035 新しい小姓
「最初に言っておくけど、小姓としてククルよりもタママの方が先輩だ。わからないことがあったら、礼儀正しくタママに訊いてね!」
孤児院の台所の隅に立たせて、サイラスはククルに言い聞かせる。
ククルは美しい緑の髪を高く結い上げて、派手な髪飾りまでつけている。金色の瞳を煌めかせて、形の綺麗な爪には金色のマニキュアまで塗っている。整った容姿は、まるでどこかの国の王族のようだ。
「イエス、サー」
ククルは腕組みして、不機嫌そうに応える。う~ん、調伏したはずなのに、いまひとつ従順じゃないんだよなぁ。
ククルのふてぶてしい様子を見て前途多難になる。そういえば、翼竜は神経質で人には懐かない性格なんだっけ…。
「サイラスさま、新しい小姓を雇ったんですか~?」
タママは驚いている。ドイル家の経済状況を心配しているのだろうか? しかし、ククルは無給なので「雇った」といって良いものか。
「…ずいぶんお金持ちそうな小姓ですね!」
ミッチがククルの派手な服装に言及する。何とかしたいのだが、ククルはシルク製のゴージャスな服しか持ちあわせていないのだ。ククルに新しい服を買ってやれるほど、サイラスは金持ちではない。
夏休みのエッグハントで、ドイル家にも大きな臨時収入が入った。しかし、これから翼竜を育てるための食費が掛かるし、数年先にはお世継ぎ様であるオリバーの結婚資金が必要になる。
高位貴族も下位貴族も、お世継ぎ様は家のために子孫を残すことが至上命令なので、結婚が早いのだ。今年十八のオリバーも、二十歳を越えたら結婚しないと周囲に心配され始める。
「服をなんとかしなきゃいけないけど、買い替えるのは無理だなぁ~」
サイラスはククルを見て、頭を抱える。
「ふふっ、まるで王様みたい…」
裾を長く引いた服を見て、ミッチが苦笑する。
「イサキオスさまよりも、高そうな服を着てますね」
「……お前がオプスキュリテのお気に入りか?」
ククルはミッチの赤毛と、首から下げている小さな貝殻のネックレスを見て、そう決めつけた。
「ふん、まぁまぁかな…」
ククルはミッチを頭の先から足先までジロジロ眺めて、そう言った。ミッチはなかなか可愛い女の子なので、ケチのつけようがなかったようだ。
「おい、ククル。オプスキュリテと闘って負けたからって、ミッチに意地悪したら許さないよ?」
サイラスははっきり言った。ちゃんと孤児院の子供たちを守らなければ! 最初が肝心だから、ククルにはガツンと言っておくぞ!
「負けてはおらんわ! オプスキュリテとは引き分けだ!」
ククルの金色の目が妙にギラギラしている。
やっぱり闘ったことがあったんだ。オプスキュリテもリヒトも、翼竜と闘ったことがあると言っていたらしいからな。
「六対四で引き分けだ!」
「六対四なら引き分けじゃないだろう? どっちが六なんだよ?」
サイラスは厳しく追及する。
「オプスキュリテだ」
もしかして、ククルは算数が苦手なのか? これから市に買い物に行ったりするんだから、足し算引き算くらいはマスターして貰わないと困るぞ?
「ククル、僕の小姓として、必要最低限の勉強はしてもらうからな!」
「勉強…だと?」
タママはククルのために石板と石筆を持ってきて、サッとテーブルに置く。
「これで毎日お勉強するんだよ、ククル! 足し算と引き算ができないと、露店でお買い物する時に困っちゃうよ」
そうだ、ククルに大切な仕事を教えておかなきゃな。サイラスは孤児院の中庭にククルを連れて行く。孤児たちと一緒に作った小さな厩舎が置かれて、中にはヨチヨチ歩きのマーゴがいる。
アシモフ家はアルテミスに発注して、(ヴィンセント用に)職人が作った立派な厩舎を使っているが、生憎ドイルにはそんな余裕はない。オリバーとサイラスと孤児たちが、ワイワイ言いながら厩舎を手作りしたのだ。なぜかイサキオスまで【視察】に来て、タニタと一緒に手伝ってくれた。
「お、おっ! 娘よーーっ!」
ククルは涙ながらにマーゴに抱きついたが、マーゴは「ぷに?」と鳴きながら全力で拒否している。マーゴにしてみたら、見知らぬオッサンにいきなり抱きつかれたようなものだ。
マーゴは「ぷに、ぷに」と叫びながら、頭でっかちの体を必死で動かして、サイラスの背後に隠れる。ククルは正真正銘マーゴの父親なのだが、マーゴにわかるはずもない。
「マーゴが嫌がってるだろ! 勝手に触るな、ククル!」
マーゴの肌はまだ柔らかくて、少し赤っぽいピンク色だ。翼竜の赤ちゃんは体のバランスが悪いところが絶妙に可愛い。
「何故だ、娘よっ! 父がわからんのかっ!」
ククルがマーゴに自分は父親だと必死に説明(?)しているが、マーゴは冷淡な反応だ。マーゴは孤児院の子供たちを自分の親だと認識している。
サイラスは一日一回厩舎を掃除することを説明して、ククルに掃除のやり方を教える。マーゴの食事は孤児たちが当番制を組んでやっている。
ミニヨンでは魔魚は手に入らないので、川魚のつくだ煮に吸血蝙蝠の魔石を混ぜて食べさせている。
「そ、そうか。娘はみなに大切にされているのだな…」
ククルはマーゴを強引に抱きしめて、「ぷにっ!」と嫌がられている。
「あのさ、翼竜は生後一年くらいで飛ぶようになるって本当なの?」
「そうだな。個体差があるが、一年から一年半くらいか。…娘は私が手ほどきして、飛ぶ練習をさせてやろう!」
ククルは目標を見つけたようで、目を輝かせている。
「孤児たちを背中に載せて飛び回れるように、練習して欲しいんだ」
「構わんが…」
ククルは少し躊躇ってから、サイラスに言う。
「サイラス、お前は私を縛るにはまだ霊力が弱い。私は公明正大でいたいから、お前に告げておこう。お前は真名で私を縛ったが、その繋がりはごく弱いのだ」
「そ、そうなの?」
ククルは困ったような顔になる。
「…お前は霊力によって私の真名を得たのではないだろう?」
え、たまたまククルカンがアステカの神・ケツァルコアトルだって、知っていただけですけど…?
