第7話 昼下がりの少女たち 5
「困ります」
ほとんど間髪を入れず返ってきた、つれないその言葉に、綺亜は、思わず、眉根を寄せた。
通話口から流れてくるのは、倉嶋家の執事長である時田の、よく通る低い声である。
「門限は、守っていただくものと、思います」
その声音は、いつものように落ち着いていて、やはり反論の余地を与えない。
「お迎えの車も、既に、手配してございます」
綺亜は、歩道脇の植え込みに視線を落としながら、深く息をついた。
「あなたの言い方だと、もうこの辺まで来ているみたいね?」
と、綺亜は、呆れにも似た調子で言った。
「いつもは、学園までお迎えにあがっておりますが、本日は、商店街で用事があるから、車を回すように。お嬢様から、そうご指示をいただいたと、存じます」
「その商店街での用事が、予定よりも立て込んでしまったのよ。だから、こうして遅れるって連絡しているんでしょう」
右手で携帯を耳に当てながら、綺亜は、立ち止まり、店先のガラス越しに街の灯りを眺める。
「不測の事態に備えることも、必要なんじゃないの?」
夕方の色が深まり、店内の温かい照明が浮かび上がる時間帯だ。
しかし、時田は、その柔らかい光景にはまるで感化もされていない様子で言った。
「そういった事態に陥らないように努めることが、肝要かと存じます」
それはまるで、どこかの礼儀作法の指南書に書いてありそうな文句だ。
だが、時田の場合は、本気で言っている。
綺亜は内心、苦笑しつつも、瞑目した。
時田は、綺亜の欠点をそのまま見逃す人物ではない。
いついかなる時でも、真正面から意見してくれる。
それは、ときに厳しく聞こえる。
だが、決して、綺亜を否定したいわけではない。
そうだということを、綺亜は、知っていた。
(……時田の言ってることは、もっともだ)
分かってはいるのだ。
分かってはいるが、どうにももやおやした。
だが、これ以上反論しても、仕方がない。
小さく息を吐いた綺亜は、ついに折れた。
「……ごめんなさい」
と、短く言い、
「悪かったわ、時田。あなたの立場もあるものね。配慮が足りなかったわ」
と、素直に続けた。
「痛み入ります」
と、時田は、一礼するような声音で言った。
そして、少し間を置いて、
「お迎えの時間を、遅らせましょう」
と、続けた。
「どのくらい後が、よろしいでしょうか?」
「……相手の出方次第ね」
綺亜は、待ち合わせている黒髪の少女の顔を思い浮かべた。
あの子が、どんな表情で来るのか。
何を言うのか。
少し胸の奥がざわつく。
「ご学友の方ですか?」
と、時田が、聞く。
「そんなところよ」
と、綺亜は、曖昧に返した。
妙に詳しく説明すると、また突っ込まれるのが目に見えていた。
「一時間後にしてくれるかしら」
「承知いたしました。では、後ほど」
通話が切れた。
街のざわめきが耳に戻ってくる。
人々の話し声。
カトラリーの触れ合う音。
夕食の匂い。
それらの中で、綺亜は少しだけ肩の力を抜いた。
ほどなくして、待ち合わせの相手が姿を見せた。
ファミリーレストランDの扉が開き、カランと軽い音がする。
「お待たせ」
杏朱が、軽やかに席に滑り込んだ。
黒髪がさらりと揺れ、少し息が弾んでいる。
「ごめんなさい。少し遅れてしまったわ。あなたのあとに二人、お客さんが来てね、予定より長引いてしまったの」
「別に、待ってはいないわ。私も今来たところだし」
と、綺亜は、憮然とした調子で、肩をそびやかした。
だが、杏朱は、彼女の表情を見て、クスリと笑う。
「あら、ご機嫌斜めなの。そんな顔をしてると、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」
「……それはどうも」
「実際は、ふくれっ面も可愛いというオチなのだけれどもね」
にこりと笑う杏朱である。
その笑みが妙に絵になるので、綺亜は、負けたような気分で肩を落とす。
「注文はどうするの? 私はコーヒーとチーズケーキ」
「私は、紅茶とチョコレートパフェにしようかしら」
「オーケー」
店員を呼び、注文を済ませる。
