043 ククルとジパング
ジパングは極東の海上に浮かぶ島国である。しかし、西方地域にあるミニヨンではジパングなどという国の存在を知る者はいない。イサキオスやソフィアのような知識人階級でさえジパングを知らなかったのだ。
まず、西方諸国で作成される世界地図にジパングは描かれていない。西方の地図上ではジパングは海になっているので、誰もそこに国が存在しているなどと思わない。
呪いを受けて滅んだジパングは、今でも「存在しない国」として海に沈んだ国のようにひっそりと隠されている。
「……え、ジパングの人びとですか?」
ククルは困ったように首をかしげる。すっかり改心(?)したククルカンは、先輩のタママを手伝って干したぶどうを水で戻して、強力粉に練り込んでいる最中だ。
「あぁ、ジパングの人について知りたいんだけど。ジパングに住んでいる人たちは、黒髪に黒い目の人たちなのかな?」
ジパングと日本が〈違う歴史〉を持つ別の国らしいのはわかったが、そこに住む人たちが日本人なのかが気になるのだ。
「マスター、最初にお断りしておきたいのですが…。わたくしはマスターと眼が違います。眼の作りが、人間と我々では違うのですよ」
ククルは作業をしながら、サイラスに言う。
例えば犬と人間では、散歩の途中に同じものを見ていても、色の見え方が違っている。犬は二色覚(青・黄)であり、人間の三色覚(赤・青・黄)とは色に対する感度が違っている。
人間の目から見て、おいしそうな赤い木の実であっても、犬には黄色い木の実に見える。物によっては、グレーに見えることさえある。その代わり、犬は暗闇でもよく物が視えて動体視力が高い。
鳥の色覚は四色覚で、さらに紫外線も感知するといわれている。どうやら、ククルが困った顔をしたのは「翼竜の眼は人間よりも鳥に近いから」らしい。
ククルの見ている色と、サイラスやタママの見ている色は見え方が違うし、お互いに見え方を情報交換できないので、上手く説明ができないということだろう。
「わたくしは先日数字の計算で失敗をしましたので、最初から人間とは『見え方が違う』というお話をマスターにしておいた方がいいと思ったのです」
「………なるほど」
サイラスは妙に納得した。ククルカンと自分は同じ世界にいながら、まるで違う世界を見ているのだ。もしかすると眼だけでなく、耳の能力だって翼竜と人間は違っているかもしれない。
(多分見ているものも、聞いているものも違うんだ)
空を飛ぶことができて、世界を鳥瞰しながら眺めるククルは、やっぱり人間と同じではない…。
強力粉を捏ねているククルは、サイラスとの会話に気を取られておざなりに干しぶどうを混ぜている。ミッチが怒って言う。
「ククル~、ちゃんと干しぶどうを均一に混ぜてよ~?」
「うるさい、ちゃんと混ぜておるわ! 小さいことをギャアギャア抜かすな!」
ミッチの細かい注意にククルが切れかかっている。能力は高くても、ククルの雑な性格はどうにかならないのかな…。
「干しぶどうなど均一でなくとも、ぶどうパンはぶどうパンだっ!」
「それじゃケンカになるでしょ!」
ミッチも負けずに言い返す。
「お前はどれだけ貧しいんだ? このあいだは肉ミンチの大きさを揃えろとうるさく騒いでおっただろう?」
「だって、大きさが違うとケンカになるよ~?」
「ククル、ミッチの言うとおりにしなよ~」
タママまで加わってゴチャゴチャと喧嘩を始めたので、サイラスはジパングの話が中途半端になってしまった。仕方ないから、食後にまたククルと話すことにしよう…。
「やっぱり自分の目でジパングを見るのが一番だよな…」
しかし、夏休みはあっても冬休みはないのがミニヨンだ。ミニヨンは雪深い国で、冬の生活が年間を通して一番長い。短い夏を楽しむために夏季休暇はあるが、長い冬を過ごすための冬季休暇はない。
長い冬をのんびり休んでいたら、貧しい国が成り立たない。みんな休まずにしっかり働いて冬を過ごす。
(冬休みを利用してジパング旅行というわけにもいかないし、春まではお預けだなぁ…)
冬の間に屋内でできる木工細工や、編み物などがミニヨンでは盛んだ。産業というほど発展していないが、露店で細々と取引される程度は発展している。
最近、タママやミッチは孤児院の小さい子供たちのためにマフラーを編んだりしている。
孤児院の子供たちが一番悩むのは被服費なのである。服に回すお金があれば、食料に回すのが常なので、いつも継ぎはぎだらけの物を身に着けている。特に小さい子たちは、お下がりの服を着るのが当たり前なのである。
せめてマフラーやミトンくらいは自分だけの物を揃えてあげたい…と思って、タママたちはせっせと編んでいる。
「……ククルはいつも薄着だけど寒くないの?」
ぶどうパンをオーブンで焼きながら、タママは指編みでマフラーを編んでいる。
「わたしは霊力が使えるので……。まぁ、暖かい国の方が肌に馴染むのは間違いないが」
「ククルのお洋服は、上等のシルクを使っているんでしょ? 主事さまが『お下がりで子供たちの晴着が何枚も作れる!』って言ってたよ~?」
ミッチがわざと意地悪をいうと、ククルは怒りだした。
「馬鹿者、わたしの服はゴで誂えた、最上級のシルクだぞ? そこいらの安物とはわけが違うのだ!」
「ゴ…って何?」
「お前は知らんかもしれないが、東国にある進んだ国だ! いや、東国にあった、進んだ国だな。今はもうない国だから…」
ククルの目が少し泳ぐ。
「へぇ…。ゴなんて面白い名前の国があるんだね。あ、『あった』んだね?」
タママが感心したように言う。
「あたしたち、孤児だから海外には行けないんだぁ~。だから、海外のことは何も知らないの」
ミッチが肩を竦めてククルに言う。
「……そうなのか? しかし空を飛んでいけばいいだろう? お前たちの言うのは、国が許可証をくれないという意味だろう?」
タママとミッチが驚いた顔をしている。ふたりで顔を見合わせて、それからサイラスの方をチラチラ見ている。孤児なのに、ミニヨンの外に出てもいいの?