「霊力によって私の真名を得たのなら、繋がりはもっと強固になるはずだ。しかし、私にはそれがまったく感じられない」
「力不足ですみません…」
サイラスはククルに謝ってみる。ケツァルコアトルは神さまだ。サイラスなんかより、実のところずっと霊力が強いんだろう。
「あの~、それじゃ、僕から逃げることも可能なんじゃ?」
「できるのだが……。私とお前の繋がりを断ち切るには、お前を殺さねばならん」
「えっ!」
殺されるのは困る! 僕は一度死んだことがあるので、命を人一倍大切にしているのだ。軽々しく命を捨てることはできないぞっ!
「そ、それは無理!」
サイラスがじりじり後ずさっていると、ククルが言葉を重ねる。
「私が言いたいのは、霊力以外の方法で、安易に相手を縛るのは危険だということだ。生兵法は怪我の元だ。私は悠久の時を生きるので、お前の死ぬのを待ってやるが、すべての者がそうするとは限らん」
「わ、わかりましたっ!」
最敬礼でサイラスは応える。何だかククルと力関係が逆転した気がするが、この際仕方ない。
「そ、それじゃ、六対四で引き分けということにしませんか?」
「…引き分けか」
「僕が六、ククルが四で引き分けに」
「ふむ、よかろう」
うん、やっぱり算数が苦手みたいだな、ククルカン…。
★
「これで書類の不備はございませんか?」
主事がサイラスに書類を提示して確認する。
「多分、大丈夫だ。そうだ、来週イサキオス様が【視察】に来たら、書類を最終確認してもらおうか?」
イサキオスは優秀なので、書類仕事などはお茶の子サイサイなのだ。僕と主事のために、その才能を大いに発揮してください。
サイラスと主事はこの秋から、ささやかな孤児院改革に取り組んでいる。翼竜が孤児院にやってきたことによって、少しだけ副収入の道が開けている。
翼竜のお世話をして、将来的に孤児院内で翼竜の繁殖ができないか? と考えている。翼竜は神経質な生き物なので、上手く繁殖できるかわからないけれど、なにせ翼竜は高価だし、少しでも増やせればミニヨンにとって大変プラスになる。
この事業にはアウソニアのクリスティ公爵家が協力してくれる。もちろん、アシモフ公爵家のイサキオスの協力も取り付けてある。
「翼竜をミニヨンで繁殖させられたら、物流がどれだけ便利になるだろうか? 陸路が完備されていないミニヨンで、空から物が運べるのだからな!」
イサキオスは期待に満ちた表情をしていた。
秋から始めた孤児院改革には、子供たちの待遇改善策も盛り込まれている。
「十歳以上の少女は髪を売らなくても良いように、規則を変更しようと主事と相談しているところなんです」
「それは…」
驚いた様子のイサキオスに、サイラスは説明する。現状、孤児院では予算の不足を補うために、子供たちは髪の毛を売っているのだ。孤児たちの髪は加工されて、金持ちのおしゃれ向け鬘になる。
「実は、春の終わりに孤児院からいなくなった女の子がいました…。先月の終わり頃、その子が急に戻って来たんです。ほんの四、五ケ月くらいだけど、孤児院からいなくなって、どこにいたのかさっぱりわかりません」
戻って来たミッチは髪が長く伸びていた。彼女の美しい赤毛を見た時、サイラスと主事はハッとさせられた。
孤児院に戻ったミッチは、また髪を短く切ることになる。そのことを、サイラスは初めて哀れに感じた。今までまったく見えていなかったことが、ふいに「見えた」ような気がした。
上手く説明できないけれど、彼女が孤児院から逃げ出した理由……ミッチが「何を悲しんでいるのか、何に苦しんでいるのか」の一端を垣間見たような気がした。
外の子供たちと違って、孤児院で暮らす女の子たちが、髪の毛さえ自由に伸ばせないということ。そして、〈たったそれだけのこと〉が、ミッチたちにとってはきっと重いことなのだと気づかされた。
「平民の少女は、十歳を過ぎると髪を伸ばし始める子が多いんです。ミニヨンでは、年頃の女性は髪をいろいろ工夫しますからね。子供の頃は、男の子も女の子も髪型なんてさほど気にならないと思います。でも、市場にお使いに出される年齢になれば、嫌でも外の子供と自分の違いに気がつきます」
サイラスは少し目を伏せた。
「市場に買い物に行くたびに、周囲から孤児だと見られるのは、あまり気分の良いものではないでしょう。女の子は繊細ですから…」
それで、サイラスと主事は遅ればせながら孤児院改革に取り組み始めた。ミッチのような子供が、少しでも悲しみから遠くいられるように…。
「私たちの知らない不幸が、まだまだ世の中にはたくさんあるのだなぁ…。すべての子供たちの重荷を負えるわけではないが、少しでも助けてあげたいものだ」
イサキオスはしんみりした気分になって、そう言った。
孤児出身の主事は、そんなイサキオスのためにいそいそと紅茶を淹れ、カップにジャムを多めに落とすのだった。




