第9話 手帳の走り書き 9
宵と小鳩との出会いは、宵が、学園の裏庭で、偶然見かけた、かつあげの現場だった。
「ちょっと、あんた達、何やってんの」
と、宵が、言った。
脅しているのは、男子生徒二人組で、宵は、二人の顔を、知らなかった。
二人とも、不良仲間といった感じである。
二人の内の一人が、相手の生徒の胸倉を、乱暴に、掴んでいた。
(不良さんが、お仲間同士でつるんで、仲良く、恐喝行為か)
と、宵は、思った。
脅されているのは、宵とは、面識のない、一見して、気の弱そうな、男子生徒である。
宵は、空を、見上げると、灰色の曇り空で、今にも、雨が、降りそうである。
気の弱そうな男子生徒は、宵と、一瞬、視線を合わせたが、すぐに、そっぽを向いてしまった。
(早めに、片付けよう)
と、宵は、思って、男子生徒達のほうへ、歩み寄っていった。
「ちょっと、やめなよ。格好悪いよ」
宵は、直言した。
脅しているほうの、男子生徒二人は、宵の登場に、煩わしそうに、顔を、歪めた。
「何だ、秋口か」
と、脅しているほうの、男子生徒の一人が、言った。
「あたしのこと、知ってんの?」
と、宵が、聞くと、
「まあ、俺らの中じゃ、あんたのことを知らないほうが、珍しいんじゃねーの。結構、有名人だよ、あんた」
と、脅しているほうの、もう片方の男子生徒が、言った。
「へえ、どんなふうに、有名なの?」
と、宵は、あまり興味がなさそうに、聞いた。
男子生徒の一人は、制服のポケットに、手を入れて、にやっとして、
「腕っぷしがたつってな。まあ、女にしては、ってところだろーけどな」
と、言った。
もう一人の男子生徒が、脅している、男子生徒の胸倉を、つかんでいた手を、離した。
「小鳩。良かったな。白馬の王子様……いや、お姫様のご登場だぞ」
小さな声があがって、小鳩と呼ばれた、男子生徒が、倒れこんだ。
「女に助けてもらうなんて、だせー真似しやがって」
脅しているほうの、短髪の男子生徒は、小鳩を、足蹴にした。
「逃げんじゃねーぞ?この女、やった後に、遊んでやるからよ」
と、短髪の男子生徒は、言った。
小鳩は、飄々とした表情で、短髪の男子生徒を、見た。
「……どう考えても、逃げる理由が、ありませんね。第一、俺は、何も、悪いことは、していない」
と、小鳩は、言って、宵に、向かって、
「そこの女子生徒さん。秋口さんと、言うんですかね?」
と、聞いた。
「そうだけど?」
と、宵が、答えた。
小鳩は、倒れ込みながら、鬱陶しそうに、
「邪魔なんですよ」
と、言った。
「は?」
小鳩の一言に、宵は、意表を突かれて、目を丸くした。
「だから、邪魔だと、言ったんですよ。ああ、あなたのようなヤンキーっぽい人なら、うざい、と言ったほうが、通じますかね」
「……簡単に、そうやって、カテゴライズされるのは、好きじゃないんだけど」
と、宵が、呆れたように、言った。
「別に、あなたに、好かれるために、言っているわけじゃありません。早く、もう、行って下さい。俺は、あなたに、助けてくれとは、一言も、言っていませんよ」
と、言った。
「格好つけんんじゃねーぞ、おしゃべり野郎」
と、悪態をついた、短髪の男子生徒は、小鳩の腹を、蹴った。
小鳩は、苦悶の声を、あげた。
脅しているほうの、長髪の男子生徒は、小鳩を、見下ろしてから、宵を、睨みつけて、
「あー。興ざめだわ。何だこりゃあ、何かの茶番ですかあ?」
と、煽るように、言った。
宵は、肩を、すくめた。
「私に、聞かないでよ」
そう言いながら、宵は、小鳩を見て、
(変なやつ)
と、思っていた。
(弱っちいのに、虚勢はって、馬鹿みたい。話も、無駄に、長いし、とってつけたような言い方するし……変なやつ)
不思議と、宵の中で、小鳩に対する、漠然とした興味が、わいてきていた。
「俺達のお楽しみを邪魔した分は、てめーに、払ってもらうわ」
と、短髪の男子生徒が、言った。
「何それ」
と、宵が、言った。
「てめーを、ぼこ殴りにして、スカっとしようってだけだよ」
「趣味悪」
と、宵が、目を閉じながら、言った。
「しゃしゃりでてきた、てめーに、言われたかねーな」
宵は、困ったように、笑って、でも、と、言って、
「無理じゃないかな。あんた達じゃ、逆に、私に、こてんぱんにされるのが、関の山だと、思うけど」
短髪の男子生徒の目つきが、鋭くなった。
「煽ってくれるじゃねーか。イラっときたわ」
