第6話 守護者の鼓動 4
高嶺の花と呼ばれるのが、好きではなかった。
この感情は、七色のものである。
七色は、寡黙で、表情を変えることも、少なかった。
結果として、七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を、自然とその身に纏っていた。
自身が、感情表現が、得意でないことは、七色も、わかっていた。
表情が、乏しいのである。
心に思っていることは、言葉にはできるが、心に思ったことを、表情にはできないのである。
例えば、嬉しく思ったことを、嬉しいと言葉にしてみるものの、表情がそのように変わらないので、相手に、心の内が、上手く伝わらない。
楽しいのに、楽しんでいると、相手にうまく伝わらない、ジレンマに、七色は、悩むことがあった。
相手に伝えられない、自身の不器用さを、もどかしく思うことがあった。
そんな七色にとって、転校生の綺亜は、新鮮に映った。
嬉しいことや楽しいことを、言葉と顔で表す綺亜の、ころころと変わる声音と表情が、七色には、眩しく、映った。
出会って間もない七色を、下の名前で呼んだ、綺亜は、真っすぐで、堂々としていた。
七色は、綺亜のことを、もっと知りたいと思った。
自身と綺亜との間に、垣根を立てたくないと、思った。
『綺亜さん。貴女は、何のために、戦っているのですか?』
『先程のドッジボールで、今の綺亜さんは私に勝てない、と言いました』
『今、そんなことを、話している場合じゃないでしょう』
『今の貴女は、自身のための戦いに、囚われすぎています』
『だから、冷静に剣を振るえず、判断は散漫で、本来の力を、出し切れていない』
『そんな『今の』綺亜さんに、私は、決して負けないでしょう』
『……私は、"守護者"。守り護る者。その使命を、全うしているだけ!それの、何が悪いの!』
『使命に、縛られないで下さい』
先程の綺亜との会話が、七色の頭の中で、既視感として、蘇っていた。
綺亜に、ストレートな言葉をかける自分自身に、七色は、戸惑っていた。
(この気持ちは……)
綺亜に投げかけた言葉は、厳しいものだと、七色は、わかっていたが、伝えたかったのである。
(これは、私のわがままだ)
と、七色は、思った。
(でも、そのわがままを、私は、通したい)
それは、理屈ではない、溢れ出る感情だった。
七色は、剣を、構えた。
双振りの剣の一振りを、彼方に、託してあるので、七色が手にしているのは、一振りの剣のみである。
(あまり、体力は、残っていない……)
と、七色は、自身の状態を、冷静に、分析した。
七色が、見回すと、生気のない目が、向けられていた。
生徒達の影は、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。
七色が、対峙している、操影の魔術"影法師"に縛られた生徒達は、二十名程だった。
(速く勝負をつける必要が、ある)
と、七色は、思った。
クラスメイトの乃木新谷が、強烈な拳による打撃を、放ってきた。
新谷の拳は、七色の左肘を、正確に、捉えていた。
新谷が、笑みを、漏らした。
前方の左側に四人、そして、右側に三人の、生徒達が、七色に、一斉に、奔り込んできた。
生徒達の影から、鈍い光を放つ、幾つもの黒い針の群れが、生成された。
「……いきます」
と、七色は、言って、一歩前に、踏み込んだ。
たんっと一瞬だけの音が、体育館に、響いた。
七色は、跳躍した。
空気に、自身の身体が飲み込まれたように、七色が、加速した。
「あああああ」
生徒達の、自我のない、怒号が、飛び交った。
七色の剣の、一筋の閃光が、駆け抜けた。
次の瞬間には、七色の剣が、生徒四人の影を、一遍に、薙いでいた。
乾いた雑音が、響いた。
生徒達の影の、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐が、一際激しく揺れて、やがて、かき消えた。
悲鳴にならない声を撒き散らしながら、生徒達は、倒れ込んだ。
「……あああ……っ!」
と、叫び声が、響いた。
(……後ろから!)
