040 雪道行軍
「サイラスさま、アルテミスはまだですか? 僕、寒くて死にそうです」
「もうじきだ。がんばれ、タママ!」
この会話は本日七~八回目くらいだ。タママは既に七~八回は死にかけている。雪の積もった木々の間に建物がパラパラと見えてきたが、アルテミスはまだまだ遠い 。
何か温かい物でも飲めればいいのだが、日本と違ってドトールの街中には自販機もない。露店があれば、スープくらいタママに飲ませてやれるのに、冬場はみんな閉店だ。
タママは擦り切れたコートの上に、借り物の美しい毛皮のケープを纏っている。コートの下には汗を熱に変換する防寒の魔術具もつけているが、それでもやっぱり寒いだろう。
「アルテミスに着いたら、グレイスさまが温かいおいしいものを出してくれるぞ!」
「僕、おいしいもののためにがんばりますっ!」
この会話も、すでに十回近く繰り返しているかもしれない…。
(…ククルカンめ、タママをこんな目に遭わせて!)
フェンリルの毛皮を着こんでいるサイラスはともかく、タママはミッチの毛皮のケープがなかったら、本当にマズイことになっていた。ミッチに毛皮を貢いでくれたオプスキュリテに感謝だ!
これが春夏秋ならば、露店の並ぶ市が立って、旬の野菜や果物などを売っている。だがしかし、収穫の少ない冬場はほとんどの露店が撤去されている。だから、冬には日用品から食料品まで、買い物がとても困難になるのだ。
秋のあいだに用意した日持ちのする加工品、ピクルスやジャム、ソーセージや干した果物・野菜など…そういった食料で冬を乗り切るのだが、どうしても不足は出る。
そういうわけで、冬の間はアトス寺院のような……日々控えめに暮らしている人びとも、一流店のアルテミスを利用する。アルテミスは真冬でも野菜や果物が手に入る貴重な店なんだ。
「サイラスさま。フランベ、いっぱい買えるでしょうか?」
タママが目をぱちぱちさせる。多分、まつげが少し凍っているのかもしれない。雪道を長く歩いて、頬が真っ赤になっている。
「……値引き交渉が必要だね!」
言うまでもなく、サイラスたちは予算が少ないのだ。サイラスはタママを励ますようにポンポンと背中を押す。
「グレイスさまは、僕たちみたいな、つつましい人びとにも優しいと思います!」
これは希望的観測だ。ぜひともそうであってくれ!
異世界にクリスマスはないが、ニューイヤーを祝う習慣はある。そして、お正月の特別料理もちゃんとあるのだ!
日本では餅を飾ったり、焼いて磯辺巻きにしたり、お雑煮にして食べたりするけれど、ミニヨンでは〈フランベ〉という名前の焼き菓子を食べる。
フランベはマカロンくらいの小さな焼き菓子で、中に小さい魔石が入っている。この石の色で、その年の運勢を占うのだ。占いの紙が入っている、フォーチュンクッキーのようなものを想像して欲しい。
今回サイラスとタママがアルテミスに出かけるのは、この〈フランベ〉が目的だ。アトス寺院では春には花見団子、冬にはお正月用のフランベをアルテミスで一括購入する。
サイラスは今年の春に、アトス寺院の御厨改方に就任した。何だか長ったらしくて偉そうな役職名だが、実際にはまったくもって偉くない。ペーペーの新米文官(公務員)である。
御厨というのは、神様のお食事を用意する場所を意味する。もちろん、神様が本当に食事をするわけではない。その費用は寺院と併設する孤児院の子供たちを養うのに使われる。
ざっくり、「孤児院の出納を担当する公務員」と思って欲しい。
石造りの豪奢な建物に漸くたどり着いた。ここがアルテミスだ。サイラスとタママは外套の雪をパタパタと丁寧に払った。高位のお貴族様も利用するお店なのだ。エントランスを汚してしまったら大変だ。
「やっと着いたな~」
「死ななくてよかったですね! サイラスさま~」
「縁起でもないことを言うなよ? タママ」
サイラスはタママを軽く睨む。こっちはすでに一度死んだことがあるのだ。くわばら、くわばら。
雪のせいで、アルテミスが白亜の城に感じられる。(雪除けのためか?)二重になった扉の、内扉についた呼び鈴をチリンと鳴らして、しばし待つ。
橇代を節約しようと歩いたわけだが、まさかここまで寒いとは…。ちょっと……イヤ、かなり誤算だった。
「寒いですね~」
タママはハァと手に息を吐きかける。フェンリルの手袋をしていたのに、手首が少しピンクになっている。コートの袖がつんつるてんで短かったのだろうか。
東京育ちの僕からすると、恐ろしい豪雪に思える。こんなに積もるなら、主事にお金を借りてでも雪ぞりを呼ぶべきだった。
(タママはよくここまで歩いたな。…可哀想なことをしてしまった)
どういう仕掛けかサイラスには見当もつかないが、雨と雪の侵入を阻む分厚い内扉が〈キュルン〉という可愛い音とともにサッと開かれた。
「いらっしゃいませ、サイラス様!」
「いらっしゃいませ、タママ様!」
エントランスの階段に、執事とメイドが一段ごとにきれいに並んでいた。声を合わせて、サイラスとタママに挨拶をしてくる。まるでコーラスの発声練習をしているみたいだ。
執事が八名、メイドが八名。ダンサーのように背筋がピッと伸びて、とても美しい立ち姿だ。
(…何かのショーでも始まるんじゃないか?)
