007 リヒトの花祭り
リヒトはアルテミス商会の執事たちと船の手配を話し合っていた。
「毎年のことだが、この時期は船を押さえるのが大変だな!」
リヒトは大きな丸テーブルに着いて、長い足を高く組んだ。
「お得意様をお招きするので、できるだけ大きな船を借りたいのですが、なかなか難しいですね」
「貸船の料金は年々上がっておりますよ、リヒト様」
「近頃では、こちらの足元を見るような貸舟屋もあります!」
若い執事たちがリヒトに口々に訴える。
〈どうせ毎年使うのだ、アルテミス専用の船を作ってしまえば良いのに……〉
リヒトはそう思うのだが、「庶民が船を持つのは贅沢だろう」と旦那様が良い顔をなさらない。
アルテミスでは男性従業員を「執事」、女性従業員を「メイド」と呼び、従業員全員がフラットな関係になっている。その執事とメイドを束ねるのがリヒトとオプスキュリテで、このふたりは「守り役」と呼ばれる。
守り役であるリヒトとオプスキュリテの上に、女主人であるグレイスが君臨する。旦那様はグレイスの父親で、アルテミスの実質的なオーナーといえるだろう。
アルテミス商会はミニヨン国内で有名な老舗デパートを持ち、高位貴族にも引けを取らないような裕福な会社なのだ。旦那様は手広くお仕事をなさっているし、どの事業も順調に拡大している。
それでも、貴族の目を常に気にして万事控えめに過ごしている。
〈あぁ、庶民だ貴族だと面倒くさいことだな!〉
リヒトは忌々しげにポニーテールを振る。
丸テーブルの上には、メイドが用意したお菓子とぶどうがガラス製の皿に盛られている。ぶどうと梨はリヒトの好物なので、リヒト派の集まりではよく供される。
銀食器はリヒトが苦手なので、食器はほとんどガラスか陶器製である。もっとも、銀食器が苦手なのはリヒトだけではない。オプスキュリテも同じように銀製品は苦手なはずだ。
〈まぁ、我らは人間ではないからな……〉
妖魔は銀製品が苦手だ。……理由はわからない。リヒトとオプスキュリテは【魔】ではないが、やはり銀は苦手である。むろん触れないわけではないが、まぁ、とにかく好きではない。
「毎年のことであるが、招待状はもう発送済みか?」
「常連様方に発送済みです」
「料理の予約はどうだ?」
「皆さまのお返事を待ってから、数の確認です」
「うむ」
例年のことなので今更何か不手際があるとも思えないが、人を招いてホスト役を務めるのだから確認は必要であろう。
花祭りの舟遊びは、アルテミスでも恒例行事である。毎年、取引の多い顧客を招待して催される。招待客はほぼ固定化されているのだが、それでもお客様が楽しみにしてくれるので、リヒトたちにとっては大切な催しだ。
★
舟遊び当日は空も青く、高く澄みきっていた。
うん。今日は良い日になりそうだと、リヒトは気分よく目覚めた。
オプスキュリテも今日は新しい青い衣装に身を包んでいる。帯と襟だけグレー掛かっているのは、自分の銀髪に合わせたのだろう。青い目によく合う服装である。
〈どうせ、どこぞの女にでも貢がせたモノだろう。相変わらず地味な服の趣味だが…〉
「リヒトもオプスキュリテも素敵な衣装ですね! 今日の舟遊び用に仕立てたものでしょう?」
晴れやかな表情で、グレイスが話しかけてくる。そう言う彼女自身も、新調した白いドレスを身に着けている。白地に、瞳の色に合わせた菫色の花が刺繍されている。襟の部分に黒いレースが掛けられていて、同じレースのリボンがウエストに結ばれていた。
「我らの衣装など、お目汚しでございます。グレイスさまこそ大変素晴らしいドレスです」
「あら、ありがとう! オプスキュリテ」
グレイスは嬉しそうににっこり微笑んで、くるりと回ってドレスを見せてくれる。ウエストの後ろにもレースの大きなリボンがついていて、チャームポイントになっている。
執事やメイドたちから「まぁ、お可愛らしいこと!」という声があがる。
〈オプスキュリテめ。私が言おうと思っていたことを、そっくりグレイスに言っていないか? …こやつ、もしや私の心を読んだのではあるまいな?〉
少々疑心暗鬼になりながら、リヒトは平静を装う。
「リヒト様も素敵なお召し物ですね!」
「リヒト様の赤い髪に、今日のお召し物はぴったりです!」
「…そうか? ふん?」
今日の私は白と黒のシンプルな衣装を身に着けている。首にはスカーフを巻いているが、これも白と黒の二色を使っている。私の赤い髪を上手に引き立てているようだ。……よしよし。
私を愛する「リヒト派」のメイドたちが私を褒めそやしてくれる。ふむ、気分が持ち直してきたぞ。
私もオプスキュリテも特に何もしていないのだが、アルテミス商会には私を支持するリヒト派と、オプスキュリテを支持するオプスキュリテ派というのが存在している。
むろん、派閥に別れて争ったりなどはしない。リヒト派の賢い者たちは私を愛し、オプスキュリテ派のボンクラどもはオプスキュリテに血道をあげている。ただそれだけだ。
「…リヒト、船に運び込む蒸留酒はこれで足りているのか?」
オプスキュリテが覚書を見ながら訊いてくる。
「果実酒もビールもあるし、紅茶やコーヒー、果汁の類もある。例年だと充分に足りているぞ?」
「ふむ、お前がそう言うならば大丈夫だろう」
オプスキュリテが納得したように頷く。
〈はぁ、オプスキュリテのこのネチネチした性格は何とかならんのか?〉
せっかくの花祭りだ。舟遊びの日なのだから、私は思いっきり楽しみたいぞ!
