第10話 蔵の声 6
「あーあ、見つかっちゃった」
その声音は、いつも通りだった。
そのいつも通りが、この場にまったく溶け込まない。
明るく、気さくで、教室の中心に自然と人が集まる、あの結。
しかし、その瞳は、生気を帯びていない。
光を反射しない硝子玉のようだった。
その背後には、禍々しい呪力が渦を巻き、空気を歪ませている。
堂内の影が、不自然なほど濃く、結の足元に絡みついていた。
「“爛”……」
結を捉えた七色の声が、震えた。
それは恐怖ではなく、哀しみに近い響きだった。
(……“爛”)
彼方は、言葉が出なかった。
千弦は、静かに結を見据えたまま、淡々と語り始める。
「呪い士……」
感情を挟まず、事実を積み上げる。
退魔士としての在り方そのものだ。
「君の能力は、呪いを操ること、だろう」
その言葉に、結は答えない。
ただ、唇の端が、わずかに吊り上がる。
だが、千弦は構わず続ける。
「この前の甲冑、銘こそないが、一級品だ」
結は、歪んだ笑みを浮かべて、
「へえ? わかるんだ」
「ああ、お互いにな」
「……」
「君にも、その価値がわかっているはずだ。十二分に」
「……」
「そういったものには、念が宿りやすい」
結は、千弦を見すえた。
「この場合でいえば、怨念か」
千弦の言葉に合わせるように、堂の奥で空気がざわめく。
まるで、語られた言葉に反応するかのように、空気が張りつめたものになっていった。
「怨念というのは」
千弦は、声を張らずに語った。
「単なる感情の残滓ではない」
結は、黙って聞いている。
「人が生前に抱いた未練、執着、願望……それらが死後、位相を失った霊子として凝集したものだ」
千弦は、続ける。
「通常、霊子は散逸する。だが、強い目的性を帯びたものは、疑似的な自己同一性を保ったまま留まる。それが怨念だ」
「ふうん」
結は、肩をすくめた。
「ずいぶん、教科書的だね」
「理論は重要だ」
千弦は、感情を交えずに言った。
「理論を知らずに呪いを扱うのは、封印もされていない呪具を素手で振り回すのと同じだ」
結の瞳が、わずかに細められる。
「じゃあ、あなたは、私が理論を知らないと思ってる?」
「いいや」
千弦は、即座に否定した。
「むしろ、逆だ」
結は、千弦を見すえた。
「君は、知りすぎている」
「……」
「怨念を、ただの暴走因子としてではなく、機構として再構築している」
千弦は、結の背後に渦巻く呪力を視線でなぞる。
「甲冑と面。あれは、単なる依代ではない。霊的共鳴装置だ」
結の口角が、わずかに上がった。
「さすが。そこまで見抜くんだ」
「武具は、形状そのものが術式だ」
千弦は、淡々と続ける。
「甲冑は人体を模し、面は人格を規定する。そこに怨念を宿せば、疑似的な戦士霊が成立する」
「……」
「あれは、自律型呪詛兵装だ。術者の意思から半ば独立して行動する」
「だから、強い」
結は、楽しげに言った。
「術者が直接操作しない。距離による減衰も少ない」
「だが、完全に独立しているわけではない」
千弦は、一歩、前に出る。
「呪的紐帯は、切れていない。憑依元と術者の間には、常に霊的回路が残る」
「……だから、距離が近いと、出力が跳ね上がる」
結が、初めて、言葉を補った。
「その通りだ」
千弦は、頷く。
「君は、この堂を選んだ。杜の結界圏内でありながら、視認性が低く、霊脈が交差する節点に近い」
「さすがに、それは偶然だよ」
「偶然にしては、条件が揃いすぎている」
千弦の視線は、結を射抜く。
「ここなら、外界から干渉されにくく、術者は姿を隠したまま、呪詛履行距離を最適化できる」
「……」
「君は、最初から、ここで迎え撃つつもりだった」
沈黙。
それは、否定ではなかった。
「ねえ」
結が、静かに口を開いた。
「呪いって、そんなに悪いもの?」
「危険だ」
千弦は、即答する。
「制御を誤れば、術者自身を侵す。逆流呪詛は、退魔士の死因の上位だ」
「でも」
結は、食い下がる。
「剣だって、同じでしょ。振るえば、人を傷つける」
「剣は、意志を持たない」
「呪いも、持たないよ」
結は、きっぱりと言った。
「意志があるように見えるのは、人が意味を与えるから」
千弦の眉が、わずかに動く。
「怨念は、情報の塊だよ」
結は、続ける。
「生きた証、悔い、願い。その全部が圧縮された記録」
「……」
「それを、ただ祓って、消して。それで終わりにするのは、乱暴じゃない?」
