039 ジパングはどこだ?
霊力というのはありがたいものだ。ククルカンを完全に掌握してからというもの、サイラスの生活は驚くほど便利になった。
モーニングコーヒーと一緒に、黙っていても新聞(ミニヨンでは週に二~三回発行)が出てくる。どこかに出掛けたい時には、ククルの背中に乗ってポーンと「飛んで」行ける。うん、便利だ。
今は冬なので、北海道くらいの気候のミニヨンでは、三日と空けずに雪模様だ。雪の降らない晴れた日でも、常に雪が残っている。雪掻きの行き届かない田舎道ほど、交通の便が悪くなるのだ。
アトス寺院は町外れにあるので、冬場の不便さは筆舌に尽くしがたい。
ククルのお陰で空路が使えるので、サイラスの負担は極端に軽くなった。その代わり、空を飛ぶので防寒には力を入れないといけない。
サイラスにはイサキオスから贈られたフェンリルの毛皮があるが、小姓のタママには継ぎはぎの擦り切れたコートとフェンリル製のミトンしかない。
(どうしたものか…)とサイラスが頭を抱えていたら、ミッチが「あたしのを貸してあげる、タママ」と綺麗な毛皮のケープを差し出してくる。
「ええっ? これ、どうしたの? ミッチ」
サイラスが思わず訊くと、ミッチは少しもじもじしながら答える。
「オプスキュリテが、あたしが風邪を引くといけないって。贈り物なんです…」
茶色いふわふわの毛皮に、ミッチの赤毛と同じ赤いリボンが付いていて、さらにミッチの青い瞳の色と同じビジューのブローチがついている。手の込んだデザインのケープだった。
慎ましく暮らしている孤児院の女の子に、毛皮のケープをプレゼントするオプスキュリテの価値観に絶句したが、「風邪をひくといけない」以外は何も考えていないのだろう…。
とにかく、あのオプスキュリテに貢がせているのは凄いぞ! ミッチ!
「オプスキュリテって、アルテミスの男の人? ミッチは知り合いなんだ?」
「うん、まぁ…ね」
「こんな素敵なものを借りてもいいの? 僕、汚さないように大切に使うね!」
「うん」
ふたりはニコニコ笑いながらおしゃべりをしていた。タママとミッチは相変わらず仲が良いな。サイラスはそんな様子を微笑ましく思っている。
「ふ~ん、これがオプスキュリテの贈り物か?」
ククルはジロジロ眺めまわして、毛皮についているビジューにダメ出しを始めた。
「おい、なんだそのガラス玉は? 本物のサファイアを使った方が良いだろう? オプスキュリテにそう言ってやろうか?」
本人は親切のつもりらしいが、ミッチに思いっきり嫌な顔をされている。
「ククル、ミッチに絡むなよ。ミッチを虐めるなって、僕はもう何度も言ってるよな?」
サイラスたちは孤児院の台所にいて、サイラスとククルは食後のコーヒーをゆっくり飲んでいた。ミッチとタママは乾燥させたきのこを水につけて、戻す作業を始める。冬場は加工品の食料が多くなるので、台所での手間が少し増えるのだ。
「マスター、何をおっしゃっているのやら? わたくしはこの娘が、偽物のガラス玉なんぞでオプスキュリテに騙されそうになっているのを注意したまでのことです」
「そういう商品なんだよ、ククル」
「……しかし、本物のサファイアの方がよろしいでしょう?」
ククルがあからさまに不満そうな顔をする。
「贈り物っていうのは、受け取った人が喜んでくれるものが一番なんだよ。サファイアがいいか、青いビジューがいいか、ミッチの心が決めることなんだ」
ククルは少し考え込んで、「……私の贈り物は、ソフィアさまに喜んではいただけなかったのでしょうか?」と呟いた。
どうやらククルカンは、まだソフィアに対する未練が残っているらしい。わざわざミニヨンまで乗り込んできて求婚するくらいだから、相当入れ込んでいるのだろう。
サイラスは苦笑して、ククルの肩をパンと軽く叩く。
「ソフィアさまは宝石やお金なんかじゃ口説けないよ。だって、お金ならたくさん持っているんだから…」
「それじゃ、どうやって求婚したら良いのでしょう?」
ククルの目つきは真剣そのものだ。「そうだなぁ…」サイラスは腕組みして「ソフィアさまのお好きなものは、まず第一に植物だな!」と答える。
「わかりましたっ! ソフィアさまは、ジパングの植物にとても興味を持っていらした。ジパングの花をお持ちして、わたくしからの贈り物にしましょう!」
ガタッと椅子から立ち上がって、ククルが意思表明をする。
「花を贈られて喜ばない女性はいないっ!」とククルは自信満々な口ぶりだ。
「……ククル。きみは『ジパング』から花を持って来ることができるの?」
サイラスは驚愕の表情になっている。ククルはジパングを知っているのか?
