010 サイラスの小姓
周囲がシーンと静かになって、タママは自分が「失敗した」ことに気がついた。サイラスがちょっと困った顔をしてタママを見ている。
(…馬鹿だ、僕は)
自分の父親が誰だかよく知っているのに、どうしてこの男の人がお父さんだなんて言ったんだろう?
「ユウキ叔父上だよ。それから、こっちが兄のオリバー」
サイラスが取り成すように、ユウキとオリバーをタママに紹介する。
「ずいぶん大きくなったと思ったのに、体重は赤ちゃんの頃とそんなに変わらないんじゃないか? タママ、たくさん食べて大きくなれよ!」
ユウキがタママを抱きかかえて、天井に向けて高く上げる。赤ちゃんを「高い高い」するみたいなポーズだ。
(容姿はあまり似ていないけど、この人の笑い方はサイラスさまにそっくりだ!)
「…ユウキさま。サイラスさまのおじさまなんですか?」
「ああ、そうだ。私はアトス寺院で文官をしていたから、タママが赤ちゃんの頃に会ったことがあるんだよ。残念ながら本当の父親ではないけどね!」
「……僕の『本当のお父さん』っていうのは、僕の想像のお父さんなんです。本当はいないから大丈夫です」
タママは顔を真っ赤にして答える。おかしなことを言ってごめんなさい。床に手をついて謝った方がいいかな? タママはもじもじする。
想像のお父さんのことはうまく説明できない。自分だってよくわからないのだから。いつの頃からか「こんなお父さんがいたらいいな~」と、タママの頭の中で繰り返し考えた存在なのだ…。
血の繋がった本当の両親なら、タママはイヤというほどよく知っている。赤ん坊のタママをポイっと捨てておきながら、ときどき孤児院にお金を借りに来ていたから。
タママの両親は小柄で地味な外見をしている。でも外見とは裏腹に、驚くほどふてぶてしい夫婦だった。貧しさが彼らをそういう人間に変えたのか、生まれつきお金に汚い人間なのか…。
「今月はカネの巡りが悪くてね。少しでいいんで融通してもらえねぇですか?」
タママの父親は口がよく回る男で、母親は反対にむっつりと無口な女だ。ふたりとも清潔とは言い難い薄汚れた服装で、肌も不健康そうな色をしている。
「何を勘違いしているか知らないが、アトス寺院は金貸しじゃないんですよ? お金が必要ならば質屋でも金貸しでも行っておくれ」
主事は苦々しげに答える。子供を捨てた孤児院に金を借りに来るとは、この男はどういうつもりだろう?
「うちにはタママ以外にもガキが五人もいるもんで。食っていくだけでも大変なんでさぁ。アトス寺院なら、予算からちっとくらい出せるでしょう?」
「自分の子供を捨てておきながら、孤児院にお金を無心するとは。あなたたちはどういう了見なんですか⁉」
さすがに主事が怒って、相手の要求を突っぱねる。
するとタママの父親はニヤニヤ笑いながら言った。
「だから、うちの坊主を一年ほど預かりますよ。孤児を引き取ると、お支度金ってやつが貰えるんでしょ? 寺院にゃ迷惑かけねぇで、こっちにゃ金が入るんです。世の中ぁ、上手くできてんなぁ!」
お支度金というのは、子供を引き取るときに(養父母であろうと実父母であろうと)子供のために用意されるお金だ。
主事は呆れて口をパクパクさせた。自分の子を「一年預かる」から、金をよこせというのか? お支度金は子供のためにミニヨンから支給されるものだぞ! 何を考えているんだ!
こんな人間がいるのか⁉ こいつ、頭はまともなんだろうか?
主事は自分の隣でちょこんと座っているタママを見やる。実の両親が「引き取る」と申し出ている以上、強硬に断るわけにもいかない。しかしタママの親はあからさまにお支度金目当てだから、タママがどういう扱いを受けるのか心配だった。
(タママは家に引き取られても、どんな仕打ちを受けるか知れたものじゃないぞ。…どうしたらいい? こんな時にユウキさまだったら……)
主事はアウソニアにいるユウキに宛てて手紙を書くことにした。自分ひとりで抱え込むには無理がある。タママのことを誰かに相談したい。自分を助けてくれそうな人間は、ひとりしか知らなかった。
タママの両親はお支度金の申請をもう何度も繰り返している。数か月タママを手元に引き取っては再び孤児院に捨てる。善意の制度を利用して、タママの両親はミニヨンからお金を吸い上げている。グレーゾーンぎりぎりのやり方を平気で繰り返すのだ。
タママの母親は小さな赤ん坊を背負ったまま孤児院にやってきた。ガリガリに痩せた赤ん坊を見て、主事が無心を断れないことを本能的に知っている。
(ユウキさま、あの夫婦はわざと子供を連れてお金の無心にくるんです。薄汚れて、殴られた痕のある子供を…。自分の子供を人質にして、こちらにお金を要求します。あの母親はまともに赤ん坊にミルクを飲ませているんでしょうか? 先日連れていた子供も、ひどく痩せこけていました。とても見ていられません……)
主事はすっかり頭を抱え、ユウキに送る相談の手紙はどんどん増えていく。
(信じられない愚行です。自分の子供を殴る両親など許せない! そんな親がこの世の中にいるなどと、わたくしは信じたくありません。ユウキさま、親とは愛情深いものではないのですか? 親とは慈悲深いものでしょう? 教えてくださいませ!)
