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第10話 願望の行方 4

「ああ、こんなところにいたのか」


 と、男性の声がした。


 宵が振り返ると、小綺麗なスーツ姿の男性が立っていた。


 宵は、緊張した。


(こいつ……)


 宵は、男性を見た。


 ぴしっとした綺麗めのスーツを折り目正しく着込んだ男性だ。


 年は、三十前後かもしれない。


 宵は、荒れていたころは喧嘩もかなりしたしそれなりに修羅場もかいくぐってきた。


 そんな宵の経験による肌感覚が彼女自身に伝えているのは、危険だという直観だ。


(なんかやばい感じがする……)


 と、宵は、思った。


小鳩小太郎(こばとこたろう)君」


 名前を呼ばれた小鳩の肩が、震えた。


「俺は……もう知らない」


 と、小鳩は、うつむいて言った。


「知らないもなにも、彼女が手にしているのが、小鳩君の手帳だろう?」


 と、男性が、揶揄(やゆ)するように言った。


「困るなあ。アルバイト代分は、しっかり働いてもらわないと」


 小鳩は、口元に冷たい微笑を浮かべている男性にむかって、


「ちゃんとやりましたよ。前回と同じように、やったじゃないですか」


 と、反駁(はんばく)した。


「そのやってくれたことに問題があるから、君に連絡したんだろう? それを無視するのは、まずいと思うがね」


「……俺は、関係ない」


 小鳩は、力なく言った。


 男性は、小鳩の言葉に(かぶ)せるように、


「君が関係ないかどうかは、こっちが決めるんだよ」


 宵は、男性の足元を見た。


 男性の革靴は、しっかりと手入れがされていた。


 男性が左腕にはめている腕時計も、安物ではなさそうだ。


「腕時計が気になるかい?」


 と、男性は、笑った。


「……べつに」


 宵は、素っ気なく答えた。


「お嬢さん。小鳩君は、三週間ぐらいお休みしていたんでしょう」


 と、男性は、宵に話しかけた。


「……まあ」


 宵は、言葉を濁した。


(こいつ……小鳩の関係者なの?)


「小鳩君、さっきからわけのわからないことを言って、君を困らせていたんじゃないのかな?」


「そう……かもしれません」


 と、宵は、言葉を選びながら慎重に言った。


 男性の素性がわからなかったし、男性に対する小鳩のかたくなな態度を見ていると、なにか事情があるのは明白だったからである。


「小鳩君はね。言葉に生命力を吸い上げられたから、一時的に精神をやられている状態なんだよ」


 宵は、男性の言っている意味がわからず、眉をひそめた。


「小鳩君が、わけのわからない言動をしているのは……そうだな、酔っぱらっていると言えばいいのかな?」


「……酔っぱらって?」


 宵は、オウム返しに言った。


 小鳩は確かに言動は奇妙だったが、飲酒をしているようには見えなかった。


「あくまで例えだよ。魔術的な力を酷使したことによる精神の酩酊(めいてい)状態というのが、妥当な表現かな」


 と、男性は、言った。


(魔術……? こいつ、なに言ってるんだろう)


