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第7話 昼下がりの少女たち 9

 目的地である、F市の駅に、着いた。


 電車がゆるやかに減速し、ホームに滑り込んでいくにつれ、車内のざわめきが、少しずつ膨らんでいく。


 イベント帰りらしき人たちの談笑や、地元の学生たちの気軽な声が混じり合って、小さな熱気になっていった。


 車内アナウンスが流れ、ドア付近に立っていた人々が一斉に身体の向きを変える。


 それに合わせるように、彼方も、バッグの肩紐を持ち直し、七色と綺亜に目配せをした。


 彼方と七色と綺亜は、駅のホームに、降り立った。


 足元に広がるコンクリートの白線の感触で、ようやく目的地に到着したのだと実感が湧く。


 降車数が、多いのは、大きな駅だからだろう。


 それに、彼方たちが行こうとしているイベントの開催日だからということもあるだろう。


 ホームの端に設置された広告モニターには、今日から始まるストロベリー・スイーツ・ストリートの鮮やかなポスターが、数秒ごとに表示されていた。


 赤とピンクを基調にした画面いっぱいのイチゴの写真は、見ているだけで甘さが伝わってくるようで、思わず視線を奪われる。


「着いたわね」


 そう言った綺亜は、気持ち良さそうに、背伸びをした。


 肩から背中へと緊張が解けていくのが分かるほど、満足げな表情だった。


 綺亜のツインテールの髪が、ふわふわと、風に、なびいた。


 駅の空調の風がホームに流れ込み、髪先が軽快に跳ねた。


「電車、思ったより混んでいましたね」


 七色が、周囲を見回しながら、ぽつりと、言った。


「イベント効果かな」


 彼方が答えると、七色は、小さく頷いた。


「イベントの開始から、あまり経っていませんし、いい時間に、着きましたね」


 と、七色は、言って、ベレー帽を、左手で、押さえた。


 七色の声は、いつも通り落ち着いていたが、瞳はほんのわずかに輝いていて、心のどこかで楽しみにしているのが分かった。


 改札へ向かう途中、次の列車を待つ乗客の波が押し寄せ、三人はゆっくりと順番に流れへと巻き込まれる。


 彼方は、無意識のうちに、二人が視界から外れないように、歩調を調整していた。


 人気の駅らしく、電光掲示板にはひっきりなしに到着と発車の情報が流れていた。


 地下鉄の駅から、地上に出ると、風が、心地良かった。


 湿り気の少ない初夏の風が、頬をすっと撫で、少し汗ばんだ肌を冷ましてくれる。


「わあ……」


 綺亜が、思わず声を漏らす。


 近くに、港が広がっているので、その風景を、楽しむことができる。


 エスカレーターを上り切った途端、三人の視界には、青く広がる湾岸の空と、陽光を反射する海面が飛び込んできた。


 思わず足を止めそうになるほど、開放的な景色だった。


 遊覧船や海上交通船も、出ている。


 観光客らしき家族が、乗船待ちの列に並んでいる姿も見えた。


 七色が、


「夜景も、綺麗らしいですよ」


 と、案内看板を見ながら、言った。


 夜の便では、船から眺める、街の夜景は、鮮やかで美しいとのことである。


 そうした案内の看板が風に揺れ、遠くに積み上がるビル群を背景にして、少し眩しいほどだった。


「行きましょう」


 と、綺亜が、言った。


 その声には、わくわくを抑えきれない調子が隠しきれていなかった。


 ストロベリー・スイーツ・ストリートが開催される、商業施設は、駅から、徒歩十分ほどである。


 案内看板が、商業施設への経路を、示してくれていた。


 明るいピンク色の矢印が、まるで三人を導くように前方へ伸びていた。


「こっちみたいだね」


 と、彼方が、二人を促すように、言った。


 その表情は穏やかで、しかし目元には期待の色が浮かんでいた。


 向う先が同じなのか、人の流れが、できていた。


 若い女性のグループ、カップル、家族連れ、そして手にパンフレットを持った人々が、同じ方向へと足を運んでいく。


 三人は、横並びで、歩いた。


 真ん中が、彼方で、その左側に、七色、反対側に、綺亜である。


「すごい人の数ね」


 と、綺亜が、感嘆して、言った。


