第6話 守護者の鼓動 3
「どうしよう……」
下校途中の道路である。
御月七色は、赤みを帯びていく夕焼け空を、立ち止まり気味に見上げた。
風が少しだけ吹いて、七色の髪の一房が、ふわりと揺れた。
日中の残り香のような温かい空気と、夜が近づくとき特有のひんやりした香りが、混ざりあっていた。
七色の通う小学校は、樋野川市にある。
人口十五万人。
新興住宅街を擁する整った市街地。
その回りをゆるく囲むように広がる穏やかな田園風景。
それらが、まだらに混在している、中規模の都市だ。
大きな都会ではないが、必要なものはほとんど揃っている。
図書館や公園も多く、七色にとっては、住みやすくて落ち着く、そんなちょうど良い町である。
都心に近いこともあって、オフィス街と商業施設はそれなりに活気づいている。
週末ともなれば、駅前には県外から来る人でいっぱいだ。
しかし、七色の家の近所になると途端に、昔ながらの農家の家や、小川沿いの道ばたに咲く小さな花が目につく。
その取り合わせが、七色は、案外好きだった。
今は、茜色の空が、とても綺麗だった。
空に溶け込むような柔らかい色の雲が、遠くへ流れていく。
その下で、七色の歩調に合わせて、ランドセルに付けている猫のキーホルダーが、ゆらりと揺れた。
猫のキーホルダーは、ほっとして昼寝でもしているような表情で、“なご猫”というキャラシリーズのものである。
雑貨店で買ったお気に入りだ。
見るたびに少しだけ気持ちを和ませてくれる存在だ。
前方に、川に架かる大きな国道の道路橋が見えた。
様々な車が、ひっきりなしに左から右へ、右から左へと流れ続けている。
そのざわざわした車の音が、夕暮れの空気を震わせるように響いていた。
道路橋の手前に、鉄橋が見えてきた。
その無骨な鉄の線の組み合わせが、夕日を受けて黒く浮かんでいる。
七色は、さっきから胸の内が落ち着かず、家に帰りながら少しだけ歩いて考えようと思い、土手の道へと足を向けた。
「……」
夕方の土手の道には、いろいろな人が歩いていた。
犬の散歩をしている女性。
ランニングをする男性。
スポーツバッグを背負った学生。
そして、七色と同じ小学校に通っているのだろうランドセルの子供たち。
それぞれが自分の帰路を歩いている光景は、いつもならなんてことないのに、今日の七色には、妙に胸にしみた。
七色が歩いていると、前方から四人組の少年少女グループが歩いてきた。
男子が二人、女子が二人。
着ている制服は、見覚えがあった。
(葉坂学園、だったかな)
確か近くの進学校だ。
校舎は、桶野川駅から徒歩十分ほどの高台にあり、ガラス張りの校舎と整備された中庭が印象的である。
七色の家の方向に校舎があるので、時々その制服を見かける。
少女の一人が、
「この前、一緒に行ったプラネタリウム、とっても楽しかったんだよ。ね?」
と、横を歩く少年に、話しかけた。
声が、明るい。
楽しさが溢れている声だった。
「……まあ、そこそこな」
少年は、照れくさそうに言った。
その耳がわずかに赤くなっている。
別の少女が、
「感じ悪いんだ」
と、からかうように言う。
「そんなふうだと、あっという間に、ふられちゃうんだからね」
「そ、そうなの?」
と、もう一人の少年が、不安そうに尋ね、
「あんたみたいな、マメ男もどうかとは思うけどね」
と、返される。
「そんな……」
「嘘よ。大好きだよ」
自然と耳に入ってくる会話。
その柔らかい雰囲気からすると、どうやら二組のカップルらしかった。
七色は、自分のランドセルを握りしめる手に、なぜだか少しだけ緊張を感じた。
別に関係のない話なのに、胸の奥がくすぐったくなり、落ち着かない。
七色は伏し目がちになって、
(帰ろう……)
と、思った。
鉄橋の下をくぐるように、土手の道は続いている。
そのとき、タイミングよく鉄橋を列車が通っていった。
風を切る重たい音が、空気を震わせる。
川を挟んで左岸の隣の市から、右岸の桶野川市へと続く路線だ。
十両編成の黄色いラインの列車が、夕日の余熱の中を、あっという間に走り去った。
その夜である。
七色は、夕食後の食器を洗い終えると、胸の前で拳をぎゅっと握りしめて、母親の御月佳苗のいるリビングへ向かった。
勇気を振り絞った、というより、
「今言わなきゃ言えない」
と、思ったのだ。
「あの、今、少し、良いですか?」
佳苗は、大画面のテレビの前で正座しながらシューティングゲームをプレイしていた。
「どうしたの、七色ちゃん?」
と聞く声は軽いが、目は画面に集中している。
「おおおー!」
佳苗が、声を上げる。
「今日は、ハイスコア記録、更新できるかもっ。いやー、Dエリアの稼ぎが、うまくいったなー」
画面には巨大魚型ボスが映り、レーザーが派手に飛び交う。
