026 愚かな求婚者
リヒトとオプスキュリテが仕えるグレイスは、弱冠十一歳の【美】少女だ。ミニヨンの風習で、人間どもは正月を迎えると一斉に歳をとる。奇妙な慣わしだが、春生まれの人間も冬生まれの人間も、新年を迎えると同時にひとつ歳を重ねるのだ。
リヒトにとって、人間の世界は奇妙なことだらけだ。
グレイスは十二月生まれなので、十一歳にしてはかなり幼く見える。それでも女主人としてがんばる姿は、見ていてとても愛おしい。
「……なんだと?」
紅茶をゆっくり味わっていたオプスキュリテが、眉根をあげる。
「リヒト、お前今なんと言った?」
「…グレイスが求婚された」
オプスキュリテは秋野菜のキッシュを食べ終え、食後の紅茶を楽しんでいたが、すっかり気が動転してしまった。ガチャンと手荒くカップを置く。
「なんだと⁉」
〈何度同じことを聞き返すつもりだ、この阿呆!〉
リヒトとオプスキュリテはググッと顔を寄せて睨み合う。バチッと火花が散ったかどうかは知らないが、フンッと鼻を鳴らしてふたりは離れた。
「いったいどこの間抜けだ⁉ グレイスはまだ十一歳ではないか!」
お願いだから私に怒鳴るな、オプスキュリテ。私だって、内心は怒っているのだ! リヒトは内心の怒りを抑えながら、できるだけ冷静に振舞おうとする。
「常識的には、平民女性が婚約するのは十三を過ぎてからだな。しかし年が明けたらグレイスも十二になるのでと、相手側が婚約申し込みをしてきたようだ。お相手は男爵家だからな!」
木の葉が色づき始めた今は、秋の始めだ。正月の話をするにはまだ早いかもしれないが、アルテミスでは新年の注文がもう少しずつ入ってきている。
貴族の婚約は庶民よりもよほど早い。高位貴族ほど婚約は早く、ハイハイを始めると同時に婚約が調う者もいる。
しかしオプスキュリテが激怒するのも、それなりに理由がある。世の中には少女を好んで妻にする好事家がいる。彼らは権力やカネの力にモノをいわせて、幼い少女にプロポーズするのだ。
今回グレイスに求婚してきたのは貴族だから、少女相手といってもおかしな好事家ではあるまい。…あくまで〈婚約の前倒し〉ということだろう。そうであってくれないと、困る。
負のオーラを全身に纏ったオプスキュリテが、ユラッと椅子から立ち上がる。
「よし、サイラスを殺すか?」
「おい、待て! 求婚してきたのはサイラスではない!」
どうしてここでサイラスの名前が出るのだ⁉
焦った私はオプスキュリテを右手で制止する。人違いでも、こいつは平気でサイラスを突き刺しかねん。虚を突かれたようになったオプスキュリテが、
「……サイラスではない? では、誰だ?」
妙にぼんやりした顔になっている。こいつには珍しいことだ。
「ズーク男爵家の三男だ。名前はたしか……ビスナー? だったか?」
「……いたか、そのような者が?」
「さあな?」
アルテミスを御用達にしている貴族なのは間違いないが、私とオプスキュリテはまったく記憶にない。執事かメイドが担当している小口の客だろう。
「どうせカネ目当てだろう? リヒト、さっさと断れ!」
オプスキュリテは不機嫌を隠しもせずに、撒し立てる。
「相手は貴族だ、こちらからは簡単に断れん」
「何を言っている、手はいくらでもあるだろう…?」
オプスキュリテの目が冷たい湖面のように青く光る。唇にかすかな笑みが浮かんで、知らない人間が見たら「美しい」と勘違いするかもしれない。
「オプスキュリテ、ひとまずズーク家のビスナーの身辺調査をしようじゃないか?」
「……なるほど、大切なことだな(どうせ断るのだが)!」
私は思わず溜息をつく。
〈オプスキュリテ、いろいろ調べている間はビスナーを殺すなよ?〉
リヒトの【心の声】に、オプスキュリテは驚いたように
《……殺してはマズイのか?》
真顔の返事が返ってくる。
誰が「ユニコーンは慈悲深い」などと言ったのだ! こいつは偽者じゃないか? グレイスの求婚者を今日にでも殺しそうな勢いじゃないか!
