第9話 手帳の走り書き 7
宵は、二組の教室に、向かった。
「あのさ。小鳩小太郎って奴、呼んでくれない?」
と、宵は、手短に、言った。
宵に、話しかけられた、男子生徒は、宵の、ぶっきらぼうな口調に、少し驚いたような素振りを見せたものの、
「小鳩?今日は、風邪で、休みらしいよ」
と、言った。
「あっそ。サンキュー」
と、言った、宵が、その場から、立ち去ろうとして、男子生徒は、
「ちょっと、待って。もう良いの?」
と、聞いた。
宵は、軽く、頷くと、
「また、明日、来るから、良いよ」
と、言って、自身の組に、戻っていった。
宵は、廊下を、歩きながら、手にした手帳を、眺めた。
(これを、返すのは、明日以降に、なりそうだな)
と、宵は、思った。
宵の予測に反して、宵は、小鳩という男子生徒に、手帳を、渡せないでいた。
小鳩という男子生徒の手帳を、手にしてから、既に、一週間が、経っていたし、小鳩の欠席の理由が、風邪で休みが、入院で長期休みに、代わったからである。
(面倒なことになったな)
と、宵は、思いながらも、今日は来ているのではないかという、期待を抱きながら、二組に、足を運んだ。
「また、来たの?」
一番最初に、小鳩が風邪で休みだと教えてくれた、豊能という男子生徒とは、すっかり、顔なじみになっていた。
「まだ、来ていないの?」
と、宵は、聞いた。
まだだね、と、言って、豊能は、肩をすくめた。
「ウチの担任の先生からは、入院中っていう説明だけだからねえ」
と、豊能が、言った。
「何の病気なの?」
「俺が、知るわけないでしょ。先生、そういうこと、言っていないから。いつ退院とかの、具体的な話も、出ていないし」
と、言った、豊能は、
「こいつは、噂だけど、病気じゃないんじゃないかって、話も、あるよ」
と、続けた。
宵は、目を細めた。
「小鳩の奴、いじめられていたから、それが、原因で、休んでいるんじゃないかって、話だよ」
と、豊能は、言った。
宵は、豊能の話を、聞きながら、
(いじめについては、周りの奴らも、ある程度は、知ってたのか)
と、思った。
親指を、顎に当てて、考え込んでいるような仕草の、宵を、見て、豊能は、
「大丈夫?考え込んでるようだけど」
「別に。気のせいよ」
と、宵が、事務的に、言った。
「大体、用件って、何なの?何か、伝言とかだったら、俺が、伝えておくけど」
と、豊能が、言った。
「伝言じゃないよ」
と、宵は、言った。
「わかった。本人に、直接言わなきゃいけない系のやつでしょ。告白とか。やるじゃん。あー、でも、小鳩を、選んじゃうあたり、かなり趣味悪いわ」
「前から、何となく、わかってたけど、あんた、時々、めちゃくちゃ、うざくなるよね」
「ごめんごめん。そんなに、怒らなくても、良いだろう。伝言でないとすると、何か、渡したいものが、あるのかな」
「……別に」
「なるほど。俺が、預かるわけにはいかないんだね」
と、豊能は、声のトーンを変えて、言った。
(こいつ、勘が良い)
と、宵は、思った。
宵は、わかった、と、言ってから、
「しょっちゅう来るのも、面倒になってきたし、あたしのアドレスを、あんたに、教えておくから、小鳩が、来た時に、教えてくんない?」
と、続けた。
「それ以外の用件で、メールをしても、良いの?」
と、豊能が、聞いた。
「ばーか。あんた、モテないでしょ?」
と、宵は、返した。
豊能は、えっという顔をした。
「そういうのは、相手の許可を求めた時点で、駄目なんだよ。送りたきゃ、送れば、良いだけでしょ」
と、宵が、言った。
「……あんた、見かけによらず、真面目だな。それに、意外と、まめなのかな」
と、豊能は、苦笑して、言った。
豊能の態度が、気に入らない、宵は、眉をひそめて、
「どういう意味?」
と、聞いた。
豊能は、そのままの意味だよ、と、答えた。
「あんた、秋口宵だろう。はみ出し者の中のはみ出し者、って、呼ばれているよ」
「はあ?」
豊能は、宵の恰好を、一瞥して、
「あんたって、いわゆるギャル系で、先生からの評価も、芳しくない。まさに、ステレオタイプの、ヤンキー、って言えば、わかりやすいのかな」
宵は、短いスカートを、翻しながら、
「大きなお世話。あたしは、あたしの好きなように、やってるだけで、外野に、とやかく言われる筋合いは、ないと思うけど」
と、言った。
「スカートの丈とか、見えちゃいそうなぐらい短いし、そのピアスだって、園則違反でしょ。似合ってるとは、個人的には、思うけど」
と、豊能が、たしなめるように、言うと、宵は、そっぽを向いて、
「好きでやってるだけだよ」
と、言った。
「大半の奴らが、そうしてるように、見せかけだけでも良いから、適当に、真面目っぽくやっておけば良いのに、それが、できないのかねえ」
豊能の言葉が、自身の胸に、静かに、突き刺さっていくのが、宵には、わかった。
(……そんなの、言われなくても、わかりきってる)
と、宵は、思った。
「そういうの、得意じゃない」
豊能は、宵を、見据えて、
「あんた、本当は、真面目だから、表と裏の使い分けが、下手くそなだけなのかもな」
「あたしは、別に……」
「まあ、そのあたりの押し問答は、どうでも良いよ。面倒だし」
と、豊能は、言って、
「あんたは、ヤンキーとかそういう連中同士で、つるむのかと思えば、そういうわけでもない。だから、はぐれヤンキー、ってところらしいよ」
「あんたが、むかつく奴だってことは、わかったし、何を言いたいかは、大体わかった。必要がある時だけ、連絡して」
と、宵が、突き放すように、言った。
「俺、嫌われたのかな?」
「自分で、考えたら」
そう言って、宵は、二組を、後にした。
歩きながら、宵は、窓の外の風景を、眺めた。
三条学園の佇まいは、いつもと、何ら変わりがないように見えた。
グラウンドでは、サッカー部が、練習試合をしていた。
その奥のテニスコートでは、テニス部が、同じように、練習に、勤しんでいた。
「部活、か……」
と、宵は、独り言ちた。
部活動は、宵にとっては、縁遠い存在である。
宵には、目の前に広がる、いつも通りの日常風景は、無性に寒々しく、作り物にすら思えた。
そう思えてしまうのが何故なのか、宵自身にも、良くわからなかくて、ただ、寂寥感が、押し寄せてくるのである。
(表と裏の使い分け……か)
宵の頭の中では、先刻の豊能の言葉が、思い出されていた。
渡り廊下まで来て、宵が、空を、見上げると、灰色の、曇り空が、広がるばかりだった。
宵は、持ち主に返せていない、小さな手帳を、握りしめた。
(小鳩と初めて会った時も、こんな空だったな)
と、宵は、思った。