「煽ってないって。怪我をしないように、親切に、前もって、アドバイスしているだけじゃん」
と、宵が、言った。
宵の態度に、苛ついた様子の、短髪の男子生徒は、
「面白れぇ!お前、もう死んだわ!」
と、言った。
短髪の男子生徒は、宵に、拳を、振り上げていた。
宵は、短髪の男子生徒の拳撃を、難なく、かわした。
「あくびが出ちゃうような、のろのろのパンチね」
と、髪をなびかせながら、宵は、言った。
舌打ちをしながら、短髪の男子生徒は、攻撃を、次々に、放ったが、結果は、第一撃目と、変わらなかった。
「くそ!ちょこまかと」
「サシじゃあ、あんたに、勝ち目はないんじゃない?お友達も、参戦しても、構わないよ。そうしたら、一万分の一くらいは、勝ち目が、出てくるかもね」
と、宵は、言った。
その言葉が、男子生徒を、一層、苛立たせたようだった。
「調子こいてんじゃねーぞ」
と、言った、短髪の男子生徒は、いつのまにか、カッターナイフを、手にしていた。
「そんなものを、持ち出しちゃ、終わりね」
と、宵は、静かに、諭すように、言い放った。
「うるせーな。勝ちゃあ良いんだよ」
と、短髪の男子生徒は、息を、荒くして、言った。
「乃木みたいな、イノシシだったら、まだマシなんだけどな」
と、宵が、言うと、男子生徒の顔が、凍り付いて、
「……お前、今、乃木……って」
宵にとって、男子生徒達の態度の急変は、意外だった。
(何だろう)
と、宵は、思って、眉をひそめた。
「乃木って……乃木新谷のことか?」
と、長髪の男子生徒が、聞いた。
「何か、昔、懲りずに、何度も何度も、私に、喧嘩をふっかけてくる奴が、いてね。返り討ちにしてたよ。で、そいつが、いつも、わざわざ、名乗りをあげてから、かかってくるもんだから、自然に、名前を、覚えちゃってね」
と、宵は、思い出しながら、言うと、
「あいつ、有名人なの?」
と、続けた。
「……伝説の喧嘩屋集団『零喰柄夢』の頭の乃木新谷が、勝てなかった相手かよ……」
と、長髪の男子生徒が、呻いた。
「……びびってんのかよ」
と、短髪の男子生徒は、声を震わせながら、仲間の、長髪の男子生徒に、言った。
長髪の男子生徒も、表情をこわばらせたまま、
「お前だって、びびってんだろう」
「びびってねえ!」
「……相手が、悪すぎる。ずらかろう」
「なめられたままで、良いっていうのかよ!」
と、短髪の男子生徒が、わめいた。
「もうやめにしない?あたしも、面倒事は、正直、苦手なの」
と、宵が、言った。
「……くそったれがぁっ……っ!」
短髪の男子生徒は、自身を奮い立たせるように、叫んで、カッターナイフを、強く握って、宵に向かって、突進した。
次の瞬間、短髪の男子生徒のカッターナイフを握った手首が、宵の右手で、おさえこまれていた。
「ぐっ……」
「本当は、あんたに、触るのも、嫌なんだけど、手っ取り早く終わらせたいから。あんたの武器は、私が、おさえこんでいる。どーするの?押す、それとも、退く?」
短髪の男子生徒は、握られた手に、力を込めたが、少しも、動かなかった。
宵は、ため息をついた。
「わかった。これが、あんたの限界ね」
宵が、短髪の男子生徒の手首を捻ると、悲鳴があがって、カッターナイフが、地面に、落ちた。
男性生徒の鳩尾に、宵の拳の一撃が、入った。
短髪の男子生徒は、呻き声を、もらしながら、ゆっくりと、崩れ落ちた。
「あんたは、どーする?できれば、これで、終わりにしたいんだけど」
と、宵に、声をかけられた、もう一人の長髪の男子生徒は、目を泳がせてから、覚えていろ、とだけ、言い残して、小さく呻いている、短髪の男子生徒に肩をかしながら、その場を、去っていった。
「良く吠えるやつほど、根拠のない自信を、持っちゃうんだから、困ったものね」
と、宵は、言って、片手を、細い腰に、当てて、ため息をついた。
風が、吹いて、宵の長い髪を、揺らした。
「うわ。髪、ばさばさするな」
と、言いながら、宵は、髪留めの位置を、直した。
「あんたも、そう思わない?」
と、宵は、呆然としている、男子生徒に、話しかけた。
「……俺に、言っているんですか?」
と、男子生徒は、自身の制服のスボンの裾についた汚れを、払い落としながら、言った。
宵は、男子生徒に、向き直って、
「この場に、あたしとあんた以外、誰が、いるのよ」
と、言った。
「まあ、そうですが」
男子生徒の声は、緊張と警戒の色に、染まっていた。
「あたしは、秋口宵。あんたの名前は?」
