031 ククルカン
「オリバー、今日の夕食会はどんな服で行くつもり?」
サイラスの弾んだ声に、姿見の前に立ったオリバーは笑いを堪えきれず、わざと呆れたような声を出す。
「サイラス、さっきも同じことを訊いてきたよね? イサキオス様にプレゼントされた服を一緒に着て行こうって、さっきふたりで相談したばっかりだろう?」
夏休み前に【イサキオスの箱庭】と呼ばれる広大な自然公園で、サイラスが吸血蝙蝠とフェンリル狩りをした時のことだ。ボロボロになった服を着替えるようにと、イサキオス(の小姓タニタ)がアルテミスで誂えた服を用意してくれた。
上質の布で仕立てられた黒と緑を基調にした服と、紺と青を基調にした服。アルテミスのタグがついた服は、ミニヨンでは高品質の証みたいに思われている。今日はオリバーが黒と緑を基調にした服を着て、サイラスが紺と青を基調にした服を着る。
ふたりの背格好はほぼ同じくらいなので、洋服の貸し借りは普段からしている。スポーツ好きで体を鍛えているオリバーの方が筋肉質だが、お互いの服を問題なく着られる。
今晩はアシモフ公爵家に出かけて夕食を食べるのだ。…夏休みの友達同士のお出かけとは少し違う。オリバーはドイル家のお世継ぎ様として、恥ずかしくない程度の身支度が必要だ。
オリバーは服に合わせて、慎重に宝石を選んでいる。彼はエメラルドグリーンの瞳なので、エメラルドを合わせるのが一番似合うのはわかっている。しかし、ドイル男爵家で簡単にエメラルドが購入できるわけではない。
小さな緑色の石を三つだけ、小鳥のモチーフに置いたものを選んで、丁寧に服の襟につける。
「オリバー、すごく似合うよ!」
「ふふ…サイラス、ご機嫌だなぁ! ククルカンっていう人に会えるのがそんなに楽しみなのかい?」
ククルカン…。厳密にいえば、サイラスが興味があるのはククルカンではない。ククルカンがジパングから来た王族だという点に興味がある。ジパングというのは、こちらでも日本のことを意味するんだろうか?
(こっちの世界にも『日本』があるってこと⁉ そういうことだよね?)
ソフィアに求婚している男性がジパング出身と訊いて、サイラスはイサキオスに「夕食をご一緒したい」とおねだりしたのだ。孤児院に【視察】に通うようになったイサキオスは、サイラスとかなり親しくなっている。
不思議なことに、イサキオスはサイラスや孤児たちがおねだりや我儘を言うと少し機嫌が良くなるのだ。ほんのわずかに眉を動かしたり、口角がわずかに上がるだけの変化だが、確かに喜んでいる。
それは気難しい老人が孫に懐かれて喜ぶ感じに似ている。孤児の女の子がイサキオスに手を引いて欲しがった時も、イサキオスは少しだけ口角を上げていた。それから、孤児のみんながイサキオスと手を繋ぎたがるようになった。
(イサキオス様って、不思議な人だよね。気難しく見えるけど、むしろ子供なんかには優しいし…。孤児たちの名前は、一日で全員を覚えてるし…)
アシモフから迎えの二頭立て馬車が来て、オリバーとサイラスが乗り込むと、ノラがカンテラを持って見送ってくれる。秋風が吹いて、草木の染まる季節になっている。夕暮れ方にはもう肌寒いくらいだ。
「ノラ、風邪を引くといけないから、早く家に入ってね」
サイラスとオリバーはノラに軽く手を振って出かけた。
ふたりがアシモフに着いた時、すでに控えの間にククルカンらしき派手な服装の男がどっしりと座っていた。そして、グレイスとリヒトたちもククルカンと少し離れて静かに座っている。
「…あれ、お早いご到着ですね?」
サイラスはそう声を掛けて、イサキオスはわざと控室を分けずに、ククルカンと自分たちを対面させているのだろうと思った。貴族の控室は別々に分けるのが一般的だ。ましてククルカンは王族なのだから、ドイル家とは控えの間を分けるべきだろう。
「ククルカン様、お初にお目にかかります。ミニヨンのドイル男爵のお世継ぎ、オリバーです。こちらが弟のサイラスです」
「ククルカン様、サイラスです」
ふたりは後ろに足を引いてカーテシーに似た挨拶をしたが、ククルカンはチラッと一瞥しただけだった。明らかにふたりの挨拶を無視している。
(あれ? 初対面だよね…。なんだか悪意を持たれているような…)
サイラスは何だか肌にぴりぴりするものを感じながら、ククルカンに違和感を持つ。
「ククルカン様は、ジパングの王族とお聞きしましたが…」
サイラスは一番聞きたいことを最初に聞いておこうと思って、遠慮なく質問する。ジパングの話が聞きたくて、わざわざ来たのだ。ここで質問しないという選択肢はない。
「ジパングとは、ニッポンのことでしょうか?」
「…ニッポン?」
ククルカンはハッとしたようにサイラスの顔を見る。綺麗に結い上げた緑の髪と、おそらくシルクと思われる豪華な服を重ね着して、美しい男性だが妙に顔色が悪い。
「そ、それは、我がジパングと何か関係あるのか?」
「えっ? ジパングはニッポンじゃないんですか?」
サイラスは逆に訊き返した。どういうことだろう? まさかジパングがニッポンじゃない、別の国なのか?
