013 百年に一度の都市計画
「…コウモリと戦う⁉ 僕が?」
サイラスは驚いて叔父上の顔を見た。
「正確には吸血蝙蝠だ。体は小さいが、魔力を持っている。集団で襲い掛かってくるから意外と厄介だぞ!」
ユウキは至って冷静に返してくる。
(何を言っているんだ、こいつは…)
錫杖の鍛錬は毎日サボらずにやっているけれど、やはり実践に勝るものはないらしい。サイラスが霊力を伸ばすには、「そろそろ魔獣と戦うのが良かろう」とユウキとオリバーが口ぐちに言う。
「洞窟に入って、コウモリでも狩ってみたらどうだ?」
「サイラス、僕が付き添ってあげるから大丈夫だよ!」
運動神経抜群の兄が優しい言葉を掛けてくれる。そこですかさず、ユウキが鬼軍曹のような声を上げる。
「オリバー、甘やかしちゃだめだ! サイラスひとりで狩らせなさい!」
ユウキ叔父の鶴の一声で、サイラスはひとりで吸血蝙蝠と戦う羽目になった。オリバーが「コウモリを狩れそうな場所なら、心当たりがあるよ! 任せて!」と請け合ってくれる。
(ふたりとも、他人事だと思って言いたいこといってるよ…。いや、オリバーはフォローしてくれてるのか…)
オリバーの友人が貴族街の中心に土地を持っていて、「岩場でコウモリが狩れる」と話しているらしい。
「ほら、サイラスも知っているイサキオス様だよ。アシモフ家の成人祝いにお呼ばれしただろう?」
あぁ…。サイラスはイサキオスの長身痩躯を思い浮かべる。手足が長くて、髪は金髪と言うよりプラチナに近い。妹のソフィアともども、色素の薄いクールビューティな兄妹だ。
(…たしかにイサキオス様なら、オリバーに便宜を図ってくれそうだな)
ユウキたちがサイラスの霊力底上げに必死なのは、翼竜獲得のためだ。シャーロッテの翼竜を見てからというもの、オリバーもサイラスも翼竜が欲しくてたまらない。だがドイル家の経済状況では、翼竜など購入できるはずがなかった。
ユウキいわく、ドイル家で翼竜を購入するというのは、例えてみれば「普通のサラリーマン家庭でポルシェを購入するくらい」の家計負担らしい。どう考えても無理筋なのだ。
「叔父上、卵泥棒は難しいのでしょうか? 翼竜を買うよりも、卵泥棒に行く方が僕らには現実的な気がします!」
オリバーとサイラスはすっかり卵泥棒に出かける気になっている。
「サイラス、アトス寺院でも夏休みは貰えるんだろう? 今年の夏に行こうよ、エッグハント!」
「行きたい! 僕たちが自由に乗れる翼竜が欲しいね、オリバー!」
「ふたりで盛り上がっているところを悪いが、オリバーの剣技はともかく、サイラスの錫杖術はまだまだだ。卵泥棒をするなら、もっと霊力を上げなきゃムリだぞ⁉」
ユウキが怖い顔でオリバーとサイラスを脅してくる。
「お前らわかっているか? 翼竜は魔魚を食べて生きている……つまり、肉食獣だ! 生半可な気持ちで卵を盗みに行けば、返り討ちに遭うぞ? 卵を守るために、翼竜が死に物狂いで襲ってくるからな?」
ユウキの脅しに震え上がったふたりは、「サイラスの霊力底上げ」に必死で取り組むことを誓った。
★
貴族街が毎日少しずつ生まれ変わっていく。魔石を仕込んだ街灯が等間隔に設置され、真新しいレンガが道路に敷き詰められていく。
二十一世紀の日本を知っているサイラスの目にも、「新しい貴族街」の都市計画は胸がワクワクするものだ。新しく何かが作られる、その過程を眺めるのはとても楽しい。
(異世界だから、魔法でパーッとド派手に『新しい貴族街』が出来上がるのかと思ったけど…。さすがにそんなことなかったな。意外と地道だね…)
まるで古代ローマの建設現場のように、たくさんの労働者がレンガを積んでいた。まぁ、古代ローマに生きていたことはないので、想像だけれど…。
「サイラスさま、おいでなさいませ」
サッと躓くようにして、中年執事が挨拶してくる。彼はアシモフ公爵家の執事タニタである。
「本日はお世話になります」
サイラスは丁寧に頭を下げる。【イサキオスの箱庭】と名付けられたこの庭園は、「どこが箱庭だ? 大型自然公園の間違いだろう!」と叫びたくなる広さだ。しかも恐ろしいことに、この箱庭は貴族街のごく中心部にある。
アシモフ公爵家はどれだけお金持ちなんだ? こんな一等地に、これだけの広さの自然公園を所有しているなんて…?
