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禁死篇  作者: 丸亜沙子
15/21

015 ミッチの失踪

「タママ~、サイラスさまのおうちってどんな感じ?」

 雑巾がけの最中に、孤児のひとりが興味津々で質問している。ミッチは思わず聞き耳を立ててしまう。


「立派なおうちだったよ。スープはあったかくて、パンは柔らかかった」

 タママがニコニコ笑いながら答えている。

「えー、いいなぁ」


 あたしたち孤児は毎朝、寺院の広いホールの拭き掃除をする。冬場は寒くてうれしくないけど、ワイワイおしゃべりしながら作業するので、意外と楽しい時間なのだ。新しい文官サイラスさまに仕えることが決まって、タママは話題の中心になることが増えた。


 サイラスさまはみんなに優しいから、孤児たちの間で人気がある。みんなタママからサイラスさまの話を聞きたがった。もちろん、あたし(ミッチ)もサイラスさまの話題には興味がある。


 いいなぁ、タママは。女は力仕事が苦手だから、小姓には選ばれない。……ううん、そうじゃない。あたし、知ってる。アトス寺院で働くお貴族様は「お世継ぎ様」じゃなくて次男や三男だから、いつかよそに婿入りをするんだ。


 婿入り先に女の小姓を連れていくのは嫌がられる。別に愛人とかじゃなくても、若い女を婿入り先に連れていくのは良い顔をされないのだ。だから、慣例的に男の小姓をつけるんだって。


 文官さんがそういう話をしていたもの。だから、どんなにがんばったって女は選ばれっこないんだ。…あたしだって、お貴族様のおうちに行ってみたいのになぁ。


 あたしが心の中で悔しがってるのに、タママはニコニコしながら話しかけてくる。

「ミッチ、オリバーさま、すごく優しくていい人だよ!」

 タママはあたしにサイラスさまのお兄様の話を教えてくれる。…タママはいい子なんだぁ。


「ミッチが言ってたとおりだよ。髪の毛は綺麗な金髪で、目の色はサイラスさまとおんなじ緑色だよ!」

「…カッコいいの?」

「うん! オリバーさまはスポーツ万能だって、サイラスさまが言ってた」

「ねぇ、お貴族様はどんなスポーツするの? あたしたちと同じじゃないんでしょ?」

「オリバーさまは、スキーとソリの話をしてた。今から冬用のソリを注文しないと、秋までに仕上がらないんだって」

「え~、まだ春だよ? これから暑い夏なのに冬用のソリ?」

「それがさ、余裕をもって注文しないと、特別料金が取られて高くなるらしいよ。安くするには夏前から注文した方がいいんだって」


 鹿が引く(そり)は冬に見たことがあるけど、オリバーさまがいうソリって、ああいうのかな? それとも、お貴族様は街で走るような橇には乗らないのかなぁ?


「レースするんだって…」

「レース?」

「オリバーさまもサイラスさまもお好きみたいだった、ユウキさまも」


「ユウキさまって誰?」

「あのね、オリバーさまとサイラスさまの叔父さまだって」

「ふぅん」


 いいなぁ、タママ。サイラスさまの小姓に選ばれてから、とっても楽しそう。それに、誰もタママのことを「ターママ」って呼ばなくなった。サイラスさまが来る前は、タママはみんなにターママって呼ばれていたんだ。本当の名前はタママなのに、みんな癖をつけてそう呼んでいた。孤児の名前なんか、取るに足らないものだから。


 だけど今は、サイラスさまがタママと呼ぶと決めたから、みんなが自然と従っている。


 貴族はやっぱり偉いんだ。サイラスさまは意地悪な人じゃなくて、ちっとも怖くない。それでもみんな、サイラスさまの言うとおりにするんだもの。やっぱりお貴族様って、スゴイ! 


 あたしは女で、サイラスさまの小姓にはなれっこない。でも、貴族に憧れるくらいはいいよね? 心の中で憧れるのは自由でしょ?