いや、慈悲深いのはユニコーンではなく麒麟だったか。たしかユニコーンは、麒麟と種が近いはずなんだが…。
〈人間界で揉め事を起こすのは、できるだけ避けるんだ! わかっているな、オプスキュリテ?〉
《むろんだ、リヒト。当然ではないか》
頷くオプスキュリテを懐疑的に見やりながら、私はリヒト派のメイドに声を掛ける。アルテミス内には私を愛する「リヒト派」という、審美眼に恵まれた女性たちがいるのだ。
「すまない、ズーク男爵家に関する帳簿を持ってきてくれないか? それと、ズークを担当しているのは誰だったかな? ズーク家の財政面が知りたい」
声を掛けられたメイドは、小柄で猫のような大きな目をしている。
「かしこまりました、リヒト様」
革張りの大きな帳簿を両手に抱え、先ほどのメイドが戻ってくる。後ろにはズーク男爵家を担当していると思われる、若い執事を伴っていた。
「リヒト様、オプスキュリテ様、お呼びでしょうか」
執事の声は少し緊張している。……こいつは確かオプスキュリテ派だったな? 私に呼び出されたので、緊張しているのか?
〈オプスキュリテ、こいつに事情を話せ〉
オプスキュリテはリヒトをチラッと見てから、執事に声を掛ける。
「ズーク男爵家のビスナー様から、グレイスさまに求婚の申し込みがあった。ズーク家の財務状況を知りたいのだ。頼めるか、ピート」
ピートと呼ばれた若い執事は目を大きく見開いた。
「きゅ、求婚? グレイスさまはまだ十一歳ではありませんか! ビスナー様は何を考えていらっしゃるのでしょう? 信じられません!」
ピートのビスナーを詰るような態度は、オプスキュリテの心の琴線に触れたらしい。
大きく頷くオプスキュリテを横目で見ながら、リヒトは〈さすがオプスキュリテ派の執事だ、ふたりはさぞ気が合うのだろう〉と納得する。
この広い世界では、少女を娶る幼児婚の風習が残る土地もある。しかし、ミニヨンでは幼児婚は人買いのように思われ、軽蔑されるのだ。
ちなみに、私も彼らが理解できない。ピートもビスナーがグレイスに求婚してきたことに、強いショックを受けているようだ。
「私も君と同感だ、ピート。私とリヒトはズーク家の内情を知りたい。知っていることがあれば、残らず話して欲しい」
ピートは分厚い帳簿を広げると、興奮した口ぶりで話を始める。猫のような目をしたメイドが慣れた手つきでリヒトとオプスキュリテのお茶を入れ替え、ピートにも新しいお茶を入れてから退出していった。
「……控えめに見ても、ズーク家の財政は火の車です。今までに支払いが滞ったことが三度ほどあります。しかし、親類縁者に頼み込んで金策をしたようです。特別たくさんの物を購入しているわけではありませんし、大食漢で食費に金が掛かるというわけでもないのです。美食家でもありません」
着道楽・食道楽という言葉のとおりに、豪華な衣装や美食で借金を作る貴族もいる。しかし、ズーク家はそうではないらしい。ピートはスラスラと淀みなく、ズーク男爵家の説明を続ける。
「ふむ…。派手に暮らしているわけでもないのに、どうしてカネに困っているんだろう? 先祖から引き継いだ借金でもあるのか?」
「いえ、むしろその逆です。先代の時に、溜まっていた借金を完済したようです。相当切り詰めた生活をしていたようですね。ですから、その名残といいますか…暮らしぶりは質素なのです」
そこでピートの目線がうろうろし始める。何か知っていることを(話そうか、話すまいか)迷っているように見える。
「……実は、その、ビスナー様なのですが…」
「何かビスナー様のことを知っているのか?」
「う、噂の域を出ないのですが…」
「こちらで詳しく真偽を調べるので、噂の内容だけでも教えてもらえないか? 君が軽々しく噂を信じる者だとは思っていない。グレイスさまのために、いろいろな情報が欲しい。残らず話してくれ」
オプスキュリテが水を向けると、ピートは深くうなずいた。
「グレイスさまのため……」
アルテミスは従業員を大切にする店なので、グレイスに対する忠誠心は常日頃からかなり強い。
「ビスナー様は、素行がお悪い方だそうです。喧嘩で相手を傷つけたり、暴力でお金を巻き上げたりするという噂があります」
「貴族の分際で?」
リヒトは思わず聞き返した。貴族が街のチンピラのような真似をしているのか? それは相当マズイだろう。
「……噂程度で済んでいるのは、ズーク男爵がお金を包んで、事件を揉み消しているのではないかと…」
リヒトとオプスキュリテは顔を見合わせる。
「なるほど。……ビスナーの不行跡を、カネで揉み消しているのか⁉」
