第9話 竹林の亡霊 5
「……あ」
彼方の喉から、間の抜けた声が漏れる。
朱色の甲冑。
人の形をしたそれが、微動だにせず、竹林の中に佇んでいる。
「……御月さん」
「はい」
「肝試しじゃ、なかったな」
「はい。どう見ても……」
甲冑武者は、音もなく、こちらを見据えていた。
二人の背筋を、冷たいものが這い上がる。
笑い話にするには、あまりにも、本物だった。
赤い甲冑をまとった武者が、竹の間に立っている。
その鎧は、古めかしく、朱色に染まった鋼鉄でできていた。
目に見える骨格に合わせて造られた骸骨の面が、まるで人間の死者のような印象を与える。
その武者は、動かずに竹の間に立ち、ただひたすらに彼方たちを見据えていた。
「……あれが、噂の甲冑武者……」
彼方は声を呑み込んだまま、目の前の恐ろしい存在に見入った。
「いえ、あれは……」
七色が、冷静に言う。
「“爛”……?」
脳裏に浮かんだ言葉が、口に出ていた。
世界の理の外の存在。
人が星に願いをかけることで、願望が暴走し、非日常の存在となったもの。
それが、“爛”である。
彼方のその言葉に、
「いえ……」
と、七色は、言い淀んだ。
七色の言葉は、曖昧なままだった。
「でも、何か……」
その時、竹の向こうから、突然、別の足音が響き、空気がひときわ冷たくなった。
「どうやら、君たちも来ていたようだな」
「……!」
彼方と七色が振り向くと、そこに立っているのは、一人の少女だった。
彼方は、思わず目を見開いた。
知った顔だったからだ。
「あ……」
彼方は、言葉を失った。
「また会ったな」
と、少女は、返した。
凛とした佇まい。
背筋を自然に伸ばした姿勢。
静かにこちらを見つめる、澄んだ瞳。
綺麗な少女だった。
かわいいというよりは、綺麗という言葉が似合っていた。
それでいて、凛とした雰囲気である。
大和撫子。
自然、そんな言葉が頭に浮かんでいた。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
そんな言葉も想起された。
制服は、同じ葉坂学園のものだ。
だが、胸元のリボンの色が違う。
一学年上の生徒である。
冷泉寺千弦。
彼方が初めて見たときの印象そのままだった。
凛とした立ち姿に、深い瞳。
その姿勢は、まるで戦士そのものである。
今、目の前にいる甲冑武者に対しても、少しも怯むことなく、堂々と立っていた。
その二人のやり取りに、七色は、少しとまどっているようだった。
「……」
逆に、七色は、とまどっている。
七色は、知らない様子だった。
おそらく、目の前の千弦とは、七色は、面識がないのだ。
「朝川さん。お知り合い、なのですか?」
「いや。まあ、ほんの偶然で……」
「彼の言う通りだ。たまたま偶然、二回ほど、顔を合わせただけだ」
七色の目が、細くなる。
「あなたは……」
「冷泉寺千弦だ」
名乗りと同時に、空気が、さらに一段、張り詰めた。
七色は、その名に、確かな驚きの色を示していた。
「今代の“五業剣”の揮い手……」
「知っていてもらえて、光栄だ」
千弦は、穏やかに言った。
その言葉の裏に、隠された重みを、七色は、感じ取っているようだった。
七色は、千弦を見たまま、
「冗談は止してください。あなたの名を知らないことなど……」
そのやりとりで、七色は、ただ面識がないだけでその名前を知っているということが、わかる。
(……)
そして、その名には、相応の意味と重みがあるということも、おぼろげながら、わかってしまっていた。
「どうして、ここに?」
彼方が問いかけると、千弦は、少しだけ視線を逸らし、肩をすくめた。
「ただ、見届けに来ただけだ」
その言いかたは、唐突だった。
「だが、君たちが来たなら、手を貸すことになるだろうな」
彼方は、理解した。
七色の言葉と意味が、重なっていた。
つまりは、千弦は、こちら側の人間、ということにである。
現に、この怪異を目の前にして、千弦は、まったくして冷静である。
それが、その証左であるように思えた。
千弦のその言葉に、七色が、微かに声がかすれて、
「どういう意味ですか?」
と、聞いた。
「言葉通りだ」
千弦は、答えた。
「噂が気になって、噂の甲冑者とやらを、見届けにきた」
千弦の視線の先の朱の甲冑の武者は、なにも発しない。
「そして、君たちでは、少し手こずるかもしれない。だから、手を貸すと言ったんだ」
「……」
千弦の表情は、冷然そのものだった。
彼方が何か言う前に、千弦は足を踏み出していた。
そして、そのまま甲冑武者に向かって歩き出す。
金属音が響き、甲冑武者も、一歩、また一歩と近づいてくる。
「あの……何かが、違うんです」
と、七色が、低い声で告げた。
千弦は、その言葉を受け、真剣な眼差しを武者に向ける。
「なるほど」
千弦が、短く呟いた瞬間、その手のひらに、鮮やかな刃が現れた。
「弐之太刀、高坂康国」
白く輝く刃が、千弦の手にしっかりと収まった。
「普通、ではないということだな」
千弦は、短く言った。
「気配がないんです」
「“爛”の……?」
と、彼方が聞くと、七色は、小さく頷いた。
「私も“爛”の気配を感じない」
その瞬間、甲冑武者が足を踏み出すと、竹が激しく揺れ、周囲の空気が一瞬で変わった。
「それに、“月詠みの巫女”である君が言うのだから、間違いないな」
武者は、刀を抜き放ち、刃先を彼方たちに向けて振り下ろす。
千弦は、まるでその動きを見越していたかのように、刃を構え直し、静かに立つ。
「くるぞ」
千弦が言ったその瞬間、甲冑武者の切っ先が、震えた。




