第10話 願望の行方 2
(見失うわけにはいかない)
と、宵は、思った。
宵は、走っていた。
(学校を一週間も休んで……何考えてるの、あいつ!)
宵は、なぜ自分がこれほどまでにいらいらしているのか不思議だった。
どうしてこれほどまでに小鳩のことが気になるのか、自分でもわからないのである。
宵の眼前に構えているのは、見慣れたパン屋の看板だった。
看板には藍色の文字で『ベーカリー本田』と書かれていて、パンを頬張っているパンダが描かれていた。
パンダを模したチョコレートパンが、一番人気である。
ポイントカードのスタンプもパンダで、パン屋の主人は、無類のパンダ好きなのだ。
時間が時間だから、当然シャッターが下りていた。
宵は、パン屋の前で立ち往生した。
ここから先の道にはY字路があったはずだが、両方の道ともしばらくは合流ポイントがない。
当てずっぽうでどちらかの道に踏み込むわけにはいかないと、宵は、思った。
(こっちに行ったと思ったけど……)
そもそも、このパン屋のある通りで正解なのかもあやしく思えてきた。
宵は辺りを見回したが、小鳩の姿はなかった。
(見失った……?)
と、思いかけた瞬間、宵は、小鳩の後ろ姿を見つけた。
(路地裏……!)
二百メートルほど先の路地裏まで、宵は、再び走った。
「こっちのほうは、あまり来たことが、ないな」
と、宵は、言った。
普段見慣れている商店街の一角の見知っていない道である。
見知らぬ飲食店の裏口で、ゴミの鼻をついてくる臭いと、ビニールのゴミ袋の引き千切られる音がした。
黒い猫と烏が残飯掃除の最中だった。
「この辺のはずだけど……」
走って息が上がっていた宵は、学生鞄からお茶のペットボトルを取り出して飲んだ。
宵が目を横にやると、別の白い猫が新たに残飯あさりに加わっていた。
「石上宵……さんですか?」
宵の後ろから、声がかかった。
宵は、後ろを振り向いた。
そこに、宵は、見たのだった。
「小鳩、小太郎……なの?」
宵の言葉は、問いかけ調だった。
この場合、理屈という言葉は、似合わなかった。
宵は、路地裏のゴミ箱にぐったりと寄りかかっている小鳩の姿を、確認していた。
次の瞬間には、宵の急ぐ足はそちらに向かっていた。
走り寄った宵の姿を捉えて、小鳩はどんよりと微笑んだようだった。
「こんなところで、奇遇ですね」
と、小鳩が、言った。
「奇遇って、あんた……。何やってんの……」
宵は、言葉を続けられなかった。
小鳩の様子は、明らかに普通ではなかった。
乱れきった髪と歪んだ唇と、そこから漏れ出す退廃的な微笑みが、宵の感情をざわつかせた。
「……何をやっているか、ですか」
と、小鳩は、呟くように言った。
虚ろな澱んだ瞳と、さらに、その奥から覗く錆び付いた眼光と、どれをとってもどう見ても普通でない。
「俺は……何をやっているんでしょうね?」
「……私に聞くの?」
小鳩の目が、宵の背筋に何か寒々しいものを走らせた。
(……危ないクスリでもやっているのかな)
と、宵は、冗談でなく、正直にそう思った。
「家出して来たんですよねえ、俺は」
と、小鳩は、自虐的な調子の声には抑揚がなく、そう切り出した。
「家出って、どういう……」
宵の予測に反して、宵は、ずっと小鳩という男子生徒に手帳を渡せないでいた。
小鳩という男子生徒の手帳を手にしてから、すでに一週間が経っていたし、小鳩の欠席の理由が、風邪で休みが入院で長期休みに代わったからである。
宵は、
「あんた、入院していたんじゃないの?」
と、聞いた。
小鳩は、笑って、
「そういうことに、なっているみたいですね。俺の家族は、体面を重んじてくれたんでしょう」
宵は、一番最初に、小鳩が風邪で休みだと教えてくれた、豊能という男子生徒との会話を、思い出していた。
『また、来たの?』
『まだ、来ていないの?』
『ウチの担任の先生からは、入院中っていう説明だけだからねえ』
『何の病気なの?』
『俺が、知るわけないでしょ。先生、そういうこと言っていないから。いつ退院とかの、具体的な話も出ていないし』
『こいつは噂だけど、病気じゃないんじゃないかって話もあるよ』
『小鳩の奴、いじめられていたから、それが原因で休んでいるんじゃないかって、話だよ』
宵は、小鳩の目を見て、
「小鳩。帰ろう」
と、言った。
(何を言ってるんだろう、私)
宵は、自身の言葉にとまどっていた。
小鳩は、隣の県からここまで四日間かけて旅行していたことを、話した。
「まあ、小旅行というところですかね」
と、小鳩は、自慢げに言った。
「学校休んでそんなことしてたの?」
と、宵が、聞いた。
「俺を非難しているんですか?」
「意味不明だって言ってるの」
小鳩は、目を丸くして、
「何か意味がなければ、行動してはいけないんですかね?」
と、言った。




