034 殿下の憂鬱
ここひと月ほど、気になる噂話をよく耳にする。アシモフ公爵家のソフィアに、隣国アウソニアから山のように縁談が持ち込まれているそうだ。
「大国アウソニアの高位貴族から、毎日のように贈り物が届くそうです」
「ソフィアさまのようなお顔立ちは、ミニヨンのような片田舎よりもアウソニアのような都会向きなのでしょうねぇ…」
「ソフィアさまの大柄なスタイルも、アウソニアでは美人の証だそうです。ミニヨンでは小柄な女性の方が持て囃されますのに」
「アウソニアの新聞で、ソフィアさまの特集が組まれたそうです!」
宮廷雀と呼ばれるゴシップ好きたちが、訳知り顔で次から次に話すこと話すこと…。
ソフィアは私の生まれながらの婚約者だ。別に私が望んだことではないが、王家のご先祖様が「お世継ぎはアシモフ家の長女を妃に迎える」と決めたのだ。
私はミニヨン王室のお世継ぎ様だ。殿下と呼ばれ、人びとからは敬われる。他に比べる者もいない存在なのだ。それなのに、自分の妃ひとり自由に選べないとは…! なんとも不愉快なことだ。
「爺や、もしもお世継ぎがアシモフの娘を選ばなかったら、どうなる?」
おやつのフィナンシェを摘まみながら、ふと訊いてみる。むろん本気ではない。ただ、参考までに知っておきたい。小柄な小姓が温かい紅茶を淹れてくれる。
「過去にアシモフの娘との結婚を拒否したお世継ぎ様もおられました。その場合は、お世継ぎ様の身分を失い、次男がお世継ぎ様に繰り上がります」
「……そ、それは廃嫡ということか?」
「御意」
爺やは重々しくうなずく。
なんと。アシモフの娘を拒否しただけで、廃嫡だと? それはいくら何でも…。
「殿下、貴族間の婚約や結婚とは、愛情ではなく『契約』なのです。王家とアシモフ家が『お世継ぎと長女を婚姻させる』という契約をしたのですから、アシモフの娘と婚姻を結ぶ者が、すなわち王になるのです」
しかし「例外」はないのか? どんなものにも例外はあるだろう? 殿下は二つ目のフィナンシェを摘まみあげて、爺やに訊いてみる。
「……アシモフの娘が生まれなかった場合は、どうなのだ? 必ず長女が生まれるとは限るまい?」
「その場合は、アシモフ当主の血縁の未婚の女性を娶ることに決められておりまして…」
なんと。逃げ場がないではないか? どうしてもアシモフの女と結婚しなければならんのか?
爺やは重々しく続ける。
「そもそも、この婚約は王家からアシモフに持ちかけたものなのです。アシモフ家はミニヨンを代表する優秀な家柄です。身分こそ男爵家と低かったものの、その頭脳はミニヨン随一といわれる家系です。アシモフの血を王家に入れたいと願ったのは歴代の王族たちです」
知っている。そんな話は、アシモフ出身の母上からイヤになるほど聞かされたのだ。爺やにまでくどくどお説教を受けたくない!
