008 グレイスと花火
「お客様に怪我をさせてはどうしようもない。船を動かしなさい」
オプスキュリテが水主に命じている。グレイスは悔しさのあまり、小さく眉根を寄せた 。
(アルテミスのほうが先に船を停泊させていたのに。……なぜアルテミスが場所を譲るの? わたくしたちが平民だから?)
アルテミスの隣にいる(貴族の)中型船が、場所を奪おうと〈船争い〉を仕掛けてきたのだ。みんな、少しでも良い場所を取ろうと必死らしい。
(また貴族のワガママ。私たちが何をしたというの? みんなでお花見を楽しんでいるだけじゃない!)
毎年「花祭り」の期間は、ミニヨンを挙げてのお祭り騒ぎになる。
アルテミス商会も従業員総出で、舟遊びの準備を着々と進めてきた。今日のために万端準備をしてきたのだ。
(みんな今日のためにがんばったのに…。〈船争い〉のために台無しだわ!)
「のけ、のけ! のけ、のけ!」という忌々しい叫びは、今もまだ続けられている。平民のものなら、横取りしても構わないと思っている人たち。グレイスは思わず涙ぐんだ。
でもここで自分がメソメソしたら、お客様に余計な心配を掛けてしまう。……しっかりしなくては!
「オプスキュリテの言う通りね、お客様の安全が一番大切ですもの。船を動かしましょう!」
アルテミス船は錨を上げると、威嚇してきた中型船に場所を譲るようにゆるゆると船を移動させる。注意深く移動しないと、湖面に咲いているローダという白い花を巻き込んで台無しにしてしまうのだ。
右舷側に泊まっている大型船が騒ぎに気がついたようで、甲板に立った人びとがこちらに注目していた。「…おかしな注目を浴びてしまったわ」と、グレイスはますます暗い気持ちになる。
金髪の少年が甲板上で何やら相手方の船を指さしている。どうやら「あちらが悪い」と言っている様子だった。
大型船は明らかに貴族の仕立てたものだろう。庶民の貸し船はあんな豪華な造りになっていない。
貴族同士だからといって、無条件で肩を持つわけではないのね……。グレイスは少しホッとした。
(庶民が貴族とケンカしても、勝てっこないんだもの。おとなしく譲るしかない…。とにかく場を丸く収めて、うまく仕切り直しをしなくては!)
アルテミスの女主人として、招待客に嫌な思いをさせたままでは終われない!
アルテミス船がゆっくり動き始めると、右舷に停泊している大型船もゆるゆると動き出して、アルテミスに場所を譲ってくれる。
大型船の陰になると、花見ができなくなるという配慮だろうか。
その直後。
突然ビュッと大きな風が巻き起こって、グレイスは視界を奪われた。
「なに、この風は?」
目にゴミが入らないように、グレイスはぎゅっと目を瞑った。まるで小さなつむじ風だ。とても目を開けていられない。
柑橘系の香りがフワッと辺り一面に漂う。まだ春なのに南風のように温かい、不思議な突風だった。
風が止んでから、グレイスは注意深くそっと目を開けた。目の前に大型船が浮かんでいる。
「えっ?」
大型船がアルテミスの左舷に浮かんでいた。さっきまでは、アルテミスの右舷に少し離れて見えていたはずだ。どうして大型船がこの位置に?
「右と左。…船の位置がおかしい?」
何が起きたのか、よくわからない。
グレイスが目をぱちくりさせていると、リヒトが足早にやってきて耳元で囁く。
「あの大型船には『やり手の術者』が乗っていると、オプスキュリテが申しております」
「……術者というと、魔法ですか?」
我ながらポカンとした声を出していると思う。
「やったのは大型船の女術者です! 私とオプスキュリテではありません! 私は犯人ではありませんよ、グレイスさま」
リヒトが「信じてください」と懇願するように念を押してくる。
別にリヒトたちのことを疑ってはおりませんけれど…。そもそも何が起きているのか、わたくしよくわかっておりません。
「くっそ阿呆の間抜けな馬鹿貴族が大騒ぎして揉め事を起こしたので、少しばかりまともな貴族が腹を立てたんでしょうな! グレイスさま、船の位置を確認してみてください」
「……わたくしたちの船、先ほど移動させたはずですよね?」
「船を動かしたのは間違いありませんが、場所が移動しておりません」
リヒトはさらりと言ってのけた。
確かに、岸に見えるみごとな花々の景色が変わっていない。湖面に浮かぶ美しいローダの花も、同じ位置に浮かんで見える。
まったく景色が変わっていない⁉
つまり、船を移動させたにも関わらず、結局場所は動いていないのだ。不可解すぎるが、魔法だと言われれば受け入れるしかないだろう。
「グレイスさま、移動したのは大型船の方です」
「やっぱり? 大型船が移動していますよね?」
自分の思い違いではないのだ、とグレイスは思った。やはり大型船が一瞬で場所を移動させていた。
オプスキュリテがやってきて、グレイスとリヒトに「隣の大型船から、見舞いの品が届きました」と告げる。
グレイスは驚いた。どうして見知らぬ貴族が私たちを見舞うのだろう? アルテミス商会とお付き合いのある貴族なのかしら?
