009 花祭りの前に(サイラスさまの小姓)
タママは今年九歳になる。貴族は十五歳で成人だが、一般庶民はハッキリした成人が決められていない。働き始めて一人前に稼げるようになったら、それが成人ということらしい。
成人を決めるのは自分ではない。周囲に一人前と認められて、初めて大人になれるのだ。
(僕はまだまだ成人には程遠いなぁ。孤児院ではお金を貯める機会も、使う機会もほとんどないし…。正直、お金を使ったことがほとんどない)
こんな自分でもいつか大人になれるのかな…。
タママは大きな箒を片手に、少し肩を落とした。
「ターママ、あっちを掃き清めてよ」
「…はい」
僕の名前はタママだ。でも孤児院ではいつの間にか、「ターママ」と癖をつけて呼ばれるようになってしまった。ここでは僕の名前なんか、誰も気にも留めない。記号みたいなものなんだ。
タママは自分の身長くらいある、大きな箒を持って中庭に移動する。早春なので、この季節は落ち葉はあまりない。近くの農地から飛んでくる藁やゴミを掃いたりするのだ。
中庭にはこの春に入ったばかりの若い文官がいた。水色の髪に、明るい緑色の目をしている。ときどき、中庭で錫杖を振り回す姿を見かける。今日も熱心に錫杖を振り回している。
あれは「鍛錬」だと、他の文官が言っていた。
「…タンレンって何ですか?」
とタママが聞くと、その文官は
「私のは刀なんだけど、成人する時に、自分の性質に合った武具が与えられるんだ。賜った武具を使いこなせるように練習するのが鍛錬だよ」
と教えてくれた。
自分の性質に合った武具…? 意味がよくわからないけど、お貴族様っていろいろと大変そうだな…。
水色の髪の文官はサイラスさまだ。サイラスさまは僕と違って貴族だから、名前を間違えたら失礼になる。タママは一生懸命「サイラスさま、サイラスさま…」と繰り返して覚えた。
今年入った「新しい人」はサイラスさまひとりなので、わりと楽に覚えられて良かった。貴族相手に失礼を働くなんて、おっかなすぎる。
僕はサイラスさまのタンレンを何度か見たことがあるのだが、とてもキレイなのだ。でもその話をミッチにしたら笑われてしまった。
「何がきれいなのさ?」
「なにって……その、タンレンの動きが?」
「錫杖を振るのがきれいなの? 変なの!」
タママとミッチはふたりで雑巾がけをしていたのだが、ミッチはわざわざ雑巾がけを止めてくすくす笑い出した。笑い上戸のミッチは僕よりみっつ年上の女の子だ。
うまく説明できない。あれは見なければわからないと思う。
「だけど、すご~くきれいなんだよ!」
「……サイラスさま、お顔はきれいだよね?」
ミッチはそう言った。
「でも、サイラスさまのお兄様はもっと素敵なんだってよ?」
「………」
僕の言いたいことが、ミッチにはまったく通じていない。タママは少しがっかりした。
「サイラスさまのお兄様って、どこからそんな話を聞いたの?」
「文官の小姓になってる子。お貴族様の情報が入ってくるの」
「へぇ…」
貴族の情報なんか知ってどうするのさ。そう言おうとして、やめておいた。なんだかさらにがっかりする答えが返ってきそうな気がして。
孤児の女の子たちは、貴族に憧れを抱いている子が多いのだ。ミッチもそのひとりなのかもしれない。孤児は天涯孤独で親の顔も知らない子供が多い。自分のルーツを知らないから、昔ながらの家門である貴族に憧れるのだ。
「ターママもがんばってサイラスさまの小姓になったら?」
「ムリだよ」
小姓に選ばれるのは体の大きい男子だ。僕は歳よりも小さくて、ガリガリだから選ばれそうにない…。
「あたしは女だから、サイラスさまの小姓にはなれないんだぁ。男は得だね~」
ミッチはそんなことを言った。男でも、僕だって選ばれないけど…。
今日もサイラスさまは中庭でタンレンしている。右手に錫杖を持って、ゆっくり動かす動作がとてもきれいだ。まるで空気をかき混ぜているみたいで。
(おつかいの途中で見た、大道芸人のダンスみたいだ…)
お貴族様のタンレンを大道芸人と比べたら怒られそうだけど、タンレンしているサイラスさまは、なんだか踊っているみたいだ。「すごくきれいだ」と思う。
僕はサイラスさまのタンレンを見るのがとても楽しみだ。庭掃除はあんまり好きじゃないけど、これからの季節は寒くも暑くもないしサイラスさまのタンレンが見られるから好きになれるかもしれない。
★
花祭りの近づいた或る日、タママは寺院の主事に呼び出されて、「今日からサイラスさまの小姓だ」と告げられた。
「……僕が?」
どうして、僕が?
