第13話 八方塞がり
それから自分は、幾度も石碑に向き合った。
意識を沈め、一列ずつ、一つずつ、記号を丁寧に追っていく。
知っている記号を見つけては、その意味を手がかりに前後を繋げようとする。
強い、弱い。
流れ、巡る。
固い、閉じる。
そのほかにも、いくつか。
これまで拾い集め、ようやく意味を掴んだ記号たち。
その一つひとつを、石碑の列に当てはめていく。
だが、意味の分かる記号はあまりに少なかった。
大海にぽつり、ぽつりと浮かぶ島のように読める記号が点在するだけ。
その間を埋める大半の記号は依然として沈黙したままだった。
島と島を繋ぐ海路が見えてこない。
だから文にならない。
「……駄目だ」
何度目かの鑑定を終えて、自分はとうとう手詰まりとなった。
「読める記号はいくつも見つけた。だが、それらが繋がらない。……間を埋める記号を、自分はまだ知らなすぎる」
声が、我ながら情けなく掠れていた。
鑑定を重ねすぎたせいで頭の芯が鈍く痛む。
目に見えない何かを、もう相当に使い果たしていた。
それでも、石碑の鑑定結果はぴくりとも変化しない。
こちらの努力など、まるで意に介さないというように、鑑定は自分の知識不足を、ただただ突きつけてくるだけだった。
「ウチも……ごめん。何も、わからない」
いつのまにか隣に来ていたヴェラが、力なくつぶやいた。
誰よりも記号に食いつき、規則性を見つけ出してきたのは、この娘だ。
だからこそ、今この石碑を読み解けないことが、いちばん堪えているのだろう。
その悔しさが、いつもの明るい顔をすっかり曇らせていた。
肩を落とし、うつむいたその横顔は、出会ってから初めて見る頼りないものだった。
その間、イングリッドとゴードン、そしてアッシュの三人は、この広間の壁を手分けして調べていた。
隠し扉はないか。
どこかに、この先へ進むための仕掛けはないか。
三人はそれぞれの壁沿いを、端から端まで丹念にあたっていく。
継ぎ目を指でなぞり、石を押し、耳を寄せて叩いては、その音の違いに神経を澄ませる。
アッシュは床にまで這いつくばり、わずかな凹凸も見逃すまいとしていた。
だが、どれだけ時間をかけても、手応えはないようだった。
やがて、壁沿いを一周し終えたイングリッドがゴードンに問いかけた。
「こっちは、何もなかった。……ゴードン、そっちはどうだ」
「こちらも、何もない」
ゴードンが、埃で汚れた手を払いながら首を横に振る。
「そうか……。アッシュは……と、尋ねるまでもなさそうだね」
イングリッドの視線の先で、アッシュが肩をすくめて両手を広げてみせた。
収穫なし、という仕草だった。
いつもは軽口の一つも添えるその男が、今は口を開こうともしない。
三人がかりで壁のすべてを調べ尽くして、なお、抜け道の一つも見つからなかった。
その徒労が、それぞれの肩に、疲労と落胆となって重くのしかかっていた。
どれだけ壁を叩いても、隠し扉の一つも出てはこなかった。
この部屋は、どう見ても行き止まりだった。
これ以上、進む道はない。
そう突きつけられているようだった。
それでも、この場所だけは違う、という予感は消えなかった。
崩れかけた他のどことも違い、ここだけが健やかに保たれている。
そして、その中心には、あの石碑が黙って据わっている。
行き止まりに見えて、何かがまだ隠されている——。
そんな気配だけが、確かにあった。
手がかりとなるのは、やはり、あの石碑をおいてほかにない。
出口への鍵は、あの記号の中にあるのだと、誰もが薄々感じていた。
石碑さえ読めれば、道は開けるのかもしれない。
だが、その石碑が読めない。
八方塞がりだった。
自分たちはいつのまにか明るい大空間の中央に腰を下ろしていた。
誰も次の言葉を持っていなかった。
初めて足を踏み入れたこの見知らぬ場所。
そんな場所で、この広間までの間に自分たちが手にしたものは何だったか。
拾い上げた大量の遺物は、そのほとんどが鑑定できないまま収納バッグの底で眠っている。
ようやく読めるようになった記号も断片にすぎず、この石碑を解くには程遠い。
そして、この部屋は行き止まり。
出口は——どこにも見つからなかった。
出口に近づいたつもりで、全然近づいていない。