エントランスに入ると、外とは別世界の暖かさだ。サイラスとタママは二時間近く歩いて、足が霜焼けになりそうだった。ミニヨンの十一月下旬は恐ろしい寒さだ。
「はぁ、生き返るな~」
「えっ! ぼくたち、一度死んだんですか?」
「タママ、さっき凍死しかかっていたじゃないか」
サイラスとタママはふたりで「フフフ」と笑い合う。お互い生きていて良かったね、という笑いだ。
「サイラス様、コートをお預かりします」
「ありがとう」
執事のひとりが進み出て、恭しくサイラスの毛皮のコートを脱がせてくれる。タママも同じようにコートを脱がされて、二人のコートはクロークに預けられる。
「サイラスさま、僕のコート……大丈夫でしょうか?」
タママがもじもじ訊いてくる。タママのコートは、裏地が継ぎはぎだらけなのだ。
「気にしなくても大丈夫だよ!」
サイラスはこそっとタママを慰める。最初からパッチワーク模様だと思っていれば、どうということはない。あれは断じて継ぎはぎじゃない!
サイラス主従とは対照的に、アルテミスの従業員は上質そうな衣装に身を包んでいる。お揃いのスーツとドレスは、従業員のお仕着せとしては破格なものだ。
「この店はずいぶん福利厚生が充実しているな」
「サイラスさま、ふくりこうせ…って何ですか?」
「……えーと、アルテミスが従業員に優しいお店ってことかな?」
「へぇ…」
これがミニヨンの標準だと思ってはいけない。八ケ月近くこの世界に住んで、アルテミスはかなり特殊だとサイラスは感じている。
エントランスの照明も丸形のシャンデリアだ。……おしゃれだな! アルテミスに来るたびに毎回思うんだけど、我がドイル家よりもよほど貴族らしいよ。アルテミス商会は平民だけど、大富豪なだけあるなぁ。
「すごいシャンデリアだ!」
サイラスが思わずつぶやくと、タママが心配そうに言う。
「…お掃除が大変そうですね?」
「サイラス様、ようこそおいでくださいました」
絨毯の敷かれた階段を少女がしずしず降りてくる。
グレイスが歩み寄ってくるタイミングで、サイラスは軽くお辞儀する。
「グレイスさま、お久しぶりです!」
前回グレイスたちに会ったのは、ククルカンの調伏騒ぎの時だった。ククルのことを思い出して、ちょっとイラッとした気分になる。
「サイラス様、敬称はおやめくださいと毎回申し上げておりますのに…」
そう言いながら、グレイスは白くて小さな手を差し伸べる。サイラスは軽く握手をしながら、グレイスの手が相変わらずぽっちゃりと柔らかなことに驚く。
グレイスを見つめるタママの目がキラキラしている。タママはグレイス嬢のファンである。タママは小姓なので(残念ながら)握手はないが、彼女はタママにもにっこり笑顔を見せてくれる。
グレイスの両脇には長身の若い男性が二人、そっと控えている。お馴染みのリヒトとオプスキュリテだ。
ふたりとも眼光が強いので、(このふたり、実は用心棒じゃないか?)とサイラスは毎回思う。赤毛がリヒト、銀髪がオプスキュリテだ。
「本日は、お正月のお支度でしょうか?」
「そうです、例年と同じようなものですが…」
「…おふたりとも、お寒くありませんか?」
グレイスの言葉を合図のように、執事が暖炉に魔石を置き直してくれる。魔石を薪と一緒にくべると、暖炉の周囲だけでなく室内を均等に温めてくれるのだ。
招かれた特別室は見上げるような高い天井の部屋で、広さは学校の教室くらい。花束を模したデザインのシャンデリアが天井から釣り下がっている。左右に三つずつ、合計六つ。
(なんだか、アールデコっぽいデザインかもしれない)
重厚な据えつけの大テーブルと、革張りのソファが置かれていて、サイドテーブルでオプスキュリテがお茶の準備をしている。
普段は手が出ないような高級茶葉を使って、たっぷりのミルクで入れたロイヤルミルクティー。チョコレートに似たお菓子が添えられているが、それが本当にチョコレートなのかは知らない。サイラスの記憶では、こちらでチョコレートにお目にかかったことがない。
タママが物珍しそうに、「これは何ですか?」と質問してくる。
「これは少量のお湯で煮出してから、温めたミルクで入れた紅茶じゃないか?」
「えー? ミルクで紅茶を入れるんですか?」
「普通はお湯で茶葉を抽出して、少量のミルクを加えるだろう? これは逆で、少量のお湯で茶葉を抽出して、温かいたっぷりのミルクを加えているんだ。豪華な淹れ方だな」
「へぇ…」
「もしかすると、こっちはカカオで作ったお菓子かもしれない」とタママに教えていると、グレイスが驚いたように目を見開く。
「サイラス様は、このお菓子を召し上がったことがおありなのですか?」
あれ、貧乏貴族の倅には手の届かないような(高級)お茶セットだったかな?
