006 船争い
船から見渡す湖岸には、花が咲き乱れていた。
桃のような、梅のようなピンクの花をつけた木々と、木蓮に似た白い花をつけた木々が湖をぐるりと囲むように群生している。
サイラスは「一目千本」という言葉を思い出す。見渡すかぎり、花が咲き乱れていることを表す言い方だ。
木々の下には、丈の高い金色の花が鈴なりに咲き、パンジーのような三色の花と、六角形の不思議な赤い花が咲き競っていた。
春爛漫というに相応しい美しさで、のどかな景色である。それだけでなく、湖面には蓮の花に似た大輪の花まで浮かんでいた。
「わぁ、……これは蓮の花?」
サイラスは船から身を乗り出すようにして、湖面を眺める。
「どう見てもハスだよなぁ? だけど、蓮は初夏の花だろう? それに蓮にしてはサイズが大きくないか? …似てるけど別の花だろ」
水面に浮かんでいる花は直径が五十センチはある。蓮だとしたら、お化けサイズだ。ユウキが言うとおりに、似ているけれど違う花なんだろう。
「異世界って、ちょっとずつズレてる世界だね」
「私は赤ん坊からやり直してるから、それほどズレを感じないな? ……サイラス、お前は結構大変なのか?」
周囲にオリバーたちがいない時は、ユウキと僕はかなり砕けた口調で会話をしている。最初こそ目上に対する態度で接していたが、結局ユウキは僕なわけだし、お互いに取り繕うのがバカバカしくなってきた。
「こっちの常識は頭に入ってるはずなんだけど、しょっちゅうズレを感じているな~」
「まぁな、とにかく慣れるしかないよ。『郷に入っては郷に従え』だぞ!」
「とりあえず、ユウキにアドバイスを受けたとおり、錫杖の鍛錬だけは毎日やってるよ! まだお母さんもさやかも出現しないけど……」
百本ノックならぬ、カッカラの「毎日百回素振り」をユウキに命じられている。
こっちの世界は霊力がモノをいう世界らしい。そして霊力を底上げするには、成人式で授与されたカッカラ(錫杖)のパワーアップが必須らしい。
「霊力を上げるには、錫杖術の腕を上げるのが近道だからな! 霊力が上がると、どんどん遊環が増えるんだ。ゲームのアイテムが増える感じかな」
ユウキが力説する。
「カッカラは常に持ち歩いて、いつでも抜けるようにしておけよ!」
「え、なんかサムライの刀みたい…?」
オリバーがカクテルグラスを小さなトレーに載せてやってくる。
「叔父上、サイラス、飲み物をもらってきましたよ!」
「ありがとう」
ユウキとサイラスは受け取って礼を言う。
「お世継ぎ様のオリバーに、飲み物を運ばせるのは申し訳ないな!」
「給仕の女性が配ってくれていましたけど、まとめて持ってきたら面倒がないと思って」
オリバーは誰に対しても親切だな。
湖にはかなりの数の花見船が浮かんでいて、お互いぶつからないように気をつけながら、ゆっくりと動いている。
(…平安貴族の舟遊びみたいで、何だか雅な雰囲気だな)
サイラスは湖面に浮かぶ船を眺めながら、平和な感想を持った。
そのうち花見に適した景色を見つけ、各々が錨を下ろし音楽や食事に興じるのだ。
「オリバー、コレおいしいよ!」
サイラスは給仕係からピンチョスの載った小皿を受け取って、カクテルを啜る。
オリバーもサイラスも成人しているが、あまり御酒を飲む機会が多くない。しかしこのカクテルは、ほんのり甘い果実酒がベースで、アルコールに慣れていないふたりにも飲みやすかった。
大きなテーブルに載せられた大きな鉄板の上で、大柄なシェフが肉を焼き始める。何の肉なのかサイラスには見当もつかないが、大きなブロックごと豪快に焼いている。
「わぁ~~!」
肉の焼ける香ばしい匂いと、ジュージューいう音に、周囲から思わず歓声があがる。こういうのは異世界も一緒だ。
シェフが目の前で調理をすること自体が、楽しいショーになっているのだと思う。日本でたまに見掛けたマグロの解体ショーのようなものだ。
大きな肉のブロックを器用に回しながら焼きあげると、長い肉切り包丁でシェフが丁寧に切り分けていく。
手際が良く、見ていて楽しい。目の前で付け合わせの野菜も焼かれ、おいしそうなグレイビーソースと一緒に皿に盛られていく。
ふと見ると、ユウキはシンプルに塩と薄緑色の何某かをつけて肉を食べている。ツンと鼻にくる独特の匂い。あれ、この薄緑色の物体は…。
「……もしかして、ワサビ?」
サイラスは思わずユウキに訊いた。ユウキはニコニコしながら応える。
「これもクリスティ家が品種改良したものだ、したがって命名権は…」
(イヤ、それ絶対「ワサビ」だろ? ワサビ以外の名前をつけるなよ、面倒くさいから!)
