第9話 竹林の亡霊 2
「あ、朝川君。ここ空いてる?」
「うん」
と、彼方は、頷いた。
結は、迷いなく腰を下ろす。
「へへー。今日は奮発しちゃったよ。ほら、このメンチカツ定食。んー、いい匂いっ」
ショートヘアが揺れ、いつもの明るさが、食堂の空気に馴染む。
「なに、二人で怖い話?」
と、結が、言った。
「最近流行っている噂なんだけどさ」
彼方は、声を少し落とす。
「“戻らずの杜”。朱色の甲冑を着た武者が出るって話」
結は、一瞬だけ目を見開き、すぐに苦笑した。
「ああー、それね。最近、その噂、流行ってるよねえ」
結はメンチカツを割りながら、少し声を潜めた。
「ガシャ、ガシャって、金属が擦れる音が聞こえて、ふと目の前には……」
「朱色の甲冑武者ね」
「出たああああああああああああああああああっ!」
結は、ばあんっと勢いを付けて、声を上げる。
その後、すんと調子を戻しつつ、
「その朱色の甲冑武者ってだけじゃなくて、細かい設定、どんどん増えてるんだよ」
「設定って、怪談に?」
彼方が、眉をひそめる。
「うん」
結は、首肯して、
「昨日聞いたのはね、まず“戻らずの杜”に入ると、スマホの電波が一本になるらしい」
と、続けた。
「一本って、中途半端だな……」
「でしょ? 圏外じゃないのがリアル感あるって、みんな言ってた」
七色が、小さく首を傾げる。
「電波状況と怪異は、あまり関係がなさそうですが」
身も蓋もないツッコみだった。
「そうなんだけどさー」
結は、笑いながら続ける。
「それで、写真を撮ろうとすると、必ずブレるんだって。甲冑だけが」
「被写体ブレ?」
「うん。背景は普通なのに、甲冑武者のところだけ、もやーって」
彼方は、
「それ、シャッタースピードの問題では」
と、やんわりとツッコんでいた。
「夢がないなあ、朝川君」
「現実的でいいと思います」
七色が、さっとしなしながら淡々とフォローする。
「二人、息揃ってるねえ」
と、結は、彼方と七色を見る。
「あとね、音」
結は、スプーンでトレイを軽く叩き、カン、と鳴らす。
「ガシャ、ガシャって、金属が擦れる音が、歩くたびに聞こえるらしいんだけど」
「最初に言ってたな」
「でも、その音、一定じゃないんだって」
「どういうこと?」
「近づくと、だんだんテンポが合ってくるらしいの。心臓の鼓動みたいに」
彼方は、思わず箸を止めた。
「……それ、ちょっと嫌だな」
「でしょ? しかもさ、逃げると速くなるんだって。歩いてるときは、のそのそなのに」
「完全にホラーの追跡者じゃないか」
「バ〇オ系だね」
「ゲームに例えるな」
七色が、小さく息を吐く。
「噂が誇張されている可能性が高いです」
「まあね。でも、まだあるよ?」
結は、楽しそうだ。
「骸骨の面も、毎回違うって話」
「違う?」
「うん。ある人は、普通の髑髏って言うし、ある人は、泣いてる顔だったって」
「表情変わるのか……」
「感情豊かだよね。甲冑武者なのに」
「それは、能面に近いのではないでしょうか」
七色がぽつりと言って、
「見る側の心理で、印象が変わるという点…」
「おお、御月さん、詳しい」
「一般論です」
結は、頷きながら、さらに畳みかける。
「あと、これが一番笑ったんだけどさ」
「笑うのか」
「うん。甲冑武者、たまに立ち止まって、竹を見上げてるらしい」
「黄昏れてる?」
「そう! 完全に物思いにふけってる感じなんだって」
「それはもう、ただの武士だろ」
「しかも、月が出てるとき限定らしいよ」
七色の視線が、わずかに揺れた。
「……月、ですか」
「うん。満月の日は、特に出やすいって」
「……」
結は、何気ない調子で言ったが、彼方は一瞬、七色を見る。
「それ、誰情報?」
「クラスの後輩。友達の友達が見たって」
「典型的なやつだな」
「でもさー」
結は、フォークを振る。
「こういう噂って、ディテールが増えるほど、妙に真実味出てこない?」
「出ない」
「即答!」
七色は、静かに口を開いた。
「噂は、人の不安や興味を映します。甲冑武者は、その器です」
「器?」
「恐怖を入れるための、形です」
「かっこいいこと言うなあ」
結は、感心したように言ってから、にやっと笑う。
「じゃあさ、その器が本物だったら?」
「……その場合は」
七色は、一拍置いて、
「対処が必要かもしれません」
彼方は、結に視線を戻す。
「他には?」
「うーん、最後に一個だけ」
結は、声を潜めて。
「甲冑武者、名前があるらしいよ」
「名前?」
「“アカサビ様”」
「急にゆるくなったな」
「朱色で、錆びてるから、だって」
「ネーミングセンス……」
「地元感あって、私は好き」
七色は、ほんのわずかに眉を寄せた。
「呼び名がある、というのは……」
「噂が定着してきてる証拠、だよね」
結は、肩をすくめる。
「まあ、ほとんどは面白がってるだけだと思うけど」
「……だといいな」
彼方は、苦笑した。
「朱色の鎧って、実際どうなんだろう?」
結はスプーンを置き、考える。
「鹿倉さんは、刀とか甲冑のことって、ちょっと詳しいんだよね?」
結は、肩越しに、軽く笑いながら答える。