「迷子にならないようにしないといけませんね」


 七色が、冗談とも本気とも取れる口調で、言う。


「土曜日だしね。イベント初日ということも、あるかもね」


 と、彼方が、言った。


「あまり、人ごみには、慣れていないの」


 と、綺亜は、言いつつ、


「でも、楽しい」


 と、嬉しそうに、言った。


「何かこう、お祭りって、感じがする」


 頬に少し赤みが差していて、子供のような表情を浮かべていた。


「はぐれないようにね」


 と、彼方が、言った。


「子供じゃないんだから、大丈夫よ。そんなに、心配なら、手でも握っておけばいいじゃない」


 と、言った、綺亜の口調は、軽いからかいのつもりだったが、


「そうなのかな」


 彼方が、綺亜に手を伸ばしかけて、綺亜は、慌てて、制止した。


「じょ、冗談に決まってるじゃない!」


「そう?」


 彼方は、すぐに、手をひっこめた。


 その自然さが、綺亜には、逆に妙にこそばゆかった。


 綺亜は、自身で言っておきながら、妙に、気恥ずかしくなって、彼方から、目をそらした。


(……ニュートラルすぎるのよ、彼方は……)


 と、綺亜は、思った。


 彼方の反応には悪意も茶化しもなく、ただ本当に、そうなのか、と受け止めるだけの素直さがある。


 それが綺亜にとっては、かえって妙にくすぐったい。


「……」


 七色は、そんな様子の綺亜を、黙って、見ていた。


 その視線は決して意地悪ではなく、むしろ少し心配そうだった。


 そして、人の流れが、ふっと開ける。


 商業施設は、二棟に分かれていて、その間に、大きな広場があり、そこが、イベントの会場である。


 歩くにつれて、甘い匂いが風に乗って漂い、まだ姿の見えない会場が、すぐそこだと知らせてくれていた。


「……甘い」


 綺亜が、小さく、呟く。


 大きな仮設の建物の中に、販売ブースが、並んでいる。


 ピンクと白を基調とした布地のテントが等間隔に立ち並び、見た目にも可愛らしい雰囲気だった。


 パンフレットに書いてある通り、三十店舗が、販売を、始めていた。


 各ブースの上にはそれぞれ異なるロゴやメニュー写真が掲げられ、目移りしそうなほど賑やかである。


 イベント開催日初日ということもあってか、大盛況である。


 広場全体に人の波が生まれ、時おり歓声や写真撮影のシャッター音が響く。


「わあ……!」


 綺亜が、両手を胸の前で組んだ。


「想像以上ね……!」


 七色も、静かに周囲を見渡していた。


 女性のグループや、カップルが多めなのは、パンフレットから想起できる可愛らしさもあるが、何より、イチゴのスイーツのイベントだからかもしれない。


 赤やピンクの色合いが揃うと、自然とそういった客層が増えてしまうのも、納得できる光景だった。


「一人二枚のチケットです」


 と、七色が、言った。


「好きなスイーツを、二つ選んで、食べましょう」


 彼女はパンフレットを丁寧に開き、配布されたチケットの束を三等分して手際よく渡していった。


 淡々とした、七色の言に、綺亜は、得意げな顔で、人差し指を、ちっちと左右に、揺らした。


 小さな仕草なのに、楽しさと自信が溢れていて、まるで、主導する、という宣言のようでもあった。


 綺亜は、七色と彼方を交互に見て、


「私が、楽しみ方を、教えてあげるわ」


 と、言った。


 やや胸を張って言うその様子に、彼方は思わず笑みを浮かべる。


 七色は、綺亜の言葉の続きを、待った。


「……」


 七色は、瞬きも少なく、ただ次の言葉を静かに受け止めようとしている。


「三人で六枚のチケットだから、被らないように、別々のものを頼めば、六種類のスイーツの味を、楽しめるんじゃないのかしら」


 と、綺亜が、提案した。


 七色が、頷いて、


「シェアですか。確かに、それだと、色々な味が、楽しめますね。でも、私の食べかけでも、構わないのですか?」


 七色の言い回しは、少しだけ慎重だった。


「全然、平気よ。七色のと、交換でしょ? 気にしないわ」


 と、綺亜は、にっこりとして、言って、


(……でも、それって、彼方とも、交換するってこと?)