と、七色は、振り返らずに、思った。
後方から襲いかかった、生徒の握っていたボールカゴが、七色の蹴りで、宙に、飛ばされた。
空に舞ったボールカゴに、生徒の視線が反射的に向かったが、その懐には、既に、七色が、潜り込んでいた。
七色は、新たに、二人の生徒の影を、薙いでいた。
剣が、華麗な白銀色の弧を、描いた。
七色は、更に加速して、"影法師"に縛られた生徒達に、向かっていった。
雪のように白い足を軸に、くるりと宙返りをみせた七色は、剣撃を、放った。
輝く白色の剣閃が、光となって、それは、舞のようだった。
「……これが……"月詠みの巫女"か」
と、新谷は、感心したように、言った。
「貴女の戦う姿は、とても美しい」
生徒達が、束になって、七色に、向かっていった。
それも、一瞬の内に、七色の剣で、倒された。
「……お終い、ですか」
と、七色が、言った。
「息が上がっていますよ。あまり、無理をしないほうが、良い」
七色に向かって、無言で、拳銃を構える生徒が、五人いた。
「貴女の疲れがたまるのを、待っていました。今の貴女に、かわせますかねえ?」
七色は、黙った。
「くく。良い表情だ。なぶりつくしたくなりますよ」
と、"影法師"に縛られた、新谷が、言った。
「クラスメイトを操って、そんな言葉を、言わせないで下さい」
と、七色は、目を細めた。
「貴方の目的は、何なのですか?」
新谷は、肩をすくめて、
「私の行動原理は、極めて、シンプルです。楽しめるかどうか。ただ、この一点に、つきます」
新谷が、話している間にも、虚ろな目の生徒達が、七色を、取り囲むように、迫っていた。
「世界は、素晴らしい。素晴らしさで、満ちている」
と、新谷は、両手を、広げた。
「私は、もっと、この世界を、楽しみたい。楽しみの探求と言っても、良いでしょう」
と、言った、新谷は、続けて、
「倉嶋綺亜。私は、彼女に、期待を、かけているのですよ。彼女が、自身の殻を破って、真の力を、見せてくれることにね」
「……」
七色は、瞑目した。
「"爛の王""虚影の指揮者"鷲宮イクト。なぜ、貴方が、饒舌なのかが、気になっていました」
と、七色が、言った。
「ほう?」
と、新谷は、眉をひそめた。
「最初は、こちらのペースを乱す為か、あるいは、貴方自身の性格が、そうさせているのかと、考えました」
と、七色は、言った。
先程、七色が、昏倒させたはずの生徒達が、ゆらゆらと立ち上がっていた。
生徒達の影は、再び、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。
「貴方は、"影法師"で縛った者の言葉を通して、言霊による魔術の供給をしていたのですね」
新谷は、低く笑った。
七色は、目を細めて、
「だから、"影法師"の影を切って、昏倒させたとしても、別の者からの、言霊による魔術の供給によって、再び、"影法師"に縛られてしまう」
拍手の音が、鳴り響いた。
体育館にいる生徒達が、一斉に、手をたたいたのだった。
「素晴らしい洞察力だ」
と、新谷が、感嘆した様子で、言った。
(身体は、もう少し、動く)
と、七色は、思ったものの、身体の痛みで、足が、勝手に、震えていた。
「さあ、ゲームの続きを、しましょう。貴女にとっては、これは、絶望的な状況ですよ。貴女の見立て通り、何度でも、私の兵隊は、蘇るのですから」
「……」
七色は、小さく、息を、吐いた。
(大丈夫……)
と、七色は、自身に、心の中で、言い聞かせた。
(少しは、震えは、止まってくれたみたい)
七色は、足に、力を込め直した。
「……終わりに、しましょう」
と、七色は、緊張の息を飲み込んで、そう言った。
「そうですね。そうしましょう。倉嶋のお嬢様も、じきに、私のところに、辿りつくでしょうからね。その時に、貴女の死を、伝えてあげましょう」
七色は、気取られないように、静かに、見回した。
(チャンスは、一度だけ)
銃声が、鳴り響いた。
七色は、跳躍していたが、一発が、七色の、右腕を射抜いて、血が、飛び出した。
「……っ!」
七色の手から、剣が、こぼれた。
剣が、高々と、宙に、待った。
「さあ!花の散り際を、魅せてくれ、"月詠みの巫女"!」
と、新谷が、笑った。
七色の剣が、音を立てて、床に落ちた。
宙にいる、七色が素早く両腕を交差した、その次の瞬間には、薄い紅色の飛刃を、放っていた。
光束飛刃は、壇上の幕を、切り裂いていた。
「……透色の翼!」
と、七色は、力ある言葉を、紡いだ。
七色の背中に、透明な桜色の翼が、創り出された。
加速した、七色の体が、一瞬で、幕まで、到達した。
「これで……!」
七色は、深い朱色の幕を、左手で掴んで、広げた。
幕は、生徒達を、包み込むように、落ちていった。
「考えましたねえ!」
と、鷲宮は、"影法師"で縛った新谷の声を通して、嬉しそうに、叫んだ。
「なるほど。一遍に、"影法師"の影を、消し……」
新谷の言葉は、途中で、途切れた。
七色は、体育館の床に、ころげ落ちた。
影を一時的に消された、幕に隠れてしまった、生徒達は、一斉に、沈黙していた。
仰向けに倒れたままの七色は、体育館の天井を、見つめていた。
出血のせいか、目が、霞んでいた。
七色は、何とか立ち上がった。
体育館は、静かだった。
七色は、剣を、手に取った。
(行こう……)
と、七色は、思った。