「僕もワサビでお肉を食べたい!」
サイラスはユウキ叔父に断固要求する。
「……ワサビという名前にするか、まだ検討中だぞ?」
「いや、ワサビでいいと思います」
「命名権はクリスティ家にあるんだよ?」
「叔父上、僕にもその『ワサビ』っていうやつをお願いします」
オリバーまで口を出してくる。
「いや、だからまだワサビとは決めてない……」
サイラスたちがワサビの命名で揉めている最中に、近くに浮かんでいる二隻の船が何やらおかしな動きを始めた。船上で男たちがワーワー大声を上げて、互いに牽制し合っているようだ。
いったい何を騒いでいるんだろう?
「……もしかして、ケンカですか?」
オリバーが驚いたように言う。
「船同士のケンカなんてあるの?」
サイラスはユウキに訊く。
「おい、除け除け!」という怒鳴り声と、「危険ですので! おやめください!」という声が行き交っている。
どうやら景色の良い場所で停泊した船を、後から来た船が追い払おうとしているように見える。おそらく場所の取り合いだろう。
「始まったな。……あれは、貴族の船が商人の船をどかして場所を取ろうとしているんだろう」
ユウキは腕を組んで見物している。
「わざわざ場所を奪わなくてもいいでしょうに」
シャーロッテは不快そうに眉を顰めて見ている。
「……ああいうのは、我が国でもたまに見かけます。どこでも一緒ですね」
「しかし、どう見ても商人の船の方が先に泊っていたでしょう…? ひどいことをするなぁ!」
オリバーが非難するような声をあげた。オリバーは正義感が強いのだ。
「貴族が身分を笠に着て、平民の船をどかすのは珍しくないんだ。花祭りでの場所取りトラブルは、貴族同士でも珍しくないからな! 毎年ケンカが起きているんじゃないか?」
ユウキが肩をすくめる。
陸での場所取りトラブルなら、まだ加勢して助けてくれる者がいるかもしれない。しかし、花見船同士の〈船争い〉は、孤立無援になりやすい。
「まさか〈船争い〉か? ……初めての舟遊びで、このようなトラブルが起きるとはな」
律儀に挨拶回りをしていたシオドアが、カクテルを片手にユウキたちのところに戻って来た。
「バカなことをするものだ。酔っぱらって、気が大きくなっているんだろう」
そう言いながら、シオドアはハラハラした様子で争う船を見ている。
しばらくの間、ふたつの船は睨み合って「のけのけ!」と「困ります!」を繰り返していた。
しかし、商人の船はジリジリと場所を追いやられつつある。
貴族側の船が近づきすぎて、危険なので商人側が場所を動かざるを得ないのだ。もちろん、貴族側は計算ずくで近づいているのだろう。
「あれ?」
サイラスは〈船争い〉を仕掛けられている商人の船に、見覚えのある紋章が翻っているのを見た。
(……あの旗は、「アルテミス商会」の旗じゃないか?)
