」
アッシュとゴードンが静かに頷いた。
「でだ、ヴェラとライル、あんたらは休みな。……これから頼りにするのは、あんたら二人の頭脳と鑑定だ。今は、それを回復させることが仕事だよ」
その気遣いが素直にありがたかった。
だからヴェラも、自分も、素直に受け入れることができた。
「わかった」
「はい」
ヴェラと自分は、早々に敷布に身を横たえ目を閉じた。
石碑のことも、食料のことも、考えれば切りがない。
だが体が限界を訴えていた。
鑑定を重ねすぎたせいで頭の芯が鈍く痺れている。
その痺れに引きずられるように自分はすぐに眠りに落ちた。
どれだけ眠ったのか分からなかった。
夢を見ることもないほど、深く眠っていた。
そのおかげか、目を覚ますと頭の痺れが晴れていた。
鑑定を重ねるたびに涸れていった、体の奥の目に見えない何か——それが、また満々と湛えられているのが分かった。
石碑を前に涸れ果てたはずの力が、ただ眠っただけでここまで戻っている。
不思議なものだと思う。
食料は食えば減り、水も飲めば減り、二度と戻ってこない。
なのに、この鑑定の力は眠れば戻る。
ヴェラの魔力もそうだ。
なぜそうなのか理屈は分からない。
だが、これまでの数え切れない鑑定が、経験としてそう教えていた。
使えば涸れ、休めば湧く。
それはまるで夜のうちに水を溜める泉のようだった。
見れば少し離れたところでヴェラも身を起こしていた。
その指先にはいつのまにか小さな水の玉が浮かんでいる。
ヴェラも魔力が戻っているのを確かめているのだろう。
目が合うとヴェラは少しばつが悪そうにその水を消した。
力が戻っている。
その実感が萎えていた気持ちに小さな火を灯した。
ふと反対側を見るとイングリッドが壁に背を預けて番についていた。
その視線はゆっくりと空間の端から端へと巡っている。
少し離れて、ゴードンは腕を組んだまま眠っていた。
アッシュも少し離れたところで横になって眠っている。
そんな三人に改めて感謝をし、気持ちを新たにすると、傍らに置いた収納バッグを手に取った。
この中には日中に拾いながらろくに読めなかった品が山ほど眠っている。
移動しながらの鑑定では、力を惜しみ、時間に追われて、ほとんどが「不明」で終わっていた。
どうせ読めない。
そう決めつけて放り込んできたものたち。
だが今は違う。
力は満ちている。
そして頭の中には、日中にヴェラと拾い集めた記号の意味がいくつも増えている。
――駄目で元々だ。
自分は収納バッグに手を入れ、一つの品を取り出した。
昼間、最初に拾った手のひらほどの金属の器具。
あのときの鑑定の結果こうだった。
────────────
【鑑定】見慣れぬ金属の器具
種別:金属製の器具。
来歴:不明。
用途:不明。
価値:不明。
────────────
用途も、価値も、何もかも不明。
あのときの自分にはただの見慣れぬ器具にしか見えなかった。
その器具を手のひらに載せ、自分はもう一度、その表面をじっくりと観察した。
すると——。
のっぺりと見えていた器具の表面に、ごく細い線が浮かび上がってきた。
昼間は、疲れと焦りで見落としていたのだ。
その線は、ただの傷ではなかった。
何かを——象っている。
その線に集中しながら鑑定を行う。
回復した力を惜しまずに注ぎ込む。
器具の表面を隅々まで丁寧になぞるように。
移動しながらの鑑定は、いつも上澄みをすくうようなものだった。
力を惜しみ、先を急ぎ、返ってくる言葉の表面だけを拾っていた。
だが今は、満ちた力に任せて、いつもよりずっと深いところまで潜っていける。
────────────
【鑑定】図が刻まれた金属の器具
種別:金属製の器具。
来歴:不明。
図:表面に、細い線で何かの図が刻まれている。
用途:不明。
価値:不明。
────────────
息を、呑んだ。
「……見える」
声が、掠れた。
「さっきは、見えなかった。……この器具に、何かの図が刻まれてる」
自分は器具を目の高さまで持ち上げ、その細い線を目で追った。
曲がり、折れ、また曲がる線。
何かの形をなぞっているのは間違いない。
だが、それが何を描いたものなのかまでは、まだ掴めない。
絵なのか、図形なのか、それとも別の何か。
昼には「不明」の一言で終わっていたものが、今は確かに、何かを語りかけてきている。
「ライル?」
物音に気づいたのか、ヴェラがこちらへ寄ってきた。
その目が、自分の手の中の器具に吸い寄せられる。
「今、なんて言った? 見えるって……何が?」
いつもの好奇心が、疲れを忘れて頭をもたげていた。
番をしていたイングリッドもただならぬ気配を察して、壁から自分の側に近付いてきた。
「昼間は気づかなかった」
自分は、まだ半信半疑のまま答えた。
「この細い線に気がついた。そして鑑定を行ったら……新しい情報が見えた」
「新しい情報だと」
イングリッドが信じられないとばかりの声をあげた。
「ああ、『表面に、細い線で何かの図が刻まれている』と」
ヴェラが、息を詰めて器具を覗き込む。
「じゃあ、他のは? バッグの、他の品も……もう一度、しっかり確認してから鑑定したら、何か見えるってこと?」
その問いに自分は答えを持っていなかった。
だが、この器具がそうだったのだ。
ならば、他の品にも何かあるかもしれない。
収納バッグの底で眠る、あの読めなかった大量の遺物。
その一つひとつに、まだ誰も知らない何かが刻まれているのかもしれない。
昼間、ろくに目もくれず放り込んできた品の数々。
そのどれもが、読まれるのを待って静かに眠っているのかもしれない。
そう思うと、疲れも忘れて指先が疼いた。
行き止まりだと思っていた。
だが、道はまだ、自分たちの手の中にあったのかもしれない。
三人の視線が、収納バッグへと集まった。
「……全部、読み直す」
自分は、静かに、けれど確かに言った。
「朝までに、読めるだけ、読んでみる」
ヴェラも、続いて覚悟を口にした。
「ウチも、もう一度、記号を整理してみる」
イングリッドが、小さく頷いた。
「それでこそだ。……朝まではまだ時間があるさ。番はあたいが気張るから、二人は存分にやりな」
その声には、この広間に着いたときの重さは、もうなかった。
萎えかけていた二人の顔に、前を向く光が戻っていた。
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