第6話 守護者の鼓動 4
高嶺の花と呼ばれるのが、好きではなかった。
七色は、その言葉に、どうしようもなく、距離を感じていた。
それは、まるで、自身の存在そのものが、誰かの手の届かない場所に勝手に置かれてしまったかのようだった。
そして、七色は、そんな自分を、どこか他人事のように眺めていた。
この感情は、七色のものである。
七色は、寡黙で、表情を変えることも、少なかった。
その佇まいは、季節の変わらない冷たい湖のようで、誰が見ても、そこに波紋を広げることを躊躇してしまうほどだった。
結果として、七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を、自然とその身に纏っていた。
本人にそのつもりはなくとも、近づく者の足を止める、見えない壁のような何かがそこにはあった。
自身が、感情表現が、得意でないことは、七色も、わかっていた。
表情が、乏しいのである。
頬の動かし方一つ、眉の上げ下げ一つでさえ、誰もが当たり前にできることが、七色には、不器用にしかできなかった。
その不器用さに、七色は幾度も気づき、そして、自分自身へ小さく肩を落とす。
心に思っていることは、言葉にはできる。
だが、心に思ったことを、表情にはできないのである。
胸の奥では確かに熱が揺れているのに、外側は静かで、何も変わらなかった。
例えば、嬉しく思ったことを、嬉しいと言葉にしてみるものの、表情がそのように変わらないので、相手に、心の内が、上手く伝わらない。
言葉と顔が噛み合わない。
その違和感は、七色にとって、苦しさであり、恥ずかしさでもあった。
楽しいのに、楽しんでいると、相手にうまく伝わらない、ジレンマに、七色は、悩むことがあった。
自分に不足しているものを、どう補えばいいのかすらわからず、七色はただ、窓に映る自分の姿をぼんやりと見つめるだけだった。
相手に伝えられない、自身の不器用さを、もどかしく思うことがあった。
誰かに心を開きたいという願望は、確かにあるのに、どうしても形にできない。
そんな七色を、周囲は近寄りがたいと分類してしまう。
七色には、それが寂しかった。
そんな七色にとって、転校生の綺亜は、新鮮に映った。
嬉しいことや楽しいことを、言葉と顔で表す綺亜の、ころころと変わる声音と表情が、七色には、眩しく、映った。
綺亜の笑顔は、まるで、夜明けの光のように、七色の心の奥深くに差し込んでくるようだった。
出会って間もない七色を、下の名前で呼んだ、綺亜は、真っすぐで、堂々としていた。
その真っ直ぐさは、美しい小ぶりのナイフのようでありながら、同時に、温かかった。
七色は、綺亜のことを、もっと知りたいと思った。
綺亜の瞳の奥には、まだ知らない色がいくつも隠れているようで、それを一つ一つ見つけていきたいと、七色は思った。
自身と綺亜との間に、垣根を立てたくないと、思った。
「綺亜さん。あなたは、何のために戦っているのですか?」
「……」
「さっきのドッジボールで、今の綺亜さんは私に勝てない、と言いました」
「今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「今のあなたは、自身のための戦いに囚われすぎています」
「だから、冷静に剣を振るえず、判断は散漫で、本来の力を出し切れていない」
「そんな"今の"綺亜さんに、私は決して負けないでしょう」
「……私は、"守護者"。守り護る者。その使命を全うしているだけ! それの、何が悪いの!」
「使命に、縛られないでください」
先程の綺亜との会話が、七色の頭の中で、既視感として、蘇っていた。
綺亜に、ストレートな言葉をかける自分自身に、七色は、戸惑っていた。
あの時、一切の遠慮はなかった。
そんなことを考える間もなかった。
ただ自然にそうなっていた。
心に浮かんだ想いが、勝手に口へ流れ込み、そのまま言葉となって飛び出していった。
そんな自分が信じられなかった。
(この気持ちは……)
綺亜に投げかけた言葉は、厳しいものだと、七色は、わかっていた。
それでも、伝えたかったのである。
自分でも理由の説明ができない衝動が、胸を焦がしていた。
