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第二十話 中央名簿局の白い部屋

中央名簿局の審査室は、驚くほど白かった。


 壁も床も天井も淡い石で作られ、窓から入る光が反射して目に痛いほどだ。部屋の中央には長い机があり、審査官三名が座っていた。その中央にいる痩せた男が、ダリウス・ベルン副局長だった。


 灰色の髪をきっちり撫でつけ、細い金縁の眼鏡をかけている。表情は穏やかだが、目は紙の上の誤字を探すように冷たい。


 アルベルトは向かい側の席にいた。


 久しぶりに見る夫は、少しやつれていた。けれど服装は整っている。侯爵としての体面を崩す気はないのだろう。


 私の隣にはイザベル法務官、少し後ろにテオドール様が座る。彼は今回は辺境伯として正式に出席している。セシリアは証人として別室で待機していた。


 ダリウスが口を開いた。


「本日は、リネリア・ヴァルト嬢の洗礼名一時保護について審査します。申立人は父であるアルベルト・ヴァルト侯爵。保護継続を求める者は母であるエレノア・ヴァルト夫人。まず申立人から」


 アルベルトは立ち上がった。


「私は、娘リネリアの父親として、妻による一方的な名の保護と別居が不当であると申し立てます。確かに私は、一時期、養女となる予定のミーナ嬢へリネリアの名を移す案を検討しました。しかし実際には移譲は行われておらず、現在その話は保留しています。にもかかわらず妻は娘を連れて北境へ移り、父娘の面会も妨げております」


 声は落ち着いていた。


 彼なりに準備してきたのだろう。


「リネリアはヴァルト家の子です。母親の感情で家から切り離されるべきではありません」


 ダリウスはうなずいた。


「ありがとうございます。次にエレノア夫人」


 私は立ち上がった。


 白い部屋の光が眩しい。胸元の内ポケットには、リネリアの手紙がある。私はそこに一度だけ指を触れ、口を開いた。


「私は、娘リネリアの洗礼名保護の継続を求めます。理由は三つあります。第一に、アルベルト様は娘本人の前で、リネリアの名前を別の子へ移すと告げました。第二に、リネリアが不安を示しても、彼は『たかが名前』と軽視しました。第三に、名簿官の説明を受けても、名綴り親である私の同意を得ようと強要しました」


 私は記録の写しを提出した。


「リネリアは四歳です。洗礼名は薬帳、部屋の守り、迷子札と結びついています。移譲が実際に行われなかったのは、私が拒否し、名簿官が記録したからです。未遂であっても、危険がなかったことにはなりません」


 ダリウスが薄く笑った。


「夫人。母親としての心配は理解します。しかし名の移譲は、貴族家では例外的に行われてきた制度です。家の存続や相続秩序のため、より適した子に名を移すことは、必ずしも不当ではありません」


「子どもの同意なく行われても?」


「幼児に制度上の同意能力はありません。保護者が判断します」


「その保護者が、子どもの恐怖を軽視した場合は?」


 ダリウスの目が細くなった。


「感情論ですな」


 予想どおりだった。


 私は深く息を吸った。


「では制度の話をします。リネリアの名は現在、薬帳、療養室、母方保護名、迷子札の四つに結びついています。これを移譲すれば、少なくとも三十日間は守りが不安定になります。娘は昨冬、発熱で療養記録があります。医師の証明も提出しています。名の移譲は健康上の危険を伴います」


 イザベルが証明書を渡す。


 ダリウスは受け取ったが、表情を変えない。


「健康上の配慮は再登録で補えます」


「誰が補うのですか」


「名綴り師が」


「アルベルト様は、その作業を私に命じました。私が拒否した場合の代替名綴り師も、手順も、娘への説明も用意していませんでした」


 アルベルトが顔をしかめた。


「君が協力すれば済んだ話だ」


「娘の名前を奪う作業に、母親が協力すると思ったのですか」


「奪うとは言っていない。家のために」


「その家のために、娘の薬箱が開かなくなる危険を理解していましたか」


 アルベルトは黙った。


 答えられない。


 ダリウスが口を挟んだ。


「侯爵は名綴りの専門家ではありません。専門的リスクを知らなかったことをもって、父親の権利を制限するのは過剰です」


 私は彼を見た。


「知らなかったからこそ、制限が必要なのです。子どもの名前を扱う権限を持つ者が、その意味を知らないまま移譲を求めた。それが危険でなくて何でしょうか」


 部屋が静かになった。


 ダリウスの隣の審査官が、資料に目を落とした。もう一人は医師の証明書を読み始めている。


 完全に流れを変えたわけではない。だが、少なくとも感情論だけではないと示せた。


 続いて、セシリアが証言室から呼ばれた。


 彼女は震えていたが、席に着くと背筋を伸ばした。


「セシリア・ローウェルです。わたしは、ミーナの母です」


 その名乗りに、私は少し胸が熱くなった。


 彼女は最初にミーナの母と名乗った。


 ダリウスが尋ねる。


「あなたは、リネリア嬢の名を娘に移すことを望んでいたのですか」


「はい。当時は望んでいました。侯爵家の令嬢として、良い名が必要だと思っていました」


「では、移譲は双方に利益があると考えたのですね」


「いいえ」


 セシリアははっきり言った。


「今は、間違いだったと思っています。ミーナは、自分の名前を奪われることを怖がりました。リネリア様も同じように怖かったはずです。わたしは母親として、それを見ようとしませんでした」


 ダリウスの表情がわずかに硬くなる。


「感情的な後悔ではなく、制度上の話を」


「制度が子どもの恐怖を数えないなら、その制度の方が間違っています」


 セシリアの声は震えていた。


 けれど逃げなかった。


 アルベルトが彼女を見た。


「セシリア」


「アルベルト様。あなたはミーナにも、ミーナの名を捨てさせようとしました。わたしもそれに乗りました。だから今、証言します。子どもの名前を親の都合で動かしてはいけません」


 白い部屋に、彼女の言葉が響いた。


 ダリウスは眼鏡を押し上げ、薄く笑った。


「母親たちの感傷は理解しました。しかし中央名簿局は、家名の秩序を守る機関です」


 その瞬間、後ろに座っていたテオドール様が立ち上がった。


「では、名簿局が子どもの名を拘束し、商会へ流すことも秩序ですか」


 空気が凍った。


 ダリウスの顔から笑みが消えた。


「何の話ですかな、グランヴィル卿」


「北境で、保護院の子ども三人に違法な拘束印がつけられました。名簿官カール・メイソンは、王都の商会と金銭のやりとりをしていた。黒インクの術式は、中央局の古い奉公名固定案と一致します」


 テオドール様は資料を提出した。


「本審査の担当者であるダリウス副局長。あなたが十年前に提案した制度です」


 審査室の白さが、急に冷たく見えた。


 リネリアの一時保護審査は、ただの親権争いではなくなった。


 名を守る制度そのものの審査へ、静かに変わり始めていた。

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