 朝食のお皿洗いの後、あたしとタママが二人で大きなお鍋を運んでいたら、通りかかったサイラスさまがあたしたちに珍しいお菓子をくれた。


「アルテミス商会のグレイスさまから、実家に届いたんだ。タママも食べてみてよ!」

 そう言ってから、サイラスさまは

「ほら、ミッチも!」

 って、あたしにも同じお菓子を包んでくれた。サイラスさまはあたしの名前も覚えていて、小姓のタママと同じように優しくしてくれる!


 びっくりしたし、すごくうれしかった。今まで孤児院で、あたしの名前をまともに覚えてくれた文官さんなんて、いたかな? いないよね? こちらから名乗れば、名前を呼んでもらえる程度の存在だもの。サイラスさまみたいに、自分から名前を呼んでくれるお貴族様なんていないもの……。


 サイラスさまは優しい。あたしは優しい人が好き。孤児で、しかも力仕事に向かない女なんて、まるで雑草くらいの存在だもん。たいして役に立たなくて、邪魔になるくらいの存在。だから、優しくしてくれる人なんてめったにいない。


「キャラメルだよ。虫歯になるといけないから、食べたらちゃんと歯磨きしてね! タママ、ミッチ」

「わぁ~、ありがとうございます! サイラスさま」

 タママは大きな声でお礼を言えたけど、あたしはすごく小さな声になってしまった。…お行儀の悪い子だって思われたかもしれない。


 だって、あたしに特別なお菓子をくれるなんて…。考えてもみなかったから。タママと一緒にいたから貰えたんだってわかっているけど、すごくうれしい!


 人を羨んではいけません。主事さんは、孤児院の子供たちによくそう言い聞かせている。両親がいなくたって、ピカピカの綺麗な心で他人を羨ましがらずに生きていたら、いいことがたくさんあるんだって。


 ……タママのことを羨ましいと思ってしまうあたしは、きっと悪い子なんだぁ。


 主事さんのいうピカピカの綺麗な心でいたいけど、あたしには難しすぎる。タママと同じようにお掃除して、同じように荷物を運んでいるのに、あたしは女の子だから小姓になれないんだもん。


 時々、見えない何かに意地悪されているように思えてくる。


 タママが嫌な子じゃなくて、いい子だから余計に悲しくなるんだ。いっそ、タママが意地悪で嫌な子なら「なにさ! あんたなんか!」って思えるのになぁ。だけど、小姓に選ばれたタママはちっとも悪くないんだ……。


 わかってる。あたし、ちゃんとわかってるんだ。


 孤児院の子供たちは、十歳を過ぎると少しずつ露店にお使いに行くようになる。お金を使ったことがないと、大人になってから困るからだ。孤児として養ってもらえるのは、せいぜい十五歳くらいまで。大人になると、外で奉公に出ることになる。


 小姓になることができた子たちは、自分の(あるじ)と一緒にそのまま貴族の館に移る。孤児としては出世コースだ。普通の孤児は、貴族のもとで働くなんてできっこない。貴族の館で働くには、立派な推薦状が必要だから。親のいない孤児は、身元がしっかりしていないから推薦状なんて貰えないもの。


 あたしは今十二歳。あと三年もしたら、孤児院から出て働かなきゃいけない。だけど、自分に何ができそうなのか見当もつかない。このままいくと、孤児院を出たらすぐに食い詰めてしまいそうだ。


(タママはいいなぁ。サイラスさまの小姓になって、いつかここを出ていくんだね。サイラスさまみたいな優しい人と、貴族のおうちで暮らせるんだね…)


 雑巾がけをしていても、箒でゴミを掃いていても、自分の将来のモヤモヤした不安ばかりが追いかけてくるの。


(あたし、このまま大人になって孤児院を出ていくときにどうしたらいいんだろう?)