(これは、私のわがままだ)
と、七色は、思った。
(でも、そのわがままを、私は、通したい)
それは、理屈ではない、溢れ出る感情だった。
そう、心が叫んだ。
七色は、剣を、構えた。
双振りの剣の一振りを、彼方に、託してある。
だから、七色が手にしているのは、一振りの剣のみである。
七色は、
(あまり、体力は、残っていない……)
と、自身の状態を、冷静に、分析した。
全身が軋み、呼吸は浅い。
それでも、前を見る意志は、まだ折れていない。
七色が、見回すと、生気のない目が、向けられていた。
生徒達の影は、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。
その濁りは、まるで魂が曇らされているようで、七色の胸に痛みを残した。
七色が、対峙している、操影の魔術“影法師”に縛られた生徒達は、二十名程だった。
(速く勝負をつける必要が、ある)
と、七色は、思った。
クラスメイトの乃木新谷が、強烈な拳による打撃を、放ってきた。
新谷の拳は、七色の左肘を、正確に、捉えていた。
新谷は、バスケットボール部の副部長を務めるだけあって、運動能力は折り紙付きだ。
皮肉にも、その運動能力がいかんなく発揮されている。
「……っ!」
七色は、顔をしかめた。
衝撃が走り、腕の感覚が鈍った。
新谷が、笑みを、漏らした。
その笑みは、新谷のものではない。
それは、“影法師”を操る者の嗜虐的な意図が滲んでいた。
前方の左側に四人、そして、右側に三人の、生徒たちが、七色に、一斉に、奔り込んできた。
同時に、生徒達の影から、鈍い光を放つ、幾つもの黒い針の群れが、生成された。
空気が軋むほどの密度だった。
「……いきます」
と、七色は、言って、一歩前に、踏み込んだ。
たんっと一瞬だけの音が、体育館に、響いた。
七色は、跳躍した。
空気に、自身の身体が飲み込まれたように、七色が、加速した。
風が、七色の頬を鋭く切りつける。
「あああああ」
「おおおおお」
生徒達の、自我のない、怒号が、飛び交った。
七色の剣の、一筋の閃光が、駆け抜けた。
次の瞬間には、七色の剣が、生徒四人の影を、一遍に、薙いでいた。
まるで風に払われる霧のように、影は消散していった。
乾いた雑音が、響いた。
生徒たちの影の、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐が、一際激しく揺れて、やがて、かき消えた。
悲鳴にならない声を撒き散らしながら、生徒たちは、倒れ込んだ。
「……あああ……っ!」
と、叫び声が、響いた。
(……後ろから!)
と、七色は、振り返らずに、思った。
振り返らないまま、右足を後方に蹴り上げた。
後方から襲いかかった、生徒の握っていたボールカゴが、七色の蹴りで、宙に、飛ばされた。
空に舞ったボールカゴに、生徒の視線が反射的に向かったが、その懐には、既に、七色が、潜り込んでいた。
七色は、新たに、二人の生徒の影を、薙いでいた。
剣が、華麗な白銀色の弧を、描いた。
七色は、更に加速して、“影法師”に縛られた生徒達に、向かっていった。
雪のように白い足を軸に、くるりと宙返りをみせた七色は、剣撃を、放った。
輝く白色の剣閃が、光となって、それは、舞のようだった。
『……これが……“月詠みの巫女”か』
と、新谷は、感心したように、言った。
『あなたの戦う姿は、とても美しい』
生徒たちが、束になって、七色に、向かっていった。
それも、一瞬の内に、七色の剣で、倒された。
「……お終い、ですか」
と、七色が、言った。
『息が上がっていますよ。あまり、無理をしないほうが、良い』
七色に向かって、無言で、拳銃を構える生徒が、五人いた。
七色をぐるりと囲んだ格好である。
『そろそろ限界でしょう? ああいや、あなたの答えは求めていない。わかりきっていますから』
「……」
『あなたの疲れがたまるのを、待っていました。今のあなたに、かわせますかねえ?』
七色は、黙った。
『くく。良い表情だ。なぶりつくしたくなりますよ』
と、“影法師”に縛られた、新谷が、言った。
「クラスメイトを操って、そんな言葉を、言わせないで下さい」
