038 兄上の縁談
ククルカンを連れて実家に戻るのは気が引ける。サイラスはタママをお供にしてドイル家に戻った。ククルカンのような〈並外れた小姓〉を連れて行ったら、シオドアに心配されるのは間違いない。
(なにせ、ククルの外見は『ほぼ王族』だからな。あんな裾を引いた高価そうな服装だし…。あんなの連れて帰れないよ…)
シオドアはなかなか繊細な性質で、小姓のサムが刻んだ薬草を胃腸薬として常用している。ククルなんかを連れて行ったら、毎朝飲む胃腸薬の量が増えてしまうだろう。
サイラスはイサキオスから預かったフェンリル製の毛皮を、少しでも早くオリバーに見せたかった。
「オリバー、見て! イサキオス様からの頂き物…」
ちょっとお行儀が悪いのだが、挨拶もそこそこに、サイラスは大きな箱からフェンリルのコートを取り出す。オリバーとノラは目を丸くした。
「まぁ、サイラス様! これはアルテミス製のコートですか? 立派なものですねぇ~」
ノラは襟の後ろに縫いつけられたタグを確認している。ミニヨンではアルテミス製というのは一流品である証だ。
「これ、サイラスが狩ったフェンリルで仕立てたものかい? すごいじゃないか!」
フェンリルは灰色狼なので、基本はグレーのコートなのだが、縁取りに黒い生地が使われて、金色の刺繍と金ボタンが使われていた。これはオリバーの金髪に合わせたデザインらしい。
サイラスのコートには、水色の髪の色に合わせた青糸の刺繍が入っている。おそらくイサキオスのコートにも、髪の色や瞳の色に合わせた工夫がされているだろう。
「僕一人じゃ、フェンリルなんか狩れなかったよ。イサキオス様の小姓タニタのお陰だよ! タニタはエッグハントでも大活躍だったし、狩りの凄腕だよね! こんなのを着ていると、僕たちまるで高位貴族みたいじゃない?」
オリバーの小姓ライがいそいそと姿見を運んできて、オリバーは鏡の前でコートを合わせてみる。毛皮のコートというだけで充分豪華なのに、これは魔獣の毛皮を使っているのだ。
「フェンリルの毛皮を着ている人なんて、伯爵以上でもなかなかいないよ」
「上品だよね、デザインが。さすがイサキオス様がオーダーしただけあるよ」
サイラスとオリバーのふたりは無邪気に喜んでいる。
フェンリルは魔獣なので、高位貴族でもなかなか手に入らないコートだ。タニタの活躍で、サイラスたちまで素晴らしいものを手に入れた。
サイラスとオリバーは口ぐちに感嘆の声を上げたが、一番目を見張っていたのは、実はタママだった。余ったフェンリルの毛皮で、オリバーの小姓ライとサイラスの小姓タママに冬用のミトンが作られていたからだ。
「…サイラスさま、これ、本当に僕のなんでしょうか?」
「大きなフェンリルが三頭も狩れたからね! 思ったよりもたくさん毛皮が取れたって、リヒトが言っていたよ。無駄なく利用しないと、亡くなったフェンリルの命に申し訳ないだろう? イサキオス様もそうおっしゃっていたよ」
サイラスたちがワイワイ騒いでいると、奥からシオドアと小姓のサムもやって来た。
「ずいぶん賑やかだと思ったら、帰っていたのか? 今日はこちらに戻る予定ではなかったろう?」
サイラスとタママの姿に、シオドアが驚いている。
「父上、ただいま戻りました! アシモフ家に所用で出かけたら、イサキオス様から頂き物をしたのです。僕、早く兄上にお見せしたくて…」
フェンリルのコートを見たシオドアは、今年の花祭りで初めて舟遊びをした時と同じような表情になる。ちょっと困ったような、何だか落ち着かないというような…。
「…イサキオス様は、お前たちに本当に良くしてくださるな」
「魔獣の毛皮など、いったいどれくらいするものでしょうか? 高価なものでしょう…」
サムも顔が強張っている。シオドアとサムの主従は、長年一緒にいるだけあって、性質まで似てきたのかもしれない。
「イサキオス様はオリバーが大好きなんです。オリバーが姉君だったら、今頃は玉の輿に乗っていたでしょう!」