「チョコレートなら、前世でよく食べました」とも言えない…。サイラスはニコッと微笑んで、「私などには過ぎたお品のようですが、ありがたく頂戴します」と頭を下げる。
タママが「夢のようですね! サイラスさま~」などと貧乏むき出しのセリフを吐くので、グレイスも何となく納得してくれたようだ。タママは僕の守護天使だな!
「エントランスでお出迎えしてもらったんですが、花祭りの時期に伺った時よりも、執事とメイドの数が多いですね? この時期はお忙しいんですか?」
「……そうですね」
グレイスはなんだか周囲を見回すようにしてから、サイラスに囁く。
「サイラス様、『共連れ』という言葉をお聞きになったことは?」
「ともづれ?」
サイラスはあっと思う。共連れというのは、入店資格がない人間が、前の人間について行ってセキュリティゲートを突破することじゃないか?
日本に住んでいた時に、共連れでマンションに侵入して女性を殺害したり、乱暴したりする事件が何度かあった。とても気分の悪い犯罪だったので、僕の記憶にもハッキリ残っている。
こっちの世界にも、共連れなんてものがあるのか⁉ 悪いヤツの考えることって、どこでも万国共通なんだな!
「前の人について行って、本来は入れない場所に入って犯罪を行う…?」
サイラスの言葉に、グレイスはコクコクうなずく。
「秋にはズーク男爵家のビスナー様の件がありました…。それで、アルテミスでも最近は不審者の侵入に気を配っております」
「あのっ、グレイスさまが狙われているんですか?」
タママが思わずというように話に割り込んでくる。グレイスのことが心配らしい。
「いえ、わたくしが特別に狙われているわけでは…」
グレイスはちょっと目をくりくりさせて笑ってみせる。
「実は、アルテミスでは時折そういった…ご予約のないお客様の来店があるのですよ。……ね?」
チラッと両隣の守り役の顔を見る。リヒトは笑いをこらえる表情になり、オプスキュリテはそっと目を伏せる。ふたりの表情がずいぶん対照的だな。
「予約のない女性が侵入してきて……接客の順番に関して、喧嘩のようになってしまうんです」
グレイスはあまり詳しい内容は話さない。しかしどうやら、店員を奪い合って女性客が揉めたらしい。
(秋のズーク男爵の事件以外にも、ここで侵入事件があったのか。…そういえば、アシモフ家のソフィア嬢がおかしなトラブルに巻き込まれた話があったな?)
コウモリ狩りに行ったときに、イサキオスが嬉々として話していたはずだ。「ソフィアと女男爵がアルテミスの用人を奪い合った」と。イサキオスは妹のソフィアが厄介ごとに巻き込まれたのを、むしろ楽しんでいたけれど。
「それは、大変でしたね」
「オプスキュリテに贈り物をするために、山ほどお買い物をしてくださる、ありがたいお客様でしたが…出入り禁止になりました」
リヒトがクスクス笑う。オプスキュリテは苦虫を噛み潰したように憮然としている。
「えっ、出入り禁止ですか?」
アルテミスを出入り禁止になるのは、貴族の間ではかなり噂になるかもしれない。
「何度もご注意申し上げたのですが、まったく聞き入れていただけなかったのです。自業自得です」
「リヒト、他人様のことを悪く言ってはいけません」
グレイスがやんわりとリヒトをたしなめる。
こちらの世界のデパートは、日本とはかなりシステムが違っている。完全予約制で、約束した日時に訪問して商談を行う。物流が少なく、基本は受注生産になるのだ。
注文時に三から四割の手付金を支払って、商品を受け取ってから残金を支払う。注文から受け取りには、それなりの日数が掛かる。
日本でも昭和の初め頃はお仕立てが普通だったようなので、サイラスが生きていた日本よりも、百年以上も前の時代と思えばいいかもしれない。
「魔術具で不審者の侵入自体は防いでおります。でも、お店を一度でも利用したことのある『お客様』の侵入は防げません。…なかなか頭が痛いです」
「なるほど」
サイラスは相槌をうつ。
「魔術具で『不審者の範囲設定』を正確に設定するのが難しいのです。出禁扱いにすると瞳を登録しますので、もう侵入はできません」
赤毛のリヒトが説明する。これだけ美形の店員がいると、サイラスが思う以上にトラブルが多いのかもしれない。
日本でもストーカーのニュースはよく見聞きしたからなぁ…。




