042 ジパングの薔薇
ククルが一日遅れでアトス寺院に戻って来た日の夜。
夕食を終えてから、孤児たちは当番に別れて皿洗いをして、きれいに拭いてから食器棚に並べている。サイラスとククルは台所で少しばかり話をしていた。
「ククル、僕を裏切ったわけじゃないんだよな?」
サイラスが念を押すと、ククルはアトス寺院の台所の床に這いつくばらんばかりになって
「マスター、もちろんです! わたくしはあなたから離れて生きるつもりは毛頭ありませんっ! わたくしの命の尽きるまで、ご一緒させてくださいっ!」
と懇願し始める。
タママはククルを心配そうに見ているし、ミッチもお皿を拭きながらこちらを気にしてそわそわしている。
(ふたりとも、僕がククルを不当に叱っていると思って心配していないか? イヤ、算数を疎かにするククルが悪いんだからね?)
「ククルは僕に掌握されたというより、ユウキに掌握されたわけだから、正直なところ僕に従う気持ちはあまりないんじゃないか?」
サイラスは懐手して問い詰める。
「………」
ククルは一瞬虚を突かれたようになって黙り込んだ後、考えながら言う。
「確かに、ユウキ様とサイラス様ならば迷わずユウキ様にお仕えします。…しかし、今回のことは故意にしたことではありません! マスターから逃げようとしでかしたことではありません」
う~ん、ククルの発言はものすごく正直だな。
「…わかった。これから毎日一時間ずつ、タママとミッチの指導の下、算数の勉強をするように! それでこの話はおしまいだ!」
「なんと? オプスキュリテのお気に入りが、わたくしの指導をするのですか?」
ククルはミッチの方を見て、さも不満そうに鼻を鳴らす。ミッチは孤児の中では年長者で、算数は一番得意なのだ。何がそんなに不満なのだろう?
「それでは、わたくしがオプスキュリテに借りを作るようではありませんか!」
ククル、面倒くさいな! そんなことどうでもいいだろう? そんな心配より計算の勉強をしてくれ!
「ところでマスター、わたくしジパングから持ち帰った薔薇をソフィアさまにお届けしたいのです! 次のお休みはいつ頂けますか?」
ククルは真顔でサイラスに訊く。おい、ククル! お前、三日前に休みを取ったばかりだろう? 自分の立場がわかっているのか⁉
「……とりあえず、〈ジパングの薔薇〉ってどんなものか僕にも見せてくれる?」
サイラスは溜息交じりにククルに応える。やはりククルは人間じゃないな! どうにも話が通じない部分があるよ。
「もちろんです! マーゴのために中庭にも薔薇を植えようと思って、余分に持ち帰っています!」
へぇ~。ククルは非常識で算数が苦手で面倒くさいヤツだけど、意外と子煩悩だなぁ。
〈ジパングの薔薇〉を中庭の厩舎に仮置きしてあるというので、サイラスたちはカンテラを灯して中庭まで歩いた。人の気配を感じたマーゴが厩舎からのそのそ出てくる。
体のバランスが悪いので、あまり軽快な動きではないのだが、サイラスが抱き上げると大人しく抱かれて、目が合うと「ぷに」と笑う。
「マーゴは父親のククルよりも僕に懐いてるな~! 可愛いぞ、マーゴ!」
マーゴはバランスの悪い抱き枕みたいだ。
「そのうち、誰よりもわたくしに懐くようになります!」
ククルは胸を張って宣言する。この自信はどこからくるのだろう。現状、マーゴに好かれる気配もないくせに…。
「サイラスさま、これがククルが持ち帰ったお花です~」
タママが自分の背丈ほどの大きな荷物を厩舎から運んでくる。ジパングから花を持ち帰りたいというので、サイラスは勝手に「切り花」をイメージしていたのだが、藁で作られた菰に包まれた大きな荷物だった。
考えてみれば、そのまま切り花を持ち帰るにはジパングは遠すぎる。
「ずいぶんイメージと違うな…」
「サイラス様はジパングの薔薇をご覧になるのは初めてでしょうか? とても美しいものですよ…」
先輩であるタママに作業をさせて、周囲を明るくするためにカンテラを持っているだけのククルが自慢げに説明する。
タママが花を傷めないように、小刀を使って菰を慎重に切り開けると、中からピンクと呼ぶには色の濃い、牡丹に近い色をした花が現れる。
「どうですか? 美しいでしょう? ジパングの薔薇は、寒さに耐えて雪の中で咲くのです。…これほどジパングにふさわしい花があるでしょうか?」