 と、思って、彼方の顔を見やった。


 見やったが、彼方は、笑っているだけだった。


 その無邪気な笑顔が、綺亜の胸を一瞬だけくすぐった。


 綺亜は、唐突に、気恥ずかしくなった。


(……間接……キス……になっちゃう……のかな)


 と、綺亜は、思って、俯いた。


 そこまで考えてしまった自分に、さらに恥ずかしさが倍増する。


 綺亜は、頭を振って、


「や、やっぱり、被らないものにする必要も、ないわね。それぞれ、好きなものを、選びましょう」


 と、言い直した。


 その声は、明らかに先ほどの勢いを失っていた。


「それで、良いのですか?」


 と、七色が、確認する。


 七色は、綺亜の変化に気づいていたが、敢えて深く踏み込まず、いつも通りの調子を貫いた。


「あ、当り前よ。ほら、あの長蛇の列、あそこのスイーツは、私的に、しっかりと、食べておきたいもの」


 と、綺亜が、ごまかすように、言った。


 目線を逸らしつつも、声にだけは勢いを取り戻そうと必死だ。


 綺亜が、指さしたのは、イチゴのクレープ屋で、列が、他の売り場と比べて、群を抜いて、長かった。


 看板には大きく、


「厳選果肉たっぷり! 贅沢いちごクレープ」


 と、書かれ、写真映えも抜群である。


「最後尾は、こちらでーす」


 と、プラカードを掲げた、少女が、元気の良い声で、案内をしていた。


 目に入ると少し気分が晴れるような明るい笑顔だった。


「あれだけの行列が、できるんですもの。絶対、美味しいに、決まっているわ」


 と、綺亜は、目を輝かせて、言った。


 甘い香りに誘われているのか、足取りもさっきより軽い。


「さあ並ぶわよ」


 と、言った、綺亜は、歩き始めた。


「クレープ屋さんは、佳苗さんが、バイトで、出ているんだよね」


 と、彼方が、聞いた。


 会場の雑踏の中でも、彼の声は不思議とよく通った。


 七色は、短く、


「はい。今、いると思います」


 と、答えた。


 口調は変わらないが、ほんの少しだけ歩幅が速くなった気がする。


「じゃあ、みんなで、並ぼうか」


 と、彼方が、言った。


「七色のお母さんが、このクレープ屋のブースで、バイトをしているんだ?」


 と、綺亜が、聞いた。


 彼女は興味津々といった調子で顔を寄せてくる。


 七色は、首肯して、


「そうです。販売員だと、言っていました」


 と言った。







 行列は、思っていた以上にゆっくりと進んだ。


 その間も、クレープが焼き上がる音と、甘酸っぱいイチゴの香りが、途切れることなく漂ってくる。


 綺亜は、何度も、つま先立ちになって、売り場の様子を確認していた。


「まだかな……」


 そう呟きながらも、その声はどこか楽しそうだった。


 彼方は、その様子を横目で見て、自然と微笑んでしまう。


 七色は、視線を売り場の方へ向けたまま、静かに順番を待っていた。


 彼方達が、行列の中程まで来たところで、ようやく、行列の先頭である、売り場が、見えてきた。


 人の隙間からちらりと覗く光景に、三人の期待はさらに高まっていく。


 クレープ屋の販売員は、四人のようである。


 一人が、レジを担当して、残りの三人で、注文を聞いて、クレープを作っていた。


 手際よく生地を焼く音が、ジュッと心地よく耳に届く。


 クレープの生地の、良い香りが、綺亜達のところまで、漂ってきた。


 ほんのりとした甘さと、焦げ目の香ばしさが混じりあい、食欲をそそる。


「皆、忙しそうね。大学生とか私達と同じくらいの年の子かな」


 と、綺亜が、言った。


「レジ打ちの子は、随分と、可愛らしいわね。中学生、いえ、小学生……?」


 綺亜は目を細め、レジの子をしげしげと見つめた。


「あ」


 と、七色が、声を上げた。


「レジにいるのが、私の母です」


「そう。レジの子が、七色のお母さんか……って、えええええええええええええええええええええええええええええええっ!」


 綺亜が、素っ頓狂な声を上げたので、他の客たちは、ぎょっとして、綺亜達を、見た。


「ご、ごめんなさい」


