第10話 願望の行方 7
「迷惑でしょう」
小鳩は、そう言った。
「何、突然?」
と、宵は、聞いた。
ビジネスホテルの一室に、二人はいた。
麻知子から、今晩はここに留まるようにと言われているのもあるし、二人とも先ほどの出来事のせいで、すっかり疲れてしまっていて、動くのも辛かったこともあった。
宵はベッドの上に腰かけていて、小鳩は椅子に座っていた。
「石上さんは、何であの時商店街にいたんですか?」
「たまたまだけど」
と、宵は、あっさりした感じで、言った。
事実、あの時あの場所にいたのは、まったくの偶然だったからである。
小鳩は、宵の言葉を、心中で反芻してから、
「じゃあ、偶然、あの時間にあの場所にいたせいで、こんなことに巻き込まれてしまっているんですね」
と、確認するように言った。
「まあ、そうだね」
と、宵は、あっけらかんとした調子で言った。
「俺のせいだ」
「まあ、そうかもね」
「何で、そんなに、平気な顔をしているんですか?」
と、小鳩は、少し苛立ったように、聞いた。
「私の顔に、文句を言われても、困る。こういう顔なんだし。それに、あの時のことだって、たまたまそうなったんだから、仕方ないじゃん」
「逆の立場だったら、俺は、石上さんを罵っていると、思いますよ。よくもこんな面倒なことに巻き込んでくれたな、どうしてくれんだ、とね」
「……あんたの、そういう、ストレートな言いかた、むかついてくる」
小鳩は、悪びれる様子もなく、
「すみません。でも、性分は、そう簡単には変えられないでしょう?」
と、言った。
「何でも、基本、なるようにしかならないからね」
と、宵は、言った。
「諦め、諦観、ですか」
「その言い方は、イメージ悪いな」
と、宵が、言った。
宵は、先ほどからの小鳩の突っかかってくる言い方に、何か反論したくなってきていた。
自身でも、あまり積極的に喋るほうではないのはわかっていたし、それなのに、喋って小鳩を言い負かしたいという感情は、宵にとって、イレギュラーなものに思えた。
「俺には、考えることを止めた者の、言い訳にしか聞こえませんがね」
小鳩は、そう言いながら、備え付けのティーバッグで作った緑茶の入った湯呑を、宵に渡した。
「否定は、しないよ。私、面倒くさがりだから。でも、小鳩の言っていることとは、ちょっと違うと思う」
と、宵は、緑茶を飲みながら、言った。
「なるようにしかならないっていうのは、まずは、なったその立場とか運命を、どうすのかっていうこと。その立場とか運命を、受け入れないと、それに立ち向かうことも、できないってこと。良く言うじゃん。自分が成績が良くないのは、親が頭が良くないからだとか、自分に友達ができないのは、周りに理解者がいないのが悪いからだとか、自分が成功できないのは、社会が悪いからだとか、そういうの。それってさ、自分のその立場とか運命を、嫌って敵視して、それを受け入れようとしないで、文句を言っているから、駄目なんだと思う」
小鳩は、黙って、宵の話を、聞いていた。
「でも、嫌ったり敵視したり、それって、多分、無駄なんだよ。だって、基本、自分以外の他人なんて、絶対に、思い通りにはならないから。親の過去の成績を、変えられる?周りの人の自分に対する理解度を、操作できる? 社会が訳もなく自分よりになってくれる? ありえないじゃん」
「そうですね」
と、小鳩は、反論せずに、聞いていた。
「だったら、どうすれば良いのか。そうやって、考えることに、意味が、あるんだと思う。ここで、自分以外の他人なんて、絶対に、思い通りにはならないからって、何をしても無駄だとか思えば、それまで。思い通りにならないことが、当たり前。当たり前のことに悩んでたら、それこそ、もったいないよ」
と、宵が、言った。
「学園がつまらないんだって思うのは、そいつの勝手な考え。つまらないことを受け入れて、つまらないことを、楽しまなきゃ」
宵は、話しながら、
(何で、こんなことを、話しているんだろう)
と、思い、不思議な感覚に、とらわれていた。
気づくと、話し込んでいるせいか、頬も、熱を、持っているようで、宵は、少し、自身の行為に、戸惑っていた。
小鳩は、瞑目して、
「なるほど。その学園に入ったなら、立場を受け入れて、その学園で楽しもうとすることが、大切。しかし、他人の評価を気にしすぎたり、学園に教えてもらうこと面倒をみてしてもらうことしか、考えてなかったら、先へ、進めない、ということですか」
と、言った。
「……何か、勝手に、まとめられた気が、するけど、そんなところ」
「いじめられている者に、当てはめてみれば、自分の以外の他人である、自分をいじめてくる者は、自分の思い通りにはならない。故に、自分がいじめられている立場を、受け入れて、それを楽しめば良い……そういうことですか」
と、小鳩が、苦い微笑みを浮かべて、言った。
「あ……ごめん」
「良いですよ。気にしていません。石上さんが、言ってくれたことは、あくまで、考え方の一つだし、ピンポイントで、当てはめにく事例に言及して、ケチをつけている、俺も、意地が悪い」
小鳩は、宵に、向き直って、
「すみません。俺は、あなたのことを、見くびっていたようです。さすが、国語の成績が、学園トップ5の常連だけある」
「何で、知ってるの?」
「廊下に、テストの成績、上位者は、掲示されるじゃないですか」
それに、と、小鳩は、宵の目を真っすぐに見て、
「あなたのキャラでもないだろうに、色々と話してくれたのは、俺を、励ましてくれたんでしょう……ありがとうございます」
と、言った。
「別に、そんなつもりじゃ……」
そう言いながら、宵は、小鳩の言葉が、気にかかった。
宵は、そんな話の流れを断ち切るように、
「難しい話は、終わりね。小鳩、お風呂、先に、入ってくれない?」
今度は、小鳩が、戸惑う番だった。
「お風呂、ですか?」
と、小鳩が、聞いた。
「お風呂よ。二人とも、服、汚れちゃってるじゃない。このまま、寝るわけには、いかないよ」
「……それは、そうですが」
と、小鳩は、言い淀んだ。
「私、お風呂長めだからさ。先に、入ってよ」
「そうですね。女子を、先に、入らせてしまうのも、それはそれで、問題が、ないわけではないでしょうし。でも、それそも、この状況下で、風呂に入って良いのかという問題も……」
「何ごちゃごちゃ言ってるの。今は、お風呂に入るっていう立場とか運命を、受け入れれば、良いだけじゃん」
「乱暴な引用だな。風呂に入るのに、運命なんて、大仰な言葉、使わないでくださいよ」
「ほら、ごちゃごちゃ言わないで、入って」
宵に、背中を無理やり押されて、小鳩は、慌てた様子で立ち上がった。
「わかりましたよ」
と、小鳩は、諦めた調子で言った。




