032 求婚契約書
〈おい、ククルカンのことを、サイラスに警告してやった方がいいかな?〉
リヒトは控えの間でオプスキュリテに【声】を掛ける。隣に座ったグレイスが、サイラスから貰った貝殻を光に透かして眺めている。「…とってもきれいですね!」と感嘆の声を上げている。
横目でその様子を眺めながら、自分たちの置かれた奇妙な状況にリヒトは戸惑っていた。
《あの痴れ者は、いったいここで何をしているのだ?》
オプスキュリテはむっつりと言う。
〈…ククルカンは、ソフィアさまに求婚しているのだろう?〉
《あいつが東国の王族だとは、今日まで知らなかったぞ?》
〈ソフィアさまに求婚するために、嘘をついてるに決まっているだろう? あいつは王族どころか、人間じゃないからな!〉
リヒトは目を怒らせる。オプスキュリテめ、 わかりきったことを言わせるな!
オプスキュリテはフンと鼻を鳴らす。
《サイラスにもククルカンにも組しないで、我らは中立で良いのではないか? ククルカンの持ち込んだサファイアも純金も本物だ。別にアルテミスに迷惑が掛かるわけではないだろう?》
たしかにその通りだ。しかしなぁ…。リヒトはソフィアのことが気になる。人間の王族に成りすまして求婚するなどと、ククルカンはソフィアに対して不誠実ではないか?
「えぇ⁉ ソフィアさまが、笛で翼竜を手なずけたのですか?」
グレイスはサイラスとオリバーのエッグハントの話に驚いた様子で、詳しく話を聞きたがっている。
「そんな方法で卵を盗んだ話は、過去に聞いたことがありません!」
サイラスはソフィアの笛の演奏が素晴らしく、翼竜のみならず、アウソニアの貴族たちまで魅了したことを話した。ソフィアにあんな天賦の才があると思わなかった。埋もらせるには惜しい音楽の才能だ、と。
イサキオスはエッグハントの話を「サイラスが霊力で翼竜を追いやった。実にみごとな手腕だった!」とか、「翼竜に襲われかかったソフィアをオリバーとサイラスが守ったんだ。まるで姫君を守る騎士たちの姿だよ。実に勇敢だったな!」などとアルテミスの面々に語ったらしい。
…う~ん、決して嘘を話しているわけではないが、ソフィアの活躍がまったく語られていない! イサキオス様、ひどくないか?
「イサキオス様は、オリバー様とサイラス様のご活躍で、翼竜の卵とたくさんの金貨を手に入れたと大喜びでしたわ」
グレイスが笑いながら教えてくれる。
「それで、ヴィンセントのための厩舎を用意するとおっしゃって、先日アルテミスで発注したのです」
「……ヴィンセント?」
「ヴィンセントというのは、アシモフ家の翼竜のお名前だそうです」
「あぁ、そうですか」とサイラスはうなずく。ちなみに、ドイル家の翼竜の名はマーゴだ。肌の薄っすらと赤い、メスの仔が生まれたのだ。名前の由来はタマゴだ。タマゴからマーゴ。
「……そういえば、グレイスさまがズーク家の三男に追い回されて、男がアルテミスに侵入したと噂になっていますね?」
サイラスの言葉に、グレイスは思いっきり苦笑した。
「いやだわ。わたくし追い回されたりしておりません!」
「でも、求婚されたのでしょう?」
オリバーに確認されて、グレイスが顔を真っ赤にする。
「わたくし、まだ婚約するような年齢ではありません。仮に十三歳になっていたとしても、ズーク家のビスナー様と婚約なんてありえませんわ!」
グレイスがこんな直接的な表現をするのも珍しい。よほどビスナーに思うところがあるのか。…迷惑千万という感じかな?
