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禁死篇  作者: 丸亜沙子
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028 人間の心

《どうしてあの娘は、あんな悲しそうな顔をしていたんだろう?》

 オプスキュリテはぼんやり考える。


「……わからんな」

 思わず口にすると、帳簿に向き合っていたリヒトが軽く眉をあげる。そして、オプスキュリテに問い(ただ)してくる。


「何かおかしなところがあるか? 仕入れか?」

「いや……」


 オプスキュリテは少し口ごもってから、思い切って言葉にする。自分ではいくら考えてもわからない。…リヒトに訊いてみるのが早道だろう。


「このあいだの、ミッチという子がいただろう?」

「あぁ、ビスナーの件か」


「彼女は、私にずいぶん心を開いてくれたと思ったのだが…。私の顔が見たいと言うからマスクを取ったら、ミッチは何だか妙に悲しげなふうで……」


 オプスキュリテの言葉に、リヒトがゲラゲラ笑い出した。頭を何度も振るので、赤毛のポニーテールが揺れている。どうした、リヒト? オプスキュリテはリヒトの態度に目を見開く。


「オプスキュリテ、お前わからなかったのか?」

 まだ笑いながら、リヒトが言う。

「何が…」

「だからな、ミッチはお前のことが好きなんだよ!」


 リヒトはクスクス笑う。オプスキュリテは《…(かん)(さわ)る笑い方だ》と思う。しかし、リヒトに教えてもらわないとどうにも(らち)が明かないのだ。


「……それで、何故悲しい顔になる?」

 リヒトがひとしきり笑い終わるのを待ってから、オプスキュリテはむっつりと訊いた。


「ミッチはな、マスクで顔を隠したお前に好意を持ったんだ。お前が優しくしてくれたから、好意を持った。ミッチは別にお前の顔が好きなわけじゃない。だが、マスクを外したお前の顔を見て、『二度と自分の店には来てくれないだろう』と分かったんだよ。……お前はどう見ても、女に不自由する顔じゃないだろう? あんな安っぽい娼婦街に、お前が理由(わけ)もなく足を運ぶはずがない。自分のことをバカだと言っていたが、ミッチは自分で思うほどバカじゃない。…あの子は頭の回転が速いんだな!」


 オプスキュリテは呆気にとられた。

「……マスクを取らなければ良かったのか?」


「そういうことじゃない。ま、失恋なんてものは、誰でもするものだ。別に気にすることじゃない。ミッチは充分若いんだ! お前もウジウジするな!」


 リヒトは事もなげに言うと、帳簿に集中し始める。オプスキュリテは置き去りにされたような気分になって、黙り込んでいた。すると、ふたりのやり取りを聞いていたピートが、オプスキュリテに(ささや)いてくる。


「…オプスキュリテ様、グレイスさまの婚約の件は片付いたのですか?」

「ビスナー様は『行跡宜(ぎょうせきよろ)しからず』だ。噂通りに、賭け事や犯罪行為の多い方だったよ」


 「行跡宜しからず」というのは、貴族の世界で使われる言葉で、行いが正しくない、不良貴族であることを意味する。


 特権階級であるのを良いことに、人を傷つけたり(あや)めたり、物を盗んだり他人の妻や娘を盗んだり……。詐欺行為や美人局(つつもたせ)のような、およそ貴族とは思えない犯罪に手を染める者もいる。内容は多岐に亘るが、これらはすべて「行跡宜しからず」である。


 行跡宜しからず、よって家名を没収。行跡宜しからず、よって廃嫡。…というように、行跡宜しからずにもランクはある。やらかしの内容によって、処罰が変わるのである。


「平民が貴族の求婚を退けるのは、かなり面倒ですね!」

 ピートの言葉に、オプスキュリテは大きく頷く。

《まったくだ、骨が折れる…》


 相手が貴族だというだけで、カネ目当ての不良相手にここまで苦労するのだ。こんな茶番は早く終わってくれ! オプスキュリテは天を仰いだ。


 しかし、あとは所属商業ギルドに書類を提出すれば、グレイスに対するズーク男爵家の求婚は却下されるはずだ。


 ビスナーの不良行為には証人が山ほどいる。「よくもこんな男が貴族をやっていたな!」と呆れるような惨状だ。チンピラどころか、マフィアレベルの男だ。グレイスに求婚するなど、図々しいにも程がある。


 

「……受理保留?」

 商業ギルドの窓口で、リヒトは唖然とした。

〈意味が分からん! どういうことだ?〉


 商業ギルド(組合)はそれぞれの商業分野に細かく区分され、各方面の法律や慣例などを互いに侵害しないために設立されている。ギルドに所属する者は、婚姻などの届け出もここで済ませる。


