第9話 手帳の走り書き 1
(とんだ気まぐれだな)
と、秋口宵は、思った。
宵は、学生で、桶野川市にある、三条学園に、通っている。
桶野川市は、人口十五万人、新興住宅街を擁する市街地と、その回りを囲うように点在するのどかな田園風景とが、混在する、中規模の都市である。
都心から、近いこともあり、オフィス街と商業施設も、それなりに、活気づいている。
三条学園は、学力レベルの測定基準の一つである、偏差値で言えば、市内では、中堅どころで、進学率も就職率も、悪くない。
可もなく不可もなく、との評価が、ネットで流れているが、それも、間違いではない、と、宵は、考えていた。
(特徴があるわけでもないし、本当に、中堅だ)
と、宵は、思った。
ただし、三条学園が、中堅どころというのは、あくまで、学園全体の話で、学生個々の話となると、別である。
宵は、大まかなカテゴライズで言えば、素行不良であり、問題児である。
出席日数は、留年しない程度に、ぎりぎりで、定期テストの成績も、赤点すれすれである。
しかし、宵は、それを、悪いことであるとか引け目に感じることは、なかった。
(なるようにしかならない)
それが、宵の、口癖だった。
宵は、国語の成績だけは、良かった。
テストでも、他の科目が、軒並み、赤点を免れるかどうかのラインの点数をさまよう中で、国語だけは、ほとんど、九十点台だった。
国語の高得点を取るのに、特に、努力したことはない。
読解問題での勘の良さは、宵自身でも、少し驚くほどで、母親譲りの読解力なのかもしれなかった。
漢字も、特に、努力して、覚えようとしたわけではなく、自然に、覚えられていた。
ただし、古文だけは、苦手で、この分野が多く出題されるテストの時だけ、九十点台を割ってしまうのである。
担任の教師からも、
「地頭は、良いんだし、きちんとやればできるはずだから、頑張れ」
と、言われるのだが、
(頑張るかどうかも、気質によるものだから、なるようにしかならない)
というのが、宵の持論だった。
頑張らない者の言い訳と、言われることもあるが、そもそも頑張る気質を持ち合わせていない者に、何を頑張れというのか、宵には、良くわからなかった。
(気まぐれで、ちょっかいを出した奴に、偶然、関わりを、持った)
それが、宵の認識だった。
宵は、学生鞄の中から、黒い手帳を、取り出した。
何の変哲もない、普通の、手帳である。
少し、事情が特殊なのは、その手帳が、宵自身のものではなく、ある人物の落とし物だということである。
(預かっているんだから、あいつに、返さないと)
宵は、手帳の中身は、見ていなかった。
手帳の中身は、勝手に見ては悪いと思い、閉じたままである。
何が書いてあるのか、宵には、興味がなかったし、仮に興味があったとして、他人の秘密を勝手に覗き見るような行為は、宵にとって、悪徳だからだった。
手帳は、次の日に、学園で返せば良い、と、宵は、思った。
宵は、夕方、桶野川駅前の商店街の本屋に、立ち寄ってみた。
ひとりきり、立ち読みをした後で、本屋の文房具コーナーに、宵は、足を運んだ。
(手帳、色々あるな)
と、宵は、思った。
宵が、偶然手にした黒い手帳と同じ種類のものは、置かれていないようだった。
宵が、眺めていると、
「何かお探しですか?」
と、声を、かけられた。
声の主は、本屋の男性店員だった。
年は、宵よりも少し上くらいに見えたので、おそらくは、アルバイトだろう。
「ちょっと、手帳を見てて」
と、宵は、言葉を、濁した。
宵は、店で話しかけられるのが、苦手だった。
自身で、じっくり吟味して、選びたいのである。
「手帳ですね」
と、本屋の店員は、宵の醸し出している、放っておいてほしいという空気には気付かないように、にっこりと笑って、
「どんな種類のものを、お探しですか?」
と、言った。
「私は、別に……」
と、宵が、言い淀んでいると、本屋の店員は、
「オーソドックスなのは、カレンダー式ですね。定番で、お薦めです。シンプルで、使いやすいですよ」
と、言って、宵に、頁をめくりながら、説明した。
「こちらのレフト式は、週単位で、予定を把握したい方や、予定以外のことも書きたい方に、お薦めです」
レフト式という手帳の頁を、見せられた、宵は、
(昔書いた、夏休みの宿題の日記帳みたいだな)
と、思った。
「もっと、細かく、予定を入れたいという場合は、こちらですね。このバーチカル式は、時間単位の予定が多い方向けです」
と、本屋の店員は、言って、
「でも、個人的に、一番のお薦めは、デイリー式ですね。一日一頁、シンプルで、わかりやすいですよ」
と、続けた。