と、宵が、聞いた。
「……名前なんて、聞いて、どうするんですか?」
と、男子生徒は、宵から、目を逸らして、不満げに、言った。
「質問に質問で返すなって、習わなかった?」
と、宵が、聞いた。
「良く、言われますよ」
と、男子生徒が、言った。
「それに、あんた、少し、変わってるよね」
「それも、良く、言われますよ。どうやら、俺は、変り者らしい」
と、小鳩が、言った。
「わかってて、言って、どうするのよ」
と、宵が、呆れたように、言うと、男子生徒は、苦笑して、
「でも、受けた質問が、意味のないものだったら、俺は、逆に、別の質問というか、自分が聞きたいことを、聞きますよ」
と、男子生徒が、ふてくされたように、言った。
宵は、男子生徒の近くまで、寄って、凝視した。
「それって、あたしの質問が、意味がない、って、言いたいの?」
宵の視線に、気圧されたのか、男子生徒は、語気を、弱めて、
「そうは、言いませんが……」
と、言った。
「名前は?」
と、聞いた、宵の口調に、男子生徒は、観念したように、
「小鳩小太郎」
と、言った。
「小鳩。助けてあげた、お礼を、してよ」
と、宵が、言った。
小鳩は、不意をつかれたように、
「名前を、知った途端、呼び捨てですか。馴れ馴れしいですね。俺は、そもそも……」
宵は、小鳩の顔を見ながら、
(面倒くさいやつだな)
と、思った。
「だったら、あんた、のほうが、良いの?」
「いえ、そうは言っていないのですが……お礼……ですか?」
と、小鳩が、聞いた。
「そ。タダほど、怖いものはないの」
と、宵が、返した。
「それは、そうでしょうが……」
「コーラ、缶のやつ、一本で、良いよ。さっき、身体を動かしたから、無性に、喉が、渇いちゃってさ」
と、制服のスカートを、揺らしながら、宵が、言った。
「秋口さん。目のやり場に、困るので、だらしのない所作は、控えてくれませんか?」
と、小鳩が、少し、顔を紅潮させながら、言った。
宵は、小鳩の言う意味が、わからずに、
「何が、言いたいの?」
「その……白の……少し、目に入ってしまったものですから」
と、小鳩は、静かに、言った。
「別に、良いよ。見せて、減るものでもないし」
「それは、ですね。あなたが、女子生徒としてのマナーを……」
「どーでも、良いから、コーラ」
「何で、俺が……」
宵に、睨まれた、小鳩は、小さく、呻いて、
「わかりましたよ。今、買ってきますから、その物騒な眼つきは、止めてもらえませんか」
と、言った。
宵は、肩をすくめて、
「交渉成立。ここで、待ってるから、早くしてね」
と、言った。
小鳩は、嘆息して、
「じゃあ、ちょっと、待っていてください」
と、言って、自動販売機のある食堂に向かって、歩いていった。
「それで、小鳩は、何で、あいつらに、絡まれていたの?」
と、宵が、戻ってきた小鳩に、聞いた。
「あなたに、言う必要が、ありますか?」
宵は、小鳩を、凝視して、
「とにかく、あたしの聞いてることに、答えて」
と、有無を言わせない調子で、言った。
「……あまり、話したくありませんね」
と、小鳩は、言った。
「お金を、取られちゃうところだったじゃない」
「今までに、金を、渡したことは、ありませんよ。その代わり、今までに、三度ほど、殴られましたがね」
と、小鳩は、淡々と、言って、
「まあ、いじめられている、という表現が、しっくりきますかね。何でも、あなたは、聞くでしょうから、先に言っておきますと、いじめの原因は、ようは、バカなやつらのやっかみですね」
と、続けた。
小鳩は、自虐的な笑みを浮かべて、
「俺は、いわゆる、お勉強だけは、良くできますから、それが、やつらは、気に入らないんでしょう」
宵は、コーラを飲みながら、黙って、小鳩の話を、聞いていた。
「もう良いですか?お礼も、済みましたからね。俺も、暇じゃないんです」
と、言った、小鳩は、歩き出していた。
自身に背を向けて歩いている、小鳩に、宵は、
「あんた。可愛くないよね」
と、声を、かけた。
それも良く言われますよ、と、返事が、あった。
小鳩が立ち去った後、その場に、黒い手帳が、残されているのに、宵が、気付いたのは、コーラを飲み終えた時だった。
「落とし物……変に気取ってたわりに、妙にぬけているんだから」
と、言いつつ、宵は、手帳を、拾いあげていた。
(乗り掛かった舟だ。明日にでも、届けてやれば、良いか)
宵は、そう思った。