主事は手紙を認めながら「なんという愚行でしょうか! 恥知らず! 恥知らず!」と怒っていた。タママは怒り狂う主事の姿を見ながら、愚行という新しい単語を覚えた。
(……僕の両親は恥知らずなんだ…)
だけど正真正銘、あいつが僕の父親だ。ガッカリ…どころの話ではない。父親のことを考えると、タママは恥ずかしくて死んでしまいたくなる。
(最悪だよ。僕の親たちは…)
★
ノラの給仕で、タママはドイル家の人びとと食事をした。マナーはかなり怪しかったけれど、隣に座っているサイラスやユウキがさりげなくマナーを教えてくれる。
ノラの作るドイル家の食事は、孤児院のものよりもずっとおいしい。温かい料理を好きなだけおかわりできるというだけで、タママには衝撃的だった。
サイラスの兄上オリバーもニコニコしていて優しい。ミッチがオリバーの噂をしていたので「お土産話を喜ぶかな?」とタママはチラリと思う。
「サイラス、アルテミス商会にはいつ行くんだ?」
ユウキの質問に、サイラスは少し考える。
「……花祭りの買い物でしょう? 僕は今年が初めてだから、去年の帳簿をよく調べてから出かけようと思っています」
「アルテミスで花見団子を購入する時に、主事にも多めに買ってきて手渡してくれないか? 私が支払いをするから」
「……それはいいですけど。叔父上、主事さんと知り合いなんですか?」
「まぁね」
「サイラス、この機会に寺院に関することを叔父上にいろいろ聞いて勉強させてもらいなさい。ユウキはあそこで働いていたんだからね。ユウキ叔父さんはすごく優秀なんだよ」
シオドアが息子のサイラスに言い聞かせる。
「はい。いろいろ知りたいことがあります! 主に予算関係です」
オリバーがユウキたちに話しかける。
「アトス寺院は、かなり予算が苦しいと聞きますが…?」
「私が働いていた頃から、あまり予算は付いていなかったなぁ。サイラスも資金繰りに苦労するのではないか?」
「景気が悪くなると、逆に孤児の数が増えると主事さんが嘆いていました」
「世の中が苦しいと、子供を捨てる人間が増えるからな!」
ユウキはそう言いながら、皿の上の肉をきれいに切り分ける。
タママは「……アトス寺院ってそんなにお金がないのか」と思いながら、自分もせっせと肉を口に運ぶ。
「ミニヨンの予算配分は適切なんでしょうか?」
オリバーが疑問を口にする。ノラが山盛りになったベリーのタルトを運んできた。オリバーが「タママ、デザートもたくさん食べるといいよ! ベリーは目にいいんだ」と声を掛けてくれる。
「貴族街の再開発も始まっているところだからね…」
セオドアが紅茶にミルクを入れて、ゆっくりとスプーンでかき混ぜる。
「…予算はいくらあっても足りないだろうよ」
「百年に一度の都市計画と言われて、かなり力を入れていますからね」
オリバーも再開発に興味があるようだ。
食事の時に政治や経済の話をするのが、お貴族様の日常なのだろうか? 孤児院で景気の話が出るのは、せいぜい就職の時期くらいだ。それ以外では誰も経済なんか気にも留めていない。
景気が良かろうが悪かろうが、自分たちにはほとんど関係ないと思って生きている。いつだって生活はギリギリなのだから…。
だけど、タママはもうサイラスの小姓になったのだ。
(これからは、僕も景気の心配をした方がいいかもしれない……)
僕は体も小さくて、大きい荷物も運べないから。少しでもサイラスさまのお役に立てるように、もっと勉強した方がいい。主事さまだって、サイラスさまに「誠心誠意お仕えするように」と言っていた。
★
アルテミス商会に出かけた当日。
購入した花見団子をユウキが用意した風呂敷に包んで、サイラスは主事に手渡した。ユウキにそうしろと言われたから、指示に従ったまでのことだ。
「……サイラスさま、これは?」
クリスティ公爵の家紋が染め抜かれた紫の風呂敷をまじまじと見つめて、主事が訊いてくる。
「これは叔父上に頼まれたのです。主事さんに直接お渡しするように、と」
「…今開けてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ?」
中身はなんの変哲もない花見団子だ。アルテミス商会で、サイラスとタママが購入予約をした花見団子。まったく同じものを、何故わざわざユウキが主事宛てに購入したのか、サイラスにはさっぱりわからない。
一週間もすれば、アルテミスから孤児院に配送されるだろうに。
(それまで待てないもんかね? ユウキときたら…)
「…これを、ユウキさまがわたくしに下賜されましたか?」
花見団子を見つめる主事の言葉を聞いて、サイラスは「下賜とはまた大袈裟な…」と思う。数こそ多いが、毎年食べるお馴染みの花見団子である。
すると見る見る、主事の目に涙が盛り上がって溢れだした。
「えっ? えっ⁉」
どうした、主事さん⁉ サイラスはオロオロする。
「ユウキさまは軽々しく他人のことを吹聴する方ではありません。ですから、わたくしが自分でお話いたします。……わたくしは、アトス寺院でユウキさまの小姓をしておりました」
「そ、そうなんですか?」
(主事さんがユウキの小姓だったんだ?)