 平民が貴族から婚約を申し込まれた場合、通常は(大変名誉なことなので)お断りをしない。……しかし、何事にも〈例外〉はある。


 ① 貴族が「行跡宜しからず」(不良貴族)と認められる場合は、求婚を却下できる。

 ② 求婚を受けた平民が結婚生活を維持できない健康(精神)状態の場合、求婚を却下できる。


 平民側からも求婚を断る方法はいくつかあるのだ。最悪、ミニヨンから夜逃げして嫌な貴族から逃げる方法もあるが、貴族に狙われるのはたいてい裕福な商人の娘なので、相手が気に入らない時には金を使って裏で手を回したりして、上手にお断りをするのである。


「まさか書類を受け付けてくれないのですか? 証拠は揃っております! 求婚却下の申請書類を受理してください!」

 リヒトは思いがけないことに声を大きくする。


「う、受け付けないとは申しておりません……。その、本日は婚姻関係の担当者がふ、不在で……」

 ギルドの受付女性は青くなっている。

「不在?」


 病気かなにかで休んでいるのか? しかし、受付の態度はあまりにも不自然で、彼女の目はおろおろと泳ぎっぱなしだ。


「……三日前から、担当者が行方不明です」

 受付の若い女性は明らかに怯えている。もしや、ビスナーに脅されているのか?


「行方不明だと⁉」

「い、生きているかどうか……」

 彼女は既に涙ぐんでいる。

「と、とにかく、今は受理できません……」

(お願い、これ以上追求しないでっ!)という彼女の心の声が、聞こえた…気がする。


「そんな馬鹿な?」と思いつつ、オプスキュリテたちと一緒に善後策を考えようと、書類を持ち帰る。泣き出しそうな受付の女性に、さすがに無理強いはできない。


 すると、アルテミスのエントランスは蜂の巣を突いたような大騒ぎになって、メイドたちの必死の声が聞こえてきた。


「お待ちくださいませ! ご予約がない方は困ります!」

「お帰り下さいませ、ビスナー様!」


 ()()がズーク男爵家の三男・ビスナーか! 黒いロングコートの上から、さらに白豹の毛皮を纏っている。男爵家にしてはずいぶんカネの掛かっていそうな身なりだ。水色頭のサイラスなどは同じ男爵家なのに、ずっと質素な格好をしている。


「お客様、ご予約がないのは困ります。お引き取りください!」


 リヒトはビスナーに後ろから声を掛けた。ビスナーの身長は軽く二メートルを超えそうで、筋肉ははちきれんばかりに盛り上がっている。


「…んっ?」


 ビスナーがリヒトの声にゆっくりと振り向く。筋肉は美しく鍛えられているが、顔はゴツゴツして石ころのような顔だ。目は細すぎて、瞳の色が何色なのかよくわからない…。


「俺はグレイスに求婚にきた。贈り物を持って来たんだ。グレイスはどこだ?」


 話している内容から察するに、頭も悪そうだ…。リヒトは小さく肩をすくめる。あー、イヤだイヤだ。


「グレイスさまは『アシモフ公爵令嬢』と商談中です! お約束のない方はお会いになれません!」

 メイドのひとりがぴしゃりと返す。さすがリヒト派のメイドだ、勇敢で美しい。


「アシモフ? あぁ、教科書に載ってるやつか。そいつなら知ってるぞ。だから、入っても構わんだろ?」


 こいつは真正のバカだろう? お前が一方的に知っているのは、知り合いとは言わんのだ! ソフィア嬢の方はお前のことなど知らんだろう⁉ リヒトは頭を抱えたくなった。


「帰れ」、「通せ」と押し問答をしていても埒が明かない。ビスナーは何をどう思っているのか、グレイスの婚約者気取りで一歩も引かない。


「せっかく俺が会いにきたのに、グレイスは何をしてるんだ?」、「ビスナーが来ていると取り次いでくれ!」と捲し立てる。


 もう実力行使で追い出すしかあるまい! リヒトがそう腹を括った瞬間、

「これは一体、何の騒ぎですの?」

 と女の声がした。


 グレーの落ち着いた、上質なドレスを身に纏ったアシモフ公爵令嬢が立っていた。プラチナブロンドの髪をきれいに結い上げている。彼女の護衛たちとオプスキュリテの姿もある。


「あんた、アシモフ?」


〈おい、ビスナーは最低限のマナーも身に着けていないのか?〉

 リヒトはめまいを感じる。公爵令嬢ははっきりと顔を顰めた。軽蔑で目が針のように細くなっている。


()()は誰です?」

「ズーク男爵家のビスナーだ。グレイスに求婚にきた」

「……グレイスに求婚ですって? グレイスは十一歳ですよ?」


 ソフィアが、こちらに(とが)めるような鋭い視線を送る。ビスナーが勝手に求婚してきているのだが、我々が非難されねばならんのか? 


「ソフィアさま、アルテミスでは求婚却下の申請書類を用意しているところです!」

 リヒトは思わず叫ぶ。アルテミス側が婚約を受け入れているなどと思われたら、万死に値する! グレイスがこんなおかしな不良貴族と、婚約するはずがなかろう!


