第9話 竹林の亡霊 10
結は、ふっと話題を切り替えるように、
「そういえばさ、全然関係ない話していい?」
唐突な切り出しだったが、その声色は、いつも通り明るい。
「鹿倉さんの、全然関係ない話って、だいたい休み時間向きだよね」
彼方が、そう返すと、結はくすっと笑った。
「でしょ。今じゃないとできないやつ」
そう前置きしてから、結はスマートフォンを取り出し、画面を軽く振ってみせる。
「昨日ね、駅前のドラッグストアで、新しいリップ出てたの。限定色」
「限定……」
彼方は、その言葉に、少し身構える。
七色は、興味深そうに、だが静かに、結の手元を見ていた。
「今度のシリーズ、発色が派手すぎなくてさ。ほら、学校でも使えそうなラインってあるじゃん」
結は、そう言いながら、指先で自分の唇の端をなぞる。
「ツヤは控えめなんだけど、光の当たり方でちょっとだけ色が変わるの。名前もね、“宵桜”とか、“薄月”とか、そういう感じ」
「……和風ですね」
七色が、ぽつりと呟く。
「でしょ? ちょっと和っぽくてさ。いい感じなんだよね」
と、結は、にっと笑った。
「うちの店に並んでる古い蒔絵の器みたいなネーミングだなって思って」
結はそう言って、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「鹿倉さんの家らしい感想だね」
「うん。派手すぎるのは苦手なんだよね。流行ってても、自分に合わないと落ち着かないし」
その言葉には、見た目の明るさとは裏腹な、確かな自分軸があった。
結は、少しだけ声を落として、続ける。
「それでさ、彼氏と一緒に見に行ったんだけど」
ごく自然に出てきたその単語に、彼方は、一瞬、反応が遅れた。
「あ、そっか……彼氏さん」
「うん。付き合ってもう一年ちょいかな」
特別誇るでも、隠すでもなく、さらりと言う。
「彼氏さん、コスメとか興味あるの?」
「全然。でもね、『結が楽しそうならいいんじゃない?』って言ってくれるタイプ」
結は、肩をすくめるように笑った。
「それで、『どれが一番結っぽい?』って聞かれてさ。正直、困った」
「困るんだ……」
「だって、『結っぽい』って何、ってなるでしょ」
結は、少し考えるように視線を宙に向ける。
「明るいのは好き。でも、派手すぎるのは違う。流行は気になるけど、振り回されるのも嫌。……そういうの、全部まとめて『結っぽい』って言われると、急に難易度上がるんだよね」
七色は、静かに頷いた。
「自分をどう見せるか、という話ですね」
「そうそう。御月さん、わかる?」
「ええ。役割と本心が、常に一致するとは限りませんから」
その言葉に、結は、一瞬だけ目を瞬かせ、それから柔らかく笑った。
「……御月さんって、時々すごく大人だよね」
「そうでしょうか」
「うん。落ち着いてるっていうか。あ、嫌な意味じゃないよ?」
「わかっています」
七色の淡々とした返答に、彼方と結は、思わず顔を見合わせた。
「それで結局、どれにしたの?」
彼方が、話を戻す。
「“薄月”。一番控えめなやつ」
「即決じゃなかったんだ」
「ううん。最後まで悩んだ。でもね、彼氏が言ったの。『結は、静かな色の方が目立つと思うよ』って」
「……それ、ずるくない?」
「でしょ?」
結は、楽しそうに笑う。
「そういうこと言われるとさ、もう決まっちゃうじゃん」
笑いながらも、その声音には、確かな信頼が滲んでいた。
「大切にされてるんだね」
彼方がそう言うと、結は、少し照れたように視線を逸らす。
「まあね。お互い無理しないのが一番、って感じ」
そう言ってから、ふと二人の表情を見て、結は軽く手を振った。
「安心して。学園内でイチャイチャするタイプじゃないから」
「それは、助かります」
七色が、真顔で言うと、結は、吹き出した。
「御月さん、真面目かっ!」
ひととき、穏やかな笑いが広がる。
その日常的な空気の中で、彼方は、一瞬だけ、噂や竹林のことを忘れていた。
だが同時に、こうした普通が、どれほど脆いものかも、どこかで理解していた。
彼方は、
「幽霊とか亡霊っぽく、か……」
と、言い淀む。
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが引っかかる。
「そりゃ、そうだよ。このご時世、幽霊とか亡霊とか」
と、結は、からからと笑う。
その笑い声に、空気が一瞬だけ和らぐ。
「なるほど……。じゃあ、あの噂は誰かが意図して見せてる可能性もあるってことか」
彼方は、小さく頷く。
論理としては理解できる。
だが、納得とは程遠かった。
頷いておいて、全然腑に落ちない。
(あれは……)
彼方の脳裏に浮かぶのは、あの武者の動きだ。
人の意志とは異なる、空白のような挙動。
少なくとも、人ではない。
では、人でないのなら、なんなのか。
結の言うように、幽霊や亡霊の類なのか。
それと、千弦の言葉もある。
あの凛とした声で告げられた、断定。
「あの武者は、空だ」
「から……?」
「ああ、なにもない」
「どうりで、なんの気配も感じなかったわけです……」
「からくり人形のようなもの、いや、この場合は、からくり武者、と言ったほうがいいか」
「何者かに操られた存在だ」
言葉を思い返すたび、理解は深まるどころか、遠ざかっていく。
(……わからないな)
彼方は、そう思った。
わからないことが、増えていく感覚。
それでも、目を背けるわけにはいかなかった。
結は、軽く笑いながら、肩越しに二人を見やった。
その視線には、場を和ませる余裕と、二人の様子をさりげなく気遣う配慮が同居している。
「まあ、想像するだけなら安全だし。あ、二人とも、さっきの武具の知識は間違えないようにね。ここ試験に出まーす」
冗談めかした言葉に、彼方は、肩の力を抜く。
彼方は、苦笑して、
「ありがとう、鹿倉さん」
七色も、静かに頷いた。
彼方の胸には、確かな決意が芽生えていた。
竹林で何が起きているのか。
噂でも憶測でも想像でもなく、現実として。
もう一度、自分たちの目で確かめなければならない。
そう考えていた。





