022 エッグハント後日談
タニタが巣から持ち帰った翼竜の卵は五つもあった。
「すごいじゃないか! 翼竜の卵が五つも!」
ユウキとシャーロッテは狩りの成果に興奮したが、サイラスたちはまったく別のところで困っていた。
「今回の成果はソフィアさまとタニタの活躍のお陰なので、卵はアシモフ家が三つ、ドイルが二つで分けましょうと提案したのですが…」
オリバーとサイラスが顔を見合わせる。
イサキオスが「霊力を使って翼竜を退けたのは、サイラスとメイジ―なのだから、アシモフが二つ、ドイルが三つで卵を分けるべきでは?」と主張しているのだ。
アシモフ家には馬車や船も提供してもらって、今のところ滞在中の食事から何から、すべてイサキオスのポケットマネーだ。いくら旅行前にフェンリルを三頭狩ったとはいえ、アシモフ家の負担が大きすぎる。
「このうえ、卵までドイルが三つ貰うのはさすがにどうかと思います。だけど、イサキオス様は霊力は誰でも持っているものではないから、と…」
オリバーは判断に困っている顔をしている。
エッグハントを計画した時点では、みんな冒険の話に夢中で、卵を狩った後の話はほとんど出ていなかった。五つも卵が手に入ると思わなかったし、翼竜を育てる以上のことは考えてもいなかった。
「…ふぅん。それでは両家が翼竜として育てる卵をひとつずつ取って、あとはすべて売ってしまったらどうだ? お金を二等分で山分けしたらいいじゃないか。翼竜の卵は、ひとつで金貨百枚はくだらないぞ?」
ユウキはあっさり提案した。翼竜の卵はそれだけの価値があるのだ。ハンターが命懸けで狩るものなのだから。
「多少の貢献度の違いはあっても、みんなが命懸けで狩ったものなのだから、公平に分けても良いだろう?」
「そうだね。公平に分けられるなら、それが一番いいと思う!」
ユウキの言葉にみんなが納得して、両家が卵をひとつずつ取って、あとは現金で分けることに決まった。
この世界の金貨一枚は銀貨十枚に相当する。そして、銀貨一枚は銅貨十枚に相当する。銅貨一枚が日本円の千円くらいの貨幣価値がある。
つまり、金貨一枚は1000掛ける100で10万円になる。ということは、エッグハントで得た卵ひとつの値段は、金貨百枚で1000万円にもなるのである! この値段を知れば、卵の分け方で両家が揉めるのもご理解いただけると思う。
オリバーもイサキオスもお互い友達思いで、相手が有利になるような卵の分け方を提案しているのが微笑ましいのだが。
蛇足として、銅貨の下に陶器で作られた陶器銭というものがあって、大きいものが日本円の100円に相当し、小さい陶器銭が10円に相当する。しかし、陶器銭は市場くらいでしか流通していない。
貴族が日常的に使用するのは金貨、銀貨、銅貨までだ。低位貴族であるオリバーとサイラスが日常的に利用するのは、せいぜい銀貨と銅貨が多い。…まぁ、ほとんど銅貨で生活しているかな?
クリスティ家でイサキオスやサイラスたちをもてなす宴を開いてくれた。しかし、思った以上に人出の多いパーティになっている。ミニヨンの公爵家から客人が来たというので、顔つなぎに来る貴族が多かったのだ。
「ホームパーティのつもりだったのに、どこからこんなに人が湧いて出たんだ?」
ユウキはすっかり困惑顔になっている。招待状なしにやって来ているやつらが多すぎる! クリスティ家の警備はどうなっているんだ?