「……あぁ、なるほど」

 ここで、ソフィア嬢はフッと笑みを浮かべる。彼女の方は何が起きているのかすぐに理解したようだ。


「貴族は赤ん坊でも婚約する。俺は貴族だから、グレイスが子供でも問題ない」

「でもグレイスは貴族ではないし、そもそも婚約は受け入れられていないのでしょう? そして、お前のしていることは、不法侵入ですよ」


「ここはズーク家の御用達だから、入っても問題ない」

「わたくしが商談の予約をしているのだから、お前が入ってくることはできないのですよ? ビスナー、わたくしに不敬を働いていること、気がついていないのですか?」


 ビスナーは相手が高位貴族なので我慢していたようだが、さすがにイライラを隠せなくなってきた。


「……お前はずいぶん偉そうな態度じゃないか?」

「実際、わたくしの方がお前よりもずいぶん偉いのです。ビスナー」

 ソフィアはビスナー相手に一歩も引いていない。むしろ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とした態度だ。〈さすがは生粋のお嬢様だ〉と、リヒトは舌を巻く。


「身分は上でも、力は俺が上だ」

「お前はわたくしの護衛騎士たちが、目に入らないのですか?」


 ソフィア嬢の護衛たちが、じりじりとビスナーを取り囲み始める。筋肉量はビスナーに負けているが、人数は確実に多い。


「この程度の人数なら、俺は簡単に殺せる。お前も殺せば証拠がなくなる」

「……まるで殺人予告みたいだわ、ビスナー」

「その通りだよ」


 ビスナーが笑うと、茶色いギザギザの歯が見える。ソフィアの目が興味にキラッと光る。

「ビスナー、お前は何か薬物でも使っているのかしら? 常備薬でもあるの?」


「もうお前はいいよ、ブス。俺はグレイスにプレゼントを渡したい」

「プレゼント? まぁ、どんな物かしら?」


 ソフィアはまったく動じていない。あまりの落ち着きぶりに毒気を抜かれたのか、ビスナーは手に握っていた布袋から、小さな可愛い容器を取り出した。貝型の容器に入れて売られるのは、女性用の口紅である。


 その瞬間、予感に打たれたオプスキュリテは、進み出てその口紅を手ずから受け取った。


「これは……」

 その口紅を開くと、それは〈娼婦の口紅〉を意味する赤い口紅だった!


「なんてこと⁉ ビスナー、この恥知らず!」


 アシモフ公爵令嬢は悲鳴を上げると、思いきり良くバシッとビスナーの頬を打つ。さらにもう一発、ビシッ! 左右の頬を一発ずつ打つ。


「アルテミスに『娼婦の口紅』を持ちこむなんて! お前にグレイスに求婚する資格などありません! 求婚の贈り物で『娼婦の口紅』を選ぶなんて、おぞましすぎるわ! ビスナー、お前など貴族の風上にも置けません! お前の仕打ちはわたくしがすべて証言します。お前のせいで、ズーク家もおしまいね。ご家族の皆さまもお気の毒に…」


 ビスナーはおろおろし始める。

「違う、俺は…。赤い口紅なんて用意してない! 俺が買ったのは、グレイスに似合う色だ!」


 言い訳を始めても、もはや誰もビスナーの言葉に耳を貸してくれない。ソフィアの怒りは、それほどに激しい。


「早く警察を呼びなさい! わたくし、この男に殺人予告までされたのですよ。あなたたちも聞いていたでしょう? それに、ビスナーのボロボロの歯をごらんなさいな。何かおかしな薬物でも摂取しているのじゃなくて?」


 彼女は警察沙汰にする気満々だ。


 おそらくビスナーは、今までさんざん警察沙汰をカネの力で揉み消してきたのだろう。特別焦った様子もなく、手慣れた感じでソフィアに交渉してくる。


「なぁ、カネで解決しないか? 今すぐカネはないけど、必ずどっかから調達するよ。……いくら欲しい?」


 アシモフ公爵令嬢は冷たく笑いながら応える。


「あら? わたくし、お金にはまったく困っていないのですよ。わたくしのご先祖様が、教科書に載るような偉業をたくさん残しているのですもの! どうしてわたくしが示談なんかしなければならないのかしら? フフフ…」


「あんたが欲しいだけ、いくらでも言い値で出す! アシモフ、頼むよ」

「示談金なんかより、あなたみたいな人間が貴族の身分を剝奪される方が、よほど世の中のためになるでしょう? アシモフ家は社会貢献を愛する家風なのですよ」


 ソフィア嬢がネチネチとビスナーを(いじ)っているうちに、アルテミスに警察官たちが到着したのだった。こんなチンピラ貴族でも、やはり高位貴族には手が出せないものか…と、リヒトは妙に納得してしまった。

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