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第8話 駆け引きの祭典 3

「今、杏朱から、連絡があったわ。杏朱と七色、まだ、時間がかかりそうだから、私たちも、どこかのスイーツを食べていてって」


 綺亜は、携帯電話の画面を見つめながら、淡々とそう告げた。


 だが、その声の奥には、ほんのわずかな緊張が混じっている。


 二人きりになる。


 その事実を、綺亜自身が、一番、強く意識していた。


「そうなんだ」


 彼方は、屈託のない調子で言った。


「やっぱり、プリンアラモード、人気あるんだね」


 その自然体な様子が、綺亜の胸を、ちくりと刺す。


 彼方は、いつも、こうだ。


 何も知らないまま、無防備に、彼女の心に踏み込んでくる。


「私たちも、もうクレープは、食べ終わったし……次のスイーツに、いきましょう」


 綺亜は、気持ちを誤魔化すように、パンフレットを広げた。


「この会場の外に、港に面した、大きな広場が、あるらしいの。人も少なそうだし……そこで、ゆっくり、食べない?」


 ゆっくりという言葉に、自分の願いが滲んでしまったことを、綺亜は、少し後悔した。


「良いよ。人混み、ちょっと疲れてたし」


「……じゃあ、決まりね」


 綺亜は、ほんの少し、頬を緩めた。


 その笑顔は、彼方に見せるためのものだったが、同時に、胸の奥の鼓動を隠すための仮面でもあった。


 二人が選んだのは、イチゴのショートケーキだった。


 鮮やかな赤のイチゴと、ふんわりとしたホイップ。


 甘い香りが、二人の間に、漂う。


「こういうの、彼方、好きよね」


「うん。見た目が、王道で良い」


 何気ない会話なのに、綺亜は、その一言一言を、大切に胸にしまい込む。


 こうして並んで歩き、同じものを選び、同じ時間を過ごす。


 それだけで、胸が、満たされてしまう自分が、少し怖かった。


「それにしても……なんだか、喉が、渇いたわ」


 熱気と人混みのせいだけではない。


 心臓が、落ち着かないからだ。


「じゃあ、そこの自販機で、何か、買ってから、行こう」


「ええ」


 イチゴ色の自動販売機を前にして、二人は、思わず立ち止まった。


「……お茶が、ないわね」


 綺亜の声には、驚きと呆れが混じる。


「全部、イチゴ味だ……徹底してるな」


「潔すぎるくらい、イチゴね。ここまで来ると、いっそ、清々しいわ」


 彼方が、財布を取り出す。


「僕は、イチゴ味のサイダーにするけど……綺亜は?」


 その問いかけに、綺亜は、一瞬だけ、迷った。


 本当は、違うものを選びたかったわけではない。


 ただ、


「……同じのに、する」


 同じものを選ぶ、それだけで、心が少し近づいた気がした。


 彼方が、二本のサイダーを手にして振り返る。


「行こう」


 その笑顔に、綺亜の胸が、また、強く鳴った。


「……」


「……綺亜?」


「ううん、何でもない」


 笑って答えながら、彼女は、胸の奥で、必死に呟く。


(黒猫の気まぐれなんかに、頼らない……これは、私の気持ちなんだから)


 港に面した広場は、驚くほど、静かだった。


 潮の香りを含んだ風が、二人の間を、すり抜けていく。


「良い風だね」


「……ええ」


 二人は、ベンチに腰を下ろした。


 彼方との距離は、ほんのわずかだ。


 それなのに、心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうで、綺亜は、落ち着かない。


「ねえ、彼方……」


 言葉を選びながら、綺亜は、そっと、切り出した。


「二人っきり、ね」


 ずっと、こうしていたい。


 その本音を、綺亜は、決して口にできない。


「そうだね」


 彼方の肩が、綺亜の肩に、軽く触れた。


 その感触に、胸が、きゅっと締め付けられる。


「べ、別に……変な意味じゃ、ないから」


 慌てて、言い訳を重ねる。


「今は、七色と杏朱が、いなくて……だから……」


 彼方は、苦笑しながら、


「ちゃんと、わかってるよ」


 と、言った。


 その優しさが、逆に、胸を痛くする。


「……あのね、彼方」


 言わなければ、後悔する。


 そう思った瞬間、綺亜の姿が、彼方の視界で、滲んだ。







 おぼろげな輪郭は、とてもリアルだった。


 天を貫く垂直にそびえる巨大な針が、見えた。


 針と交差する線が、もやにかかりながら、見えた。


 もやは、揺れる光のカーテンであり、様々な色をたたえたオーロラのようだった。


 オーロラに囲まれた、針を携える建造物が、あった。


(……この形は……天秤……?)


 人影が、見えた。


 それが、少女であると、彼方には、わかっていた。


 少女の桜色の髪と、白い百合を思わせる髪飾りが、揺れていた。


 淡い装束に身を包んだ、少女の肌は、雪のように、真っ白に透き通っていて、美しかった。


 少女は、憂いを湛えた瞳を閉じて、両手を組んで、祈った。


 少女の祈りの前に、そびえたつ巨大な天秤の針が、僅かに動いた。


 少女の小さな唇が動いて、言葉が、紡がれた。


「世界に、星々の審判を」


 それが、少女の言葉だった。


 再び、視界は、黄金色から白色に染まっていく。


 光。


 天秤。


 祈る少女。


 神秘的な光景が、彼方の意識を、現実から引き離していく。


「この世界が、かく成るための理を祈る……それが、巫女の務めです」


 その声は、どこか、綺亜の声と、重なった。







(……眩しい……)


「……彼方?」


 呼びかけに、彼方は、はっと、現実へ戻る。


「ごめん。少し、考え事をしてた」


「……そう」


 綺亜は、視線を逸らした。


「御月さんたち、まだ、かかるかな」


 何気ないその一言に、綺亜の心が、揺れた。


「……ここには、私たちしか、いないの」


 静かな声。


 抑えきれない想いが、そこに滲んでいた。


「え?」


 沈黙が落ちる。


「ごめんなさい……変なこと、言って」


 慌てた拍子に、綺亜は、バランスを崩した。


 彼方の手が、咄嗟に、彼女を支える。


 近すぎる距離。


 彼方の体温が、はっきりと伝わる。


「……大丈夫?」


「……ええ」


 服についたクリームを見て、綺亜は、俯いた。


「……少し、汚れちゃった」


 それは、服だけではない。


 心の中まで、溢れてしまいそうだった。


「すぐ、拭いてくるから……」


 そう言って、彼方を見ないまま、歩き出す。


 背中に向けられる視線を感じながら、綺亜は、唇を噛みしめた。


(……まだ、言えない)


 秘めた想いは、潮風の中に、溶けていく。

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