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禁死篇  作者: 丸亜沙子
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024 アルテミスとの契約

 朝から雨がしとしと降っている。ミニヨンでは夏の終わりに短い雨期があり、その後に秋風が吹き始める。


〈朝から雨か…。柄にもなく、何やら物悲しい気分になるな〉


 憂鬱な気分になるなど、明るいリヒトには珍しい。ソファに沈み込みながら、リヒトはオプスキュリテに話しかける。


「…暇だな」

「あぁ、私は午後から商談が入っているが」

「私だって、午後からなら仕事があるが…」


 今日の午前中は、商談がひとつもない。ふたりとも少し手持ち無沙汰にしていた。そして、どちらからともなくご神木の話題になった。


「……私は当時は知らなかったのだ。魔法陣に立つガイドの思念が、ご神木との契約に影響を及ぼすということをな」

「ああ、そうらしいな。私も後から知った…」

 オプスキュリテも(かす)かに頷きながら同意した。


「私がガイドを務めた男で、父親の魂を売った男がいた。大人になったばかりという雰囲気の、若い男だったな。…女にモテたいといって、父親を売った」


 リヒトの言葉に、オプスキュリテの青い目が冷たく光る。きっと人間を軽蔑しているのだろう。まぁ、気持ちはわかるぞ。


「そいつは娼婦街に入りびたって、おかしな性病で亡くなったらしい。世の中に知られていないような、奇妙な性病だったそうだ。……本当にあっという間に死んだらしい」


「……リヒト、お前はずいぶん個性的な方法で、人間にしっぺ返しをするな」


 オプスキュリテにじろりと睨まれて、リヒトは少し言い訳したくなった。知らなかったんだ、本当にそんなことになるとは思わなかった。


「たしかに、『性病に(かか)って死んでしまえ!』とは思ったぞ。しかし、わざとじゃない。ガイド役の願いまで叶うとは思わなかった」


 リヒトは〈…私が悪いのか?〉と首をしきりに振りながら言う。


「仕方あるまい? あいつは死んで当然だ。女にモテたいなんぞ、父親の魂を差し出すような願い事ではあるまい? 自分で努力すればいいことだぞ。人間以外の動物のオスはそうしている。バカバカしいにも程がある」


「人間は【魔】を恐れるが、人間の方がずっと【魔的】だからな。いつも自分のことしか考えていないのだ」

 オプスキュリテは基本的に人間嫌いなので、フンと鼻を鳴らして決めつける。


 我々が人間に接する機会は限られている。ご神木に〈願いごと〉をしにやって来る人間は、誰も彼も欲望にまみれているので、我々の人間への印象は悪くなるのだ。仕方ない。



「……昔、私がガイド役をしていた時に」

 オプスキュリテが遠い目をする。…あれはどれくらい昔のことだったか。


 何人もの伴を引き連れて、ご神木のもとを訪れたひとりの男がいた。遥か遠い国から、海路で何日、陸路で何日はるばる旅をしてきたと言っていた。自分は広大な国を統治している、賢い王だとも言っていたな。


 オプスキュリテは当時ガイド役に()んでいたし、そもそも面倒だったので

「で、あるか」

 とそっけなく応えた。


 自分を賢王などと自称するバカは嫌いだし、周りに賢王とおべんちゃらを言わせる阿呆も同じくらい嫌いだ。どっちに転んでも嫌な奴だろう。


 オプスキュリテがガイドとして最低限の説明を終えると、ケンオー(仮名)はさっそく「我は不老不死を望むっ!」と叫んだ。


《はぁ…。こやつは私の説明を聞いていなかったのか?》


 思わず両腕を組んで、無意識に敵対のポーズを作ってしまう。オプスキュリテはゆったりした黒い衣に、金色の刺繍の入った帯を結んでいる。袖が長いので、腕組みしても相手はそれほど威圧を感じていないようだ。


 リヒトだったらためらいなくケンオーを爪で引き裂いていただろうが、人間のような弱い生き物を虐めるのは気が進まない。オプスキュリテはしぶしぶ口を開いて、同じ説明を繰り返す。


「……不老不死は、人間ひとりの魂で(あがな)えるような願い事ではありません」

「うむ、その説明は先ほど聞いたぞ!」

「でしたら…」

「払おう!」

「……は?」


 ケンオーは丸い顔でにんまり笑うと

「払おう! 人間ひとりの魂では贖えんのだろう? それならば、我が民の命を差し出そう! いくら出せば不老不死を叶えてくれるのだ⁉ 百人か? 千人か? いくらでも出すぞ! 我が国は広大で、民は多い。我のために命を差し出す名誉を、彼らに与えよう!」

 太い声で叫ぶ。


 なんだと? 不老不死は願えないと、私はさっきお前に伝えたではないか。赤の他人の魂を差し出すこともできぬと、私は伝えたではないか。


《こやつ、いったい何を言っているのだ?》

 オプスキュリテは呆れて動きを止めてしまった。言葉は通じているはずなのに、まったく意思疎通ができない。


 ケンオーはたっぷりと丈のある黄色い服を着て、首には金のネックレスをいくつもぶら下げている。十指すべてに金の指輪をして、さらに金の耳輪までしている。丸い顔に小柄で丸い体。その丸みは硬い筋肉なのか、ぶよぶよの脂肪なのか。…あるいは両方か。


「他にも欲しいものがあれば、いくらでも出せるのだ! 金はいらぬか? 宝石もあるぞ! 我が国は豊かな国なのだ。いくらでも出そう! だから、不老不死の願いを叶えてくれ!」


 なんということだ。自分の欲望のためならば、民の命も国の富も差し出すというのだな? 賢い王よ(皮肉)、お前はそう言っているのだな?


