第9話 竹林の亡霊 1
桶野川市は、中規模の都市である。
人口十五万人。
新興住宅街を擁する市街地と、そのまわりを囲うように点在するのどかな田園風景とが、まだらに混在している。
春の風が吹くと、住宅地にまで田の土の匂いが運ばれ、夕暮れ時には農道のほうからカエルの声が聞こえてくる、そんなところだ。
都心から近いということもあり、市役所のある中心市街地は、オフィス街と商業施設もそれなりに活気づいている。
バスロータリーには人が絶えず行き交い、休日には若い家族連れが駅前のモールに吸い込まれていく。
桶野川市は、近年、ほどよい暮らしやすさ、を掲げたまちづくりを推し進めている。
市の中央を流れる桶野川沿いには、長く続く桜並木があり、春には、薄桃色のアーチが川に沿って伸びる。
川べりの遊歩道を歩く人々の姿は途切れず、花見の季節には屋台も出て、小さな祭りのようなにぎわいを見せる。
北部の桶野台には、新興住宅街が広がり、若い世帯の流入で活気を帯びている。
夕方になると、保育園帰りの親子が、手をつないで歩く様子が、目につく。
一方、郊外には、稲作や梨の栽培が盛んな田園が、まだ残っている。
夏には、青々とした稲が揺れ、秋になると黄金色に染まる風景が広がる。
特産の桶野梨は、有名である。
みずみずしく、甘みが強い梨として、近隣の町まで、名が通っている。
南部の工業団地では、中小企業が集まり、環境技術や精密機械産業の拠点として地域経済を支えている。
通勤時間帯になると、工業団地へ向かう車列が、ゆっくりと続く。
交通面では、鉄道で都心まで約四十分と利便性が高い。
駅前の再開発で、行政、商業、文化機能が集約している。
新市庁舎や図書館、カフェなどが入る複合施設は、市民の憩いの場となっており、放課後になると学生の姿も多い。
また、桶野川市立文化ホールでは、定期的に音楽会や演劇などが開かれ、市民文化の拠点として親しまれている。
そんな桶野川市では、奇妙な噂が囁かれ始めていた。
“戻らずの杜”。
桶野川市の郊外にある竹林が、最近では、奇妙な話題で持ちきりだった。
夜、誰かがその竹林に近づくと、突然、どこからともなく甲高い金属音が、響いてくるという。
それは、まるで戦国時代の武者が鎧を鳴らしながら歩いているかのような、耳をつんざく音だったという。
その足音の主は、はたして甲冑武者であるという噂だ。
身にまとっているのは、朱色に染まった甲冑。
骸骨の面をかぶっているともいう。
幽霊なのか。
亡霊なのか。
「甲冑武者か……」
葉坂学園は、桶野川市の市街地の外れにある、閑静な住宅街の中に位置する学校である。
地域に根ざした教育を掲げ、学力と人間力の両立を重視している。
校舎は、桶野川駅から徒歩十分ほどの高台にある。
ガラス張りの校舎と整備された中庭が印象的で、晴れた日は、中庭の噴水が、光を弾いてきらめく。
昼休み。
葉坂学園の学食は、昼どき特有の熱気とざわめきに満ちていた。
トレイが重なる音、椅子を引く音、あちこちで弾む会話。
カレーや揚げ物の匂いが混ざり合い、空腹を刺激する。
「……また、変なのが出てきたな」
朝川彼方は、窓際の長テーブルでトレイを前にしながら、スマートフォンを伏せた。
噂は、軽い都市伝説として、消費されている。
オカルト好きが尾ひれをつけ、怖い話が好きな生徒が、面白半分に拡散している。
その程度の扱いである。
「朝川さん。それ……」
声は、正面ではなく、斜め向かいからだった。
静かな声が、落ちてきた。
御月七色。
同級生の御月七色は、高嶺の花と呼ばれていた。
綺麗に整った顔立ち。
光を織り込んだような肩までの艶やかな髪。
雪のように白い肌。
三拍子どころか四拍子五拍子と揃っていた。
まぎれもない美少女である。
その言葉が指し示す通りのその容姿は、人形の端整さをも思わせた。
また、人形が言葉を発することがないように、寡黙だった。
表情を変えることも、少なかった。
結果として、容姿端麗のその少女、御月七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を、自然とその身にまとっていた。
七色は、同級生の少女であり、彼方が、普通の世界とそうでない世界の境目を知るきっかけになった存在だ。
「ただの噂、だよね?」
という彼方の独り言のような言葉に、
「はい。ただの噂です」
あっさりとした応えだった。
いつも通りの淡々とした調子である。
「ですが」
七色は、そこで、言葉を区切って、
「……噂は、理由があって生まれます」
と、言った。
その言葉に、彼方は、小さく息を吐く。
ちょうどその時、トレイを手にした鹿倉結が、二人を見つけて足を止めた。
「おっ」
鹿倉結は、ショートヘアがよく似合う、親しみやすい雰囲気をまとった、かわいらしい少女である。
表情は、明るい。
初対面の相手にも自然と笑顔で接することができるため、周囲からはすぐに打ち解けやすい存在として、知られている。
性格は、気さくで朗らかだ。
場の空気を読むのが上手く、会話の中心にいながらも出しゃばりすぎないバランス感覚を持つ。
いわゆる「リア充」「陽キャ」といった言葉を体現したような人物である。
学園生活や人間関係を、前向きに楽しんでいるタイプだ。
恋人もいて、友人関係や趣味など、プライベートは充実している。
それらを必要以上に誇示することなく、かといって隠し立てもせず、あくまで自然体で公にしている点が、結らしい。
明るさの裏には、きちんとした節度があり、他人への配慮を忘れない。
そういう常識人でもある。
一方で、彼女の実家は骨董品店を営んでいて、日常の一部には、どこか古風で落ち着いた空気が流れている。
古い器や掛け軸に囲まれて育った影響か、ときおり年相応とは思えない静かな一面や、懐かしさを感じさせる佇まいを見せることもある。
その現代的な明るさと、古めかしい雰囲気が、同居している。
そんな同級生で同じクラスの少女だった。