ククルカンはカンテラを近づけながら、うっとりとその花を眺める。
ククルには申し訳ないが、それは薔薇の花ではなく、山茶花だった。……山茶花は日本の固有種だ。日本列島に自生する花なのだ。
(つまりジパングは日本だ! 少なくとも日本列島だ)
サイラスは思いがけずククルのもたらした成果に、唖然とした。
「わぁ~、冬にこんな鮮やかなお花が咲くんですか。あたし、雪の中で咲く花なんて初めて見ました。きれ~い!」
サイラスたちについてきたミッチが驚いたような声を出す。雪の中で立っているせいか、カンテラに照らされた顔が少し赤い。
「だからこそ、ジパングの薔薇は愛されるのだ。なんだ、お前はそんなことも知らんのか? ふん、オプスキュリテはお前になんの教育も与えていないようだな?」
ククルはミッチに算数を教わるのがよほど気に入らないのだろう。八つ当たりしているようにしか見えない。
「ククル、ミッチに絡むなって何度も言っているだろう! 何度言えばわかるんだ?」
サイラスはククルに〈小姓としての教育〉をしっかり与えてやるぞ、と心に誓った。
★
「まぁ! なんて素敵なお花でしょう!」
山茶花を目にしたソフィアは目をキラキラ輝かせた。少女のように手のひらを合わせて、「これがククルカンのおっしゃっていた、ジパングの薔薇ですの?」と訊いてくる。
ジパングから驚くような成果を持ち帰ったククルに対して、サイラスはご褒美として休暇を与えソフィアとの面会を許可した。ただし、ソフィアと二人きりのデートなどは絶対に許されない。当然、サイラスとイサキオスの同席ありきだ。
ソフィアの小姓とイサキオスの小姓が、テーブルの上に紅茶とスコーンを並べ始める。ジャムやクリームの盛られた小瓶も置かれ、小さなお茶会のようだ。
「ソフィアさまが植物がお好きだというので、ジパングからお持ちしました! これは雪の中で咲く健気な花なのです」
アトス寺院の山茶花は、菰を剥がして根を壊さないように中庭に植えたが、アシモフ家に持ち込んだものは大きな陶器の鉢に植えられている。白地に青い模様の入った美しい焼き物で、「これ……有田焼じゃないよな?」とサイラスは首をかしげる。
山茶花は一本の樹木にたくさんの花をつけるので、なかなか豪華な雰囲気だ。
ククルカンは「ソフィアさま、『ジパング』にはこんな伝説があるのですよ」と語り始める。
ジパングは古くから金を産出する、それは豊かな国だった。ジパングの人びとはみな正直者で、心が優しく、互いに譲り合い助け合って、弱い者を守りながら仲良く暮らしていた。
けれども、ジパングにだって心の醜い者はいた。ただその男は、自分を実直なように見せかけることに長けていたのだ。
もともと、ジパングの人びとは人を疑うことが上手ではない。闇雲に相手を信じてしまうか、あるいは相手を完全に排除してしまうか、いつもその二択だった。
相手を観察して、善悪をきちんと見極めることが不得手なのだ。
そんなジパングの人びとの中で、心の醜い男は人を騙し、他人を出し抜いてトントン拍子に偉くなっていく。人を信じやすいジパングの人びとを騙して、権力を自分の手に握っていった。
「……名前があった方がわかりやすいですね。その男はやがてジパングの王となり、賢王と呼ばれたのです」
「…ケンオー? 耳慣れない名前ですね?」
ソフィアは不思議そうに言う。
「ミニヨンの言葉ではありませんからね。ジパングの言葉で、『賢い王』という意味なのです」
「賢い王ですか。…それが名前なのですか?」
ククルはうなずく。
「ジパングでは言葉に魂が宿っていると信じられていて、良い名前をつければその通りになると信じられていたのです。ですから、ジパングの貴族などは一生のうちに何度も名前を変えたりするのです」
「まぁ?」
「貴族が名前を変えるのか? そのようなことが?」
イサキオスまでククルカンに質問を始める。ククルカンは軽くうなずいて、
「イサキオス様、人間だけではありません。魚なども、稚魚と成魚では名前が変わったりするのです。そういうのが縁起がいいとされている国なのです」と答える。
ククルの話を聞いていたサイラスは(この話のジパングは、まるで日本そのものじゃないか!)と思っていた。
賢王と呼ばれた男は、ある時こんな噂を耳にする。西方の彼方に、どんな〈願いごと〉も叶えられる不思議な国が存在すると…。