サイラスがふざけて笑い話にする。シオドアがフッと笑いながら、オリバーを横目で見る。
「実は、そのオリバーに縁談が来ているんだよ」
「えっ!」
「オリバーさま、結婚するんですか?」
サイラスとタママは驚きのあまり、オリバーにギュッと抱きついてしまった。
「ハハッ、まだ結婚するとは限らないよ。あくまでも婚約の打診だよ!」
オリバーが笑いながら応える。それでも我が家の大ニュースだ! サイラスとタママはいきなり興奮状態になる。
サイラスは歴代のオリバーの彼女を思い浮かべてみる。オリバーはモテるのだ。どの女の子も、美人で性格が良かった。オリバーが結婚するなら、彼女たちに負けないくらいきれいで優しい姫君であって欲しい。
ナンダカンダと言っても、オリバーも今年で十八だ。貴族のお世継ぎ様の結婚は早いので、縁談話が来てもまったくおかしくない。長子がお世継ぎとして、蝶よ花よと大切に育てられるのは、家名を継ぎ子孫を残すという目的のためだ。
「お相手は、どなたでしょう?」
僕の知っている方でしょうか? サイラスは興味津々でシオドアに聞いてみる。
シオドアはチラッとオリバーの顔を見る。オリバーは素知らぬ顔をしていた。
「……クロフツ伯爵家の三女で、コンスタンツェさまだ」
「えーー?」
(クロフツ伯爵? ドイル家が、伯爵家から姫君を迎えるのか?)
コンスタンツェさまは、貴族学院時代のオリバーの仲良しグループのひとりだ。たしか、黒髪の楚々とした美人だった。それでも、オリバーと個人的なお付き合いをしたことはなかったはずだ…。
「あの、伯爵家の姫君が、我が家に嫁いでくるんですか? そんなことがあるんですか?」
サイラスが遠慮のない感想を述べると、シオドアは苦笑する。
「最初お話をいただいた時に、私もそう申し上げたんだ。その、『伯爵家と当家では、家格が釣り合いません』と…。親戚付き合いをするにしても、クロフツ伯爵家と我が家ではなぁ…」
ドイル家は男爵家の中でも、あまり裕福な家ではない。所有している土地が田舎寄りで、さらに悪いことに耕作には適していない。しかたなく、文官(公務員)として任官して糊口を養っている惨状だ。
それに比べて、コンスタンツェのクロフツ家は再開発の進んでいる土地をたくさん所有している。商業地に土地を持っているために、商人との繋がりもできやすく現金収入も得やすいだろう。伯爵家の中でも、比較的裕福な貴族である。
貴族の婚姻は、ほとんど家格で決まるのだ。だから、クロフツ伯爵家の縁談話はかなり珍しいのである。わざわざ身分が下がる縁組を喜ぶ者はいない。
もちろん、それでも一緒になりたいと願う者たちはいる。しかし、それは自由恋愛で結ばれる者たちであって、釣り書きを持ち寄るような縁談ではありえない。
「兄上はこの縁談をどう思っていらっしゃるのですか?」
サイラスはわざと改まった口調で、当事者のオリバーに訊いてみる。
「うーん、そうだなぁ。……将来的には破談になるんじゃないか?」
「えっ?」
オリバーはハハハッと笑いながら、「だって、ドイルとクロフツ家では、どう考えても家格が釣り合わないだろう?」と言う。
「コンスタンツェさまが、お気に召さないのですか?」
「いや、コンスタンツェさまは可愛い人だよ」
「だったら、良いお話なのではないですか? 相手は伯爵家ですよ!」
「これはコンスタンツェさまに負担の多い縁談だよ。彼女の家族はみんな心配しているんじゃないか? 彼女は末っ子で、家族に可愛がられているんだ」
オリバーは明るい金髪をかきあげて、「コンスタンツェさまは、ただ恋愛がしてみたかったんじゃないかなぁ…」と呟く。
「友達の恋物語を羨ましそうに、微笑みながら聞いているような女の子なんだよ。恋愛への憧れが、自分に優しく接してくれる身近な男に向かっているんじゃないかな」