家の対面を守るために、ズーク男爵家は金欠状態に陥っている。筋が通る話だ。
「あくまで噂です。ビスナー様に仕返しされるのが怖くて、表立っては話が聞こえてこないのです」
オプスキュリテは呆れたように鼻を鳴らす。
「仕返し…か。自分の不始末だろうに」
「…ビスナーはそんなに腕が立つのか? 強いのか?」
ピートの話を聞いていたリヒトは、段々そちらの方が気になってきた。ビスナーなら、恨みを買って殺されても誰も驚かないだろう。それなら、一度くらい手合わせに戦ってみても良いかもしれんな…。
「ビスナー様は身長2メートル以上で、筋骨隆々です。貴族と言うよりも、化け物ですよ!」
ピートは「考えたくもない」という顔で、少し青くなる。
面白い、良いではないか! リヒトは不謹慎にもワクワクしてきた。
グレイスに求婚してきたズーク男爵家は、かなりカネに困っているようだ。おそらく金策の一環で、婚約を打診してきたのだろう。なにせアルテミス商会は、高位貴族並みの金持ちだからな。
〈カネ目当ての薄汚い下衆野郎なら、叩きのめしてもまったく問題ないな!〉
リヒトの顔つきに何かを感じたのか、オプスキュリテが言う。
「リヒト、いろいろ調べている間にビスナー様をころ……手出ししては、マズイのだろう?」
オプスキュリテが私を牽制する目つきになっている。しっかりと調べて、証拠を揃えてからでないと、手出しをするなと言いたいのだろう。
「むろんだ、オプスキュリテ。当然ではないか」
リヒトはにっこり笑いながら、オプスキュリテに何度か頷いて見せる。……なんだか私とオプスキュリテの立場が、すっかり逆転していないか?
貴族は特権階級である。端的にいうと、平民よりもかなり偉いのである。しかし偉いからといって、何をしても良いわけではない。当たり前のことだが、人を殺してはいけない。他人の物を盗んでもいけない。人としての規範を守らなくてはならないのだ。どんなに偉くても、人間は人間なのだから。
「貴族は一般庶民よりも、よほど規範が厳しいと思うが…」
リヒトの言葉に、オプスキュリテは顔を顰める。
「しかし、ビスナーは路上で堂々と物を盗んでいるようだぞ?」
リヒトとオプスキュリテは市場の露店でビスナーの噂を聞いて回った。むろん、カネを握らせてしゃべらせたのだ。
「お貴族様のことなんか、軽々しく話せないよ!」
「よその店に行ってくれ!」
最初のうちは相手にされなかったが、リヒトが「少しビールをくれ」と言ってカネを多めに握らせると
「ビスナーってやつは、とんだヤクザだよ! 関わりたくないんだ」
と、こぼし始める。
「貴族のくせに、ヤクザなのか?」
「貴族の身分だから、余計に厄介なのさぁ。こっちは逆らえねぇもん!」
「貴族の身分を笠に着て、カネ払わずに飲み食いしてたよなぁ?」
ひとりの口が滑らかになると、傍にいる者も話はじめる。被害を受けた露店はひとつやふたつではなく、その全てでズークの使いの者がカネをばら撒いていた。ズーク男爵家の財政が傾くのも、むべなるかな。
貴族の不良行為は、社会的に許されないことである。
「…誰が許さないのだ?」
オプスキュリテの疑問に、リヒトが答える。
「いちおう、ミニヨン国王だろう。貴族の不良行為は〈不行跡〉と呼ばれるのだ。理由もなく人を殺したり、他人の物を取り上げてはならない。他人の妻を寝取ったり、娘を奪ったりすることも禁止だ」
「…どれも当たり前のことではないか?」
「当たり前を守らぬ者は多いぞ。確かこの国では、貴族の賭博も禁止だ。賭け事で身を滅ぼす貴族が多いからな!」
「ふむ…カードゲームも禁止か?」
「イヤ、金を賭けるのがダメなだけだろう」
オプスキュリテはカードやボードゲームが好きなのだ。(生意気にも)知的ゲームが得意らしい。カネを賭けなければ良いと聞いて、ホッとしているようだ。お前は貴族ではあるまい。人間でさえないのに、何を心配しているのだ。意味がわからん!
「しかし、カネをばら撒いていたわりには、皆よくしゃべっていたな?」
オプスキュリテがぼそりと呟く。
「それだけ恨まれているのだ。カネで人の口は塞げんぞ。表面上は取り繕えるだろうが、やはり漏れるのだ」
オプスキュリテはフッと笑う。
「それなら、ズーク家のやっていることは無意味だな…」
「まあな。次は娼婦街に行くぞ! ビスナー御用達の店だ」
私の言葉に、オプスキュリテは「貴族のくせに、ビスナーは庶民の娼婦館を利用しているのか?」と驚いている。こんなチンピラ貴族とグレイスの婚約が取り沙汰されるなど、頭がおかしくなりそうだ!




