第7話 昼下がりの少女たち 6
「淡い恋は、乙女の、特権であり、武器であり、弱みであり、幸福である。恋をするのは、簡単ではないわ。でも、せっかく、恋をしたのだから、好きな人を、振り向かせて、恋を、実らせたい。乙女らしく、真正面から、正直に、勝負する方法もあるけれども、別のアプローチも、あるわ。いわゆる、恋愛テクニック、コツというやつね」
綺亜は、コーヒーを、一口飲んでから、
(結構、真面目なトーンだな)
と、思った。
「一番、効果的なのは、とにかく、会うこと。単純接触効果、ザイアンスの法則、とも呼ばれるわ。人は会う回数が多ければ多いほど、相手に好意を抱きやすくなる、という理屈ね。何度も会うことで、好感を持ってもらうの」
「……結構、顔は合わせていると思うけど」
と、綺亜が、言った。
「そうね。貴女と、朝川君は、同じ組だし、単純な接触回数で考えたら、悪くはない状況よね」
と、杏朱は、頷いて、
「ある一定回数以上、会ってしまうと、好意の伸びは、逓増か現状維持が、良いところになってしまうわ。だから、貴女には、有効ではないかもしれないけれども、基本だから、おさえておいたほうが、良いわ」
具体的な話をするわ、と、杏朱が、言った。
「接触した相手に、この人は自分のことを好きかもしれない、と思ってもらうことが、大切ね。そういう素振りを、さりげなく、見せるの。人は、自身に好意を抱いてくれていると知ると、その人のことが、気になってくるものよ。接触していった相手に、逆に、接触してきてもらえるように、仕向けるの」
と、杏朱が、言った。
(確かに、そういう考え方も、あるな)
と、綺亜は、思って、黙って、頷いた。
「でも、やりすぎは、禁物よ。積極的に、アピールするのではなく、あくまで、素振りを見せるだけ、さりげなくね。『この人は、自分のことを好きかもしれない』『でも、それは、自分の思い込みかもしれない』と、相手に、考えてもらえるくらいが、ちょうど良いわ。相手に、貴女について、考えてもらう時間を、増やすの。頭の中での接触、間接的な接触回数を、増やしてもらうわけね」
と、杏朱は、言った。
「『この人は、自分のことを好きなんだ』と確信されてしまうと、その人の中では、もう答えが、出てしまっているのだから、それは、その分だけ、貴女について、考えてもらう時間が、なくなってしまうことを、意味するわ」
綺亜は、人差し指を、顎に当てて、
「……理屈は、そうだけど……」
杏朱は、大丈夫よ、と、言った。
「実践として、とりあえず、三つの例を、挙げてみるわ。せっかくだから、練習を、してみましょう」
「練習?」
と、綺亜が、聞いた。
「そうよ。まず、貴女が朝川君、私が貴女と仮定して、お手本をみせる。次に、役割を逆にして、練習」
綺亜が、何か言いたそうにするのを、杏朱は、制して、
「その一。その日、初めて顔を合わせた時、とびきりの笑顔で、挨拶」
(ええっ)
と、綺亜は、驚いた。
杏朱は、綺亜が、これまで見たこともないような、少女然とした笑顔を、作っていた。
「おはよう、彼方!」
と、杏朱が、明るい声で、言った。
その声の調子も、綺亜が、これまで聞いたこともないような、さわやかな乙女然とした印象のものである。
次の瞬間には、杏朱は、いつもの調子に、戻っていた。
「はい。倉嶋さん、やってみて」
と、杏朱が、言った。
「……すごいわね。そんな顔、するんだ……」
と、綺亜が、言った。
「ただの演技よ。倉嶋さん、貴女の番よ。私が、朝川君だと思って、挨拶してみて?」
と、杏朱が、促した。
「……おはよう、彼方」
綺亜は、恥ずかしながら、言った。
杏朱は、呆れたように、首を振った。
「何で、最初から、もの欲しそうな、メスの表情なのよ。それでは、朝川君に、ドン引きされるだけね」
「あんたが、やらせたんでしょう!それに、そんな顔していない!」
綺亜は、ファミリーレストランの店内にもかかわらず、思わず、大声を、出していた。
周りの客の何人かからの視線が、綺亜達に、向けられていた。
「……すみません」
綺亜は、ばつが悪そうに、頭を下げて、座った。
「周りのお客さんにも、ドン引きされてしまったようね」
「……それも、あんたのせいでしょう」
杏朱は、綺亜の、恨むような声を、聞き流して、
「その二。自分の弱みを、少しだけ、見せて、甘えてみる。甘えるところが、ポイントよ」
(もう次?)