「そういう女性につけ込んで結婚するのは、あまり気に染まないなぁ」と肩をすくめる。我が兄ながら、オリバーはフェミニストなんだよな。
「それでは、お断りするのですか?」
サイラスはつい口を尖らせてしまう。せっかく相手がオリバーを好きだと言っているのに…。
「まさか! 私がそんなもったいないことをすると思うか? コンスタンツェさまはなかなかの美人だぞ? 彼女が納得するまで、恋人役を務めるよ!」
「……へぇ」
「コンスタンツェさまと観劇に出かけたり、食事をしたり、今のところ楽しく過ごしているよ。イサキオス様に勧められて、クロフツ伯爵家と『求婚契約書』も取り交わしたよ!」
「えっ、求婚契約書?」
「あぁ、アシモフ家のソフィアさまも、求婚者たちと契約書を交わしていると言っていなかったか? じつはクロフツ家との婚約話は、春先に持ち込まれたんだ。僕の縁談話を聞きつけたらしくて、後で両家が揉めないように、しっかり求婚契約を結んでおけとイサキオス様に言われたんだよ」
あぁ、それでオリバーは求婚契約書のことを知っていたんだな。サイラスは今になって腑に落ちた。
「しっかり求婚契約も結んだし、あとは『なるようになれ』だよ、サイラス」
「なるようになるといいですね~! オリバーさま~」
オリバーとタママは仲良く笑い合っている。
呑気な兄の様子に呆れながら、(貴族同士の縁談って、こんなにお気楽でも大丈夫なのか?)とサイラスは心配になる。
主従の僕よりも、タママはオリバーと馬が合うのかもしれない。お気楽コンビという点で…。
「サイラス、タママ。今日は泊っていくんだろう?」
「はい、そのつもりです!」
父と兄に誘われて夕食の席につくと、供された料理にまた驚いた。今まで食卓に並んだことのないような豪華な料理が並んでいる! ど、どうしたんだ、ノラ?
そして、なんと銀食器が使われている! 貴族でありながら、我が家では(毒殺除けの)銀食器を使ったことがない。そんな必要性を感じたことがないのと、主に経済的な理由で銀食器ではなく陶器の食器が使われていたのだ。
いったいどうしたんだ、この銀食器は? 銀食器に盛られた豪華な煮込み料理を前にして、サイラスは固まっている。
「………これは?」
「ホロホロ鳥のナントカ…?」
オリバーがあやふやな答えを口にする。
「こちらのスープは、クロフツ伯爵の領地で採れる銘柄野菜を使っているらしい。私は詳しくないので、詳細はシェフに聞いてくれ」
シオドアの説明もなんだかハッキリしない。そもそも、我が家にシェフなんていただろうか? 食事の用意も給仕も、下働きのノラがひとりで担っていたはずだ。
「あの、クロフツ伯爵家から食材を頂いたのですか?」
「まだ縁談がまとまったわけではないし、けじめとしてお断りしているのだが…」
シオドアが何とも困った顔をしている。これはさすがに困るだろう。
「おいしいですっ! ノラさん、すっごく腕をあげましたね!」
今日はお客さま扱いになるので、タママもみんなと同席して食事をするのだ。タママは真っ赤な顔でご機嫌になっている。
「まっ、ノラが作ってるわけじゃないけど、旨けりゃ問題ないよな?」
タママとオリバーはキャッキャと笑い合っている。
(もしかして、食材だけじゃなくて…この銀食器も、料理を作っているシェフも、全部クロフツ伯爵家の……?)
オリバーは「いつか破談になるだろう」程度で受け流しているけれど、コンスタンツェさま側はかなり本気なんじゃないだろうか? 我が家にシェフまで送り込んできているなんて、並々ならぬ情熱を感じる。
男を落とすには、胃袋を握れ!
個人的にはあまり好きな言葉ではないんだが、どこの世界でも通用するセオリーなのかもしれない。供された食事はどれもおいしかったし、タママなんかは既に落とされて、「僕はコンスタンツェさまを応援します!」と宣言していた。
タママの応援は、オリバーにはそれなりに有効なんじゃないか? だって、ふたりはかなりの仲良しだし。