堂内の空気が、静かに震えた。
「私の家はね」
結の声が、少し、柔らぐ。
「呪いを、対話可能な現象として見てきた」
「対話?」
「うん」
結は、頷く。
「解析して、分解して、どんな条件で生まれて、何を求めているのかを知る」
「……それは、民俗呪術学の領分だ」
「そう。退魔士が、斬ることしか考えてなかった分野」
結は、千弦をまっすぐに見た。
「おじいちゃんは、言ってたよ。『理解しない力は、いずれ理解されない』って」
「……君の祖父、か」
「だから、おじいちゃんは、斬らなかった」
結は、胸の前で、指を組む。
「封じて、管理して、観測し続けた」
「そんなことをすれば……」
「うん。身体を壊した」
結は、少し、声を落とした。
「誰かが、やらなきゃいけなかった」
千弦は、しばらく、沈黙した。
「……君は、同じ道を辿るつもりか」
「違う」
結は、首を振る。
「私は、次の段階に行く」
「次?」
「呪いを、機能として社会に組み込む」
千弦の表情が、硬くなる。
「危険だ」
「だから、私がやる」
結の瞳に、迷いはなかった。
「知識があって、覚悟があって、失うものがある人間が」
堂の影が、再び、ざわめく。
「……それは、傲慢だ」
「そうかもね」
結は、苦笑した。
「でも、退魔士だって、同じでしょ」
「……」
「自分たちだけが、正しいって顔して、斬って、祓って、終わったことにする」
結は、一歩、踏み出す。
「でも、怨念は、消えない」
「……」
「形を変えて、場所を変えて、また生まれる」
結は、静かに言った。
「だったら、向き合った方がいい」
千弦は、深く、息を吐いた。
「君は……」
言葉を、選ぶ。
「危うい場所に、立っている」
「知ってる」
結は、笑った。
それは、どこか、寂しげな笑顔だった。
「だから、止めに来たんでしょ?」
「……」
「だったら」
結は、真っ直ぐに千弦を見据える。
「私を、斬る?」
千弦は、答えなかった。
答えられなかった。
堂内に満ちる呪力と、少女の覚悟が、同じ重さで、そこに在った。
退魔士としての理と、人としての逡巡が、静かに、拮抗していた。
「戦場で散っていた者の無念、剣の道の半ばで散った者の執念、そういったものが怨念へと成り替わることもある」
千弦は、結を見すえたままに、
「君は、それを甲冑と面に憑依させた」
と、言った。
「これで、からくり武者の完成だ」
「へー、からくり武者。その呼び方、結構かわいいじゃん。私も、そう呼ぼうかな」
「好きにしろ」
彼方は、あの圧倒的だった甲冑武者の姿を、思い出す。
理不尽な力。
圧し潰される感覚。
あれが、目の前の少女によって生み出されたものだという事実が、胸に重くのしかかった。
人の力では抗いきれない、理の外の存在。
「その呪いの効果は、憑依させた者とその対象の距離が近ければ近い程、強まる」
「……」
「この前、君は、私たちが甲冑武者を破壊したのを知った」
「……」
沈黙が、結の肯定を示していた。
視線を逸らさないことが、逆に答えだった。
「おそらくは、この“戻らずの杜”の外からだ」
「……」
「しかし、それでは、勝てないことを悟った」
「それで……」
と、七色が、千弦を見る。
その視線は、揺らいでいた。
千弦は、堂の構造を一瞥し、告げる。
「ああ、少し離れたこの堂であれば、姿を隠しながら、呪いを履行できる」
千弦は、彼方と七色に目を移してから、
「君たちが、この竹林に入ったのは、知っていた」
と、続けた。
七色は、黙ったまま、千弦の次の言葉を待った。
「すまないが、君たちをおとりにさせてもらった」
「……」
「呪いの主の位置を、探るためにな」
その淡々とした分析に、結は、薄く笑った。
それは、いつもの屈託のない笑顔とは、まるで違う。
「よくしゃべるね、冷泉寺先輩」
その呼び方に、彼方は、驚く。
(冷泉寺先輩を知っているのか)
千弦は、一学年上だ。
ましてや、ほんの少し前に葉坂学園に来た転校生である。
学園での接点など、ほとんどなかったはずだ。
千弦も、わずかに眉を動かした。
「……私を、知っているのか」
「知ってるよ」
と、結は、すらりと答える。
「おじいちゃんから、その名前はよく聞いていた。ちなみに、私は、鹿倉結」
「鹿倉……まさか」
千弦の声に、確信が滲む。
「そうだよ。鹿倉扇、私のおじいちゃん」
結びは、続けて、にっこりとして、
