第10話 蔵の声 7
鹿倉扇が、まだ没落前の鹿倉の当主だった頃。
鹿倉の名が、退魔士の間で、ひとつの重みを持って語られていた時代の話である。
当時の鹿倉家は、剣の家系として知られていた。
代々、討伐数と戦果を積み重ね、呪霊の名と共に、その武勲が記録に残されてきた家だ。
当然、当主である扇にも、同じものが期待されていた。
だが、扇は、退魔士の中でも、異質な男だった。
剣の腕は一流。
それは、誰もが、認めていた。
型は正確で、無駄がない。
踏み込みは、静かで深い。
模擬戦で彼に勝てる者は少なく、御前で剣を交えれば、若手の多くが萎縮した。
だが、それ以上に、扇の名を際立たせていたのは、武具を見る眼だった。
鹿倉扇は、刀を、振るう前、に見る男だった。
刀身に走る刃文の乱れから、どの戦で使われ、どのような呪気を浴びたかを言い当てる。
鍔に残るわずかな歪み。
柄の擦れ。
血の染み込み具合。
そこから、持ち主の癖、恐怖の瞬間、最期の躊躇までを、読み取った。
「この刀は、折れる寸前まで使われている」
そう言って、扇は、その刀を手に取らなかった。
目の前にいた若い退魔士は、息を呑んだ。
名刀と呼ばれ、呪をよく斬ると評判の一振りだったからだ。
「守るために振るわれた剣だ。これ以上、血を吸わせる必要はない」
淡々とした声だった。
だが、その場にいた者の中には、なぜか反論できない空気を感じ取る者もいた。
若い退魔士たちは、理解できなかった。
強い呪具は、強い武器になる。
強い武器を使えば、より多くの呪霊を倒せる。
それが、当時の常識だったからだ。
討伐の数が評価になり、斬った呪霊の格が地位を決める。
剣で斬り伏せる冷泉寺のやり方が、主流であり、正とされていた。
扇の考えは、あまりにも遠回りで、非効率に見えた。
転機は、とある討伐だった。
地方の小さな村に現れた呪霊。
名も付けられないほど弱く、形も定まらない。
だが、何度封じても、何度斬っても、形を変えて蘇る。
家畜が怯え、子どもが夜泣きをし、村全体が疲弊していた。
「時間をかける理由がない」
同行した退魔士は、そう言って、強力な呪刀を抜こうとした。
「待て」
扇は、低い声で制止した。
「この呪いは、剣で斬るものではない」
「何を言う。時間をかければ、被害が増える!」
と、反駁の声が上がる。
「だからこそだ」
扇は、村を歩いた。
畑を見て、家々を回り、蔵の中まで覗いた。
そこで見つけたのが、古びた面だった。
農具と一緒に、雑に放り込まれ、埃をかぶっていたものである。
だが、その面には、確かに人の気配が残っていた。
「これは、村人たちが代々、祭りで使ってきた面だ」
扇は、その面に、静かに封を施した。
剣を抜くことなく、陣を張り、祈りと対話を重ねる。
夜を越え、朝を迎える頃、呪霊は、静かに消えた。
血も、犠牲も、出なかった。
村人たちは、涙を流して感謝した。
だが、上からの評価は、冷ややかだった。
「非効率だ」
「危険すぎる」
「そんなやり方では、戦えない」
御前試合は、年に一度。
退魔士たちの序列と方針を、明確に示す場だった。
広い白砂の庭。
結界が張られ、外界の気配は断ち切られている。
正面の高座には、評定役の老退魔士たちが並び、その奥に、冷泉寺の名が刻まれた御紋が掲げられていた。
鹿倉扇が立った瞬間、場がわずかにざわめいた。
剣を帯びてはいるが、呪刀ではない。
派手な意匠も、誇示する呪符もない。
古く、よく手入れされた、ただの刀。
「あれで出るつもりか」
「鹿倉も、丸くなったものだ」
囁きが、風のように流れる。
対するは、冷泉寺配下の若き剣士である。
名の知れた呪刀を携え、全身から呪気を立ち昇らせていた。
刀身には封印が幾重にも施され、力を誇示するように脈動している。
開始の合図。
先に動いたのは、相手だった。
呪刀が唸り、空気を裂く。
速い。
重い。
迷いがない。
だが、扇は、一歩も下がらなかった。
刃を受け、流し、逸らす。
必要最低限の動きで、攻撃を無力化する。
剣と剣が触れるたび、乾いた音が庭に響いた。
数合。
十合。
互いに、決定打はない。
次第に、観覧席が静まり返っていく。
「……おかしいな」
誰かが、ぽつりと漏らした。
呪刀は、斬るたびに呪気を撒き散らす。
本来なら、相手の動きを鈍らせ、恐怖を植え付けるはずだった。
だが、扇の呼吸は、乱れない。
むしろ、相手の剣筋が、わずかに歪み始めていた。
扇は、踏み込まない。
決して、深追いをしない。
斬れる場面は、いくつもあった。
喉。
手首。
膝。
だが、扇は、斬らなかった。
その一瞬の躊躇を、呪刀は逃さない。
呪気が爆ぜ、強引に距離を詰める。
衝撃で、扇の刀が弾かれた。
勝敗は、そこで決した。
「勝者、冷泉寺!」
宣告が響く。
観覧席から、安堵と納得の息が漏れる。
正しい結果、だった。
扇は、膝をつき、静かに頭を下げた。
血は流れていない。
致命傷もない。
それでも、扇の敗北は、誰の目にも明らかだった。
「なぜ、斬らなかった」
控えに戻る途中、評定役の一人が、問うた。
扇は、少しだけ考え、答えた。
「勝つための剣ではなかった」
「御前試合だぞ」
「だからです」
その言葉は、理解されなかった。
この場で求められていたのは、速さでも、正確さでもなく、斬れる力、だったからだ。
鹿倉扇は、剣で負けたのではない。
剣に求められる役割そのものが、違っていた。
御前試合での敗北は、象徴に過ぎない。
鹿倉扇は、剣で負けたのではない。
時代と、価値観に負けた。
それでも扇は、剣を捨てなかった。
振るうことを、やめただけだ。
「武具はな、使われなくなってからが、本当の仕事だ」
晩年、蔵に積み上がる呪具を前に、扇は、そう言った。
「誰かが、終わらせてやらないといけない」
その言葉を、結だけが、最後まで、聞いていた。