「イサキオス様がオリバーの友達で本当に良かった…。こんなすごい場所でコウモリ狩りができるなんて!」
しかも、吸血蝙蝠が生息している岩場まで、執事のタニタが馬車で送迎までしてくれるのだ。
「定時に辻馬車を走らせる予定なのですが、貴重な植物と昆虫が生息しておりますので、動植物への影響を考慮して馬車のルートを決めるとイサキオス様がおっしゃっています。今のところ、ご不便をお掛けいたします」
タニタに謝られるけれど、ご迷惑をお掛けしているのはこちらの方である。確かに敷地が広そうなので、移動に馬車なり路面列車なりが必要なのはわかった。
「それにしても、貴族街の中心に、よくこんな広大な土地が残っていましたね?」
サイラスが感想を述べると、執事も頷きつつ事情を教えてくれる。
「まったくでございます。ここはもともと、某伯爵家が愛妾のために建てた別邸と、男爵家の麦畑などがあったようです。それ以外にも、不行跡で貴族から国に没収された土地が、そのまま手つかずで残されていたようで…。管理が行き届いていない土地ですから、荒れ放題でございますね」
イサキオスと一緒で、アシモフ家の使用人たちは気さくな人間が多い。イサキオスは高位貴族であるのに、サイラスに対しても友達のようにざっくばらんに接してくれる。
「サイラス様、時分どきにお昼食とアフタヌーンティーを届けに参りますので、こちらの東屋をお使いください」
えっ、こっちの都合でコウモリを狩りに来たのに、食事やおやつまで出てくるワケ? さすがに申し訳ないので、サイラスは辞退するつもりで言葉を探す。
「いやー、そこまで気を遣っていただくわけには……」
「実は、イサキオス様も昆虫採集においでなのです。サイラス様とご一緒でないと、恐らくお食事も休憩も取ってくださいませんから…」
お願いします、という目つきでタニタに見つめられる。
なるほど、僕は「イサキオス様のついで」か。納得して、「そういうことでしたら…」と了承する。正直、すごくありがたいよ。
吸血蝙蝠が生息するはずの岩場は、巨大な洞窟だった。魔窟という単語が頭に浮かんで、すぐに消えていく。
タママは孤児院の費用で働く小姓なので、私事にはできるだけ連れ歩かないようにしている。だけど魔窟にひとりで潜るのはイヤだから、やっぱり誘えば良かったな…。
子供のタママといえど、いないよりもいた方がいい。ひとりきりよりも、心細さが断然違う。暗い洞窟をゆっくり進みながら、ちょっとだけ後悔した。
しかし気を取り直して、サイラスはコウモリ狩りの手順を頭の中で予習してみる。
(これも翼竜を手に入れるためだ! 肉食獣の卵を盗むんだから!)
