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第8話 駆け引きの祭典 4

 彼方が、綺亜を見送って、ぽつりと取り残された気分で、風に揺れるイベント会場の垂れ幕をぼんやりと眺めていた頃だった。


 行き交う人のざわめきが少し落ち着き、ふと、聞き慣れた軽い足音が近づいてきた。


 足音で、なんとなく誰だかわかる。


 そんな気付きに、彼方は、苦笑していた。


「ここに、いたんだね」


 振り返ると、佳苗が、少し汗ばみながらも、にっこりと明るい笑みを浮かべて立っていた。


 彼方は、ほっとしたような表情になって、


「お疲れ様です。……休憩時間ですか?」


 と、声をかけた。


「ううん、違うよ」


 佳苗は肩をすくめ、ぽん、と両手を腰に当てると、


「私のバイトは、これにて、終了」


 と、子どもみたいな勢いでブイサインをしてみせた。


「ああ、そうだったんですね。お疲れ様です。」


 彼方がそう言うと、


 佳苗は、


「えへへっ」


 と、笑った。


 それから、手に持っていた紙包みを、彼方の目の前でひらひらと揺らした。


「佳苗さんも、クレープですか?」


「そうそう。見ての通り、ほら」


 佳苗は、包みを開いて、ふわりと甘い匂いを漂わせた。


 中には、たっぷり生クリームの乗ったクレープが、ほんのり温かいまま収まっていた。


「まかないというか、お礼に、もらったの」


 彼方が返事をする暇もなく、佳苗は大きく口を開けてクレープを頬張り、ほくほくした満面の笑みを浮かべた。


「やっぱり、ここのクレープ、美味しいよねえ。ほっぺた、落ちそう」


 クリームが口元に少し付いて、それを慌てて指で拭って舐めとる仕草が、いかにも佳苗らしい。


「やー。やっと、お仕事、あがったよー」


 と、伸びをするように言った佳苗の顔は、ほんのり火照っていた。


「暑いから、風を浴びて、クールダウンしないとね」


 と、佳苗が、言った。


「ほら、さっきまで、ずっと熱のこもったあのレジの前にいたからさ」


 彼方は、こくりと頷いた。


「確かに、イベント会場は、人の熱気もあって、とても暑かったですからね」


「そうそう」


「それに、あのクレープの販売ブースのレジだと、調理しているすぐ横ですし、さらに暑そうです」


「だよねー!」


 佳苗は、うんうんと勢いよく首を縦に振りつつ、


「一番大変なのは、クレープを作ってる子たちだったと思うけどね。私は、レジ打ちしてるだけだったし」


 と、少し遠慮したように付け加えた。


「でも、佳苗さんのレジ打ち、さまになっていましたよ。お客さんも、なんだか楽しそうでしたし」


「そう?」


「はい。妙に、お店の制服も、似合っていましたしね」


「妙、っていう言葉が入るとさあ……褒めてくれてるんだか、馬鹿にしてるんだか、微妙なラインだよね?」


 佳苗が、じとっとした目でにらんでくる。


 彼方は、苦笑しつつも、相手の視線から逃げずに、


「もちろん、褒めていますよ」


 と、真面目に言った。


 すると佳苗は、ふっと表情を緩め、逆に、じっと彼方を見つめ返してきた。


 数秒の沈黙が、流れる。


 彼方が、戸惑って眉を下げた頃、佳苗は深くため息をついた。


「どうかしたんですか?」


 彼方が恐る恐る尋ねると、佳苗は、髪を指でくるくるいじりながら、


「臆面もなく、そうやって、私のこと褒めてくれるんだ?」


「えっと。だって、佳苗さんですから」


「そういうところだよねえ……」


 佳苗は、呆れ半分、感心半分といった表情で、頭を左右に振った。


「まあ、あの制服が似合ってるのは、自信あったけどね? 鏡で確認したし」


 と、照れ隠しに冗談ぽく笑いながら、再び彼方をじいっと見た。


「な、何でしょう?」


 彼方が落ち着かずに視線を泳がせると、佳苗は腕を組み、少し真剣な声になった。


「その大胆さとか、軽妙さとか、気軽さとかをさ……私なんかじゃなくて、もっと他の場面で使ってくれればいいのになあ、って思ったの」


「ええと……」


 佳苗の言葉の意図が読み取れず、彼方はつい言葉を濁した。


 佳苗は、はあ、と軽くため息をついて、


「そんなに難しい話じゃないよ」


 と、やわらかい声で言った。


「身近な女の子に、それを言ってあげればいいんだよ」


 なおも理解が追いついていない顔の彼方を見て、佳苗は眉尻を下げた。


「多分だけどね? 彼方君は、今、少なくとも二人の女の子に、好意を向けられてると思うんだけど……それは、わかってる……よね?」


「……」


 彼方は、口を開きかけて閉じ、閉じかけてまた開き、最終的に何も言えずに沈黙した。


 その反応を見て、佳苗は、じと目で彼方をにらんだ。


「その反応だと……全くダメみたいだね。ラノベ御用達の鈍感系主人公を地で行くような、見事なダメっぷり」


 と言い放ち、


「でも、そこが彼方君らしいと言えば、らしいのかな」


 と、困ったように笑った。


 しかし、次の言葉は、少しだけ重かった。


「でもさ……せめて、早めに気付いてあげないと。本当に……」


 佳苗は言葉を切る。


 彼方が息をのんだその瞬間、佳苗は一歩近づき、彼方の目の前まで顔を寄せてきた。


 そして、片目を閉じてウインクし、


「ダメだぞ」


 と、囁くように言った。


 距離が近すぎて、彼方は一瞬呼吸を忘れる。


「は……い」


 それしか言えなかった。


「よし。じゃ、私はそろそろ行くね」


 佳苗は、急にいつもの調子に戻ると、手に持っていたクレープの包みを丸めながら言った。


「この商業施設の近くのゲームセンターに、プレミア付きのレトロシューティングが絶賛稼働中! っていうネットの情報を見たから、突撃してくるよ」


「仕事あがりで、大丈夫なんですか? 疲れてるでしょう」


「平気平気。このバイタリティこそが、私の売りだからねー」


 そう言って、佳苗はぶんぶんと大きく手を振り、軽やかな足取りで、もはや小走りで、去っていった。


 その背中を、彼方はしばらく呆然と見送っていた。

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