佳苗の握るアーケード仕様のコントローラーのレバースティックが、カチカチと小気味よい音を刻んでいた。
七色は、
「恋愛相談です」
と、できるだけ短く、できるだけ冷静な声で、そう言った。
「……え」
佳苗の声が、固まった。
沈黙。
そして、佳苗はコントローラーのスタートボタンを押して、プレイ中のゲームを中断した。
「えええーっ!?」
素っ頓狂な声とともに、佳苗は、七色のほうへ全身を向け、目をきらきらさせて身を乗り出した。
「恋バナ、恋バナっ?」
「はい」
佳苗のテンションに押され気味になりながらも、七色は、こくんと頷いた。
「ひゅーひゅー! 七色ちゃんも、やるようになったねえ」
佳苗は、やたら楽しそうだ。
「うんうん」
と、頷き、にっこり笑って、
「ま、七色ちゃんは可愛いからね。今までそういうことがなかったのが、逆に意外なくらいだったよ」
「あの……」
七色が言いかけたのを遮るように、佳苗は、
「それで、相手の男の子ってどういう子なの? やっぱり同学年? 上級生? 年下?」
と、矢継ぎ早に聞いた。
質問攻めの様相である。
「あの……」
「名前は? 体育得意男子? それとも文学系?」
「……そんなに、一遍に聞かれても、困ります」
七色は、戸惑って言った。
「そうだったね。ごめん。つい興奮しちゃって」
佳苗は、少しだけ舌を出して謝った。
「同級生です」
と、七色が、言った。
「バスケットボールのクラブ活動をやっていて、運動は、得意のようです」
佳苗は、
「ふむふむ」
と、頷きながら、もう興味津々という顔で七色を見ている。
「名前は、言ったほうが、良いですか?」
「できれば、教えてほしいかな。話がしやすいし」
「清宮譲君、です」
「清宮君か。七色ちゃんの話を総合すると、運動神経抜群のイケメンっぽいな」
七色は、小さく頷いて、
「顔立ちは、整っていると思います」
と、はにかむように言った。
佳苗は、
「ふむふむ」
と、頷く。
それから、
「やっぱり、小学校だと、スポーツ男子がやっぱり人気かー」
と、感心するように言う。
七色は、表情を正して、
「それで、どうやって告白すれば良いのかの、相談を受けました。その相談です」
佳苗は、なぜかガッツポーズを取った。
「告白きたー! 攻め攻めだね、七色ちゃん!」
と言いながら、数秒後、はっとしたように眉間に皺を寄せ、
「……ん? 告白を相談したい、じゃなくて。相談を受けたのを、相談したい……?」
と、自問するように言った。
「はい」
と、七色は、首肯した。
「クラスメイトの……東尾里奈さんから、そのように、相談を受けました」
リビングに、短い沈黙が落ちた。
七色と佳苗が黙っていると、部屋の時計の針の音が、やけに規則正しく響いた。
「えーと、確認いいかな?」
七色は、静かに、
「はい」
と、応じた。
「清宮君に、告白したいのは、里奈ちゃん……?」
七色は、静かに、
「はい。そうです」
リビングに、再び、短い沈黙が落ちた。
佳苗は理解すると、ようやく、
「ああ、なるほど」
と、頷いた。
「里奈ちゃんが清宮君に告白したくて、どうしたら良いのかを、七色ちゃんに相談したんだね」
「はい」
七色は、こくりと頷いた。
佳苗は、
「勘違いしちゃったよ」
と、苦笑しつつも、
「でも。青春だねえ。甘酸っぱいなあ。ドキドキしてきちゃうよ」
と、楽しそうに言った。
七色は、少し俯いて、
「でも、なぜ、私に相談してきてくれたのか、わからなくて……」
と、小さな声で言った。
佳苗は、
「ふうん」
と、鼻を鳴らし、
「里奈ちゃんは、何て言ってきたの?」
と、聞いた。
「……『御月さんは高嶺の花で、皆からすごくモテるし、大人だし、クールビューティーだから、冷静に的確なアドバイスをくれそう。だから、とっても恥ずかしいけど、相談にのってくれないかな』……です」
と言った。
佳苗は、目を丸くした。
「高嶺の花。最近の子は難しい言葉を知ってるなあ」
部屋の時計の針の音が、規則正しく響き続ける。
「七色ちゃんは、何て答えたの?」
七色は、
「……」
と、少しとまどった顔をして、ぽつんと、
「正直に、よくわかりません、と答えました」
佳苗は、静かに頷く。
「そっか」
七色は、佳苗に向き直って、
「でも」
「ん?」
佳苗は、七色の言葉を待った。
七色は、
「東尾さんは、思い切って相談してくれました」
と、言った。
「だから、私も精一杯、応えたいんです」
その真摯な瞳に、佳苗は、嬉しそうに目を細め、
「じゃあ、一緒に考えてみようか」
そう言って、ゲーム機の電源を、落とした。
「あの……記録は……」
七色が、心配そうに尋ねると、佳苗は、笑って首を振った。
「大丈夫だよ。ハイスコアは、やり直せば取れるけど、七色ちゃんの相談は、今夜のここでしか聞けないからね」
七色の胸は、その言葉で、少しだけ軽くなった気がした。