「①吸血蝙蝠に血を吸われないように、魔力で身体シールドを張ること。……身体シールドなんてもの、生まれて初めてなんだけど?」
ユウキ叔父はたしか、「レインコートを羽織るようなイメージで」と説明してくれた。…やってみよう。
「……うーん、自分がシールドを張れているか、イマイチわからないな?」
身体シールドが発動していると、どうやって確認したらいいんだろう? 自分で自分を殴ってみるとか? …まさかね。サイラスは半信半疑のまま、次のステップに進むことにする。
「②錫杖を伸ばして、カッカラの魔力を最高値まで高める。……もはや意味がわからん。どこらへんが最高値なんだ?」
とりあえずカッカラを取り出してから…。
「よし、ここで呪文詠唱だったな?」
サイラスはユウキの考案した呪文を唱える。
「ひぃふぅみぃ、よぅいつむぅ、ななやここの、とぅ!」
クルクルと錫杖を振り回しながら、「なんて安直な呪文だ。パスワードで12345……を入力してる気分だよ!」と文句を言ってみる。
しかし、そのパスワード…いや、呪文は正しく作動した。サイラスの手に握られたカッカラが青白く発光を始める。薄暗い洞窟の中でも、これで楽に移動できる。
「③口笛で魔を呼べ……」
僕が子供の頃は「夜に口笛を吹いてはいけない」と言われて育った。日本で古くから言われている迷信なのだ。
夜遅く口笛を吹くと、良くないことが起きる。どこからか悪いものがやってくる。鬼が、邪悪なモノが押し寄せてくる。だから、夜に口笛を吹いてはいけない。
サイラスはピューと高く口笛を吹く。カッカラの魔力を高めながら、何度も口笛を吹く。暗い洞窟の中に、サイラスの口笛が木霊して広がっていく。
「魔よ、来い!」
ピューピューと口笛を吹きながらしばらく待つと、木の葉がカサカサ舞うような音がし始める。カサカサという音がガサガサという音になり、どんどん大きくなっていく。何かの大群が押し寄せてくるのが分かった。
やがて、ゴーゴーという嵐の吹き荒れるような轟音が巻き起こった。サイラスの口笛に招かれて、吸血蝙蝠の大群が押し寄せてきた。
(うわ、これが吸血蝙蝠か……。数が多すぎだろ!)
サイラスは台風の中でもがくように、無我夢中でカッカラを振り回した。発光するカッカラが、確かにコウモリを薙ぎ倒している。しかし、あまりにも吸血蝙蝠の群れが大きすぎて、薙いでも薙いでも全身に群がってくる。
(ひぃ、ヒッチコックの「鳥」かっ? これ、本気で死ぬぞ!)
このままだと窒息する! ヤバい‼ ひたすらカッカラを振り回して、魔力を込めていく。「魔力を最高値まで高める」の意味が、今わかった。死にたくなかったら、魔力を込めて、込めて、込めまくれ! そういう意味に違いない‼
死に物狂いでカッカラに魔力を込める。
「ひぃふぅみぃ、よぅいつむぅ、ななやここの、とぅ!」
魔よ、引け! 魔よ、退け! コウモリよ、僕の魔力にひれ伏せ! 心の中で念じながら、遮二無二カッカラを振り抜く。
「…サイラス、君は今日初めてコウモリ狩りに来たんだろう? オリバーの話では、君の初陣だと…」
イサキオスは東屋のテーブルに並べられる昼食を眺めながら、サイラスに確認する。
「…そうなんです」
疲れ果てているサイラスは短く答える。
「それにしては、またずいぶんと大量のコウモリを狩ったものだ…。やはりオリバーの弟だけはある。君は狩りの才能があるんだね!」
サイラスが死に物狂いで狩った吸血蝙蝠は、恐ろしく大きな群れだった。午前中だけで山盛りのコウモリを狩ったサイラスは、ヘトヘトな上に身に着けていた服もかなりボロボロになっている。
「タニタ、サイラスに合う服を見繕ってきてくれないか?」