 今日は(いち)の立つ日なので、露店にお使いに行かなきゃならない。本当のことをいうと、あたしは露店のお買い物があんまり好きじゃないんだ…。


「あんた、孤児院の子だろう?」

 露店で時々そう声を掛けられる。

「…はい」

 もちろん、何でもないような顔をして平気そうに振舞うけど、あんまり気分は良くない。声を掛けてくる人の中には、悪気のない人だっているんだろうけど…。


 あたし、知ってるんだ。髪の毛のせいで孤児院の子だってわかるんでしょ?  孤児院では予算の不足を補うために、定期的に孤児たちの髪の毛を売っているから…。あたしの赤い髪も、せっかく伸びたと思うと切られて売られてしまう。


 男の子は短髪でもおかしくないけど、女の子が短髪なのはすごく目立つんだ。お使いに行って、露店でジロジロ見られることがよくあるもの。


「気にしたらダメだよ!」

 自分で自分に言い聞かせる。楽しいことを考えよう。露店に行って、何かキレイなものが見られるかもしれないし、おいしそうなものが売っているかもしれない。


 自分の自由になるお金なんてないから、キレイなものを見るだけ、おいしそうなものを目で楽しむだけだけど、それだっていいじゃない。


 露店でいろんなものが見られるのは楽しいよ。ジロジロ見られたり、ヒソヒソ噂されたり、そういうのは単なる気のせいだもの!


「ねぇ、あんた。アトス寺院の子だろう?」

 …ほら、きた。だけど、面と向かって孤児って呼ばれないだけマシかな。


 ミッチに声を掛けてきたのは、もう「おばあさん」と呼ばれてもおかしくない年齢の女性だった。それでも、年のわりに妙に身綺麗な人だ。


「あんた今いくつなの? もうじき外で働かなきゃいけないんじゃない?」

 「ま、まだ十二です!」

 ミッチはつい反射的に答えてしまう。

「へぇ、そう…? だけどあと三年じゃないの。ね、良かったらさ。あんた、うちに来ない?」


 え、「うちに来ない?」ってどういう意味。ミッチはちょっとドキドキする。あたしを雇ってくれるってことなの?


「うちさ、お店やってるの。接客業」

「……露店ですか?」

 もしかして売り子かな?

「違うよぅ、ちゃんと店構えてご商売してんのよ。露店なんかと一緒にしないで頂戴(ちょうだい)


 ちゃんとお店を構えているようなところが、孤児のミッチなんかを雇うのだろうか? ミッチは少し疑って黙り込んだ。


「うちはねぇ、お貴族様だって遊びに来る店なんだから」

 えっ、お貴族様の来るお店? ……本当に?

「可愛い子を探してんの。あんたなんか、なかなかいいんじゃない?」

「………」

(イヤだ、何だか人を値踏みするみたいな見方…。あたし、ちょっと苦手かも…)


「まぁ、今すぐって話じゃないしさぁ。考えといて頂戴よ」


 不思議な笑みを残して、おばあさんは去っていった。老女が去ってからも、ミッチの耳には「あんた、うちに来ない?」というねっとりした声が残った。

 あの女の人は本当にお店を持っているのかな? ……孤児のあたしでも雇ってくれるのかな?


 何を考えているんだろう、あたし。早くお使いをすませて孤児院に帰らなくちゃいけないのに…。あんなおばあさんの言うことなんか、まともに受け取っちゃダメだよ。


 ★

 

 ミッチがお使いを終えて孤児院に戻ると、大きな風呂敷包みを大切そうに抱えた主事が、サイラスとタママと一緒に歩いていた。


「ミッチ、お使いごくろうさま。主事さんがみんなに花見団子をお裾分けしてくださるそうだよ。早く手を洗っておいで」

 サイラスが明るく声を掛けてくれた。いつもは厳しい主事まで、にっこりして「お使いお疲れさま、ミッチ」と声を掛けてくれる。


(主事さん、ご機嫌がいいみたい…?)


 サイラスと主事が笑いながら歩く傍らで、タママも楽しそうに笑っていた。サイラスと主事は、「サイラスさまのおじうえ」の話をしている。


(いいなぁ、タママ…。男の子だったら、あたしがサイラスさまの小姓だったかもしれないのにな。タママよりあたしの方が年上なんだから…)


 あたしはずっと、タママを羨ましく思いながらここで暮らすんだろうか。あと三年、ここで我慢するんだろうか…。


 このままここにいたら、あたしの心がどんどん真っ黒に汚れてしまいそう。どうしたらいいの? タママを羨ましく思わないように、自分を嫌いにならないように…。どうしたらいいの、あたし。


 ピカピカの綺麗な心でいるために、あたしはどうしたらいいの? 


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