と、綺亜は、驚いた。
杏朱は、再び、少女然とした笑顔を、作っていた。
「ごめんね。少し、落ち込んじゃってて…びっくりさせちゃったかな。いつもの私からは、想像もつかないよね。うん……心配してくれて、ありがとう」
杏朱の潤んだ瞳に、綺亜は、
(何だろう。一瞬、どきっとした……)
次の瞬間には、杏朱は、再び、いつもの調子に、戻っていた。
杏朱の無言の圧力に、綺亜は、口を開かないわけにはいかなかった。
「……心配してくれて、ありがとう」
と、綺亜が、俯きながら、言った。
杏朱は、再び、呆れたように、首を振った。
「そんなふうに、俯いてしまったら、朝川君から、貴女の表情が、見えないでしょう。それとも、顔以外のパーツを見てもらいたいのかしら。俯いた視線の先だと、胸かしら?でも、貴女、胸は、まな板よりちょっとマシな部類でしかないように思えるけれども」
「馬鹿にしないでよ!胸なら、そこそこあるんだから!」
綺亜は、ファミリーレストランの店内にもかかわらず、思わず、大声を、出していた。
周りの客の何人かからの視線が、綺亜達に、向けられていた。
「……すみません」
綺亜は、ばつが悪そうに、頭を下げて、座った。
「信じられない。公衆の面前で、自分の胸の大きさ自慢をするなんて。痴女なの?羞恥プレイが、好きなの?」
「……あのね」
「その三。相手が話している時は、上目遣いで、一生懸命聞いて、少し大袈裟なリアクションをとる」
と、杏朱が、言った。
「上目……遣い?」
「そう。重要な妙技よ。童〇殺しとも、呼ばれるわ。大抵の男なら、これで、いちころね」
「……伏字を使わなきゃいけないような言葉を、言わないでよ」
「そう?〇貞殺し、何かの物語に出てきそうな、格好いい言い回しだと、思うわ。あるでしょう、〇〇殺し」
「……そんな物語は、読みたくないわ」
と、綺亜は、疲れた調子で、言った。
「それと、リアクションは、俗に、言われる、乙女のさしすせそ、ね。まとめて、やってみるから。良く見て聞いていて」
杏朱は、再び、少女然とした笑顔を、作っていた。
杏朱は、瞳をきらきらと輝かせて、
「さすがですぅー!知らなかったぁー!凄いですね!センス良いですね!そーなんだぁー!」
次の瞬間には、杏朱は、再び、いつもの調子に、戻っていた。
「さあ、倉嶋さん。やってみて」
(くっ)
と、綺亜は、唇を噛んだ。
綺亜は、半ば、むきになっていた。
(これくらい、きちんとやってやるわよ!)
と、綺亜は、思って、深呼吸した。
綺亜は、自身にできる限り、取り繕って、
「さすがですぅー!知らなかったぁー!凄いですね!センス良いですね!そーなんだぁー!」
杏朱の、冷たい視線が、あった。
「最後が、一番、出来が悪いわ。品正が、感じられない。媚びすぎ。これでは、かまととぶっていると、言われても、仕方がないわ」
と、杏朱は、ため息をついて、言った。
「あんたのほうが、よっぽど、あざといわよ!」
綺亜は、ファミリーレストランの店内にもかかわらず、思わず、大声を、出していた。
周りの客の何人かからの視線が、綺亜達に、向けられていた。
「……すみません」
綺亜は、三度、ばつが悪そうに、頭を下げて、座った。
「前途多難なのは、良くわかったわ」
と、杏朱が、言った。
いつの間にか、チョコレートパフェのガラス器は、綺麗に、空になっていた。
「でも、応援はしてるわ」
と、杏朱は、真顔で、言った。
「……え」
杏朱の言葉に、不意をつかれて、綺亜は、とまどった。
「最近、貴女が、露骨に、朝川君を避けている現場を、見てしまったものだから。ライバルに、塩を送るのもどうかと迷ったけれども、心配になったのよ」
杏朱は、微笑んでいた。
「あ……」
「妙に、朝川君のことを、意識してしまっているわけね」
「それで、占い師に、相談に来たの?」
と、杏朱は、からかうように、言った。
「思い付きよ」
「迷いとも言うわね」
「ああもう!貴女と話していると、調子が狂うわ」
と、綺亜が、呆れたように、言った。
「褒めてくれてありがとう」
と、杏朱が、笑って、言った。
「褒めてなんかいないわよ」
「ごめんなさい。お詫びに、お礼をするわ」
杏朱は、瞑目した。
「朝川君のこと、知りたいのでしょう?」
「……」
綺亜は、沈黙の後、
「貴方、彼方と、同じ天文部よね。彼方のこと、私よりは、知っていそう……」
と、呟くように、言った。
そうね、と、考えるように言ってから、杏朱は、パフェを、口に運んだ。
「表面的なことなら、貴女よりも、詳しいかもしれないわね」
と、杏朱が、言って
「私が知っている、朝川君のことは、多くは、ないわ。顔は、中の上、スポーツは、中の上、勉強は、学年上位。悪くない、優良物件ね」
杏朱は、項目ごとに、指をおりながら、言った。
「性格は、良く言えば、周りを良く見て、気が利く。悪く言えば、自身の気持ちに、遠慮がちな、風見鶏さん」
と、続けた。
「そんなどっちつかずさんと、今一前に踏み出せないお嬢様……進展は、期待できそうにないわね」
「……う」
「どうする、私のアシストは、必要かしら?」
と、杏朱が、聞いた。
「遠慮しておくわ」
綺亜は、即答した。
「七色は、大切な友達よ。ライバルになっても、それは、変わらない。真っ向から、正々堂々と、勝負したいの」
と、綺亜が、言った
杏朱は、黒い大きな瞳を、丸くして、小さく、口を開けていた。
「な、何よ」
杏朱は、綺亜に向かって、
「貴女の、融通のきかない、真正直なところは、嫌いじゃないわ」
大丈夫よ、と、杏朱は、微笑んだ。
「占い師さんが、言っていたのでしょう。黒猫が、貴女を導いてくれるでしょう、って」
「貴女が、言ったんでしょう」
杏朱は、席を立った。
「ここのお会計、よろしくね。授業料よ」
と、言った、杏朱は、先に帰ってしまった。
(困った子だわ)
と、綺亜は、思いながら、会計に、向かった。
「コーヒーとチーズケーキのセットですね」
と、店員に、言われて、
「あの。パフェと紅茶も」
「そちらの代金は、先に出られましたお客様から、いただきました」
「…そう、ですか」
綺亜は、店を、出た。
(本当……調子が狂うわ)
と、綺亜は、思った。