アルテミスの旗を船首に紐で結びつける下男を眺めながら、リヒトの気分はだんだんと上がってくる。
別の男がマストにもアルテミスの紋章入りの旗を高く掲げていた。
黒地に白く、獅子とユニコーンと乙女の姿が染め抜かれている。これがアルテミスの紋章である。
「実に美しい意匠だな!」
……まぁ、私とオプスキュリテが考えた意匠なのだが! リヒトは風に翻るアルテミスの旗に大満足した。
船の出港時、アルテミスのメイドたちが横笛で美しいメロディーを奏で始める。
これは普段アルテミスの店内で使われている曲だ。著名な作曲家に依頼して作ってもらったオリジナル曲である。
「リヒト、ご祝儀を投げ始めてもよいか?」
オプスキュリテが私に確認してくる。
「あぁ、投げよう!」
出港時に岸に向かってご祝儀を投げるのが、船旅の慣例なのだ。これは昔から船の安全を願って行われる。
海が荒れて荷を投げ捨てなくても良いように、あらかじめ岸に荷を投げてお布施をしておくのだという。
実のところ、ご祝儀の加減も難しい。ケチケチするとアルテミスの評判を下げることになる。かといって張り込みすぎると、庶民の分際で生意気だと貴族に妬まれる。
〈面倒くさい。人間は面倒くさい! 無料で投げてやるのだ、ありがたく受け取れ‼〉
アルテミスは貴族の嫉妬を買わないように(地味に)中型船を借り、ご祝儀には(地味に)ツユと呼ばれる青い花を投げる。
ツユは見た目は地味な花だが、熱覚ましになる生薬である。旦那様は薬を商うお仕事もなさっているので、宣伝にもなって一石二鳥だろう。
リヒトとオプスキュリテも出航時にツユの花を投げる。花は軽いので重しにキャンディーをつけて投げている。キャンディーは投げやすいので、舟遊びにご祝儀として投げられることが多い。
〈私とオプスキュリテが並んで花を投げていると、それだけでなにやら目立ってしまう…。自分で言うのも何だが私は美しすぎる!〉
「こちらにもお花を投げてくださいませ!」
「私にも! お花をくださいませ!」
女どもの歓声が飛んでくる。いや、歓声ではなくて嬌声か? ……まぁ、どっちでもいい。
「熱覚ましになるお花でございます!」
「乾燥させてお薬になるお花でございます!」
執事たちが熱心に宣伝しながら花を投げている。オプスキュリテは面倒くさいのか、ニコニコ笑いながら無言で花を投げている。…こいつ、絶対に作り笑いだな。
小さな女の子が手を振りながら「お花をお願いします!」と声をあげている。なかなか可憐な少女だ。慈悲深い私はその子を目がけて花を投げてやる。すると何故か、オプスキュリテもその少女を目がけてツユの花を投げてやる。
……ちっ。なぜオプスキュリテはいつも私の後追いばかりするのだ。
船が岸から完全に遠ざかってしまうと、メイドたちの奏でる演奏曲がアップテンポなものに切り変わった。
それに合わせて、甲板に作られたステージで男たちがダンスを始める。頭に被っていた帽子をクルクル回しながら自分たちもクルクル回ったり、跳んだり跳ねたりしている。動きが敏捷で、なかなか小気味よい。
ダンサーは外部から雇っている。アクロバティックダンスが最近巷で人気らしい。人間どもの流行などまったく興味はないが、私の方がもっと高く跳んだり跳ねたりできるのだ! …まぁ、どうでもいいか。
執事たちが常連客に声を掛けながら飲み物を配っている。
リヒトとオプスキュリテはグレイスに従いながら、挨拶回りをしていた。
「本日はお招きありがとう!」
「グレイス、楽しませてもらっていますよ」
「……ありがとうございます」
お客様の挨拶に我々は丁寧に応える。みんな和気藹々として、和やかな雰囲気である。