と、七色は、目を細めた。
「あなたの目的は、何なのですか?」
新谷は、肩をすくめて、
『私の行動原理は、極めて、シンプルです』
「……」
『楽しめるかどうか。ただ、この一点に、つきます』
新谷が、話している間にも、虚ろな目の生徒達が、七色を、取り囲むように、迫っていた。
『世界は、素晴らしい。素晴らしさで、満ちている』
と、新谷は、両手を、広げた。
仰々しい所作だった。
『私は、もっと、この世界を、楽しみたい。楽しみの探求と言っても、良いでしょう』
と、言った、新谷は、続けて、
『倉嶋綺亜。私は、彼女に、期待を、かけているのですよ。彼女が、自身の殻を破って、真の力を、見せてくれることにね』
「……」
七色は、瞑目した。
「“爛の王”“虚影の指揮者”鷲宮イクト。なぜ、あなたが、饒舌なのかが、気になっていました」
と、七色が、言った。
『ほう?』
と、新谷は、眉をひそめた。
「最初は、こちらのペースを乱す為か、あるいは、あなた自身の性格が、そうさせているのかと、考えました」
と、七色は、言った。
先程、七色が、昏倒させたはずの生徒たちが、ゆらゆらと立ち上がっていた。
生徒たちの影は、再び、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。
七色は、新谷を見すえて、
「あなたは、“影法師”で縛った者の言葉を通して、言霊による魔術の供給をしていたのですね」
と、言った。
新谷は、低く笑った。
七色は、目を細めて、
「だから、“影法師”の影を切って、昏倒させたとしても、別の者からの、言霊による魔術の供給によって、再び、“影法師”に縛られてしまう」
拍手の音が、鳴り響いた。
体育館にいる生徒達が、一斉に、手をたたいたのだった。
『素晴らしい洞察力だ』
と、新谷が、感嘆した様子で、言った。
(身体は、もう少し、動く)
と、七色は、思ったものの、身体の痛みで、足が、勝手に、震えていた。
『さあ、ゲームの続きを、しましょう。あなたにとっては、これは、絶望的な状況ですよ。あなたの見立て通り、何度でも、私の兵隊は、蘇るのですから』
「……」
七色は、小さく、息を、吐いた。
(大丈夫……)
と、七色は、自身に、心の中で、言い聞かせた。
(少しは、震えは、止まってくれた)
七色は、足に、力を込め直した。
「……終わりに、しましょう」
と、七色は、緊張の息を飲み込んで、そう言った。
『そうですね。そうしましょう。倉嶋のお嬢様も、じきに、私のところに、辿りつくでしょうからね。その時に、あなたの死を、伝えてあげましょう』
七色は、気取られないように、静かに、見回した。
(チャンスは、一度だけ)
銃声が、鳴り響いた。
七色は、跳躍していた。
一発が、七色の、右腕を射抜いて、血が、飛び出した。
「……っ!」
七色の手から、剣が、こぼれた。
剣が、高々と、宙に舞った。
『さあ!』
と、新谷が、笑った。
『花の散り際を魅せてくれ、“月詠みの巫女”!」
七色の剣が、音を立てて、床に落ちた。
「“ディヴァインエッジ”……!」
次の瞬間。
宙にいる、七色が素早く両腕を交差した、その次の瞬間には、薄い紅色の飛刃を、放っていた。
光束飛刃は、壇上の幕を、切り裂いていた。
「……“透色の翼”!」
と、七色は、力ある言葉を、紡いだ。
七色の背中に、透明な桜色の翼が、創り出された。
加速した、七色の体が、一瞬で、幕まで、到達した。
「これで……!」
七色は、深い朱色の幕を、左手で掴んで、広げた。
幕は、生徒達を、包み込むように、落ちていった。
『考えましたねえっ!』
と、鷲宮は、“影法師”で縛った新谷の声を通して、嬉しそうに、叫んだ。
『なるほど。一遍に、“影法師”の影を、消して……』
新谷の言葉は、途中で、途切れた。
七色は、体育館の床に、ころげ落ちた。
影を一時的に消された、幕に隠れてしまった、生徒たちは、一斉に、沈黙していた。
仰向けに倒れたままの七色は、体育館の天井を、見つめていた。
「……」
出血のせいか、目が、霞んでいた。
七色は、何とか立ち上がった。
体育館は、静かだった。
七色は、剣を、手に取った。
(行こう……)
と、七色は、思った。