グレイスに助け舟を出すように、リヒトが脇から言う。
「ビスナー様は『行跡宜しからず』です。到底、グレイスさまにふさわしい方ではございません」
「オリバーがイサキオス様から仕入れてきた話によると、アルテミスでソフィアさまがビスナーをコテンパンにしたそうですが…?」
サイラスは隣に座っているオリバーをチラッと見やる。オリバーはいたずらっ子のようにクスッと笑った。
「ビスナーの頬を平手打ちで二発です。右と左」
オプスキュリテが答える。もはやビスナーの名前から敬称が消えている。リヒトもオプスキュリテも、ビスナーに思うところが大いにあるのだろう。
「さすがソフィアさまだなぁ!」
サイラスたちが妙に感心している。
「今回、グレイスさまのイラストが載った『号外』が出たのですよ」
サイラスが大判の写真立てのようなものを取り出す。〈アルテミスの美少女、襲われる!〉という煽情的な見出しの号外がスクラップされている。
グレイスを模したと思われる可愛い少女が、ドレスの裾を持ち上げながら逃げ出しているイラストつきだ。
「な、なんです、これは?」
グレイスが目を大きく見開いたまま、固まってしまった。
「どうやら、グレイスさまらしいです。なかなか可愛いイラストだと思いませんか?」
「…たしかにかわいい」
サイラスとオリバーがにっこりしている。
「わ、わたくし、こんな風にドレスの裾を持ち上げて走り回ったりしておりませんわ?」
グレイスが涙目になっている。いろいろ言いたいことがある様子だ。
「兄と僕は、よくコーヒーハウスで新聞を読むんですけど……」
コーヒーハウスでコーヒーを注文すると、新聞が無料で貸し出しできる。外に新聞の持ち出しはできないが、気に入ったものは購入もできる。
ミニヨンでは新聞はまだ日刊ではない。週に二~三回発行で、大きなニュースがあると、その都度に号外が出されるのだ。
「この号外をオリバーが見つけて、イラストが可愛いので購入することにしたんです」
サイラスがクスクス笑いながら、イラストを指さす。
「ほら、髪の色も目の色もグレイスさまにそっくりでしょう? グレイスさまを知っている人間に取材しているんでしょうね」
「言われてみれば、確かにわたくしの髪と目の色ですね…」
グレイスは溜息をつく。
サイラスはオプスキュリテに向かって訊く。
「アルテミスに『娼婦の口紅』が持ち込まれたそうですね?」
「そんなことまで、号外に載っておりますか?」
オプスキュリテは少し困ったような、驚いた表情になった。
「ええ。号外は二種類あって、一部は貴族であるビスナーが強引にグレイスさまに婚約を迫って、グレイスさまが逃げ出しているという内容でした。そして、もう一部はおもにビスナーの『不行跡』の内容です。露店で無銭飲食を繰り返したとか、娼婦街で幼い少女を指名していたとか、アルテミスに『娼婦の口紅』を持ち込んだとか。面白おかしく書かれています」
号外の一部にはグレイスを模したイラスト、もう一部にはソフィアを模したイラストが描かれている。ソフィアらしき女性は、彼女特有のプラチナブロンドに青い目をしていた。
アルテミスに『娼婦の口紅』を持ち込んだビスナーを、ソフィアが激怒して
頬を打った場面が描かれている。
「これを見てください」
サイラスはソフィアの描かれたイラストを見せる。
「まぁ、このドレス! オプスキュリテ、よく見てちょうだい。このグレーのドレス……」
グレイスが声をあげる。ソフィア嬢を模したイラストの女性が身に着けているドレス。
「これは、アルテミスで仕立てたドレスと同じデザインです!」
イラストの女性は、上品なデザインのグレーのドレスを着ている。驚くほど細部まで、ソフィアを模しているのだ。
「…どう思いますか?」
サイラスの言葉に、グレイスは考えながら答える。
「この号外を書かせた人は、わたくしとソフィアさまをご存じなのですね?」
サイラスは大きくうなずく。
「僕たちも同じことを考えました! それで、誰だったらこんな号外を書かせられるかを考えて見たんです」
「わ、わたくしではありませんわ。こんなドレスの裾を持ち上げたイラストなんて…」
「とっても可愛いと思いますけどね? でも、グレイスさまでないのはわかります」
サイラスはハハッと笑う。オリバーもうなずく。
「素敵なイラストですよ、グレイスさま」
リヒトとオプスキュリテはお互いに顔を見合わせる。
「私どもでもありません!」
「こんなものを書かせる理由がありません!」
サイラスは腕組みする。
「兄と僕は、イサキオス様じゃないかと思うんです」
「えっ?」
「なんだかイサキオス様っぽいんですよね。ソフィアさまがビスナーを殴ったのが、愉快だったんじゃないかな? それで、記念に号外を書かせたんじゃないかと…」
「……記念、ですか?」
グレイスはびっくりしたように目をクリッとさせる。
「もちろん、グレイスさまに対して害意はないと思いますよ。イサキオス様は、そういう方ではないので。余所から号外の話を聞いて、グレイスさまが嫌な思いをするといけないと思ったので…。一応お知らせしておきますね」
サイラスは(これで用件がひとつ終わった)という顔をしている。
「…あれ? タニタが戻ってくるの、ずいぶん遅くありませんか?」
サイラスの言葉に、オリバーが応える。
「多分、求婚のための契約書を書いているんじゃないかな?」
求婚者が高額の贈り物をして、いざ婚約が成立しないときに両家でトラブルになることが多々ある。そういうことを防ぐために、貴族間では求婚契約書を取り交わすのだ。
「ククルカン様は、ソフィアさまのためにかなり高価なサファイアや金塊を贈っているんだろう? 婚約すれば問題ないが、ソフィアさまには求婚者が多いから、先々トラブルになる可能性があるからね」
…求婚契約書なんてモノもあるんだ。貴族って、思った以上に契約社会だよなぁ。サイラスは驚いて目を見張る。オリバーはお世継ぎ様だけあって、貴族社会のいろんなことを知っているな。
長い回廊を静々と歩いてくるタニタの姿が見える。タニタは「お待たせして申し訳ございません。皆さま、お食事の準備が整いましたので、ホールまでご案内いたします」と長く一礼した。
今度は全員が一緒に案内されるようで、サイラスはホッとした。




