第9話 手帳の走り書き 5
「はじめまして。本日より、お世話になることになりました、籠原能登と言います」
と、言った、能登は、頭を下げて、
「不慣れな部分で、皆様に、ご迷惑をおかけすることも、多々あると思いますが、少しでも、早く、仕事を覚えて、お役に立てるよう、頑張りたいと、思います。どうぞよろしくお願いいたします」
と、続けた。
三十人ほどの社員とアルバイトの前で、緊張の面持ちで、能登は、そう挨拶をした。
顔ぶれは、二十代から三十代が、多い。
これは、若者向けの雑誌の編集部だということも、あるだろう。
年齢層そのものは、幅広く、編集長は、五十代だし、派遣のアルバイトは、十代である。
そのような幅広い世代に囲まれることに、能登は、慣れていなかった。
(緊張するなあ)
と、能登は、思った。
手の平が、じんわりと、汗ばんでいるのが、自身でも、良くわかった。
能登は、組織の一員として、活動しているとはいっても、実際には、組織の人間との接点は、上司である雨尾家と部下である麻知子以外は、ほとんどない。
最初の挨拶は、事前に、練習してきたものだが、声は、震えてしまっていた。
能登は、俯き加減になりながら、自身の頬の熱さを、感じて、、
(やっぱり、こういうの、苦手だな)
と、思った。
『先輩。しっかりしてください』
能登の耳に、小さな菱形の銀色のピアスを通じて、たしなめるような声が、響いてきた。
骨伝導式の、ピアス型の、小型通信機である。
声の主は、麻知子である。
『最初のとっかかりとしては、良い挨拶でしたよ。その調子で、がんがんいきましょう』
「……あんまり、良くできた感触はないよ、麻知子ちゃん」
と、能登が、呟いた。
『黙って聞いていて下さい』
と、麻知子が、通信機越しに、言った。
『私との会話は、周りには、独り言のように、見えるでしょうから、怪しまれます。おかしな人もしくは痛い人認定されてしまいます。ですから、基本的には、私の指示を、聞くだけに、留めてください。良いですね?』
と、念を押す、麻知子の声に、能登は、渋々、頷いた。
広いフロアに、拍手が、鳴り響いた。
「本日より、働いてもらう、籠原能登さんです。皆さん、よろしくお願いします」
と、言ったのは、編集長の鈴原という、五十代の、男性である。
「籠原さん」
と、鈴原が、呼びかけた。
「は、はいっ」
能登は、緊張した面持ちで、応じた。
鈴原は、髪型は、かっちりとした、ツーブロックで、口髭を、たくわえていて、スーツは、センターベンツで、足元は、ダブルのノークッションで、光沢の良い革靴を、履いている。
いわゆる、流行りどころを、きっちりとおさえた、お洒落人である、というのが、能登が持つ、鈴原の第一印象だった。
『清潔感もあるし、がさつな感じもしない。常識人という感じですか。雨尾家さんとは、正反対のイメージですね』
と、麻知子が、言った。
麻知子が、鈴原の姿を、視認できたのは、能登がかけている眼鏡のおかげである。
眼鏡には、外部に映像を送れるよう、極薄極小のカメラが、取り付けられている。
『もっとも、雨尾家さんの服装なんて、見たこともありませんから、あの軽薄な物言いから想像したイメージと、比較してですが』
と、続けた。