「もちろん! わたくしはジパングの王族ではありませんが、翼竜の姿でジパングの上空を飛んだことなら、幾度となくあります」
ククルは当たり前の口調で言う。ジパングから花を持ってくるなど、何ということもない…という口調だ。
「……ジパングは、ニッポンなのか?」
以前ククルカンにぶつけた質問を、サイラスは再び繰り返す。
サイラスの質問に、ククルは首を横に振る。
「マスター、わたくしはその答えを知りません。わたくしはニッポンを知らないのです。ジパングはこの世に実在する国ですが、ニッポンはしょせん伝説上の国ですから」
(ニッポンが伝説上の国? どういうこと?)
「マスター、わたくしの力を以てしても、ジパングまで行って戻ってくるには二日程度は掛かるでしょう。ソフィアさまにお花を贈りたいので、二日ほどお休みを頂けませんか?」
「おい、ククル! いくら何でも行動が自由すぎないか⁉」
こいつ、今度こそ完全に掌握されたんだろう? マスターである僕を放り出して、ジパングまで行くつもりかっ?
ククルを叱ってはみたものの、サイラスもジパングは気になる。
「ちなみに…ジパングってどこら辺?」
こちらの世界地図を引っぱり出してククルに聞いてみた。地図があまりにも不可思議なので、見ただけではサイラスには良くわからないのだ。
まず、この世界の地図は二枚の平面地図で描かれている。地球儀のような球体の地図は存在していない。一枚目の地図がミニヨンの存在する西方地図、二枚目の地図がジパングの存在する東方地図だ。ただし、この東方地図はククルに言わせるとかなり不正確らしい。
地図は上が北、下が南で描かれていて、西方地図と東方地図の二枚組でワンセットになる。地図の四方には海があり、大きな滝つぼのようなものが存在している。海の波が引いたり満ちたりするのは、この大きな滝に水が吸われたり吐き出されたりするから…らしい。
東方地図の最東端の海上を指さして、「このあたりにジパングは浮かんでおります」とククルは言った。
「……この地図だと陸地じゃなくて、海になってるね」
サイラスは地図上の海の辺りを見つめる。最東端の海上か……。
「人間の作る地図は、あまり正確ではございません。空から鳥瞰できませんから」
ククルは軽く頭を振る。鳥瞰…か。空を飛べるククルならではの意見だな。
「わかった。ジパングに行くために二日だけお休みをあげるけど、アルテミスに出掛ける日までに戻って来てくれないと、僕とタママが困るからね?」
三日後にアルテミスに冬の買い物に行くのだが、ククルの背中に乗せてもらえないと大変なことになるのだ。アルテミスまで、雪道を歩いて行かないといけなくなる!
「冬場は露店はお休みだから、アトス寺院もアルテミスで買い物をするんだよ」
「マスター、ここからアルテミスまでは10キロはあるが? 子供の足で歩くにはいささか遠くないですか? 橇は使わないのですか?」
ユウキ叔父がいた頃は、冬場は自腹で橇を使っていたと言っていたはずだが、最近はどうしていたのか記録がきちんと残っていない。担当文官がすぐに交代になっていたので、帳簿の記載も適当になっている。
橇を使いたいのはやまやまだが、鹿の引く冬ぞりは高いのだ。雪道を走るのに、馬車よりも便利なのは間違いないが、料金は馬車の二倍から三倍はする。
「冬のそりは高いんだ、馬車よりもずっと!」
サイラスが口を尖らすと、ククルカンは呆れたような顔になる。
「マスター、そんなにお金に困っているのですか?」
信じられない、という顔をしている。貴族だって普通に貧乏人はいることを、ククルは知らないのだろうか。
「ククル、アルテミスの買い物までに絶対に戻って来てよ? 僕、橇代を自腹で出せるほどお小遣い残っていないから!」
夏休みにイサキオスたちとアウソニアに冒険に出掛けたので、サイラスのお小遣いは空っぽだ。いろいろと買い揃えるものがあったし、オリバーと一緒にユウキやシャーロッテに手土産も持参した。さらに、アウソニアではシオドアにお土産も購入した。
それだけ価値のある楽しいバカンスだったのだが、当分の間サイラスは貧乏生活だ。社会人一年生なので、今まで貯金らしいものもなかったのだから、仕方がない。
★
サイラスが異世界転生して、八ケ月弱になる。日本なら街にジングルベルの音楽が流れ始める時期だろう。けれど、異世界にクリスマスはない。どうやらここにはイエス・キリストが生まれていないらしいから…。
おいしいクリスマスケーキも、華やかなクリスマスツリーも、ごちそうの七面鳥もシャンパンもない。厳かな讃美歌のコーラスもなければ、家族や友人との贈り物の交換もない。
(…はぁ、なんだか味気ないな。別にクリスチャンじゃないけど、僕はクリスマスの雰囲気は大好きなんだ!)