「お礼を言わなくてはなりませんね、わたくし、アルテミスの女主人ですもの…」
グレイスは頷きながら、そわそわと歩いていく。
大型船はアルテミス船と〈船争い〉をした中型船との間を、まるで塞ぐように泊っている。ふたつの船を隔てるように、大型船が停泊しているのだ。いつの間にこんな配置になったのだろう?
リヒトとオプスキュリテは隣の大型船の甲板にじっと目を凝らした。隣といっても、船同士の安全のためにある程度の距離が保たれている。
〈オプスキュリテ、やったのは誰だ?〉
《術者は、あの金髪の女だ》
〈……金髪の女? むっ、どこにいる?〉
オプスキュリテの方がリヒトよりも遠目が利くらしい。黒髪の男と金髪の少年は見えたが、女の姿はリヒトにはよくわからない。
しばらくすると、メイドや執事が大型船からの差し入れで騒ぎ始める。運びこまれた品は、アルテミスでは用意できない温かい料理と珍しい果実やお菓子だった。
おそらくあの大型船には厨房があって、火が自由に使えるのだろう。船上で煮炊きできるのは実に羨ましい。
「焼きたてのお肉や、温かいスープもあります。どちらもまだ温かいわ!」
グレイスが大いにありがたがっている。借り物の中型船では大掛かりに調理ができないのだ。食べ物は仕出し弁当を持ち込んで、お茶やコーヒーは持ち込んだ魔術具で温かいものを飲めるようにしている。
温かいスープや料理を配ると、船上のお客様に大好評だった。湖上で少し風が吹くので、温かい料理はやはりうれしいのだろう。
「なかなか気が利いているではないか、ふん?」
リヒトは肉をつまみ食いしながら言う。
差し入れの中にオレンジ色の果実があったので、花のように飾り切りしてこれもお客様に供してみる。甘くてみずみずしいとなかなかの高評価である。
「これはアウソニアのフルーツだわ! 珍しいものを扱っているのね。さすがアルテミスだこと」
ディクスン伯爵令嬢が喜んでいる。
「実は、お隣の船からの差し入れなのです。先ほどの船争いをご覧になって、気の毒に思われたのでしょうか」
リヒトは肉やお菓子を大皿に盛って、令嬢に運んで来た。怖い思いをさせたお詫びのつもりである。
「あの大型船かしら? アウソニアのクリスティ公爵の紋章が出ているわ」
「……クリスティ公爵」
「隣国の高位貴族よ。古い巫女の家系で、なんでも海運王なんですって」
「ほぅ…巫女の…」
「あくまで噂話ですけれど、クリスティの船は過去に一度も沈んだことがなく、嵐で荷を失ったことがないそうよ」
「過去に一度も?」
海運業で嵐に一度も遭わないなどということがあるのだろうか? ミニヨンには海がないので海運業の商会はないが、保険協会はある。一般的に海運事故は多いものだとリヒトは聞いている。
「クリスティは大きな霊力で船を守っているらしいの。それで、海運王として大成功したと言われているのよ」
「なるほど。巫女と海運王はどこで繋がるのかと思いましたが。…嵐で荷を失うことがない船か…」
リヒトは顎に手をそえて、ニッコリと大きく笑う。
〈なるほど。先ほどのおかしな術は、嵐を避けるために有効なのかもしれんな。本当に一瞬で船を移動させた。……面白い術者だ〉
★
「というコトで、ミニヨンではあまり手に入らない果実のようです」
情報を仕入れてきたリヒトが言う。
「さすがアルテミスだと褒められたのですが、うちで仕入れた品物ではありません!」
リヒトはがっくりと肩を下げる。
それでも常連客の気持ちが引き立てられたのは助かった。それにわざわざ自分たちの船を二隻の間に割り込ませたのは、弱い立場のアルテミスを庇ってくれたに違いない。
平民の船の場所は奪えても、相手が貴族で、立派な大型船で舟遊びをするような相手とは喧嘩をしたがるはずがない。どう考えても、相手の方が身分が上なのだから。
大型船は間に割り込んで、「そんな下品な真似をするなら、私にしてみろ!」と言外にいっているのだ。
(これが貴族のやり方なのね…)
グレイスは感心した。アルテミスを脅して場所を奪った中型船は、まるで何事もなかったかのように振舞っている。これもまた、貴族らしい振る舞いなのだろう。
「……どちらのご貴族なのかしら?」
「アウソニアのクリスティ公爵だそうです」
「公爵⁉」
「…だそうです」
目を剝くグレイスに、リヒトが事もなげに応える。…リヒトにとっては貴族の身分などどうでもいいのだろう。公爵どころか、相手が王族でも気
にも留めなそうに思える。グレイスは苦笑した。
「お客様たちも落ち着いたようなので、そろそろ演劇を始めましょうか? 開幕してもよろしいですか?」
オプスキュリテがお伺いを立ててくる。こちらも騒ぎをあまり気にしていないようだ。お芝居の開幕時間が遅れたことの方が、よほど気になるらしい。