グレイスがお客様に今年の舟遊びの趣向を説明している。アルテミスは上流客が多く、音楽や演劇など芸術好きの人びとが多いのだ。
「今年はステージで演劇をお見せする予定です。お弁当を食べながら、役者さんのお芝居をお楽しみ下さいませ!」
舟遊び会場では、食事をしながら演劇や音楽を楽しめる。これが劇場との大きな違いだ。一般的に、劇場は飲食を禁止されていることが多い。
「アルテミスで用意されるお弁当は毎年とてもおいしいわ」
「お褒めにあずかり、ありがとうございます」
名の通った老舗店に注文している花見用の弁当だ、旨くなければ困るぞ。私は愛想笑いを浮かべながら心の中で思う。
花見に良い景観の場所で船が泊められ、錨を下ろす準備がされている。リヒトはお得意様であるディクスン伯爵令嬢をエスコートして、席に案内していた。
「お茶とお菓子をお持ちしますか? それとも、果実酒か何かを?」
「そうね、お茶とお菓子をいただくわ」
「すぐお持ちします。少し風があるので、ひざ掛けをお使いください」
跪いて、リヒト自ら彼女の膝に丁寧にひざ掛けを広げる。
その瞬間、船の外で大きな声が上がった。
「おい、場所を空けろ! 邪魔だ!」
「おい、除け除け!」
数人の男たちの怒鳴り声が聞こえる。
「のけ、のけ! のけ!」
「場所を譲れ!」
居丈高な声と、それに応える「おやめください、危険です!」という声。
…なんだ? 余所の船とアルテミスが揉めているのか?
「……リヒト、隣の船が場所を空けさせようとしているのではなくて?」
ディクスンの令嬢が心配そうに私を見つめてくる。
花祭りでの花見席の奪い合いは、もはや恒例行事のようなものだ。毎年、陸でも湖上でも場所取りの喧嘩が起きている。
「大丈夫ですよ、ご心配なく」
リヒトは令嬢の肩に軽く手を置いて、彼女を慰めようとする。すると再び
「おい、除け除け!」という怒鳴り声と、「危険ですので! おやめください!」という押し問答が始まった。
「のけのけ! のけのけ!」
「おやめください、船がぶつかります!」
「だから、除けと言っている! 船を壊されたいのか!」
あまりにも理不尽な言い様に、リヒトは激しい怒りを感じた。
〈何が貴族だ! こいつら、本気で引き裂いてやろうか⁉〉
リヒトとオプスキュリテは【魔】ではない。しかし、霊力は持っている。その気になれば人間ごときに負けることはない。負けるどころか……。
しかし、オプスキュリテは冷たい声で「お客様に怪我をさせてはどうしようもない。船を動かしなさい」と指示を出し始めた。
〈おい、オプスキュリテ! お前は本気か⁉ あの程度の人数ならふたりで簡単に片づけられるだろう? お前に自信がないなら、私がひとりで片づけてやろうか⁉〉
リヒトは思わず、オプスキュリテの心に直接呼びかけた。
《リヒト、お前はここで何をする気だ? 私のお客様も乗っている。この船で揉め事を起こさないでくれ。血なまぐさいことはごめんだ。我らと違って、人間はか弱くて繊細だぞ!》
オプスキュリテの声が心に直接響いてくる。便利なことに、我らは心の中で会話ができるのだ。
リヒトはディクスン伯爵令嬢の青くなった顔色をチラッと見て、小さく溜息をつく。こんなに青い顔をしている彼女を、これ以上怖がらせることはできない。
〈……了解した。たしかにお前の言うとおりだ!〉
私とオプスキュリテが暴れたら、それこそ船は大混乱になるだろう。忘れていたが、人間は意外とナイーブな生き物だったな。
不承不承、アルテミスは船の場所を移動させることにする。
きっちり仕返しをしてやりたいので、「マストにぶら下げられた相手の紋章を覚えておくか?」とオプスキュリテに囁くと、げんなりした顔で「バカなことはやめておけ」と言われる。……何故だ?