ふと、サイラスはリヒトが笑いを堪えるような顔をしていることに気がついた。リヒトは笑い転げたいのを我慢している…という表情をしていた。リヒトがチラッとククルカンを見やる。
(リヒトはククルカンについて、何か知っているんじゃ…)
サイラスはオプスキュリテの表情を見た。オプスキュリテはククルカンを一瞥もせず、むっつりとした表情で座っている。ふむ…。
サイラスはククルカンとの会話を切り上げると、今度はグレイスに近寄った。
「グレイスさま、兄のオリバーを紹介させてください」
「サイラスの兄のオリバーです。…花祭りの時に、一度お会いしていますよね?」
オリバーはグレイスと握手しながら笑いかける。グレイスは丁寧に握手しながら応える。
「お久しぶりです、オリバー様…」
「あれっ? オリバーはグレイスさまと会ったことがあった?」
「船争いの時だよ。気になって船を見に行ったんだ。平民の船は被害を受けても、補償も満足に受け取れないことが多いって叔父上が言ってたから…」
「え、素早いな~」
オリバーとサイラスが笑い合う。普段から仲の良い兄弟なのだ。
「…サイラス様、殿下のところでお会いして以来ですね!」
サイラスと握手を終えてから、グレイスが言う。
「あの時は王城に伺ったらグレイスさまたちがいて、僕たちびっくりしましたよ」
サイラスはニヤッと笑いながら言う。アトス寺院に【視察】に来ていたイサキオスが、王城から呼び出されてサイラスもお供で出かけたのだ。
「まぁ、急なお呼び出しだったのですか?」
「ええ。あの日は雨だったでしょう? 僕たち、翼竜の卵が孵化するんじゃないかと様子を見ていたので、かなり泥まみれだったんです」
サイラスは肩をすくめる。それでお湯を使って、体や髪を洗ってから急いで登城したのだ。イサキオスが綺麗に髪を櫛削っていたのも、そういう理由だ。
がんばった甲斐あって、あれから数日して翼竜の卵にヒビが入り始めた。それから更に数日で、卵から翼竜の赤ちゃんが出てきた。サイラスたちは無事に翼竜の秋仔を手に入れたのだ。
「翼竜の赤ちゃんが、あんなに可愛いと思いませんでした! 人間には懐かないっていうけど、生まれた時から一緒だと僕たちを親だと思っているみたいで…」
翼竜の赤ちゃんは頭でっかちで、羽(手?)を使わないと体を支えられずに、倒れてしまいそうなバランスの悪さだ。
「わたくしも一回くらいは翼竜に乗ってみたいです。サイラス様、翼竜が大きくなったら乗せてくださいませ!」
珍しくグレイスが軽口を言うので、サイラスは笑った。
「グレイスさまは怖くないんですか?」
「孤児院の子供たちだって乗るのでしょう? わたくしだって、翼竜くらい乗れますわ」
グレイスの勇ましい発言に一同が笑ったが、ククルカンだけは口を真一文字に結んだまま黙っている。リヒトがチラチラとククルカンに視線を送る。サイラスは肌にぴりぴりした感覚がして、不思議な気分になっていた。
(なんだろう? まるで錫杖を振り切る前の感覚みたいだ…。腕がぴりぴりする…)
サイラスが頭を振りながら考えていると、イサキオスの小姓であるタニタがやってきて一堂に声を掛ける。
「皆さま、お食事の準備が整いましたので、どうぞホールへおいでください」
その言葉に真っ先に立ち上がったのがククルカンだ。タニタは恭しくククルカンの長い裾を持ち上げ、ククルカンが歩き出すのを助ける。
(十二単に似てるような…ぜんぜん似ていないような…。何とも不思議な服装だな)
サイラスとオリバーはククルカンが案内されていくのを見守っていた。おそらく身分順に案内されて行くのだろう。
(あっ! そうだ…)と思って、サイラスはグレイスに「これ、アウソニアのお土産です」と小さな箱を差し出す。今日の夕食にグレイスたちも招かれていると知って持って来たのだった。白い小箱には、アウソニアの海で拾った貝殻が入っている。
「まぁ! お花みたいな貝殻ですね!」
グレイスはピンク色の小さい貝殻を指先で摘まんだ。
「サクラ貝です。可愛いでしょう?」
こちらの世界でもそう呼ぶのか不明だが、サクラ貝にそっくりなので、サイラスは勝手にそう呼んでいる。
「グレイスさまは、海を見たことはありますか?」
「いいえ。お父様は仕事でアウソニアに行かれるのですけれど、わたくしはまだ行ったことはありません」
グレイスはサクラ貝を明るいところで透かすようにして見ている。
「…とってもきれいですね!」
「きっと、そのうち海を見ることになりますよ」
サイラスとオリバーが言う。ユウキはミニヨンでワサビやノブコ(果実)を販売したがっている。夏休み中に、イサキオスに農作物の輸出の話を持ち掛けていた。イサキオスならきっと、アルテミス商会に実務を打診するだろう。
そして、アルテミス商会はアウソニアと取引をするようになるだろう。