「…ミニヨンの貴族が翼竜を倒したと噂になっているようです」
メイジ―はフロアを回って、すでに噂話を掻き集めてきている。
どうやら噂の根源は、イサキオス号で現地調達した料理人や下働きたちのようだ。彼らは実際に船上で起きたことを見聞きしているから、噂はあっという間に広まった。
その中でも、〈ミニヨンの美しい姫君に翼竜が恋をして、自分の大切な卵を贈り物として捧げた〉という話が、センセーショナルに喧伝されている。ミニヨンの美しい姫君というのは、もちろんソフィアのことだろう。
クリスティ家の広いホールは、アウソニアの高位貴族でいっぱいに溢れている。そして、多くの貴族たちが競ってソフィアとダンスをしたがっていた。今やソフィアは〈翼竜に恋をされた尊い姫君〉なのだ。
「…嘘だろう? ソフィアがダンスを申し込まれるところなど、ミニヨンでは数えるほどしか見たことがないのだが…」
イサキオスは目を白黒させて、譫言のようにオリバーに繰り返している。ソフィアにダンスを申し込む貴族の行列は、途切れることがない。あまりにも人数が多いために、タニタが間に入って順番の調整をしているところだ。
申し込まれるままにすべて踊っていたら、ソフィアの体力がとても持たないだろう。いくら何でも、物事には限界がある。
「これは夢か? 白昼夢なのか? ミニヨンでは、誰もソフィアとダンスを踊ったりしなかったのに…」
イサキオスが泡を吹きそうになっている。
「ミニヨンでソフィアさまがダンスを申し込まれないのは、婚約者が王族だからでしょう?」
サイラスが笑いながら、イサキオスに応える。彼を落ち着かせようと、冷えたオレンジ果汁を手渡す。
イサキオスはまるで雷に打たれたような顔になって、サイラスを見返した。
「えっ? そうなのか?」
「だって…。さすがに誘いにくいじゃないですか? ソフィアさまは、生まれながらに王族の婚約者なんですから…」
その昔、ミニヨンで疫病の嵐が吹き荒れた時代があった。老若男女の区別なく、人々はバタバタと病に倒れていった。疫病に罹患した者の四割近くが亡くなった。病に倒れた者の、ふたりに一人が命を落としたのだ。
恐ろしい暗黒の時代を救ったのが、アシモフ家の先祖・通称カビ男爵である。
彼の生み出した素晴らしい特効薬によって、ミニヨンの多くの命が救われた。その高い功績によって、アシモフ男爵は公爵家となり、王家から様々な特権が与えられた。
その特権のひとつに、「アシモフ家の長女を王家のお世継ぎ様と婚姻させる」というものがある。イサキオスとソフィアの叔母も、王族に嫁いで子を成している。ソフィアの生まれながらの婚約者は、イサキオスたちから見ると従兄にあたるのだ。
アシモフ家の長女であるソフィアは、生まれながらに王族の婚約者だ。ミニヨンでは、その事実を知らない貴族などひとりもいない。
「……ソフィアがモテないのは、王族のせいだったのか?」
イサキオスが青い顔をしている。彼の中で常識がひっくり返っているのだろう。
「オリバーや僕だって、イサキオス様のお友達だから、ソフィアさまとダンスを踊れるのですよ。なかなかソフィアさまにはダンスを申し込めません」
サイラスが言うと、イサキオスは「オリバーやサイラスは、ソフィアを気遣ってダンスを申し込んでくれるのだと思っていた…」と呆然としている。
タニタがソフィアを庇うようにして戻ってくると、イサキオスに進言する。
「このままではソフィアさまのお体が持ちません。イサキオス様、ダンスはこれで切り上げて、皆さまにソフィアさまの笛をお聞かせするのは如何でしょうか?」
「…笛か? ふむ。ソフィア、お前はそれで大丈夫かね?」
イサキオスはソフィアの意思を確認する。ソフィアはコクリとうなずいて、「ダンスよりも、音楽の演奏の方がはるかに楽ですわ」と答える。
ユウキとシャーロッテも〈翼竜を魅了したソフィアの笛〉に興味があるようで、笛の演奏を後押ししてくれる。ステージを用意するというので、ソフィアは一度下がって、新しいドレスに着替えることにした。
小姓に手伝われながら控室でドレスを着替え終わると、ダンスを踊った後なので、髪の乱れを軽く直す。メイクも少しだけ直した。
アウソニアは豊かな国だけあって、どこの貴族の屋敷も大きくて立派な造りになっている。同じ公爵家といっても、クリスティ家の屋敷はアシモフよりもはるかに豪奢に思える。
「…イサキオスに誘われなけれぼ、アウソニアに保養に来ることもなかったでしょう。海外を知ることも大切ね」
用意された炭酸割りのオレンジ果汁を味わいながら、ソフィアはステージが用意されるのを静かに待った。
サイラスの小姓を務めていたメイジ―という男がやってきて、ソフィアを案内する。
「ソフィアさま、ステージの準備が整いました」
ソフィアは軽くうなずいて、彼に従って歩いて行く。ホールに集まった沢山の人の波。ソフィアを見上げる視線には、夢や憧れが籠っているようにも、浅薄な興味が渦巻いているようにも見える。
(どうしてこんなことになっているのかわからないけれど、今更何が変わるわけでもないわ…。わたくしはわたくし…)
ソフィアは白いドレスに着替えていた。アルテミスで作った新しい夏用のドレスで、長身のソフィアに合わせたシンプルなデザインだ。ソフィアはゴテゴテしたものは苦手だった。
自分を表現するのに、華美なものは必要ないとソフィアは思っている。
(誰に誤解されようと、理解されようとどうでもいい。自分と世界があれば、わたくしはそれでいいわ)
ステージの上には椅子が用意されていたが、ソフィアは一瞥しただけで座らなかった。銀色の笛に唇をあてて、静かに曲を奏でていく。船上で演奏したのと同じ、夏の空を思わせるような曲。
爽やかな夏の空に、ゆったりと流れていく雲のような、あるいはその雲を押し流す夏の風のような一曲。涼やかな音がキラキラと輝くようで、ホールにいる人びとは誰もがソフィアの音楽に魅了されていく。
(ソフィアさま、素晴らしいな!)