★
六年前、貴族学院の卒業パーティーで、私は【とんでもない失態】を犯すことになる。
同級生たちは王族の催す卒業パーティーに招待されたことで、誰もがみな着飾っていた。私は明るい、心の浮き立つものが大好きなのだ。殿下である私の歓心を得ようと、みな張り切っている。
これはミニヨン王室お世継ぎの「卒業・成人パーティー」に当たるのだから、招待されることは大変光栄なことなのだ。
女性たちはみな競って私とダンスを踊りたがる。当然だ、私はお世継ぎである殿下なのだから! たくさんの女性が列を作って、私と踊るのを待っているのだ。
すると、大勢の女性の波を掻い潜って、幼いソフィアを連れたイサキオスが現れた。私の卒業・成人パーティーなのに、相変わらずイサキオスは地味でそっけない服装だな。おそらくアルテミス製なので、品質はいいのだろうが…。
彼は私に丁寧に申し出た。
「デンカ、ソフィアとも一曲踊っていただけませんか?」
正直にいうと、私はこの時イサキオスの顔を見てイラッとしたんだ。私は卒業式で、成績優秀者に授与される懐中時計を手にすることができなかった。
そもそも私は成績優秀ではない。だから掠りもしなかったのだが、優秀なイサキオスは三年後に懐中時計を手にするだろう。…きっと軽々と手にするだろう。
そう思った瞬間、イサキオスが大切にしているソフィアに意地悪をしてやりたくなったのだ。私は笑いながら言った。
「いやだよ、あんなブス」
イサキオスは驚いた顔で私を見た。まさか私が拒絶すると思わなかったんだろう。とても気分が良かった。優秀なイサキオスに勝ったような気分になれたのだ。
ところが、これは【とんでもない失態】だった。周囲が凍ったようにシーンと静まり返り、誰もが言葉を失った。
ミニヨン中の人間が、ソフィアは私の生まれながらの婚約者だと知っている。それなのに、ダンスを申し込まれた私は相手をブス呼ばわりしてダンスを断ったのだ。
その場の時間が止まったようになって、みなが「これはどうしたものか?」と固唾を飲んで見守っている。
誰もが「婚約者からのダンスの申し込みを断るなんて!」と驚愕していた。「殿下はどういうおつもりだ?」と、たくさんの目が探っていた。ミニヨン王家に逆らいたくはないが、有力者で裕福なアシモフ家に嫌われるのもイヤだ…と貴族たちの顔に書いてある。
どちらにも付きたくない、巻き込まれたくない。まさか王家とアシモフ家が対立しているなんて、思いもよらなかった! 貴族たちの顔にはハッキリと「王家とアシモフは犬猿の仲だったのか!」と書かれている。
そんなつもりじゃなかった。イサキオスとソフィアに、少し意地悪をしただけだ…。
だが実際のところ、私の行動はアシモフ家を強烈に侮辱したことになったのだ。貴族たちはミニヨン王家とアシモフに確執があると信じることになった。
その場を丸く収めたのは、下位貴族のつまらん男だった。イサキオスの友達で、オリバーだかオスカーだかいう奴が、ソフィアにダンスを申し込んだのだ。
そいつは運動神経が良いらしく、二年生にしては大柄なソフィアを軽々と抱き上げて、実に上手にダンスをさせていた。ソフィアは人前でダンスするのはほとんど初めてだろうが、みんなから拍手を受けるくらい上手に踊っていた。
その後、ソフィアにダンスを申し込む奴らが数人現れて、イサキオスも機嫌が直ったようだ。むろん、高位貴族は私に気を遣ってソフィアにダンスを申し込んだりはしない、みんな下位の奴らだ。
しかし、私とダンスを踊りたがって列を作っていた姫君たちも、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。みんな私と踊って、イサキオスやソフィアの恨みを買いたくないのだろう。
この日から、私は「成人パーティーで、幼い婚約者を侮辱した馬鹿男」に成り下がったのだ。私はイサキオスに勝つどころか、「少し頭の軽いお世継ぎ様」のレッテルを貼られることになった。
成人した証として、私は婚約者のソフィアをエスコートして、周囲にお披露目しなくてはならなかったらしい。だがしかし、誰もそんなことは教えてくれなかった。
爺やも小姓も、そんな話をしていただろうか? 誰も教えてくれないことを、私が知っているハズがない!