獅子と一角獣、そして乙女の組み合わさった意匠がアルテミスでは使われている。最近見たばかりの、見覚えのあるデザインだ。
「ユウキ叔父、あれはアルテミスの船みたいですよ?」
「……たしかに、あれはアルテミスの旗だな?」
「わぁ~? グレイスさま、もしかしてあの船に乗っているのかな? 可哀想に…」
ほんの十日ほど前に、サイラスはアルテミスに出かけてグレイス嬢に会ったばかりだった。
★
グレイスは薄茶の髪に菫色の瞳を持った、美しい少女である。
「ようこそいらっしゃいました、サイラス様」
差し出されたグレイスの手はぽっちゃりして、つきたてのお餅みたいだ。イヤ、決して太っているわけではない。
ただ、グレイスはまだ十一歳の少女で、ほんの子供なのだ。十一歳にしてははむしろ小柄で、外見は幼く見える。
しかし〈ほんの子供〉のグレイスが、アルテミスの女主人なのだという。
「この『アルテミス』は、代々女主人が引き継ぐと決まっているのです。わたくしは赤ちゃんの頃にアルテミスを相続しました」
グレイスはそんなふうにサイラスに説明した。
(なんだか格式の高そうなデパートだな…)
おそらくアルテミスは、ミニヨンで一番大きなデパートメントに違いない。老舗デパートはいくつかあるが、その中でもアルテミスは王室御用達で、多くの高位貴族が利用している。
(まぁ、下位貴族であるドイル家の御用達は、アルテミスじゃないけどね…)
サイラスのドイル家はアルテミスとお付き合いはない。アルテミスはアトス寺院の御用達だ。
サイラスがアルテミスを訪問するのは、今回が初めてだった。花祭りの定番である花見団子を注文に来ただけなのだ。そしてアルテミスの豪華な雰囲気に、サイラスはすっかり飲まれてしまった。
情けないことに、サイラスが暮らしているドイル家よりも、アルテミスの方がはるかに貴族のお屋敷らしい。
アルテミスはまるで本物のお城みたいだ。高い天井にはシャンデリアがいくつも輝き、外観は堅牢なレンガ造りで、豪華なバルコニーがいくつも突き出している。
ヨーロッパのどこかに、こんな素敵なお城があったんじゃないか? 名前は思い出せないが…。
「こんなにキレイなところ、僕初めてですっ! 夢の世界みたいですね、サイラスさま~」
アトス寺院でサイラス付きになった小姓のタママが興奮している。
(いちおう貴族の僕も、びっくりしたよ。どうやら、アルテミスはすごいお金持ちみたいだ!)
さらに、グレイスの後ろに控える守り役のふたり組。ひとりは赤毛のリヒト、もうひとりが銀髪のオプスキュリテ。
このふたり組がまた、びっくりするようなやつらだった。
まず、背が高い。……いや、これは別にいい。僕だって、前世のゆうき時代は高身長だった! だが、しかし。
(リヒトは赤毛をポニーテールにして、金色の目をギラギラさせているし、オプスキュリテの方は銀色の長髪に、冷たいツンツンした青い目をしているし…)
ひとことで言うと、このふたりが「信じられないくらいの美形」なのだ!
……どう思う? せっかく異世界転生したのに、前世と同じ容姿に生まれてきた謙虚なユウキと、中肉中背でごく普通な感じに生まれた薄幸な僕・サイラス…。
(なんだよ⁉ こっちの世界に美形キャラがいるんなら、僕たちをそういう感じに転生させてくれてもいいだろ?)
僕がそう思って、ちっと舌打ちしても仕方ないのではないか⁉
「サイラスさま、どうかしましたか?」
小姓のタママが心配そうな顔をしている。
「なんだか、お腹痛そうな顔してますよ~?」
「だ、大丈夫だよ、タママ」
「初めてのお買い物で、サイラスさまも緊張しているんですね。大丈夫ですっ! 僕がついています!」
「あ、ありがとう。タママ…」
「…グレイスさまって、お姫様みたいです!」
タママがニッコリ笑う。
「そ、そうだね」
ユウキ推薦のタママは、たしかに性格のいい子だった……。そして、タママはすっかりグレイス嬢のファンになったようだ。
……タママ、グレイスがピンチだぞ!
★
アルテミスの旗を船首につけた船は、貴族の船に追い立てられるように場所を奪われつつあった。
タイタニック号などは船体が大きいからいいのだが、中型船が大型船の陰に入ってしまうと、ろくに花見もできないのではないか……。
「ねぇ、ユウキ。うちの船を少しだけ動かしてあげましょうよ」
シャーロッテは軽く溜息をついた。せっかくの舟遊びなのに、意地悪な貴族のせいで最悪の気分だわ。平民が貴族に逆らえるわけもないのに、わざわざ〈船争い〉などを仕掛けて…。
シャーロッテの指示で船が動かされる。アルテミスのものと思しき船は、タイタニック号に庇われるように、争っていた船とゆっくり引き離された。
「……せっかくのお花見で可哀想に。場所を盗られたあちらの船に、お見舞いを差し上げましょう」
シャーロッテは小姓を小舟でやって、菓子と料理を届けさせる。
「決して意地悪な貴族ばかりではないのですけれどね……」
あぁ、〈船争い〉なんて見たくなかった…。シャーロッテは頬に手を当てて、再び溜息をつく。八年ぶりの花祭りだというのに、がっかりだわ!