サイラスは思った。ソフィアは何ものにも動じないような力強さで、銀色の笛を吹いている。…揺るぎないような、自分の世界を持っている人だなぁ。
ソフィアの演奏が終わると、周囲から拍手の波が沸き起こる。同時に、ワッと歓声も起きる。
「なんという美しさだ!」
「ミニヨンの姫君は、まるで音楽の女神のようではないか⁉」
「素晴らしい! なんという気高さだ!」
アウソニアの貴族たちから絶賛の声が上がっている。そして、彼らは兄のイサキオスを取り囲むと「姫君はどちらに嫁がれるご予定なのでしょうか?」とか、「我が家には、姫君と年の近い息子がふたりおります」などと売り込みを始める。
…な、なんと? ソフィアがモテている? 馬鹿な!
イサキオスは混乱したまま、笑いを顔に張りつけた。
「ソ、ソフィアには生まれながらの婚約者がおりまして…」
相手は大国アウソニアの貴族なので、イサキオスも慎重に言葉を選んでいる。何かあれば、国際問題に発展しかねんからな…。
「あれほどの美姫でしたら、さぞや良いお話があるのでしょうね!」
「いやいや、姫君にはぜひとも我が家の話をお受けいただきたく…」
「イサキオス様は、もうどちらかの姫君とご婚約がお済みでしょうか?」
何故か私の婚約話まで打診してくる始末だ。どうなっているのだ? さらに混乱しながら、イサキオスは固まる。
「まぁまぁ、皆さん。イサキオス様もソフィアさまも急なお話でお困りではありませんか」
やんわりとシャーロッテが割って入る。助け舟を出してくれたのか、とイサキオスがホッとしたのも束の間。
「イサキオス様、実は我が家にも息子がひとりおりますの! まだ五歳なのですけれど…」
シャーロッテの目が異様にキラキラ輝いている。
「シャーロッテ、さすがにソフィアさまとでは年回りが合わないだろう?」
ユウキが必死でシャーロッテを止めに入る。
「あら? 愛があれば年の差なんて! ソフィアさまほどの方を、よその殿方に譲れませんでしょう? 才色兼備とは、まさにソフィアさまのための言葉ですわ!」
「シャーロッテさま、ソフィアさまには婚約者がいらっしゃるのですよ!」
見かねてサイラスが横から口を出すと、「あら? もしや、サイラス様もソフィアさまを狙っていらっしゃるの?」と口をすぼめて言い始める。…どこまで本気なんだ、この人は?
イサキオスもサイラスも、(さすがにこの場だけの話だろう…)と高をくくっていたのだが、ミニヨンに帰り着いてから、ソフィア宛ての求婚話がたくさんの贈り物と一緒に山ほど舞い込んだのだった。
ミニヨンの王族ごとき、アウソニアの高位貴族たちからすると、何とも思わないのかもしれない。ソフィアの婚約者がミニヨンの王族だと知っても、どこ吹く風という具合いなのだった。
「まぁ、なんて素敵な贈り物でしょう!」
ある日、ソフィアが贈り物の包みを開けて大きな歓声を上げるので、イサキオスは「…なんだ、お前のお眼鏡に適った求婚者でもいたのか?」と訊き返す。
「ご覧になって、お兄様!」
ソフィアが興奮した様子で見せてきたのは、アルテミスから届いた荷物だった。黒塗りの箱の中に、黄金色に輝く枝が数本きれいに収められている。美しい筆跡で、カードが添えられていた。
〈ソフィアさま。イサキオス号を造った折に、余ったご神木の枝です。ご興味がおありではないかと思いましたので。研究にお役立てください。リヒト、オプスキュリテ〉
「なんて素敵なご神木かしら!」
ソフィアは喜びの声をあげた。