「そうです、サイラスさまがあなたを選んだのです」
「ど、どうしてでしょうか?」
主事はタママをちらりと見やると、
「ターママ、お前に拒否権はないのですよ?」
断固とした口調で告げる。
「い、いえ。あの、うれしいんです。でも、どうして僕が選んでもらえたのか…」
主事は小首をかしげる。
「わたくしは言ったのですけれどね、小姓を選ぶなら大柄で力のある子の方が良いと」
「…はい」
主事はフンと鼻を鳴らす。
「わたくしは言ったのですよ、サイラスさまに。大柄な小姓の方がお役に立ちますよと」
二回もしつこく同じことを繰り返す。主事はちょっぴり気分を害しているみたいだ。
「は、はい、すみません」
とりあえず、タママはサイラスに代わって主事にぺこぺこ謝っておく。
「本来選ばれるはずもないお前が選ばれたのです。サイラスさまに感謝して、死に物狂いでお仕えしなさい。よろしいですね?」
「か、かしこまりました!」
タママは床に顔を押しつけんばかりに平伏した。その姿を見ると、主事はようやく満足したように頷く。
タママは寮内にあるサイラスの部屋に移ることになる。コネクティングルームのような「次の間」があって、小姓はそこで寝泊りするようになるのだ。
貴族であるサイラスの部屋は二間の広さがあるのだが、小姓のタママは一間の部屋に住むことになる。
それでも自分だけの部屋ができるのは、タママにはたいした出世だと思える。今までは孤児院でみんなと雑魚寝、相部屋で暮らしていたのだから。
タママの荷物は服が数枚と布団一式程度のもので、ほとんど荷物がない。自分の荷物を部屋に入れると、タママはさっそくサイラスに挨拶に向かった。
「…きみがタママ? 時々中庭で会うよね?」
サイラスの気さくな第一声に、タママは度肝を抜かれる。肩より短く切り揃えた水色の髪ときれいな緑色の瞳。中肉中背のさっぱりした青年だ。
ミッチがサイラスの顔を「きれい」と言っていたのを思い出す。整った顔というよりも、すっきりと感じのいい顔だった。
「しゅ、主事さまから、死に物狂いでサイラスさまにお仕えするようにと……」
タママが緊張しながら挨拶すると、サイラスが目を丸くした。
「えっ、死に物狂い?」
それからハハハッと笑い出した。
「死に物狂いって! 主事さん、ホント面白いよね?」
(そうか。あの厳しい主事さまは、貴族のサイラスさまから見ると「面白い」のか?)
タママは驚いていた。孤児から見たら「おっかない主事さま」でも、サイラスさまからはまったく違って見えるんだろう。
「ところで、きみのことをみんなターママって呼んでるみたいだけど、ニックネームか何か?」
にっくねーむという言葉の意味がわからない。タママは自分の名前がタママであること、いつの間にか変な呼び癖をつけられていたことを答える。
「あぁ、なるほど。じゃ、タママで統一した方がいいね?」
「は、はい」
「じゃあ主事さんにお願いしておくよ! 孤児院のことはすべて取り仕切っております、って言ってたからね。僕らのために『死に物狂い』で改善してくれるさ」
サイラスは「死に物狂い」という言葉にハマったらしく、くすくす笑っている。それからタママに向かって
「叔父上がタママに会いたがっているから、週末うちについてきてもらえる?」
と言った。
おじうえ? サイラスさまのおじさんなら、お貴族様だろう…。どうして僕に会いたがるのだろう?
「……かしこまりました」
疑問をぐっと飲み込んで、タママは了承した。
サイラスの実家に行く当日、タママは主事に報告する。
「本日はサイラスさまのご実家にお供しますので、今夜は外泊になりますっ!」
主事はチラッとタママを見やると、不安そうな顔になる。
「……タママ、お前、食事のマナーは大丈夫だろうね?」
しょ、食事のマナー?