「……なんということだ」

「素晴らしいだろう?」


 ケンオーが誇らしげに言う。オプスキュリテは吐き気にぐっと耐える。ケンオーの近くに立っているだけで、おかしな腐臭を感じた。こいつの魂は相当汚れているな。


「…私はただのガイド役だ、不老不死は願えないと決まっている…」

 オプスキュリテはやっとの思いで言葉を絞り出す。私とこやつとは相性が悪すぎる。何という腐敗臭だ。()えた魂の匂いがする…。


《ユニコーンは穢れに弱いというのに》


「そこを何とか、願わせてくれ! そなたにも相応の礼はしよう。そこの魔法陣を使うのだな? 願わせてくれたら、それだけでいい!」


 ケンオーは再びにんまり笑うと、伴の者たちに大きな荷を運ばせた。竹で頑丈に編まれた大きなつづらの中に、宝石と金塊が詰まっている。


「ガイド殿、これはそなたへの手土産だ。どうだ、損にはならんだろう?」

 ケンオーはオプスキュリテに親し気に笑いかける。無邪気な笑顔を向けながら、饐えた匂いをまき散らすケンオーが不気味すぎる。


 オプスキュリテはあまりのことに声を失っていた。ご神木に群がる汚い人間はたくさん見てきたが、こいつはまたなんと自己中心的な者だろう。


 (はな)からご神木との契約を守るつもりはないのだろう。金銀財宝を積み上げて、自分に都合よく決まり事を改変して生きてきたのだろう。これまでのケンオーの生き様が見えるようだ。


《ここまで利己的でないと、人間の世界では王になどなれないのだろうか?》


 一言も声を発しない(発せない?)オプスキュリテの反応を、肯定と受け取ったのか、ケンオーはズカズカと魔法陣に足を踏み入れた。慌てて、オプスキュリテも魔法陣に立つ。


《こいつは本気なのか⁉ 不老不死の願いは禁忌のはずだ。成立するはずがない!》


 ケンオーはオプスキュリテのガイドに導かれもせずに、諸手を上げて自分から願った。

「ご神木よ、我が民の命を捧げよう! 好きなだけ取って構わん! その代わりに、我に不老不死を与え給え!」


 オプスキュリテは嫌悪感で(たま)らなくなった。わなわなと両手が震えてしまう。


《……吐きそうだ。そもそも不老不死の願いなど、ご神木との契約違反ではないか! 禁忌を破る気か? こんな男が王だと? 狂人の治める国など、滅んでしまった方がいい! 国などなくとも、民草は生きていける。こんな男の命など奪って、腐った魂を取り上げてしまえ!》


 魔法陣の中で、金色の光が巻き起こった。《まさか⁉》とオプスキュリテは驚く。ケンオーとご神木の契約が「()る」のか? 無辜(むこ)の命を消費して、こんな男を不老不死とするのか⁉


 ケンオーは金色の光の中で、雄たけびのような笑いを上げた。

「やった、やったぞ! 我は不老不死を手に入れた! ハハハハッ! やった! やったぞ!」


 ケンオーは喜びのあまり、魔法陣の中でぴょんぴょん飛び跳ねる奇行を始める。魔法陣の中でつむじ風のように光が吹き荒れると、その光はご神木に向かってドーンと流れていった。


 ご神木がキラキラと虹色に光り輝くのを見て、伴の者たちが「おぉー!」と声をあげる。ケンオーは右腕を上げて、伴たちの歓声に応えるように立っている。彼の表情は喜びを刻んで、恍惚としている。


「なんということだ……」


 再びオプスキュリテがその言葉を口にした瞬間、ケンオーはバタッと横ざまに倒れる。目をカッと見開いたまま、立ち死に…というのだろうか、突然事切れてしまった。


「……死んでいる?」


 オプスキュリテはおそるおそる声をあげた。何が起こったのか、理解が追いつかない。不老不死を願って、ご神木の霊力に包まれたケンオーがそのまま命を奪われた…。


《命を奪ったのは、ご神木なのか? ケンオーはご神木の怒りを買ったのか?》


 ケンオーはどうやら賭けに負けたらしい。


 ご神木との契約は成らずに、魂だけを(むし)り取られたのだ。あまりにも一方的で無茶な取引だったので、ご神木の怒りを買っても仕方がない。こちらは最初から「不老不死は願えない」、「赤の他人の命は差し出せない」と条件(ルール)を提示していたのだからな。


 愚かにも程があるぞ、ケンオー(仮名)…。


 ★


「おい、ちょっと待て!」

 オプスキュリテの話を聞いていたリヒトが、ここで口を挟む。手にはコーヒーカップを持っている。


「なんだか聞き覚えのある話ではないか?」

「…聞き覚え?」

 オプスキュリテが眉間に軽く皺を寄せた。何のことか、さっぱり思い当たらない。

 

「不老不死を願った王を殺して、魂を奪った〈気の短いガイド〉というのは、オプスキュリテ、お前のことか?」


「そういう話になっているのか?」

 オプスキュリテは初めて聞いたような顔をしている。


「そういう話も何も、お前…」

「……多分、人違いだろう。私は何もしていない…」


 オプスキュリテは困ったように顔を(しか)める。こいつ。おとなしそうな顔をして、何故かいつも私より派手なことをするのだ。気に食わんぞ! 