まぁ、日本の僕の家では七面鳥ではなく、クリスマスには ケンタッキー・フライドチキンを食べ、シャンパンではなくシャンメリーというカワイイ炭酸飲料を飲むんだけど。
日本にいた頃、クリスマスケーキを切るのは手先の器用な僕の役目だった。ゆうきがいなくなって、今は誰がケーキを切り分けているんだろう…。そんなことを考えて、サイラスはちょっと悲しくなる。
(自分でいうのもなんだけど、人の命って儚いなぁ……)
雪道を歩きながら、サイラスは「ジングルベル」のメロディをハミングする。歩くたびに右手に持っている錫杖がシャラシャラいうので、何だかベルを想像してしまうのだ。
「えっ? サイラスさま、何ですか?」
小姓のタママはサイラスに何か話しかけられたと思ったらしい。ハミングしただけで、特に何も言っていないから空耳というやつだ。
「クリスマスシーズンになると、イエス・キリストの偉大さを思い知らされるんだよ」
「……サイラスさまのご友人ですか?」
えっ、まさか? 相手は神様なんだから。
「友人なわけないだろう? まぁ…知人くらいな感じ?」
「貴族の中でも、かなり偉い方なんですね!」
「…イサキオスさまより偉いのかな?」とつぶやくタママの声が聞こえる。
イエス様は神様だから、ミニヨン国王なんかより偉いのだが、残念ながらこの世界軸には存在しない方だ。この世界にイエス様は生まれなかったらしいが、クリスマスシーズンに相応しいので「聖書物語」を道すがらタママにおしゃべりする。
「えっ、イエスさまは水の上を歩いたんですか?」
「イエス様は普段から鍛錬をなさっているんじゃないか? 普通の人間にはムリでも、イエス様には力があるんだよ。まず右足で水面を強く蹴って、溺れる前に今度は左足で強く水面を蹴る! そして、溺れる前にまた右足で強く水面を蹴る! それの繰り返し…」
理論上は、これで溺れずに水上を歩けるはずだ。………理論上は。
「え~、ぼくにはムリです!」
「鍛錬だよ、タママ」
「なんてすばらしいんでしょう、イエスさま」
「素晴らしいよね! 神様であり、世界一のアスリートだよ!」
サイラスとタママはイエス様が湖上を歩いたとか、モーゼ様が海を二つに割ったとか、聖書の伝承を話しながら、雪道を歩いている。サイラスとタママの中ではイエス・キリストはサッカーのスター選手みたいなスーパーアスリートになってしまった。
美しい一面の雪景色。景観を損なう電信柱もない。それこそ、民家さえない。人口密集率が日本とはまったく違うんだろう。
見渡す限り、木々と雪だけ。雪の彫刻のような木の枝を見ながら、一度も行ったことのない「さっぽろ雪まつり」を思い出す。
あぁ、生きているうちに一回くらい行ってみればよかった。タママにピ…チューの雪像を見せてあげたら、すごく喜ぶだろうな! 可愛いものが大好きだから……。
一面の雪景色の中で、サイラスは大声で叫ぶ。
「僕の小姓はもうタママだけでいいよーー! 僕らを捨てて帰ってこないククルなんか、どうでもいいっ! ククルのバカやろーーう!」
ククルめ、約束したのにとうとう帰ってこなかったじゃないか! おかげで僕とタママは雪道を苦労して歩くことになったんだぞっ!
サイラスとタママは雪の中、10キロ近く歩いてアルテミスに行く途中である。なんと片道10キロも離れた店が、最寄りの商業施設なのだ!
日本時代、コンビニエンスストアという超便利なものに囲まれて暮らしていたサイラスは、この世界に転生した当初、発狂しかけた!
……イヤ、ごめんなさい、さすがに嘘です!
だけど今は、ククルカンの裏切りで本当に発狂しそうだよ! ククルめ、ミニヨンの交通事情はすごく過酷なのに、僕とタママを見捨てたな? 裏切者め!
(ククル! お前、二日で戻ってくるって約束したくせにっ!)