「冷泉寺千弦さん。今代“五業剣”の揮い手、現代退魔士の至宝……お会いできて光栄です、とでも言っておくね」
七色が、思わず息を呑む。
「鹿倉と聞いて、もしやと思っていましたが……」
退魔士の世界に連なる名を、七色も知っていたのだろう。
「知っているんですか?」
と、彼方が、聞いた。
千弦は、少しだけ視線を伏せてから答えた。
「鹿倉家は、今でこそ、骨董商だが、もともとは退魔士の家系だ」
「それって……」
と、彼方が、言いかけると、
「ああ、退魔士の家系の冷泉寺とも縁がある」
と、千弦は、続けた。
彼方には分からない、過去の因縁が、そこにはあった。
血と剣と、誇りが交錯する歴史である。
「かつて、私の祖父と鹿倉扇が御前試合をしたと聞いている」
と、千弦が、言った。
「結果は……?」
七色が、問う。
「おじいちゃんが、負けちゃったらしいよ」
結の声は、どこか幼く響いた。
思い出話をする孫のような調子だった。
「それがきっかけで、鹿倉の家は、没落していった」
千弦は、即座に否定する。
「それは、違う。鹿倉は、その稀有な武具の知識をいかして……」
「知ったような口きかないでよ!」
結の感情が、溢れ出した。
押し殺していた想いが、堰を切ったように噴き出す。
「勝者が敗者を語るのはずるい!」
堂内に、呪力が膨れ上がる。
空気が重く、耳鳴りがするほどの圧が満ちる。
結は、ぎゅっと唇を噛んだまま、千弦を睨み返していた。
その瞳の奥にあるのは、怒りよりも、もっと古くて、もっと深い感情だった。
「鹿倉の家が、どうして没落したか……先輩は、本当に知ってるつもりなんだ」
千弦は、結を見すえて、
「……資料としては、知っている」
「ほら、それだよ」
結は、吐き捨てるように笑った。
「資料。記録。後世の評価」
「……」
「全部、勝った側の言葉だ」
堂内の空気が、ひりつく。
「御前試合で負けた。それだけなら、鹿倉は終わらなかった」
結は、一歩、前に出た。
「おじいちゃん……鹿倉扇はね、負けを認めたんだよ」
と、結は、続けた。
「自分の剣が、もう時代に合わないって」
「……」
「退魔士は、斬る者から、封じ管理する者に変わっていった」
「……」
「呪いを壊すより、制御して、利用する時代になった」
千弦の眉が、わずかに動く。
「鹿倉は、武具を知っていた。呪いを宿す器を、見抜く眼を持っていた。でも……」
結は、拳を握りしめる。
「剣を振るわなくなった家は、退魔士の世界じゃ、半端者だった」
「……骨董商に転じたのは、合理的な判断だ」
「そうだね。正しかったと思うよ」
結は、あっさりと頷いた。
「呪具を売り、管理し、価値を見極める。それは、鹿倉にしかできない役目だった」
しかし、その声は、徐々に震えを帯びる。
「でも、世間は、そう見てくれなかった」
「……」
「退魔士をやめた家。剣を捨ててお金に走った一族。そうやって、陰で笑われた」
結は、目を伏せた。
「依頼は減った。表の市場じゃ、危険な品は扱えない。裏に流れれば、今度は、胡散臭い家、って言われる」
彼方が、息を詰める。
「それでも、おじいちゃんは、誇りを捨てなかった」
結は、ゆっくりと顔を上げた。
「『武具は、人を守るためにある』って。『呪いを理解しない者に、扱わせるわけにはいかない』って」
「……だから、全部、自分で抱え込んだのか」
千弦の低い声に、結は、強く頷く。
「そう。売れない。捨てられない」
結は、続ける。
「だったら……封じ続けるしかない」
「……」
「結果、呪いで満ちて、身体は蝕まれていった」
「それが……病の原因だと?」
「断定はできないよ。でもね」
結は、笑った。
あまりにも、痛々しい笑顔だった。
「呪いに囲まれて、無事でいられる退魔士なんて、いないでしょ」
沈黙が、堂を満たす。
「ねえ、先輩」
結は、静かに問いかけた。
「もし、冷泉寺が同じ立場だったら、剣を捨てられた?」
「……」
「負けを認めて、時代に譲って、誇りを折って、生き残れた?」
千弦は、即答できなかった。
「だから、私は……」
結の声が、低く、確かなものになる。
「鹿倉のやり方が、間違いじゃなかったって、証明したい」
堂の影が、再び、ざわめいた。
「呪いは、危険だよ」
「……」
「でもね、理解すれば、力になる」
結は、視線を落とす。
「おじいちゃんは、最後まで、そう信じてた」
そして、ぽつりと、呟いた。
「……私が、それを示す番なんだ」