 宵は、目を細めた。


 いい年をした大人が魔術とかいう小説やドラマの中で出てくるような単語を口にしたことが、宵には、不思議だった。


「小鳩君は学校を休んでいる間、家にも帰らずに、桶野川市近辺のホテルや旅館を転々としていたんだよ」


「なんでそんなこと……小鳩?」


「自宅になんかいたら、僕に捕まってしまうと思ったんだろう」


「……」


 小鳩は、黙ったままだった。


「おかげで、捜すのに、随分と苦労したよ」


 と、男性は、宵と小鳩を見比べながら、言った。


「彼には、アルバイトをお願いしていたんだ」


「アルバイト……?」


「簡単なバイトだよ。君が手にしている手帳に、毎日他愛のないことを書くだけ、のね。彼が手にしている金は、そのバイト代だ」


「だって、何十万って……」


 と、宵が、言い淀んでいると、


「破格だと思うのかな?」


 と、男性が、笑った。


「でも、それだけの価値が、彼の文字にはあったんだよ。だから、それに見合うだけの金が払われた」


 男性は、笑みを浮かべたまま、小鳩に向き直った。


「今更、何の用ですか?」


 と、小鳩は、堅い調子で聞いた。


「編集部に、郵送したでしょう? 一週間分の言葉を書いて」


「ああ。確かに受け取ったよ。でも、駄目なんだ。まず、手渡しの約束だったのに郵送してきたし、そこの彼女が手にしている手帳に書いてくれていなかったじゃないか?」


「手帳は無くしてしまったから、代わりの同じ形式のものに書いて編集部に送ったんです。送り状にもそう書きました」


「だから、それでは意味がないんだよ」


 と、男性は、斬り捨てるように言った。


「俺が渡した手帳に、俺が渡したボールペンで、書いてくれ。そうお願いしたはずだよ」


「それは……」


「良く考えてみろ。君みたいな、普通の一介(いっかい)の学生の何気ない一文に、五十万の価値があると、本当に、思っているのか」


「そんなの、俺にも、わかりませんよ。でも……」


「まあ、良いさ。お嬢さん、その手帳をページを見せてくれないかな?」


 宵が小鳩に目をやると、構いませんよと小鳩が言った。


 宵の持っている黒い手帳のページが、ぱらぱらとめくられた。


 どこにも何も書かれていない、真っ(さら)な状態である。


 男性は、目を細めて、


「白紙……ね。書く前に落としたようだね」


「だから、送り状にそう書いたでしょう」


「前の時みたいに、この世の中を呪った言葉を書いてもらえるかな?」


「……新しい価値観を、見つけかけているんですよ」


 と、小鳩が、男性に向きなおって言った。


「学校でいじめられていて、その腹いせに世の中を斜めにしか見れなかった、根暗な君が?」


 小鳩は、男性の問いには答えず、ちらりと宵に目をやった。


 男性は、失笑した。


「これは、驚いた。色気づいたのかな。お嬢さん、どうやら、小鳩君は、君のことが気に入っているみたいだ」


 スーツ姿の男性は、一歩前に出た。


「さっきから、何を言ってるのか、さっぱりなんだけど」


 と、宵が、言った。


 スーツ姿の男性は、笑って、


「そうだね。君は部外者なのだから、わからなくて当然だ。しかし、その手帳を持っているからには、もう無関係とも言えないか。いいでしょう、少し事情を話そう」


 と、言った。


「行こう、小鳩」


 と、宵が、言った。


「こいつ、何かやばい……」


「お嬢さんの勘は、多分、当たっているよ」


「こっち!」

 

 と、宵は、小鳩の手を握って叫んだ。


 二人は、駆けだしていた。


 男性は、宵の目の前に迫っていた。


「……なっ!」


 宵は、驚きの声を、あげていた。


 そこら辺のチンピラでは相手にもならない、喧嘩慣れしている宵でも、驚愕してしまうほどの男性の身体能力だった。


「悪く思わないでほしい。俺だって、女性に手をあげるのは、好きじゃないんだ」


 男性は、宵に向かって、掌底を繰り出していた。


「危な……!」


 宵は、すんでのところでかわしたが、バランスを崩して大きくよろめいた。


 宵の身のこなしは、男性にとって想定外のものだったらしく、男性は苦笑いをしていた。


「可愛い顔してやるじゃないか。遊び慣れしてるとは思ったが、喧嘩慣れまでしているとは、意外だな」


「大きなお世話……!」


「こんなイレギュラーに遭遇するとは、驚きだ。君を昏倒させてから小鳩君を確保するつもりだったが、気が変わった。二人とも来てもらおう」


 と、男性が、言った。


(こいつ、変だ。少なくとも、闘い慣れしてる)


 と、宵は、直観した。


 男性から危険な香りを、宵は嗅ぎ取っていた。


(下手したら、私よりも強い)