その事実が、疲れ切った体に重くのしかかっていた。
剣も、魔術も、鑑定も、出口にたどり着くことはできなかった。
腕っぷしで道は開けず、魔術は何の手がかりも生まなかった。
そして、頼みの綱だったはずの自分の鑑定も、肝心の石碑を前にして力及ばなかった。
中級とはいえそれなりに場数を踏んできたつもりのパーティーだ。
どんな依頼でも、知恵と腕で切り抜けてきた。
その自分たちが、ここではまるで初心者冒険者のように立ち尽くしている。
通じない。
今までの経験が、ここでは通じない。
その心細さがじわりと胸の底に広がっていった。
高い天井から降る光は、相変わらず青く澄んで、明るく、そして優しかった。
だが、その優しさが、今はかえって自分たちの手詰まりを際立たせているようだった。
「……食料は」
ヴェラがぽつりと問うた。
いつもの快活さはすっかり影を潜めている。
ゴードンはすぐには答えなかった。
頭の中で情報を整理し、そして低い声で言った。
「今日、あと一回食えば……残りは……」
そこまで言って、ゴードンは首を振り、言葉を飲み込んだ。
残りの日数を口にすることが、この空気の中ではあまりに重すぎると悟ったのだろう。
だが、飲み込まれた言葉の重さは、かえって全員の胸に沈んだ。
三日のうちの、一日。
その一日が、もうすぐ終わろうとしている。
何の手がかりも掴めないまま。
沈黙が、明るい空間にじわじわと広がっていった。
このまま、なのだろうか。
読めない石碑を前に時間だけが減っていく。
自分たちの中の何か、食料も、じりじりと目減りしていく。
そうして、最後には——。
その先を、自分は考えたくなかった。
だが。
「——よし」
沈黙を破ったのは、イングリッドだった。
小さく、けれどはっきりと言って、彼女は立ち上がった。
膝の埃を払うその仕草に、少しずつ、いつもの張りが戻っていく。
「みんな、顔を上げな」
その声は不思議と力があった。
「たしかに、今日は何も掴めなかった。出口は見つからない。手がかりが書かれていそうな石碑は読めない。……悔しいさ。あたいだって悔しい。だけど、だけどな、諦めるには、まだ早すぎる」
イングリッドは石碑を振り返り、それから自分たちを見回した。
「考えてもみな。最初は何一つ読めなかった。それが今じゃ、記号がいくつか読めるようになってる。少しずつでも、あたいたちは前に進んでるんだ。……ライル」
「……ああ」
急に名を呼ばれ、自分は顔を上げた。
「あんた、さっき言ったろう。『繋がらないのは、間を埋める記号を知らなすぎる』って。……なら答えは簡単だ。記号をもっと知ればいい。今日集めたあの品を、もう一度じっくり読み直すんだよ」
その言葉にはっとした。
そうだ。
移動中は、時間に追われ力を惜しみながら鑑定していた。
読めそうになかった品はそのまま収納バッグに放り込んできた。
だが、あの中にはまだしっかりと確認していない記号が山ほど眠っている。
落ち着いて向き合えば、そこから、新しい言葉が見つかるかもしれない。
「今日は、ここで一旦、しまいだ」
イングリッドが方針を告げた。
「せっかくやってきた明るいこの広間だ。ここで野営だ。飯を食って、体を休める。……ヴェラ、そして、ライル。あんたらはしっかり休んで、力をとり戻しておくれ。頭を整理するのは、それからだ」
異論は出なかった。
むしろ、その言葉に、しぼみかけていた気持ちがわずかに息を吹き返すのを感じた。
行き止まりではない。
まだやれることがある。
自分は石碑を最後にもう一度だけ見上げた。
今日は読めなかった。
だが、明日もそうとは限らない。
力を取り戻し、頭をスッキリさせ、もっと多くの言葉を手にして、また向き合えばいい。
収納バッグの中から、野営のための装備を取り出す。
明日に備え、記号の読み解きに専念するようにと、イングリッドは自分とヴェラを見張りの番から外してくれた。
その気遣いに、応えなければと思う。
まずは腹を満たし、そしてしっかりと眠る。
交代で番を務めてくれる、ゴードンとアッシュ、そしてイングリッドのためにも。
こうして、長い一日目が、静かに幕を下ろそうとしていた。
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