第9話 竹林の亡霊 6
地面が鳴る。
甲冑武者の切っ先が、彼方たちの目の前を駆け抜けた。
甲冑武者の刀が、千弦の眼前をかすめて、風を切り裂いた。
重厚な鉄の塊が振るわれたとは思えないほど、その一撃は鋭い。
それは、空気そのものを断ち割るような音を、伴っていた。
「……っ!」
刃が通過した軌跡には、わずかながら、歪んだ風の流れが残り、遅れて頬を打つ圧が、彼方の肌を刺す。
その刃の勢いに、彼方は思わず体を引いた。
なかば、条件反射のようなものだった。
七色も、軽く身をかわす。
彼方の足元で、小石が跳ね、七色の制服のスカートが、大きく揺れた。
闇の中、七色の雪のように白い脚の白さが、際立っていた。
(……)
七色は、自身の息が乱れているのを、感じた。
整えようとしても、整わない。
その中、千弦は、一歩も動かなかった。
ただ冷徹な表情で、ただその動きを見ていた。
日本刀を握る指先に、力はこもっている。
だが、その構えは、崩れていない。
恐怖も焦りも、千弦の表情からは、読み取れない。
まるで眼前の敵を、観測しているかのようだった。
千弦は、
「速いな」
と、落ち着いて、言った。
千弦の瞳が、鋭く光った。
その視線は、甲冑武者の肩、腰、足運びへと、一瞬で巡る。
それは、次に来る斬撃の軌道を読み取っているようにも、見えた。
千弦の呼吸は、一定だった。
周囲のざわめきすら、計算に入れているかのようだった。
まるで甲冑武者の動きが予測できているかのように、千弦の姿勢は、常に次の動きに備えているように見えた。
“五業剣”の揮い手として培われた経験が、無意識のうちに、身体を動かしていた。
彼方が、
「気をつけてください!」
と、声をかける。
千弦は、静かに応じる。
「心配無用だ」
千弦は、一気に足を踏み込む。
同時に、白い剣を振りかざし、甲冑武者の刃を鋭く弾いた。
衝突の瞬間。
刃と刃の間に火花が散り、夜気に金属の焼ける匂いが、混じる。
金属同士の激しい衝突音が、響き渡る。
周囲の木々がざわめく。
「……」
甲冑武者が、一歩後ろに下がり、その動きが少しだけ鈍る。
だが、それはほんの刹那にすぎない。
骸骨の面の奥からは感情が感じられず、再び異様な殺気だけが膨れ上がる。
すぐに再び攻撃に転じると、千弦と彼方たちに向かって、刃を振りかざした。
横薙ぎの一閃が地面を削り、土と草が宙を舞う。
「くっ!」
彼方が、身をかがめて、寸前で回避する。
背中に冷たい汗が流れ、心臓の鼓動がやけに大きく耳に響いた。
「危ない!」
七色が、一歩前に出ると、甲冑武者の刀が、再び彼方に向かって振られた。
七色が双剣をわずかに構えるが、その動きよりも敵の方が速い。
(間に合わない……!)
思った瞬間、七色は、飛び出していた。
そのまま、彼方めがけて飛び込んでいた。
彼方と七色、二人の身体が、ごろごろと転がる。
先程まで二人のいた地点を、刃が薙いでいた。
「下がっていろ」
千弦が前に出た。
懐に手を入れ、一枚の護符を抜き取る。
符文が淡く赤く灯った。
次の瞬間、千弦はそれを投げ放つ。
“式炎符”。
火を直接操るための符ではない。
札に込められているのは炎そのものではなく、火を生じさせ、導き、収束させるための式だ。
紙に刻まれた符文は、燃焼を命じる命令文であり、同時に熱の暴走を抑える枷でもある。
投げ放たれた瞬間、符は役目を終え、燃え尽きるまでのわずかな時間だけ、術者の意志に従って炎を形作る。
空中で燃え上がった札が、武者の目前で弾ける。
炎は制御され、刃と足元を狙って走った。
熱と光に視界を奪われ、甲冑武者の動きがわずかに乱れる。
その隙を逃さず、千弦は踏み込む。
斬る。
刃が甲冑の肩口を打ち、火花が散った。
武者は、刀を振り払い、反撃する。
千弦は後退しながら、さらにもう一枚の式炎符を放つ。
炎札が空を裂き、武者の動線を封じる。
熱風が渦を巻き、甲冑の動きが確実に鈍っていく。
「……!」
それでも武者は、なお踏み込んできた。
天を割るような縦の一撃。
千弦は半歩、内側へ。
刃を受け流し、距離が、詰まる。
千弦の視界に、甲冑の継ぎ目が映った。
首元、骸骨の面と胴のわずかな隙間。
千弦は迷わない。
一息で踏み込み、腰を切る。
白刃が夜を裂き、一直線に走った。
一閃。
「終わりだ」
衝撃が伝わる。
甲冑武者の動きが、完全に止まった。
次の瞬間、甲冑全体が軋む音を立てる。
「な……に?」
千弦の目が、わずかに見開かれる。
予想していた手ごたえが、そこにはなかった。
次の瞬間、ばらばらと音が響いた。
けたたましい音だった。
炎が霧散し、支えを失った甲冑が、地面に崩れ落ちる。
甲冑が、その場に散らばっているだけだった。
静かだった。
まるで戦いそのものが幻だったかのように、夜の空気は元に戻っていく。
竹の葉が揺れる音だけが、静かに響く。
風に乗って、焦げた紙の匂いがかすかに漂った。
その静寂の中で、彼方は、まるで時間が止まったかのような感覚にとらわれていた。
ただ、千弦の背中を、見つめることしかできなかった。