「こんな昔語りで、我らが揉めることもあるまい?」

 オプスキュリテが言う。


 いや、それはそうだが…。リヒトはコホンと咳払いして、再度繰り返す。

「…とにかく、ご神木との契約で、ガイド役の思念は契約に影響を与えるのだ!」

「であるな」

 オプスキュリテも再度同意する。


 人間の願い事の中には、「(がんばれば)自分で何とかできるのではないか?」と思うことが意外に多いのだ。安易に魔法に頼らずに、自分で事に当たってみるべきだとリヒトは思う。


 霊力を持っていて、魔法の使えるリヒトから見ると、人間は魔法を万能だと思い込みすぎる。魔法は意外と扱いが面倒で、何でも都合よく願いが叶うわけではない。自力でがんばる方が、はるかに効率が良いこともある!



〈ご神木との契約で、ガイド役の役割は実はかなり大きい…〉


「その点、私は勝率が悪かったようだ…」

 リヒトは頬杖をついて、ため息をつく。熱いコーヒーをゆっくり啜る。

「若い男は性病で亡くなり、二番目の、外腹の息子を売った男は…」


 あいつは程なく自殺した。詳しい理由はよくわからん。男が投資した鉱山や商業ギルドで、(本人曰く)大成功を収めたらしいのだが、貴族にそのすべてを奪われたらしい。


「らしい、らしい」で詳細がわからないのは、男が財産を築いたという確たる証拠が見当たらないからだ。


〈たしか、カネが欲しいが金を持っているのを誰にも知られたくないと願っていたな。…奇妙な願いだと思ったが…〉


 男は「騙された! 騙された! 最初からやり直したい!」と嘆いて自殺した。自殺した事実だけは間違いないのだが、自殺の原因が家族にも周囲にも、皆目わからない。

 結局、「あいつは頭がおかしくなったのだろう」で落ち着いたようだ。


 どうやら(かね)は手に入ったらしいし、周囲にそれを知られなかったのだから、ご神木は約束をきちんと守ったといえる。かなり後味は悪いが……。


 最初から取引なんぞはしないのが一番だとリヒトは思う。相手が【聖なる者】だろうと、【魔の者】だろうと、取引は危険だ。願い事は叶えられるだろうが、必ずといっていいほど「()じれ」が生まれる。


 自分でコツコツ努力すれば、自分の思った通りのことができるが、魔法という他力を用いた瞬間から、願いは本来のものとは〈別の何か〉になってしまう。実に危険だ。


「人間はもっと自分の力を信じるべきだと思わないか?」

 リヒトの言葉に、オプスキュリテが驚愕したような表情を見せる。


「……お前の口から出たとは思えない言葉だ」

「私はお前ほど人間嫌いではない! むろん、相手によるが…」

 リヒトはオプスキュリテに応える。


 私はオプスキュリテほど人間嫌いではない。何故なら、ご神木のガイド役を務めていたときに、ヘンリーに出会ったからな。


 ヘンリーはグレイスの四代前のご先祖様だ。


 彼は病気の娘の命を願い、ご神木に自分の命を差し出した男だ。そして彼は〈願った以上のもの〉を手に入れることになる。


 ヘンリーは小さな雑貨屋に婿養子に入っていたのだが、娘と同じアルテミスと名付けた商会を必死で大きくしているところだった。ご神木は娘のアルテミスを救うと同時に、彼の残したアルテミス商会も守護した。


 ガイド役を務めたリヒトも、「アルテミスを守る」という契約に自分の意志で巻き込まれたひとりだ。ヘンリーの娘のアルテミスが長寿を全うしても、なおご神木のご加護は消えなかった。



「ご神木の怒りを買い、一瞬で魂を奪われたケンオー(仮)と、アルテミス亡き後まで長くご加護を受けるアルテミス協会…。ケンオー(仮)とヘンリーの違いは、どこにあるのだろう?」


 リヒトが考え込んでいると、オプスキュリテが

「そういえば、ご神木の枝はソフィアさまに贈ったのか?」

 と訊いてくる。


「……あぁ、何やら研究好きだというのでな。人の魂を喰らって生きているご神木だ。せめて人の役に立つことに、ご神木を使って欲しいではないか?」


 リヒトはそう答えて、ぐびっとコーヒーを飲み干す。…午後からの商談は、王室のお世継ぎ様だったな。私はあいつは好きじゃないんだが。

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