「わたくしは孤児の出でございます。本来は貴族が務める主事などになれる者ではございません…。わたくしが主事になれたのは、ユウキさまが計らってくださったからです」
主事は白いハンカチでそっと目頭を押さえる。
アトス寺院で働く貴族が余所に行くとき、小姓はお抱えになって一緒に寺院から去るのが一般的らしい。ユウキも当然、自分の小姓を婿入り先に連れて行こうとしたのだ。
ところがユウキが婿入りするのがミニヨンではなく、隣国アウソニアの貴族だったために話が拗れた。
孤児はミニヨンの税金で養われた者なので、たやすく国外に出ることができない。ミニヨン国内ならばお抱え小姓にできるが、国外ではお抱え小姓にできないと断られてしまった。……そういう慣例だという。
「ユウキさまは正義感の強いお方ですから…」
主事は当時を思い出したのか、思わずというように微笑む。
ユウキは怒って「ならば小姓を買い取ろう! こいつは優秀な小姓だから、言い値で買うぞ! いかほどだ?」とまで言ったらしい。ところが、何故かこれも却下された。税金で養った者だから金を積んでも売らないというのだ。
どうにも話が通らずに「孤児なのだから、また一から別の文官に仕えれば良い」と言われる始末だった。
「何年も小姓として私に真摯に仕えたのに、また別の者に仕えろとは⁉ 人を何だと思っているのだ!」
ユウキは激怒して、婿入り先になるクリスティ家からもミニヨンにガンガンと圧力を掛けたらしい。
結果、ユウキの小姓を孤児院の主事に据えて「他の貴族には仕えなくても良い」ことに落ち着いた。
「わたくしは体が大きいだけの愚鈍な者でしたが、ユウキさまがわたくしに読み書きを我慢強く教えてくださいましたので、今こうして主事として困らずにお仕事ができております」
ありがたいことでございます、と主事は言った。
「花見団子はわたくしの大好物なのです。ミニヨンでは花祭りは特別な行事でございましょう? 子供の頃…。わたくしが迷子になったのは、花祭りの期間なのです。花祭りの時期は人攫いも多うございますが、迷子もとても多いものです。わたくしの一番古い記憶は………花見団子を頬ばりながら、母に手を引かれて歩いていた記憶なのです」
母が着ていた服の色が水色だったことも覚えています。それなのに、肝心な顔が少しも思い出せません。それでも、母の手のぬくもりを覚えています。わたくしの中に残っている、たったひとつの家族の記憶です。
「最初の数か月……いえ、数年の間でしょうか。わたくしは母を待っておりました。『あぁ、こんなところにいた。手を放しちゃダメじゃないの』と言いながら、わたくしを迎えに来てくれると思っていたのです。……ところが何年経っても母らしき人は訪れません」
雑踏の中で母の手と私の手が離れた。あれは、偶然だったのでしょうか?
もしかすると、母は私を捨てたかったのかもしれない………。
「ユウキさまにそうお話しましたら、怒られたのです。ミニヨンのような小さい国でも、女性の足で歩き回って人を探すのは難儀なことだぞ、と。…お優しい方なのですよ」
主事は恥ずかしそうに笑う。
「それで、わたくしは『母は今でもどこかで探してくれているのかもしれない』と、そう思うようにしました」
主事は懐かしそうに目を細めた。まるでどこかに遠くにいる、自分の家族を追い求めるかのように。
「ユウキさまはそのことを知ってから、花祭りの時期になると花見団子を振舞ってくれるようになりました。わたくしたちはまるで兄弟のように、一緒に花見団子を頬ばったものです」
…家族のいない私にとって、それはとても特別なことだったのです。
主事は次から次に溢れる涙をハンカチで拭いながら、声を震わせる。
「わたくしはユウキさまとご一緒できませんでしたが、ユウキさまのお幸せを祈っております。わたくしは昔から誠心誠意、それしかできないのですから……。それしかできない人間なのですから、せめて…」
サイラスは主事のユウキへの忠誠心に打たれた。
ユウキが自分の小姓をアウソニアに連れて行こうと奔走したのは、自分のためというよりも「ひとり取り残されてしまう」主事を慮ってのことだろう。そうさせるだけの忠誠心を、彼はユウキに示していたのだ。
アトス寺院に関してユウキから学ばなければならないことは、こういうことなのだとサイラスは悟った。
孤児院の子供たちは何かしら悲しみを背負っている存在だ。母と姉を失ってこの世界にやってきた、僕とユウキは彼らにとても似ている。
(僕とタママも、ユウキと主事さんのようになれるかな?)




