第9話 手帳の走り書き 10
「ちょっと、なめてんの?」
と、その少女は、声を荒げた。
ホテルの一室で、少女は、一糸まとわない姿だった。
「なめていないよ」
と、男性が、言った。
男性は、スーツに、着替え終わったところだった。
「ちゃんとやったら、五万円くれるって、言ったじゃん。嘘つかないでよね」
と、少女が、言うと、男性は、
「嘘は、ついていない。君が、俺を、満足させてくれたら、と、そう言ったはずだよ」
と、返した。
「きちんと、おじさんに、言われた通りに、したでしょ。それなのに、何でよ。大人のくせに、ふざけないでよ」
と、少女は、薄い布団に、身を包みながら、男性を、睨みつけた。
「大人を、なめているのは、そっちだろう?」
と、男性は、無感情な目を、少女に、向けた。
「君が俺の言う通りにするのと、君が俺を満足させられるかどうかは、別だよ。お金を得るということは、そんなに、楽なことじゃないんだ」
と、男性が、言った。
「偉そうに。こんなことだったら、あの時、あっちのおじさんと、遊んでれば、良かった」
と、少女は、ふてくされたように、言った。
「君みたいな、ふしだらで、自分の欲求に素直な子であればと、期待したんだが……」
と、男性は、呟いた。
「なにごちゃごちゃ言っているの?」
「別に」
少女は、嘲笑して、
「そもそも。おじさんが、満足できないのは、年なのが、問題なんじゃないの?」
男性は、苦笑して、
「どうなのかねえ」
と、返した。
「怒らないの?」
「怒らないさ。大人はね、君のような学生が思いつくような、挑発には、付き合わないんだよ」
少女は、つまらなそうに、鼻を鳴らしたが、思いついたように、
「あ、わかった。出版社の編集者で、お金持ち、なんて言ってたけど、実は、貧乏で、ぱっとしない、ぼんくらサラリーマンなんでしょ?」
男性は、いきなり、少女を、床に、押し倒した。
「ちょっ……!何するのよ!」
少女の声が、震えていた。
こうするんだよ、と、言った、男性は、少女の腕を、押さえつけた。
「い、痛い!離してよ」
男性の力に、ねじ伏せられた、少女は、訴えた。
少女の首には、麻縄が、巻かれた。
男性の意図が、おぼろげながらも、わかって、少女の目には、涙が、浮かんでいた。
「ごめんなさい。馬鹿にしたことは、謝るわ」
と、少女が、言った。
「いいや、もう遅い」
少女は、自身の首に、鈍い痛みを、感じた。
「大人をなめると、どういうことになるのか、教えてあげるよ」
と、男性は、淡々と、言った。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
少女は、壊れてしまったスピーカーのように、謝罪の言葉を、繰り返した。
「大丈夫」
と、男性は、優しい声で、言うと、そっと、少女に、ボールペンを、握らせた。
「素直に、今の気持ちを、書いてもらえば、良いんだ」
少女は、手帳の紙の感触をたよりに、その上に、文字を、書きなぐった。
「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
男性は、手帳の一頁が、同じ謝罪の言葉で埋まったのを、見て、頷いた。
嗜虐の乾いた笑いと被虐の息遣いが、ホテルの部屋に充満していった。
ごめんなさいという走り書きで、その頁が、埋まっていた。
男性は、手帳を、眺めて、
「何だ。やれば、できるじゃないか。最初から、こうしてくれれば、良かったんだよ」
と、言った。
男性は、震える少女の耳元に、綺麗に整った、一万円札を五枚、そっと置いた。
「約束のアルバイト代だ。これで、好きな洋服でも、買うと良い」