 と、思った宵は、


「小鳩。逃げよう」


 と、言った。


 宵は、急いで小鳩の手を取った。


「……ちょっと、何をしているんですか」


「聞いてなかったの。逃げるの」


 と、宵は、叫んでいた。


 宵と小鳩の前に、男性の蹴りが飛び込んできて、宵の頬が打たれた。


 宵が、大きくよろめいた。


 宵は、口の中に鉄の味を感じた。


「……石上さん!」


 と、小鳩が、叫んだ。


「自分の心配をしたほうがいいぞ、小鳩君」


 と、男性が、せせら笑って、小鳩を蹴り飛ばした。


「この……!」


 宵は男性に向かって回し蹴りを放ったが、男性は宵の細い右脚のふくらはぎを掴んでいた。


「はしたないことを、するものじゃない。スカートで、そんなにはしゃぎまわると、下着だって見えてしまって……」


 と、男性が言いかけていると、宵は左脚で地面を蹴った。


 宵の身体が、宙に浮いた。


「こ……っ……の……っ!」


 宵の膝蹴りが、男性に打ち込まれた。


 男性の体勢が、大きく崩れた。


(やった!)


 と、宵が、思ったのも、つかのまだった。


「このじゃじゃ馬がぁっ! 調子にのるなよ」


 と、男性が、怒気をはらんだ声をあげた。


 男性の拳撃が宵を襲ったが、小鳩が割って入った。


 男性に殴られた小鳩の身体が、アスファルトの地面を転がった。


 小鳩は、気絶していた。


「……化物なの、あんた」


 人間業とは思えない、男性の怪力だった。


「おとなしく、ついてきてもらおうか」


 と、男性が、言った。


 宵は、意識とは別のところで、本能的に身体が身震いしているように感じた。


 筆舌尽くしがたい言葉を逸脱した表情が、男性の顔にべったりと張り付いていた。


 男性は、再び、宵に突進してきた。


(……まずい!)


 と、宵は思ったが、宵の顔面で、男性の拳は止まっていた。


「え……」


 宵は、言葉を失っていた。


 見れば、青髪の少女が、男性の拳を自身の拳で受け止めていた。


「何だ、お前は?」


 と、男性が、言った。


「正義の味方です」


 と、青髪の少女は、真顔で言った。


「そうか。正義の味方か。じゃあ、俺は、悪い奴かな?」


 と、男性が、おどけた調子で聞いた。


 男性の拳に力が押し込められて、拳を受け止めたままの青髪の少女の身体が、後方にそのまま押された。


「そうだと思いますよ」


 と、青髪の少女は、事務的に言って、


「この尋常でない力……あなたは、"(らん)"ですか?」


 と、続けた。


 男性は、ほうと、嬉しそうに口を歪めた。


「なるほどね。君は、こっち側の人間か」


「その物言いは、私の問いに対する肯定と、受け止めました」


 と、青髪の少女は言って、左脚を高々とあげた。


「スプレット……スタンプ!」


 青髪の少女は、大きく踏み込んだ。


 アスファルトが砕けて、男性の視界を遮った。


「さあ、撤退しますよ」


 と、言った青髪の少女は、いつのまにか、小鳩を片手で担いでいた。


「片手で、男子を……」


 信じられない光景に、宵の声は、かすれていた。


「話は後です」


 青髪の少女は、宵の手を取った。


 宵は、走りながら、青髪の少女に、


「あんた、誰……」


「ですから、正義の味方ですよ。町村麻知子(まちむらまちこ)と、言います」


 と、青髪の少女は、微笑して、言った。







 すぐに、路地裏は静かになった。


 そこには、男性の姿があるのみである。


 男性は、舌打ちした。


「……逃がしたか」


 男性は、苛立ちを隠さずに、スーツについた(ほこり)を払った


 男性は、突然顔を歪ませて、両手を地面につくと嘔吐した。


 男性が、吐き出したのは、一枚の紙片だった。


 それは、黒い手帳の頁の一部だった。


 紙片には、『今日強盗が近くのコンビニに入ったらしい。でも、暴れているところで、現行犯逮捕になったみたい。安心した』、と、日記の一文が、あった。


 日記の一文の、『暴』の部分のみが真っ赤に染まっていて、かすれかけていた。


「こいつは……もう、使えなさそうだな」


 と、言った男性は、紙片を破り捨てた。


 紙片は、風にのって、どこかへ飛んでいった。


 男性は、ゆっくりと立ち上がった。


「久々の、当たりの食糧……なんだ。逃しはしない」


 と、言った男性は、煙草に火をつけた。

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