「お前は寺院のつけた小姓なので、サイラスさまのご実家に伺うと『食客扱い』で、お茶や食事も同じテーブルで取ることになるのです。孤児院ではサイラスさまと別のテーブルだけれど、あちらでは同じテーブルでいただくのだよ」
「そうなのですか?」
「マナーに気をつけなさい。わからないことがあれば、サイラスさまやオリバーさまの真似をすればいいんだよ。あとでサイラスさまにマナーを確認して、しっかり覚えるようにしなさい。貴族と同じテーブルでお食事できるのだから、良い機会だと思って勉強しなければいけません」
主事はくどくどとお説教を始めてしまった。普段から読み書きの練習やマナーにうるさい人なのだ。よほどタママが心配らしい。
「が、がんばってきます!」
タママはがんばって、主事のお説教を切り上げる。
「サイラスさまはお優しいから、大丈夫だと思うけれど…本当にがんばりなさい」
主事はまだ心配そうな顔をしていた。
タママは生まれて初めて、馬車に乗った! 馬車を外から見たことはあったけど、自分が乗れるとは思わなかった。馬車は意外と高い。値段ではなくて(きっと値段も高いだろうけど)、目の高さがとても高い!
馬車に乗るときにステップを使うくらいだから、少し考えればわかることだけれど。サイラスとタママが馬車に乗り込むところを見て、ミッチが真っ赤な顔をしている。ミッチはきっと「タママいいなぁ~」と思っているだろう。
「タママ、ミッチが手を振ってるよ! 仲良しなんだろう?」
サイラスの言葉にタママはびっくりする。…サイラスさまはミッチの顔を知っているのか? 馬車から気さくに手を振り返すサイラスに驚いて、タママは自分も遠慮がちに小さく手を振る。
★
(サイラスさまのおうちは大きくて立派だった!)
それなのに、サイラスさまは「あんまり貴族の家らしくないんだけどね~」と言っている。よその貴族を知らないので、タママには比較ができない。
「タママさん、サイラス坊ちゃまがお世話になります。私はお料理係兼女中をしております。ノラです」
ニコニコ出迎えてくれたノラさんは、気の良さそうな人だ。
「我が家は人手が少ないんだ。うちが貧しいばっかりに、ノラには苦労をかけるなぁ」
サイラスさまは軽く頭を振りながらぼやく。タママなんかを応接間に通してくれるようだ。マナーがよくわからないので、サイラスさまの後ろをそろそろとついて行く。歩くだけなので、いくら僕でも大丈夫だろう。
応接に入ると、大柄な男性と金髪の青年がソファに腰かけていた。大柄な男性は黒髪に黒い瞳、金髪の青年はサイラスさまと同じ緑色の瞳だ。ふたりともきれいな短髪に切り揃えている。
ミッチは「貧しい下位貴族はたいてい長髪だ」と言っていた。髪を切る料金は信じられないくらい高いのだ。それに、伸びたら定期的に切らなければいけない。家計の負担は大きいだろう。
(……サイラスさまのおうちは、ちっとも貧しくないんじゃないか?)
「おかえり、サイラス!」
「ただいま戻りました」
サイラスさまとご家族は貴族らしい丁寧な挨拶を交わした。タママも何か挨拶を述べなくては…と思ったが、何を言ったらいいかわからない!
主事さまの渋い顔が浮かんできた。「マナーに気をつけなさい」とあれだけ念を押されたのに…。
(主事さま、こんなときは何というべきでしょうか? 助けてください!)
「サイラスさまにお仕えすることになりました、タママです。せ、誠心誠意お仕えいたします」
せいしんせいい…というのは、主事さまの好きな言葉だ。主事さまは小姓が命がけであるじにお仕えするべきだと信じている。
黒髪の男性がソファから立ち上がって、タママのところに歩いて来る。なんと、男性はタママをひょいと抱き上げた。
「ふふ、主事が『誠心誠意』サイラスにお仕えしろと言ったか? あいつは相変わらずだなぁ!」
「えっ…」
「タママ、大きくなったな! 私を覚えていないか?」
「………」
この人は誰だろう? 僕のことを知っている人? タママは首を傾げて考えてみた。
「……もしかして、僕の本当のお父さんですか?」