店内は七割ほど席が埋まっていて、賑やかさはあるが、うるさすぎるほどではない。
心地よいざわめきが、背景に広がっている。
十分ほどして、テーブルの上にスイーツと飲み物が並んだ。
暖かい香り、甘い匂い。
杏朱は、嬉しそうにスプーンを手に取る。
「ここのチョコレートパフェ、ボリュームがあって味も良いのよ。前にも来たことがあってね。ほら、この層のところ……」
と、解説まで始める。
綺亜は、コーヒーを一口飲みつつ、促した。
「それで? 話があるんでしょう?」
「パフェのフルーツ……イチゴも入っているわね。イチゴは、恋する女の子にぴったりだと思うの。私の勝手なイメージだけれども」
「さっきの占いで、その手の話は終わりよ」
綺亜が、ぴしゃりと切り上げる。
だが、杏朱は、わざとらしく肩をすくめ、独り言のように呟いた。
「いいのかしら、それで」
「……?」
「私はね、口が堅いのは自慢だけど、面白いことを見過ごさないのも、自慢なの」
「……」
杏朱は、スプーンをくるくる回しながら、まるで舞台の台詞のように続けた。
「美少女転校生の秘めた恋心なんて、恰好の噂の的じゃない。噂が噂を呼んで、美少女転校生の悶絶する姿を見るチャンスを、逃すのもねぇ……。そんな誘惑に負けて、うっかり口を滑らす可能性も、ゼロではないかもね?」
「……プロだから守秘義務を遵守するって話は、どこにいったのかしら」
「ごめんなさい。都合の悪いことは、忘れてしまう性格なの」
「良い性格してるわね」
「どうもありがとう」
「褒めてはいないわよ」
綺亜は、呆れたように肩をすくめた。
杏朱は、笑みを絶やさず、紅茶に口をつける。
「あなたが占いに来てくれて、少し驚いたわ。偶然ってあるものね」
「私は、あなたが占い師のバイトをしていることに驚いたわ」
「ちょっとかじった程度の知識があればできる仕事よ」
「それは、違うでしょう」
「え?」
杏朱のスプーンの手が、止まる。
綺亜は、杏朱を真正面に捉えて、
「確かな知識と、それに裏打ちされた自信と経験。それがなければ、ああいった仕事は務まらないわ」
「意外」
杏朱は、目を丸くした。
「何が?」
「そういうところ、きちんと見てくれるのね」
「物事は、真正面から正直に捉える。それと同時に、多角的に眺めること。そう教わってきたから、それをなぞってるだけよ」
「良い教育者がそばにいるのね。ご両親かしら?」
「ちょっと違うけど、似たようなものよ」
と、綺亜は、時田の厳しい顔を思い浮かべながら言った。
「今度の土曜日でしょう? ストロベリー・スイーツ・ストリート」
その言葉に、綺亜はびくりと反応する。
「……何で知ってるの?」
「今朝、あなたが朝川君と御月さんと話しているところに、偶然通りかかったもの」
と、杏朱は言い、目を細めた。
「通りかかっただけ、だから詳しくは知らないわ。だから、こうして聞いているの」
そして、いたずらっぽく目を丸くした。
「要するに、女の子二人と男の子一人の、両手に花デート、ということ?」
デートという単語に、綺亜の頬は、みるみる赤くなる。
「そんな感じでは、先が思いやられるわね」
「……いいでしょ。これは、私の問題よ」
「確かに。私が軽々しく踏み込むべきところでもないのは、分かっているつもりよ」
と、杏朱は、柔らかい声で言った。
そして紅茶を一口含み、わざと芝居っぽく言葉を紡ぐ。
「葉坂学園の美少女転校生、倉嶋綺亜。彼女には、好きな人ができた。初めは見るだけで幸せ。目が合うだけで幸せ。言葉を交わすだけで幸せ。でも、せっかく好きな人ができたのなら、その人に振り向いてほしい」
「ちょっと、茶化さないで」
綺亜は、恥ずかしさに声をひそめる。
しかし、杏朱は、人差し指を左右に振った。
「別に茶化してるつもりはないわ」
くすりと笑った杏朱は、
「占い師のバイトをしてると、恋愛の悩みを聞くことが多いのよ。あなたみたいなね」
「……」
「話を聞いているうちにね。おこがましくも、アドバイスをするようになってしまったの」
杏朱は、ふっと、柔らかい微笑みを浮かべた。
それは、からかいのない、本物の笑みだった。





