第10話 願望の行方 6
「それでは、お二人には、この件が片付くまで、退避していただきます」
「はあ? 何言ってんの? 明日は、学校あるし……」
宵の言葉を遮るように、
「明日は、学校は休んで下さい。それとも、皆勤賞でも狙っているのですか?」
ビジネスホテルの一室である。
ベッドは、セミダブルで、宵が、腰かけていた。
麻知子は、黙っている宵と小鳩を見て、
「お二人とも、狙われる原因が、わからないのでしょう。当然です。魔法や魔術は、一般の人にとっては、オカルト以外の何物でもないですからね」
と、言った。
宵と小鳩は、顔を、見合わせた。
「魔法とか魔術……何かの冗談ですか?」
と、小鳩が、呆れたように聞いた。
「まあ、その反応は、当然です。にわかには、信じられないでしょう」
と、麻知子が、言った。
これが原因ですと言った麻知子は、黒い手帳を取り出した。
手帳を見た小鳩の表情が、堅くなった。
「あるルートで、我々が入手したものです」
と、麻知子が、言った。
「それって、あの手帳……?」
と、宵は、聞いた。
「はい。普通に見れば、ただのありふれた手帳です」
麻知子は、冷静な調子でちらりと小鳩を見た。
「……」
小鳩は、黙ったままだった。
「ですが、条件が揃うことで、その普通という足枷はなくなる」
そう言った麻知子は、手帳のページをめくりながら、
「言霊という言葉は、聞いたことは、ありますか?」
と、二人に、聞いた。
小鳩は、ためらいがちに逡巡してから、
「小説とかドラマとかゲームとかで、聞いたことはありますよ。言葉に宿る力……的なものですか?」
麻知子は、頷いて、
「その認識で合っています。言葉に宿る力があるのならば、その言葉を綴った文字も、然りです。すなわち、力の宿った文字……とでも言いましょうか。文霊と言っても良いでしょう」
宵は、ため息をついた。
「怪しさしかないんだけど……本気で言ってるの?」
「石上宵さん。あなたの反応は、しごくまっとうだと思いますよ。しかし、あなたがたは、もうすでにそのまっとうのラインを踏み外してしまっている」
「それは……」
宵は、言いながら、さきほどの出来事を思い出していた。
目の前の少女は、小鳩を片手で軽々と抱えていたし、井原という男性の怪力もとても人間業とは思えなかった。
だからだろうか、麻知子の言った、魔法や魔術という言葉も、あながち突拍子もないものとは捉えられなかった。
「状況を整理しましょう」
と、麻知子は、言った。
「この手帳は、強い想像力を持つ人間が綴ることによって、その文字に力を宿らせる、魔具なのです。井原は、想像力の強そうな人間を選定して、手帳を渡していたのでしょう。無垢で強力な想像力は、私たちのような少年少女が、持ち合わせやすい。精神が、若く幼いかわりに、柔軟で純真ですからね。井原は、雑誌の編集者という立場を利用して、雑誌作りのためのアンケートという口実を使って、アルバイト代を払って、色々な学生に手帳に文字を書かせ蒐集していた。書かせる内容は、何だって良かったと思います。文字に力が込められてさえいればいいわけです。むしろ、相手によって、興味を持ちやすい内容のものを書かせていたでしょうね。ここまでが、私達の調査でつかめたことです」
宵と小鳩は、黙ったまま顔を見合わせた。
「あんた、そんな危ないことしてたんだ……」
「知れませんよ。俺だって、何かわけありかなとは思いましたが、こんなめちゃくちゃな話だとは思うわけないでしょう」
と、小鳩が、言った。
「井原という名前は、小鳩さんのおかげで、判明したところですがね」
麻知子は、小鳩を、見た。
「井原は、色々な若者に声をかけていたようですが、その中でも、小鳩さん、あなたは、突出した存在だった。想像力が、強力な魔術的な作用を持つほどに、強靱だったのです」
「俺が小説バカだったことと関係あるんですかね?」
「だから、井原は、一回のアルバイトだけではなく、再度あなたに、手帳に綴らせようとした。あなたは、アルバイトにしては、法外すぎる報酬と井原の執拗さに、違和感を覚えて、姿をくらましていたというところでしょうか」
「……町村さんの推測で、合ってますよ。でも、違和感というのは違う」
「違うというのは?」
「俺は、怖くなってしまったんです。情けない話ですけどね。お金を受け取る前にやめておけっていう話ですよね」
「……驚きました。意外と、素直なんですね」
「認めるべきところは、認めますよ」
と、小鳩が、言った。
麻知子は、手帳を開いて、小鳩に文字を書くように促した。
「何を書けば、いいんですか?」
と、小鳩が、聞いた。
「では、『今日は寒い』と書いてください」
小鳩は、ボールペンで、言われた通りに書いた。
麻知子は、『寒』という文字を指で押さえながら、瞑目した。
すると、『寒』の部分のみが、真っ赤に染まっていて、鈍く光った。
「触れてみて下さい」
と、言って、麻知子は、二人に手帳を差し出した。
「……冷たっ!」「……っ!」
手帳を触った宵と小鳩は、驚きの声を上げた。
手帳が、信じられないほどに、冷たくなっていたからである。
一分もすると、それも収まっていた。
「発動条件が、まだよく掴みきれていないので、私が発動してもこの程度ですが、あの井原という男は、うまく使いこなして、力を振るっていたようです。あの時の人外じみた怪力も、恐らくは、綴られた力に関係する言葉を、発動させていたと、思われます」
小鳩が、肩の高さまで片手を上げて、ちょっと良いですかと、言った。
「俺と石上さんは、一緒の部屋なんですか?」
「先ほど言ったように、あなたがたは、狙われています。ここが、相手に嗅ぎつけられる可能性は低いですが、万が一のことを考えると、一緒にいてもらったほうが、より安全です」
と、麻知子が、言った。
「でもですねえ」
と、小鳩が、言って肩をすくめた。
「男女が同じ部屋というのは、あまり好ましくない気がするんですよ」
「大丈夫。非常事態なんだからさ。私は、別に、気にしないよ」
と、宵が、言った。
「あなたが、気にしなくても、俺が気にするんですよ」
と、小鳩が、ため息をついて言った。
麻知子は、小鳩に、
「あなたは、紳士でしょうから、あなたが心配するようなシチュエーションは、想定できませんし、心配もしていません」
と、言って、
「とにかく、明日一日は、お二人とも、この部屋でじっとしていて下さい。その間に、私たちが、この件の解決に努めます」
「私たちって、町村さんの他にも、誰かいるの?」
と、宵が、聞いた。
「もちろんです。私が、一人でやれることなど、たかがしれています。まずは、上司に連絡をとります……少し、頼りない上司ですがね」
と、麻知子は言って、早々に部屋を出ていった。
宵と小鳩の二人が、部屋にとり残された形である。
「妙なことに、なってきましたね」
と、小鳩が、言った。
「そうだね」
と、宵は、短く言った。
「俺たちは、どうしたら、良いんですかね?」
「なるようにしかならないよ」
と、宵は、淡々と言った。
「……そんなことはわかっていますよ」
と、小鳩が、口をとがらせて、言った。