(…私は悪くない)
けれども「成人としてするべきこと」をせずに、衆人環視の中で私はソフィアを侮辱して見せたのだ。その事実は消えることがない。ミニヨンの貴族社会で、当時私の陰口を叩かなかった者はいないだろう。
一番激怒したのは、母上だ。
「お前は頭がどうかしているのですか? アシモフとの契約を破るつもりですか? アシモフと敵対するつもりなのですか?」
母上の容姿はイサキオスやソフィアにそっくりだ。長身で手足が長く、青い瞳にプラチナブロンド。切れ長の瞳を怒りに震わせて、私を糾弾してくる。
機嫌の悪い時には、青い瞳が少しだけグレー掛かるのだ。…あぁ、イサキオスにそっくりの目の色だ。まるでイサキオスにお説教されているようで、非常に気分が悪い。
「アシモフ側から破談にできないのが、唯一の救いだわ! そうでなかったら、とっくに婚約破棄になっていることでしょう! お前の浅はかさには呆れました!」
アシモフ側からは婚約解消できないということを、私はこの時に初めて知った。
母上は王家とアシモフ家とで取り交わされた結婚契約書に目を通しておけと厳しく言うが、そんな大昔の膨大な契約書など、私に読めるはずがない。嫌がらせにしても、もう少しマシなことを言って欲しい。
「ソフィアとダンスしてやって、お披露目をすればいいのでしょう?」
それくらい簡単だ、そのうち機会があるだろう。私はそう思った。
母上は何か私に言い返そうとしたが、口の中で力なくつぶやいただけだった。そして、あっという間に六年が経った…。
イサキオスの卒業パーティーにも、ソフィアの卒業パーティーにも、私は招待されなかった。そもそも学年が離れているので、共通の友人がいるわけでもない。ふたりをパーティーに招いても、イサキオスもソフィアもそういう催しが好きではない。
ソフィアとダンスをして、婚約者としてお披露目する…それだけのことが、存外難しいことに気がついた。今までまともに交流をしてこなかったのだから、当然といえば当然だ。
「…正直、ソフィアと結婚したいわけではない」
厳しい母上にそっくりな女など、本音を言えば願い下げだ。もっと容姿が可愛くて、性格が大人しくて、適度に馬鹿な女がいい。私に口答えなどしない女がいい。ソフィアのように、知性を売りにしている女は苦手だ。会話が成立しない気がする。
三つ目のフィナンシェを齧りながら、殿下は思う。
「廃嫡になると脅されたところで、私には弟はひとりもいない。私は正真正銘、並ぶ者のいないお世継ぎだ。アシモフとの結婚契約が始まってから、側室制度も廃止されている。…父上には愛妾さえいないのだ。私がソフィアを拒んだら、それでも廃嫡になるのか?」
アシモフの姫君を拒んだら、お世継ぎは廃嫡になって弟が王になる。しかし、弟がいない場合はどうなのだ? お世継ぎは私ひとりきりなのに。
爺やに訊いてみるか? だが、つまらんお説教をされるのは敵わんからな…。
年若い小姓のふたり組が、さも楽しそうに笑いながらおしゃべりしている。
「殿下、御存じですか? アシモフのソフィアさまに、東国の王族が求婚なさったそうなのです! そりゃあ大きなサファイアを贈られたんだとか!」
「…サファイア?」
そういえば、ソフィアの瞳も母上と同じ青色だったな…。青い目の女など、私は嫌いだ。イサキオスのグレーが掛かった青い瞳は、もっと嫌いだ。
もうひとりの小姓が言う。
「サファイアは鶏卵くらいの大きさだそうで。アルテミスに持ち込まれて、鑑定士が鑑定したそうなのです」
「まさか本物なのか?」
卵の大きさのサファイアなど、存在するのか? …本物か?
「本物だったそうです。一緒に金塊も持ち込まれて、それも本物だったそうです」
鶏卵ほどのサファイアに金塊。大変な金持ちではないか。東国の王族というのは、そんなに裕福なのか?
「ソフィアさまは、ずいぶんご出世なさいましたね!」
「良いお相手が見つかれば、それに越したことはございませんね」
小姓たちは当然、六年前の出来事を知っている。彼らは私がソフィアと婚約破棄するものと思っているようだ。まさか何も考えずに、ソフィアに暴言を吐いたとは思っていない。
あそこまで婚約者を馬鹿にしたのだから、おそらく婚約破棄なさるのでしょう…という空気が漂っている。アウソニアからソフィアに求婚が持ち込まれるようになってからは、そういう雰囲気は加速している。
小姓や周囲の貴族たちは「それがお互いに幸せ」と考えているようだ。本音をいえば、婚約者に恥を掻かせるような男と結婚しないで済めば、それが一番と言いたいのだろう。
ソフィアを望む相手と一緒になる方が良い、と言いたいのだろう…。