「まあ、家が骨董品店だから自然と覚えちゃっただけ」
「実際、朱色の鎧って、どんな武士が着てたんだ?」
結は、少し考え、腕を組んでから、
「朱色は派手だから、大名とか目立ちたがりの旗本かな」
と、言う。
「そうなんですね」
と、七色が、相槌を打つ。
「そう。それに、戦場で自軍と区別する意味もあるし……っていうか」
結は、言いかけて、彼方と七色を交互に見た。
にやり、と口元が緩む。
「……ちょっと待って。朝川君さ」
「な、なに?」
「もしかしてだけどさ。御月さんと二人きりで、ご飯?」
わざとらしく、首をかしげる。
「御月七色って言ったら、わが葉坂学園男子の憧れ代表、でしょ?」
七色本人ではなく、あくまで彼方に向けた言い方だった。
「もっぱら、麗しのクールビューティー、って、噂」
七色は、何も言わず、箸を進めている。
「そんな人と、普通に一緒にご飯食べてる朝川君を見たらさ」
結は、くすっと笑う。
「そりゃ、気になるよ」
「……」
彼方は、ため息をつく。
「向かい合って、落ち着いて、同じテーブルで……」
指を折りながら数える仕草。
「デート?」
「ち、違うから」
彼方は、即座に否定した。
「たまたま席が空いていただけで」
「ふーん?」
結は、疑うでもなく、楽しそうに声を伸ばす。
今度は七色を見る。
「ねえ、御月さん」
「はい」
「朝川君と、一緒なんだ?」
七色は、一瞬だけ視線を泳がせ、それから淡々と答えた。
「必要があったので」
「必要?」
「話をしていました」
「おおー、理由がちゃんとしてる」
結は、ぱちぱちと軽く手を叩く。
「でもさー、それってつまり、朝川君は、話す必要がある相手、ってことだよね?」
「……そうなります」
「ひゅー」
結は、今度は彼方のほうを見る。
「朝川君、やるじゃん」
「やらないでくれ」
「いやー、だってさ。御月さんと二人で学食って、わりと事件だよ?」
「事件扱いするな」
「だって、ほら。周り見てみ?」
結が、顎で示すと、確かに、何人かの生徒が、ちらちらとこちらを窺っている。
「視線、集まってる集まってる」
「……気づかせるな」
彼方は、声を落とした。
「えー、いいじゃん。絵になるし」
結は、楽しそうに言ってから、ふっと表情を和らげる。
「まあ、安心しなよ。変な噂、私が広める趣味ないから」
「それは助かる」
「その代わり」
結は、にっと笑った。
「からかう権利は、もらうけどね?」
「いらない」
「遠慮しなくていいって」
七色は、そんな二人のやり取りを、黙って見ていた。
表情は相変わらず変わらないが、箸の動きが、ほんの少しだけ、止まっている。
「……鹿倉さん」
「なに?」
「それは、過剰です」
「えー、そう?」
結は、肩をすくめる。
「でもさ、御月さん。私に、こんなこと言われてもかもだけど」
「……?」
「朝川君の隣だと、なんかこう……」
結は、言葉を探すように少し間を置き、
「静かだけど、安心する、みたいな?」
彼方が、こほんと咳払いをする。
「話を戻していいか」
「はいはい。ごめんごめん」
結は、あっさり話題を戻した。
彼方は、少しはぐらかすように、
「面も骸骨みたいなんだって」
と、話題を元に戻した。
「それは装飾面かもだね。戦うためじゃなくて、威圧感を出すためのもの」
結の説明は、噂話を一段現実に引き戻す。
「幽霊っぽく見えるのは、そのせいもあると思うな」
「なるほど」
七色は、うどんを食べながら、二人の会話に静かに耳を傾けていた。
表情は変わらない。
だが、その瞳の奥に、微かな緊張が宿っていた。
結は、先に食べ終わって、教室に戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら、
「……噂は、理由があって生まれる、か」
と、彼方が、言う。
「はい」
七色は、短く頷く。
彼方は、トレイの上の箸に視線を落とす。
彼方は、息を整える。
七色は、“月詠みの巫女”である。
世界の均衡を守るため、理の外に現れる存在、“爛”を討つ使命を帯びた少女。
それを知ったのは、ほんの数か月前だ。
この日常という世界。
その世界の外には、非日常という世界が、あった。
その非日常という世界。
その世界は、たしかに存在していた。
彼方が、そのことを、知らなかっただけである。
半ばこじつけめいて言うのならば、人が科学式を把握していなかっただけでその化学式ははるか昔からたしかに存在していたのと、似ているかもしれなかった。
"月詠みの巫女"御月七色との出会い。
それが、あった。
世界の理の外の存在であるという"爛"との遭遇。
それが、あった。
"守護者"倉嶋綺亜との出会い。
それが、あった。
そして、"爛"の高位の存在であるという"爛の王"との遭遇。
それが、あった。
(……)
それまでは、彼方自身も、噂話を笑って聞き流す側だった。
「……御月さんが、そう言うなら」
七色は、彼方を見た。
七色は、
「はい」
と、静かに、頷いた。
「放っておくべきではないと思います」
その言葉には、学食のざわめきに紛れながらも、たしかな重みがあった。
昼休みが終わる頃には、二人は自然と行動を決めていた。





