幕間 闇に溶ける風は炎を揺らす
その女は、船の中にいた。
大陸を越えるには頼りない船だったが、その女が乗っていれば沈むことはない。
彼女が秒単位で船を直し、魔法をかけて浮かばせているからだ。
手漕ぎの船に1人で乗り、大陸の間の海を悠々と渡って現在の自宅に戻ってきた女は、自宅の前に人影を見た。
「……ルト?」
「ああ」
「……来て、たんだね」
「通りかかったからな」
「そっか。いつからいた?」
「今日の朝だ」
「……待ってたの?」
その問に、人影、全身を覆う黒いマントを羽織った男は答えず、変わりに
「レノの所に行ってきた」
と言う。
「レノ、か。久しく会ってないな……元気だった?」
「相変わらずだ」
「そっか。元気ならいいや」
「相変わらず」と「元気」がイコールで結ばれるのは、昔からレノが病気なんかに掛かったところを見た事がないからだ。
旧知の仲だからこそ分かる安否確認である。
「ウィルが勇者の事を伝えに来た、と言っていた」
「ウィルが?」
「ああ」
「珍しい」
「そうだな」
「ウィルにも、久しく会ってないな……」
「……そうだな」
独り言に帰ってきた反応に、女は疑問を抱く。
「ルトも、会ってないの?」
「ああ」
「……ちょっと、意外」
その言葉に、今度は男が首を傾げた。
「なぜだ?」
「ルトは、皆のところを平等に回ってるんだと思ってた」
「……そんなことはない」
そう言った後に、小さな声で付け足される言葉。
女は思う。昔のままなら、この言葉は聞こえ無かったのに、と。聞こえないままで良かったのに、と。
向こうが、聞かせようと思って言っている訳では無いことは知っている。
だから、あえてその言葉には触れない。
「……ルト、この後時間あるならお茶でも飲んでいかない?」
「いや、すぐに出る」
「そっか、気を付けてね」
「ああ。お前もな」
そう言った直後、男の姿は消えた。
夕暮れ時の微かな闇に溶けるように、その姿は見えなくなる。
「……なんで、すぐに帰るのかな」
いつもいつも、家の中には入らずに消える。
朝から待っていた、という割には、会うのは決まって闇が訪れる頃。
こんなに頻繁に来るのはお前のところだけだ
そんなことをいう割には、三ヶ月に1回は顔を見せにくる割には、すぐに消えてしまう。
いつもそうだ。
こちらが引けば近づいて来るのに、近づけば離れていく。
会いたいと思った時に現れるのに、すぐに闇に溶けてしまう。
「ルト、貴方は、どうしたいの?」
昔から私を甘やかして。
そうして私の中に自分の存在を植え付けて。
私は、吹けば消えるような弱い炎だ。
「私を弱くしたのは、風だ」
誰に言うでもない、自分に聞かせるでもない、小さな小さな独り言。
その独り言は、風と同じように、闇に溶けて消えた。
夕焼けが女を赤く照らし、その日の赤さに、闇に溶けた風は目を細めた。