「ククル、僕がジパングに行ってみたいと言ったら、背中に乗せて行ってくれるかい?」
サイラスがククルカンに質問する。ククルは最敬礼して「もちろんです、マスター! マスターのお望みのままに」と応える。
「しかし、冬の間は無理です。わたくしひとりならともかく、生身の人間を乗せてジパングまで飛んだら凍えて死にます! かなり上空を飛んでいきますので……普通の人間では体が持ちません」
「…そうなのか」
やっぱり冬のジパング行きは無理そうだな。来年の春か、遅くとも夏にはジパングまで行ってみたいな。
サイラスがそんなことを考えていると、タママが「サイラスさま、ジパングに行く途中って、海が見られるんでしょうか?」と訊いてくる。
「当たり前ではないか! ジパングには海を越えて行くのだ!」
サイラスではなく、何故かククルが質問に答える。タママの目が海への期待でキラキラ輝き始める。
サイラスがアウソニアのお土産で貝殻を持ち帰ってからというもの、孤児院の子供たちは見たことのない海に夢中なのだ。自分たちはミニヨンから出ることが叶わない。海を見ることができないからこそ、孤児たちの憧れは強烈なのである。
「…だ、だけど……」
ミッチがわなわな震えながら言う。
「ククルはあたしのこと、背中に乗せてくれないんでしょ?」
両目に涙を溜めて、じっと堪えている。
ククルはびっくりした顔で「お前は、どれだけわたしを意地悪だと思っているんだ?」と応える。サイラスは苦笑しながら「ミッチ、大丈夫だよ。ククルは喜んでミッチを乗せてくれるから! ね?」と宥める。
ぶどうパンが焼きあがって、きのことジャガイモとベーコンの入ったスープが出来上がると、孤児院の夕食の時間だ。
食卓に着いた孤児たちはアトスという聖人にお祈りを捧げてから、食事を始める。テーブルに着いたククルは自分が捏ねたぶどうパンをふたつに割る。
焼きたてのパンはほわっと柔らかく、中の干しブドウが程よく甘かった。
「ふむ…」
ククルは自分が手捏ねしたパンがかなり気に入った様子で、隣に座ったミッチの様子を伺う。
「……おい、お前のぶどうパンの方が、中の干しぶどうが多くないかっ?」
ククルの言葉に、ミッチは目を丸くする。
「だから、あたし言ったじゃない? 干しぶどうを均一にしなさいってぇ~。ケンカになる子が絶対いるんだもの!」
ミッチは今さら文句を言うなとククルを叱るけれど、ククルは「ぶどうパンがこんなに旨いと思わなかった!」とブツブツ文句を言い始める。
「たかがパンの中に干しぶどうが入っているだけだがなぁ」
「自分で捏ねたからおいしいんだよ~」
ミッチが言う。そんな馬鹿な…とククルは思う。誰が作ろうと、料理の味なんか一緒のはずだ。くだらないことを言うな!
「あたし、ぶどうパンの上にのってるお砂糖が好きなんだぁ~」
ミッチが自慢げにククルに言う。
まぁ、孤児院で子供たちと囲む食卓は悪くない…。正直、ククルは彼らと囲むささやかな食事が好きだ。毎日必死で生きているような彼らを見ると、ククルも何だか大切な役割を与えられているような気分になる。
食卓で子供たちが聖人・アトスに祈るとき、ククルはふと神と呼ばれた昔を思い出して、自分が祈りを捧げられているような神聖な気持になる。そして柄にもなく、「この孤児たちに幸運を!」と祈りたくなるような…。
ふと隣の席を見ると、オプスキュリテの赤毛のお気に入りが座っている。この食いしん坊はいつも食べ物のことで騒いでいるので、今度マスターと一緒に大型の魔獣でも狩りに行ってやろうか。
アトス寺院の孤児たちはあまりにも貧乏くさい。ここへ来てから、毎日食べ物の心配ばかりを聞かされている気がする。
「娘のマーゴも孤児たちに世話になっていることだし、わたしもこいつらのために何かひと働きしてやってもいいかもしれない…」
ククルはそんなふうに思った。