 と、綺亜は、恥ずかしそうに、俯いた。


 耳まで真っ赤になっている。


 綺亜が、


「ちょっとちょっと、七色」


 と、小声で、言った。


「冗談は、止してよね」


 七色は、綺亜の言に、不思議そうに、首をかしげて、


「冗談など言っていません」


 と、淡々と答えた。


「だって、あの子が、あなたのお母さんなわけがないでしょう」


 と、綺亜は、七色に、耳打ちするように、言って、


「どう見たって、中学生、いいえ、小学生の女の子が、お仕事体験とかで、頑張っているようにしか見え……いえ、そもそも、小学生の子がレジをやっているのも、確かに、おかしいけど……でも、そんな……」


「母の佳苗です」


 と、七色が、短く、言った。


「……嘘、でしょう?」


 と、綺亜が、おずおずと、聞いた。


「本当、です」


 と、七色が、きっぱりと、答えた。


 その表情は微動だにせず、綺亜を余計に混乱させる。


「七色が、冗談を言うなんて、珍しいわよね?」


 と、綺亜が、冷や汗の混じった笑顔で、聞いた。


「いえ。冗談は、言っていません」


 と、七色は、明瞭に、答えた。


 二人のやりとりを見ながら、


(やっぱり、そうなるよなあ)


 と、彼方は、内心、苦笑した。


 この反応は完全に予想していたもので、むしろここまで綺亜が素直に驚くとは思っていなかった。


 彼方も、佳苗と初めて会った時には、綺亜と同じような感想を、抱いた。


 信じられないというより、理解が追いつかなかったのだ。


 とにかく、容姿も仕草もしゃべり方も、若いのである。


 若いというか、若すぎる。


 若すぎるというか、幼い。


 幼いというか、幼すぎる。


 実際、佳苗は、容姿だけでは、学生と見紛うほどだった。


 誰しもが、初対面で、街角で佳苗に話しかけられたとしたら、学生と区別がつかないように、思えた。


 学園で、制服を着ている佳苗に会ったとしても、自然に、同じ学園の生徒同士として、接してしまうだろう。


(いや。下手をすれば……)


 下級生に、見えなくもないのである。


(若く見えるとかいう次元じゃないんだよな、佳苗さんの場合……)


 と、彼方は、思った。


 年齢不詳もしくは年不相応という言葉が、ぴったりだった。


 やがて、列の前方に近づくにつれ、レジの担当である佳苗の姿が、はっきりと見えるようになる。


 小柄な体格、肩までの柔らかそうな髪、少し高めで明るい声。


「……やっぱり、どう見ても……」


 綺亜が、小さく、呟く。


「信じられない……」


 七色は、それ以上、何も言わなかった。


 ただ、少しだけ、唇を結んだ。


 それは緊張というよりも、照れに近い表情だった。


 ついに、三人の番が来る。


「いらっしゃいませー! ご注文どうぞっ!」


 佳苗が、にこにこと笑いながら、声をかける。


 その瞬間。


「……あ」


 佳苗の視線が、七色に留まった。


 次の瞬間、その笑顔が、ぱっと花開く。


「七色ちゃん!」


 呼ばれた七色は、一瞬だけ、目を見開き、それから、小さく頭を下げた。


「お疲れさまです、お母さん」


「ちょ、ちょっと、七色ちゃん、ここで、お母さん、は……」


 佳苗は慌てて周囲を見回し、それから、くすっと笑った。


「……もう。相変わらずだね」


 そのやり取りを、綺亜は、呆然と見ていた。


 数秒ほど、言葉を失ったあと、


「……ほんと、なのね……」


 と、力なく、呟いた。


「ええ、本当です」


 七色は、淡々と答える。


「こちらは、彼方さんと、綺亜さんです」


「はじめましてー!」


 佳苗は、元気よく頭を下げた。


「七色の母の、佳苗です! ……って言うと、だいたい驚かれるんですけど」


 その自己紹介に、綺亜は、思わず、彼方の袖を引っ張った。


「ね、ねえ……これ、夢じゃないわよね……?」


「現実だと思うよ」


 彼方は、苦笑しながら答えた。

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