その日から、賢王の頭の中は西方の彼方にあるという不思議な国のことで一杯になった。彼はどうにかしてその国に行って、自分の願いごとを叶えたいと思った。
「ほぅ、ケンオーの願いとは何だね?」
イサキオスは先回りして答えを欲しがった。
「永遠の命です。賢王は不老不死を願ったのです」
「なんだ、ありきたりだな! つまらんヤツめ!」
イサキオスはケンオーを軽蔑するように肩をすくめる。いったい、どんな願い事ならば喜ぶんだ、イサキオス。
ジパングから遥か遠い西方へ。海路で何日、陸路で何日の旅を続けただろうか。ケンオーの欲望のために、ジパングの民は彼に従って船に揺られ、陸路を根気強く歩いた。
そうして漸く、ケンオーたちは〈彼の地〉にたどり着いた。そこには老人のような銀髪で、白い衣を着た美しい男がいて、ケンオーに「お前の願いごとを言え」と命じた。願い事を叶えるから、代わりに魂を差し出せというのだ。
ケンオーは喜び勇んで「不老不死」を願ったが、銀髪の美しい男は是と言わない。
「不老不死は、人間ひとりの魂で贖あがなえるような願いごとではない」
そこでケンオーは知恵を絞って言った。ひとりの魂で贖えないのならば、たくさんの魂を積み上げればいいだけだ。ジパングの人びとは従順だから、いくらでもケンオーの言うとおりになる。
「払おう! 人間ひとりの魂では贖えんのだろう? それならば、我が民の命を差し出そう! いくら出せば不老不死を叶えてくれるのだ⁉ 百人か? 千人か? いくらでも出すぞ! 我が国は広大で、民は多い。我のために命を差し出す名誉を、彼らに与えよう!」
「なんですって⁉」
「ケンオーめ、自分の民を差し出したのか? なんという痴れ者だ!」
ソフィアとイサキオスは驚きと怒りで声をあげている。イサキオスは紅茶に落とすジャムの量がいつもの倍くらい多くなってしまった。怒りで興奮しているのだ。
ケンオーは布地に金を編み込んだ派手な服を着て、首には金のネックレスを五重につけている。十指すべてに金の指輪をして、さらに金の耳輪までしている。自分の権力を一目でわからせるような服装を好んだのだ。
「他にも欲しいものがあれば、いくらでも出せるのだ! 金はいらぬか? 宝石もあるぞ! 我が国は豊かな国なのだ。いくらでも出そう! だから、不老不死の願いを叶えてくれ!」
ケンオーは自分の欲望のためならば、民の命も国の富も差し出す人間だった。この事実に怒った銀髪の男は、
「こんな男が王だと? 狂人の治める国など、滅んでしまった方が良いだろう! 国などなくとも、民草は生きていけるのだ。こんな男の命など奪って、こやつの腐った魂を取り上げてしまえ!」
と叫んだ。
するとたちまち、突風と共に金色の光が巻き起こった。ケンオーは吹きつける風と金色の光に立ち向かうように雄たけびを上げた。しかし、しょせん生身の人間が神力を持った者に敵うはずがない。
ケンオーはたくさんの従者たちが見守る中で、バタッと横ざまに倒れる。目をカッと見開いたまま、立ち死にしてしまった。
「おぉ、ケンオーは死んだか! 自業自得だな!」
イサキオスは少し口角を上げる。この結末に満足しているようで、紅茶をゆっくり口に運ぶ。
「…ケンオーの従者たちが苦労の末ジパングに帰り着いてみると、ジパングは荒れ果てて国がなくなっていたのです」
ククルが少し悲しそうな顔つきになる。
「国がなくなっていたとは、どういうことですの?」
ソフィアがククルに確認する。
「もちろん、土地がなくなるわけではありません。王が自分の欲望に振り回されて、長く国を留守にしたのです。ジパングはもともと自然災害の多い国ですから、人心は乱れ、少しずつ国が崩れていったのでしょう」
「まぁ……お気の毒に…」
ソフィアは思わず目を伏せる。
ジパングが呪いを受けてから、もう何百年が過ぎただろうか? 壊れた国は少しずつだが、回復に向かっているようだ。もともと東方で生まれたククルカンは、西方で暮らすようになってからも、あの辺りの海上を飛び回るのが好きだ。
ジパングの上空を飛ぶときには、「ジパングはどれくらい回復しただろうか? 人びとは幸せに暮らしているだろうか…?」と心配して見守っている。
雪の中で寒さに耐えて咲く〈ジパングの薔薇〉は、本当にジパングらしい花だとククルカンは思う。自分たちに非のない呪いを受けてもなお、健気に明るく生きるジパングの人びとにそっくりではないか?