「吸血蝙蝠を狩られるということでしたので、予めご用意しておきました。コウモリは、しつこい生き物でございますから…」
タニタは吸血蝙蝠に嫌な思い出でもあるのか、一瞬苦い表情を浮かべ、それからサイラスのサイズの服をサラリと二着並べる。紺と青を基調にした服と、黒と緑を基調にした服だ。どちらも極上質な布で作られていて、アルテミスのタグが縫いつけられていた。
(へぇ。アシモフ公爵家はアルテミスが御用達か…。さすがお金持ちだな)
タニタが入れた紅茶を飲みながら、イサキオスは厚切り肉を挟んだサンドイッチを頬ばる。イサキオスの好みらしく、紅茶にたっぷりとジャムが落としてある。
「どうせ私にはサイズが合わないから、服は二着とも持ち帰ってくれ」
「…よろしいのですか? それでは、遠慮なくいただきます!」
サイラスも同じようにサンドイッチを頬ばりながら、イサキオスに礼を述べる。イサキオスは背が高くて、頭が小さくて手足が長い。サイラスから見ると素晴らしくスタイルが良いのだが、本人は何故かコンプレックスを持っているらしい。
「……妹のソフィアが、私のことを骨ばったナナフシと呼ぶのだ!」
イサキオスは「ナナフシがいかに珍妙で無様な昆虫か」という説明をくどくど始める。自分の嫌いな昆虫に「似ている」と言われたことが、イサキオスには精神的ダメージだったようだ。
「血を分けた兄のことを、がりがりのナナフシ呼ばわりするのだ! ソフィアは薄情な女だ。誰に似て、ああも底意地が悪いのだろう? 私が痩せっぽっちのナナフシならば、あいつは性悪なセイタカアワダチソウだ。歩くたびにアレルギーの原因物質をまき散らしている! ……サイラス、君もそう思わないかい?」
……ナナフシは意外と可愛い昆虫だと思う。植物に擬態してのんびり暮らしている昆虫だ。ソフィアはイサキオスのどこら辺を、ナナフシに似ていると称しているのだろう…。
妹の仕打ちを嘆きつつ、イサキオスはサンドイッチの他にスコーンとベリーのマカロンを口に運ぶ。細い体に似合わず、なかなかの健啖家である。
ソフィアへの悪口に同意するわけにもいかず、
「そういえば、ソフィアさまはアルテミスで何やらトラブルに巻き込まれたと聞きました…」
サイラスはそっと話題を変えてみる。イサキオスはうれしそうに大きく頷く。
「おぉ、そうそう! ケンカ相手はミーガン……だったか?」
彼は名前を確認するように、クルッとタニタの方に首を捩じる。
「……ミーガン嬢は、社交界ではいろいろと噂の多い方でございます」
今回のトラブルでタニタはソフィア嬢に軍配を上げているようで、大きく肩をすくめて見せる。
「どちらが悪いかは別にどうでも良いのさ。あのソフィアが、ミーガンと男を取り合ったと噂になったのだ! 実に愉快じゃないか?」
イサキオスはにっこり笑って、スコーンにクリームをたっぷり盛りつける。妹がおかしな風評に晒されているのに、心から愉快そうな顔をしている。
「実際にはどうなのですか? その、私もアルテミスのオプスキュリテという者は、一応見知っているのですが……」
「うん、私も何度か会っているよ。アルテミスは我が家の御用達だからね! ずいぶん綺麗な顔立ちの男だが、まったくソフィアの好みではあるまい!」
事もなげにイサキオスは言う。自信満々な態度を見ていると、よほど妹の好みを理解しているのだろうか。
「ソフィアさまは、綺麗な顔の男性はお嫌いなんですか?」
「あいつは人間の男なんかに興味ないんじゃないか? 動物のオスの方が、まだ可能性がある気がするよ!」
イサキオスはとんでもないことを言いながら、手をひらひら振る。ソフィアが聞いたらケンカになりそうだな…とサイラスは苦笑した。