リヒトとオプスキュリテには敵わない。グレイスはにっこり笑顔になる。
「そうね、開幕しましょう」
二時間近いお芝居の間が、アルテミスの従業員のくつろげる時間になる。幕間にお茶と菓子を配膳する以外は、自分たちも弁当や菓子を食べながらゆっくり観劇できるのだ。
メイドの中では横笛を習うことが流行っていて、船上で披露もしている。花祭りは上得意への接待であると同時に、従業員たちの発表会でもあった。
「お芝居の後は、リヒト様と一緒に楽器の演奏もできるわ」
「がんばりましょう!」
今年の船遊びでは、リヒト派のメンバーでオリジナル曲を演奏するのだ。みんなで数か月練習を続けてきた。わざわざ音楽教師を招いて、イチから横笛の手ほどきを受けた。
音楽教師よりもリヒトの方が上手に思えたけれど、本人は「何事もプロから教えてもらえば間違いないだろう」とあっさりしている。
「お客様にご披露するのですから、習いたい者はこの機会に習うといいわ」
グレイスは鷹揚で、習い事の掛かり(費用)を気にもしていない。船上で音楽を奏でると聞くと、オプスキュリテまでが「楽隊の揃いの衣装を誂えますか?」などと言い出した。
「アルテミスでは従業員が大切にされている!」
彼らが口々に言うのはまったくその通りで、アルテミスで働くうちに教養や習い事が自然と身につくのだった。
演劇が終幕して、リヒトとリヒト派のメンバーによる横笛の演奏会が終わると、そろそろ日が傾き始める。
リヒト派の演奏は可憐で素晴らしかった。メイドたち全員がそれぞれソロで演奏するパートがあって、みんな誇らしそうな顔でがんばって演奏していた。
リヒトは楽器を演奏しながら、アクロバットのように跳んだり跳ねたりしてみんなから歓声を浴びている。いつでもどんな時でも、リヒトはリヒトなのだ。
(リヒト、やりすぎ! どうして楽器を演奏しながら跳び跳ねているの?)
ノリノリのリヒトを見て、グレイスは頭を抱えたくなった。外から呼んだダンサーたちに対抗しているに決まっている。負けず嫌いにも程がある。
バラ色の空に一番星が煌めいて、あっと言う間に空が暗くなっていく。執事とメイドたちはお客さまにひざ掛けを配って回る。
「これから花火の打ち上げとなります! お楽しみくださいませ」
オプスキュリテと執事たちが船上花火を上げる準備を始める。風向きを確かめ、火災除けの水を準備している。
例年のことだからオプスキュリテに任せておけば問題ないと思いながらも、グレイスはハラハラしてしまう。「万一、お客様に怪我でもさせたら…」と心配になってしまう。
我ながら、気が小さい…。
オプスキュリテが魔石と霊力の籠った花火を上げるのが見えた。最初の十発は極彩色の花火が上がる予定だ。これは金運を上げる花火である。
リヒトとオプスキュリテが用意したものだから、かなり高品質のものに違いない。
花火が打ち上げられると、意外なことに最初の一発目が隣のクリスティ船の上空で広がっていった。
(あ、オプスキュリテが大型船にお礼をしているんだわ)
クリスティ公爵の術者が船を転移させたのと同じように、オプスキュリテも花火を転移させているのだろう。
オプスキュリテは花火を転移させて、アルテミス船の上空とクリスティ船の上空と交互に花火を上げているのだ。
花火は上空であがらないと【ご加護】が発動しない。自分の沖天で上がった花火だけが、魔力を発揮するのだ。
花火のご加護を受けるには、上空で広がる花火に包まれて、その身に魔力を受けなければならない。魔力を受ける範囲に入らなければ、単に〈美しさ〉を楽しむだけで終わってしまう。
義理堅いオプスキュリテは、きっちりと大型船にお返しをした。彼がすっかり花火を打ち上げ終わって、私たちのところに戻ってくる。
「はぁ、オプスキュリテは負けず嫌いにも程がある! クリスティの術者に対抗して、転移魔法を使うとは…。グレイスさまもそう思われませんか?」
(…リヒトが何やらブツブツ言っていますね)
すると今度は、クリスティ船で花火を打ち上げ始めた。
アルテミス船の上空で、極彩色の花火が広がっていく。しかも、今まで見たことのないような不思議な形をしている。
「オプスキュリテ、あれはお花じゃなくって?」
「……花のデザインの花火ですか?」
グレイスが思わず指さして、オプスキュリテは驚いたような声をあげる。クリスティの船が、こちらに自分たちの花火を転移させているのに違いなかった。アルテミスの花火への返礼だろうか。
(それにしても、なんて変わった花火だろう?)
夜空に花弁が広がっていくようなデザインや、まるで雨が降るような、糸を垂らしたようなデザインもある。
(こんな花火は初めて見る。……とても不思議な花火だけれど、なんて綺麗なの!)




